立向居連載 | ナノ










時計の針が時を刻む音が聞こえてくるけれど、それ以外物音一つしない。自分に与えられた部屋のベッドの上で私はぼんやりと物思いに耽っていた。私はお父様に生かれている身だ。だからお父様の命令を聞くのは当たり前であって、おかしいことではない。お父様が私にとっての正義なのだ。例えそれが世間一般的に悪と言われることだとしても、私は受け入れるつもりだった。でもそれは人を傷つけてもいい理由になるのだろうか?私にたくさんの笑顔をくれた人も、傷つけてよかったのだろうか。私には分からなくなっていた。大きく溜息を吐いて立ち上がり、気晴らしにでもと部屋を出る。静かな廊下に私の靴底が奏でる音が反響し、少し大きくなって耳に届いた。
さて、何処に行こうか。そう考えながら自然と私の足が向いたのは練習場だった。私はサッカーなんてできないし、やったこともない。けれど練習場はなんとなく好きだった。自動式の扉が開く無機質な音が鳴って足を踏み入れた先の広い練習場、今の時間はどのチームの練習にも使われていないはずなのに、開かれた途端聞きなれた軽い音が耳に届き、私は口を開く。


「…グラン?」


自然と出た私の声に振り返ったのは赤い髪の、私のよく知っている彼だった。少し驚いたような表情を浮かべていたグランはすぐに嬉しそうに頬を綻ばせ足元で弄んでいたサッカーボールを手で受け止める。それから数歩私の方へと近寄って、微笑んだ。


「こんばんは、アリーシャ。今は練習時間じゃないよ?」
「う、うん…分かってるんだけど…」
「じゃあ眠れなかったのかな。まあ、俺がそうなんだけど」


続いて苦笑いを浮かべて私にボールを差し出し「やる?」と聞いてきたけれどゆっくり頭を左右に振ることで断った。すぐに腕を引っ込めた彼はもう一度ボールを抱えなおした。彼の顔を見ることに気まずさを感じた私は、さり気なくグランから視線を外すように軽く俯く。
グランは、グランのままだった。と言うのは彼は今まで通り優しくて私のお兄さんみたいな人で(同じ年ではあるんだけれども)、いつも心配してくれて、私にとってはお日さま園のみんなの中でも特に大切な人だ。けれどそんな彼をただ信じていいのか否か、私には決め兼ねていた。いくらお父様の命令だからと言って陽花戸中のみんなを糸も簡単に傷つけてしまったグランの姿、それから私に命令だと冷たく言い放った時の彼の表情、その両方が私の判断を揺るがせてしまっていたのだ。練習場を包む静寂の中、私はそうっと息を吐く。


「ねえ、グラン」
「なんだい?」
「グランは…お父様の言うこと、正しいと思う?」


口を突いて出た言葉はもう元には戻らなかった。はっと我に返り慌ててグランの顔色を窺おうとする。だって彼はお日さま園の誰よりもお父様のことを愛しているからだ。お父様の死んだ本当の息子にそっくりだと言われているグランはお父様からも気に入られていて、大切にされている。そんな彼の前でお父様を批判するなんて、そう思っていたんだけれど、目の前の彼はぱちぱちと数回瞬きを繰り返してからくすくすと笑みを零した。怒られると思っていた私は逆に間抜けな表情でグランを見つめ返すしかなくて。


「アリーシャは正しくないと思うんだね」
「えっ、あ、その、」
「慌てなくていいよ。今の言葉を聞いたのは俺だけだし」


その言葉に小さく息を呑む。悪戯っぽく切れ長の目を更に細めて笑うグランと視線がかち合って更に居心地が悪くなった。それはつまり、裏を返せば弱みを握られたようなものであるわけだから。恐る恐る、小さな声で言葉を紡ぐ。


「…お父様、には…」
「大丈夫、言わない。みんなそれぞれいろんな意見があるんだし、それは仕方が無いことだ。でも、」


そこでグランの表情が少し曇って、綺麗な瞳が揺れる。何処か考えるような、何とも言えないその表情に私は言葉が出なくなってしまった。


「だからってみんなそうして父さんから離れていったら、父さんは一人になってしまうだろう?」
「あ…」
「だから俺は、父さんが正しいって信じ続けるよ。例え一人になってもね」


一度瞬く。すると彼の表情はまたいつもの微笑みに戻っていて、先程のような曇った表情は消えていた。それから抱えていたサッカーボールを足元へと落として、勢いよく少し離れたゴールへと蹴る。緩い孤を描いたそれは程なくしてゴールネットを豪快に揺らして、止まった。


「そろそろ寝ないと明日に響くよ。俺は先に戻るから、アリーシャも早めに部屋に戻った方がいい」


ひらりと手を振りながら「それじゃあ」とだけ残してグランは私の隣をすり抜けていった。暫くグランの靴底が奏でる音を背に受けていたけれど、私はぐっと強く拳を握り締め、勢いよく振り返る。それから彼の背中に向かって、大きな声で、叫んだ。


「じゃあ、どうして雷門イレブンに勝ったのにノートを無理矢理にでも奪わなかったの?どうしてお父様の命令に背いたの!お父様が全て正しいって心の底から信じてるなら、どうして!」


グランはそのまま私の問いに答えることなく、扉の向こうに消えていってしまった。

一人練習場に残された私はただフィールドの地面を睨みつけるようにして考える。もしかしてグランもお父様に傷付けられている一人ではないのか、少なからず疑問を抱いているのではないか。それなら私が助けてあげなければいけない、と。大切な家族を、みんなを、私が守らなければいけないのではないか。守られてきた立場から、守る立場へ変わるべきなのではないか。
この時の私はグランに対する恐怖心ではなく、みんなを守らなければという思いで胸がいっぱいになっていた。





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