立向居連載 | ナノ











逢うべきではないのかもしれない、けれどやっぱり逢いたくなった。マネージャーの仕事をしながらぼんやりと思い出すのはあの笑顔で、「ゆい先輩」という呼ばれ方なんて私の人生でされるとは思わなかったし、それが理由か否か、私の頭からは立向居くんが離れなくなってしまった。お日さま園のみんなと居る時とはまた違う気持ちになれる、穏やかで優しくて温かい、そんな気持ち。私はジェネシスのみんなの練習風景を見つめた後、誰にも気付かれないようにそっと踵を返し、その場を後にした。












「ゆい先輩っ…!」


福岡の地は夕暮れ時が似合うと思う。現に私は夕暮れ時にしか訪れないようにしていた。特にこれといった理由はないけれど、ただ単に私がここの夕日が好きだからだ。今日も顔の半分を照らされながら、サッカー部の練習中だというのに立向居くんは驚いたような表情を浮かべてグラウンドから私の方へ走り寄ろうとして、慌てて窺うようにキャプテンを振り向いて「ちょっと失礼します!」とだけ叫んでまた走ってきた(相変わらず忙しい子だ)。


「だっ、だだ、だだだ、」
「…うん、大丈夫だよ」
「え?あ、その…だ、大丈夫…なんです、か」


彼が言いたいのであろうことを先に予測して返す。すると鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてぽかんと口を開けた。その顔がなんだか面白くて小さく噴出す。


「な、なんで…笑って…」
「立向居くんが面白い顔してるから」
「俺は真剣なんですよ!」


途端ぐっと強く肩を掴まれた。目を瞬かせる私と、真剣な、必死な表情を浮かべる立向居くん。その様子を見ればさすがに笑うこともできず、私は息を呑んだ。


「…あの後、何されたんですか」
「何も…されてないよ」
「だってあの人たちは…!」
「うん、大丈夫だったんだ。本当だよ?新しい傷なんてないでしょ」


ね。そう言って笑いかけるとすぐさま立向居くんは私の身体を見渡した。顔、上半身、腕、足。小さな声で「そんなに見られると照れるなあ」と呟くと彼は顔を真っ赤にして目を逸らした。どうやらこういう話は慣れていないらしい(とは言え私も慣れているわけではないけれど)。


「でも」
「ん?」
「前の傷が…残っちゃいました」


不意に立向居くんの手のひらが私の頬を包み込む。そこは初めて立向居くんと出逢った時にあの大人たちにつけられた傷がある部分で、もう痛みこそないものの薄らと痕が残ってしまった。少し悲しげに言う立向居くんの手のひらから伝わる温もりがなんだか心地よくて、私は彼より体温が低いのかと心の中で呟く。するとまた「ゆい先輩、」と真剣な、けれど少し震えている声が聞こえた。


「先輩、俺、聞きたいことが、たくさんあるんです」
「聞きたい…こと…」
「俺、ゆい先輩があの大人の人たちに暴力を振るわれる理由なんて知りません。ゆい先輩と出会ってそう長くない俺なんかが口を挟んでいい問題じゃないのかもしれません。でも、でも俺っ…納得できないんです!なんでゆい先輩が傷付かなきゃいけないんですか?なんであんな酷いことされなきゃ、いけないんですか…」


言葉の最後の方では、彼は既に泣きそうな表情を浮かべていた。涙こそ流れていないものの悲痛だとあからさまに訴えるその表情は私には衝撃的で、薄く唇を開いたまま何も言葉が出てこなかった。
それっきり立向居くんは俯いてしまって唇を噛み締めたまま黙りこくってしまった。静寂が支配する私と彼の間に流れるのはサッカー部や他の部活が練習する声や、誰かが地面を踏みしめる音。暫くした後、私はそっと立向居くんの頬に腕を伸ばして、彼が私にしているのと同じように、触れた。


「…ゆい…先輩…?」
「私は、大切な人の役に立つために存在してるだけ」
「え?」
「だから…これで、いいんだ」


そう、きっと、これでいいんだ。少なくとも今の私が誰かの役に立てているなら、それでいい。救ってもらえたこの命を、その大切な人のために使わなくてどうする?他に使い道なんてないなら、私は、受け入れるしかない。私が今できる最大級の笑顔を作って、立向居くんに向けた。立向居くんは、困惑したような表情で私を見ていた。


「それって…どういうこと、ですか…?」
「じゃあ、私そろそろ行くね」
「え、あ、あの、ゆい先輩…」


するりと立向居くんの頬から手を離して、一歩下がって、彼の手から逃れる。彼の片腕は未だ宙に浮いたままで行き場を無くして彷徨っていた。このまますぐに帰ってしまえばよかったんだけれど、私は初めての気持ちにどうしたらいいのか分からなくなる。「ええっと、」そう歯切れ悪く言って大きく息を吸い込んだ。


「心配してくれて…ありがとう」


それだけ言い残して私は逃げるように立向居くんに背を向けた。後ろから慌てたような声が聞こえたけれど足を止めるわけもなく、ひたすら前へ、前へ。私は一体何をしに来たのか、何をしているのか、そんなことを考える余裕すらなかった。胸の中はぐちゃぐちゃで何とも言えない気持ちが込み上げてくる。お日さま園のみんなとお父様だけだった私の世界に、新しい色が少しずつ加わってきた。それはとても大きくて、とても明るくて、とても温かくて、とても優しくて。

また、逢いたい。さよならなんてまだしたくない。この新しい色の名前を、誰か教えて。


(そしてその上を塗りつぶすのは、)





「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -