短編 | ナノ
私たちの名前は、一体何を意味しているのだろう。初めてこう考えたのは、私たちに新しい名前が与えられてからすぐのことだった。
「ねえ風介、」
「今はガゼルだ」
「でも…私の中ではずっと、」
「二度も言わせるな」
「…」
「わたしは、ガゼルだ」
目の前の彼は以前から表情が豊かだったわけではないけれど、それでも今ほど冷たい人間じゃなかったように思う。というのも、私の記憶では遥か遠い昔のお話のように感じる。感情の篭らない瞳がまっすぐ私を貫いた。
「私は、いつか忘れてしまうのが怖くて、」
「恐れることはない、過去など捨ててしまえばいい」
「え…」
「わたしたちに過去は必要ない。重要視すべきなのは今この時だけだ。だから今の私はガゼルであって、それ以外の何者でもない。それはきみにも同じことが言える」
もちろんわかっているだろう。ゆるりと視線を外しながら彼は、言う。そうだ、いつから彼は私の名前を呼ばなくなったんだろう。いつから彼はこんな人になったんだろう。いつから彼は、一体、いつ、から?
「これが最後だよ、なまえ」
「!」
「わたしの名は、なんだ」
久しぶりに彼の喉から発せられた私の名前は酷く冷たく、重苦しく、私の望んでいたものとは違っていた。恐る恐る視線を上げた先にあった彼の瞳には相変わらず少しの感情も篭められていなかった。彼が本当の意味で問うているのは名前などではなく、私が過去を取るか今を取るかということなのだろう。此処で過去を取ればどうなるのか、それは彼の瞳が告げていた。震える唇を薄らと開き、私は選択する。
「ガゼル、さま」
「そう、それでいい」
つまり、そう、私たちの名前が意味していたのは、
100524/泡になる