この感情の名を


 あの日見た光景は、しばらくの間僕の目に焼き付いて離れなかった。そしてそれは、彼女のバカバカしい話――普段は違う世界にいるけど眠るとこちらの世界に来ることが出来る――が、実は本当なのではないかと僕に思わせることとなった。なぜならそれは、姿くらましの様子とは全く異なっていたからだ。

 夏休みの間、僕は家にある本からそれらしい魔法を探そうと試みた。彼女のバカバカしい話が作り話でなかったとするのなら、世界を行き来する魔法が存在するのではないかと思ったからだ。しかし、そういう魔法が簡単に見つかるはずもなく、僕はあれから2年もの間、暇さえあればそのバカバカしい魔法を探すために時間を費やした。

「ここ最近何を調べ回ってるんだ」

 2年後の6月――学年末試験も終わり、図書室でそれらしい本を何冊か借りた帰り、廊下を歩いていると兄が話しかけてきて、僕は思いっきりしかめっ面をした。兄は廊下の少し先で腕組みをして壁に寄りかかったままこちらを探るように見ている。

「貴方に関係ありますか?」
「古い呪文ばかり調べているだろう」
「ブラック家から逃げ出すような臆病者に答える必要があるとは思えませんが」
「なんだと?」

 彼女はどちらかといえば兄との方が仲良く出来るだろう。心底不機嫌そうな兄の表情を見ながら、僕はそう思った。例えばもし、湖のほとりで彼女を見つけたのが僕ではなかったとしたら、彼女は今頃違う誰かに秘密を打ち明け、違う誰かに向かってニコニコと笑っているのだろうか――嗚呼、胃がムカムカする。

「貴方には全く関係のないことですよ」

 この感情の名を僕はまだ、知らない。


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