揶揄うように指先を


 ロンドン、イズリントン区、グリモールド・プレイス12番地に僕の生家はあった。以前にも話したように、「自分達の家系に相応しい美しい家を望んだブラック家の祖先が12番地に住んでいたマグルを説得・・し、手に入れた」ものだ。ロンドンでは比較的よく見られる集合住宅テラス・ハウスで、家々が規則正しく連なり、1つの巨大な建物を形成している。

「ここが、貴方の家?」

 グリモールド・プレイスの目の前の通りで、彼女がしげしげと興味深そうに下から上へと建物を眺めながら訊ねた。4階建の最上階を見つめる彼女の顔はほぼ真上を向いていて、そのまま後ろに引っ繰り返りそうになっている。こうして見ると本当にただの11歳の子どもにしか見えないから不思議だ。僕は彼女が転ばないようそっと背中に手を添えながら、もう片方の手でポケットの中に入れていた羊皮紙の切れ端を取り出し、彼女に見せた。



 ブラック家は、
 ロンドン、グリモールド・プレイス12番地存在する。




 それは、ブラック家の住所を記したメモだった。どうしてこんなメモを見せるのかと言えば、これを事前に知らなければブラック家の玄関すら見つけることが出来ないからだ。僕の家は元々マグルの家に挟まれていることもあり、マグル避けなどの防犯対策は完璧だったが、今回彼女を保護するにあたり、忠誠の術の力を用いてより強固に自宅を守るようにしたのだ。

 忠誠の術とは、生身の人間に秘密を閉じ込める呪文だ。秘密を閉じ込められた人間は「秘密の守人」と呼ばれ、守人以外は誰もその秘密を口に出来なくなる。守人以外は、ということは守人自身は秘密を明かすことが出来るということだが、秘密は自主的に明かされなければならず、恐喝や魔法、拷問で引き出すことは不可能だ。因みに、この家の守人はこの僕である。

「これを覚えてください」
「えーっと、ブラック家は――」
「口に出さないように」

 声に出し読み始めた彼女にそう言うと、彼女はすぐに口を噤んで羊皮紙の切れ端に書かれた内容を読み始めた。ヘーゼルの瞳が何度か羊皮紙の上を行ったり来たりしたかと思うと、まもなく、彼女は顔を上げてこちらに向かって覚えたとばかりに深く頷いた。

「では、今覚えたことを頭の中に思い浮かべて」
「もしかして、思い浮かべたら、貴方の家が見えるようになるの? 貴方にはもう見えてるの?」
「そうです。詳しいことは中で――さあ、思い浮かべて」

 ほんの少しの間、彼女は半信半疑といった様子で11番地と13番地を見ていた。けれども、それが次第に驚きの表情に代わり、やがて、キラキラと目を輝かせたところで、僕は彼女を連れて玄関ポーチの階段を上がり、12番地の真っ黒な玄関扉の前に立った。杖を取り出し、素早く先程の羊皮紙を燃やしてしまうと、解錠呪文を使って鍵を開ける。彼女はその一挙一動を興味深そうに眺めていた。

「ここが僕の家です。地下1階、地上4階、屋根裏部屋もあります。兄は16の時に家出、両親は既に亡くなっていて、今この家には僕と屋敷しもべ妖精ハウス・エルフのクリーチャーだけです」
屋敷しもべ妖精ハウス・エルフ?」
「人間に仕えるのが好きな魔法生物です。人間の役に立つということが彼らの喜びであり、存在意義でもあるんです。無償で働くのを美徳としている生き物なので、勘違いする魔法族が多いんですが、彼らは決して奴隷ではありません」
「クリーチャーは貴方の家族なのね」
「そうです。クリーチャーに関してはいくつか話しておきたいことがあるんですが、1つだけ先に言っておきます。彼がどんな服装をしていても、衣類は決して与えないでください」
「どうして?」
屋敷しもべ妖精ハウス・エルフにとって、それは解雇と同義だからです」
「最初に教えてくれてよかった。知らなかったら、服をあげたりしちゃってたかもしれないわ」
「だと思いました」

 壁に沿って並ぶ旧式のガスランプが照らす玄関ホールを進み、僕は彼女を連れて階段へと向かった。僕の数メートル後ろをついてきながら、彼女はキョロキョロ珍しそうに壁にかけられた肖像画の数々やインテリアを見て回っている。そうして、階段のすぐそばまで来ると、僕は彼女に言った。

「ダイアゴン横丁で一度会ったと思いますが、母です」

 そこには、母が描かれた肖像画が一枚、飾られていた。晩年に描かれたもので、彼女と会った時からは随分歳を取っている。黒い帽子を被り、豪奢な椅子に腰掛けている母はいつでもかなり情緒が不安定だ。肖像画は、それ専門の画家が動いたり口調を真似したりするように魔法を使って作るものだが、不思議なことに最終的な出来は画家の腕ではなく、絵画に描かれた魔法使いや魔女の能力で決まる。元々陽気な人ではなかったけれど、兄の家出や父の死を経て次第に精神を病んでしまったように思う。この肖像画はそんな晩年の母の影響を大いに受けているというわけだ。とはいえ、母と僕の関係は良好なので、肖像画の母が喚き散らしたりはしないのだが。

 肖像画の中の母はジロジロと品定めするかのように彼女を見ていた。彼女もそんな母をしげしげと見つめている。彼女は何度かホグワーツに現れたことがあったが、こんな風に面と向かって動いて喋る肖像画と接したことがなかったのだろう。確か、マグルの世界では、写真も絵画も動かないから魔法界のそれは余計珍しく映るに違いない。

「おや、日本の小娘――」

 母が上から下まで彼女を見ながら言った。彼女は母が喋るのだと分かるなりサッと姿勢を正し、ダイアゴン横丁の時と同じように恭しくカーテシーの真似事をして母に挨拶をした。

「お久し振りです、ブラック夫人。ハナ・ミズマチと申します。この度、行き場のなかった私をレギュラス様が保護してくださり、お世話になることになりました。ブラック家の恥にならぬよう精進致しますので、よろしくお願いいたします」

 母は肘を折り、頭を下げる彼女を不思議な表情で眺めていた。かつて会ったことのある子どもがそれより幼くなって再び現れたから混乱しているのかもしれない。元々、肖像画というのは画家が描いた時点である程度動きや言動を真似するようになるが、自身が持っている記憶や知識というのは本人自ら自分の肖像画に教え込まなければならない。とするならば、母は彼女のことを覚えていて自分の肖像画に教えたということになるが、亡くなってしまった今、母が彼女をどう思っていたのか知る術もない。

「母上、少なくとも夏の間、ハナはこの家に住むことになります。彼女はきっとブラック家のためにいい働きをするでしょう」

 母に頭を下げてから、僕は彼女を連れて階段を上がった。階下から母が「ああ、可愛いレジー」と僕を呼ぶ声が聞こえている。最初にも言ったように母は僕に対して喚き散らすことはなかったが、何かにつけて「ああ、可愛いレジー」と繰り返した。

「母は少し情緒が不安定で、時折癇癪を起こします」

 母の肖像画から離れ、歴代の屋敷しもべ妖精ハウス・エルフの首が並ぶ壁の前――彼女は驚いて悲鳴を上げそうになっていた――を通り過ぎ、2階まで上がって来たところで僕は言った。

「マグルの話をしたり、マグル贔屓の魔法族の名前を出したり、兄や何人かのブラック家の人間の名前を出さないようお願いします。それから、父の名前を聞くと泣いてしまうので、それも避けてもらえると有り難いです」
「お父様の名前はなんて仰るの?」
「オリオンです」
「素敵な名前だわ。ブラック家は星の名前なのね? お兄さんもそうだし、レギュラスもそうでしょ?」
「例外はいますがほとんどが星にまつわる名前ですね。母もヴァルブルガで小惑星帯に位置する小惑星の名に由来しています」

 それからまた階段を上がり、僕は3階にある彼女に用意した部屋へと向かった。部屋は僕と同じ4階に用意したかったけれど、まさか兄が使っていた部屋を使わせる訳にはいかないし、母の部屋を使ってもらうのも、クリーチャーが悲しむだろうと、3階にある客間を彼女の部屋にすることにした。客間になる前は父の姉で僕の伯母にあたるルクレティアが使っていた部屋だ。とはいえ、長らく使っていなかった部屋だし、ダンブルドアに会ってすぐに保護に向かったのでまったく部屋を整える余裕がなかったので、明日以降急いで整えなければならない。

 さて、どうして彼女をバルカム通り27番地から連れ出したかと言えば、防犯上の理由が大きかった。彼女の家は何の防犯対策もされていないし、無防備だ。しかし、僕の家ならその点は何も心配はいらないし、僕が所用で家を空けることになったとしても、家にはクリーチャーがいて彼女を1人にすることもない。そういうわけで、僕は彼女を自分の家に連れてくることにしたのだ。もちろん、彼女の了解は得ている。

「一番手前の左手の扉が貴方の部屋です」

 階段を上がり3階に来ると、僕は言った。金の文字で「GUEST」と記された真っ黒な扉の周りだけが、殊更丁寧に掃除されている。クリーチャーがかなり無理をして頑張ってくれたらしい。あとで労いの言葉をかけようと思いながら、僕はドアノブに手をかけた。ドアノブは蛇の頭の形をしている(「ブラック家の人達は蛇が好きなのね?」と彼女が言った)。

「掃除をして貰いましたが、ほとんど整えられていないので必要なものは近いうちに揃えにいきましょう」

 扉を開くと、そこはやはり黒い部屋だった。高い天井も壁も、床に敷き詰められたカーペットも何もかも黒で、天井からぶら下がっているシャンデリアも黒だ。天蓋付きの豪奢だが古いベッドが1台あり、黒のレースが豊かなカーテンで四方が囲まれていた。壁際にはこれまた黒いキャビネットやワードローブ、鏡台が置かれ、黒の格子窓のそばには黒の丸テーブルに1人掛けの肘掛椅子が2脚、向かい合わせに置かれていた。小さな煖炉が備えつけられた壁には扉があり、バスルームに繋がっている。

「本当に全部真っ黒ね」

 部屋に足を踏み入れた彼女が言った。彼女の口調はまったく嫌味ったらしくなく、ただ純粋に驚いたような興味深そうな感じだった。

「温かみのある落ち着いたダークブラウンの家具に取り替えましょう。貴方が好きなインテリアも」
「私、この部屋で十分だわ」
「いえ、僕が嫌なので変えましょう。黒は、慣れていないと閉塞感を感じてしまうかもしれません」
「でも、私、お金はあまり持ってないわ。銀行に預けていたものがこちらの世界で引き落とせるのかも分からないし……財布の中に少し多めには入ってるけど……」
「心配いりません。僕の金庫には使えきれないくらいの金貨が入っています。貴方のものを揃えるくらいで僕の金庫の中身は減りません」
「私が何でも欲しがったらどうするの? 我儘放題したら?」

 そんなにほいほいと何でも揃えるなんて言うべきではないとばかりに彼女が言った。僕は我儘放題する彼女がまったく想像出来なくて、思わずクツクツと笑った。

「いいですよ。我儘放題しても」

 僕は正直に答えた。もう少しお金の使い方には慎重になるべきだと言わんばかりの表情でこちらを見上げている彼女の腰に片腕を回して揶揄からかうように指先を這わせる。

「その代わり、僕も容赦なく貴方に我儘放題しますけどいいですね?」

 その瞬間、僕は今の彼女が11歳だということをうっかり忘れてしまっていた。


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