特殊な立場


 ロンドン、ウェストミンスター市メアリルボーン、バルカム通り27番地は、僕の予想通り彼女自身の家だった。召喚魔法の影響か否かは分からないが、どういう訳かどちらの世界にもこの家は当たり前のように存在していたのだ。聞くところによると、住所もまったく同じらしい。こればかりは詳しく調べてみないと分からないが、一緒に召喚されてしまったというよりかは、もっと違う原因があるように思えた。時間があれば原因を究明してみようと思う。

 彼女はしばらくの間、僕が生きていることが信じられない様子だった。何でも彼女の世界にあったとするこの世界について書かれた本――便宜上「予言書」と呼ぶことにした――では、僕は既に死んでいたらしい。彼女が泣いていたのは、どうやらそのせいだったようだ。16年前、名前を教えるよう忠告したにもかかわらず、再び僕の前に現れたのもそのことを僕に話しておきたかったかららしい。彼女はその話の最後の方で、顔を真っ赤にさせながら「なのに、貴方があんなことするから……」とモゴモゴと話した。彼女は精神年齢は大人だと聞いていたけれど、随分と初心らしい。

 それからも詳しく予言書の内容を聞いていくと面白いことが分かった。僕が死ぬはずだったこともそうだが、ポッター夫妻もまた、予言書の中では死ぬことになっていたのだ。これは僕が生きていたことが大きく影響を及ぼしたとしか考えられなかった。僕が死んでいたら、あのハロウィーンの日にポッター夫妻に忠告することはなかったからだ。けれども、実際は生きながらえ、忠告出来たので、未来が変わったと言うわけだ。

 また、兄についても興味深い事実が分かった。僕は常々ブラック家に対してああも反抗的だった兄が死喰い人デス・イーターで裏切り者だったとはバカバカしいと思ってきたのだが、その考えが正しいと分かったのだ。彼女は兄が罪を着せられ、アズカバンに投獄さただけだ、ときっぱり言い切ったからだ。そして、真の裏切り者はネズミの動物もどきアニメーガスなのだ、とも。

「ネズミ?」
「お兄さんの友達の1人で、ネズミの動物もどきアニメーガスなの。名前をど忘れしてしまって……ええっと……ジェームズとシリウスとリーマスともう1人……」
「ピーター・ペティグリューですか?」
「そう! その人よ! 全部お兄さんせいにして自分はネズミになって逃げたの。本の内容どおりなら、今はウィーズリー家のペットとして生きているわ」

 なるほど、と思う反面、果たして死喰い人デス・イーターの中にピーターの姿を見たことがあっただろうかと僕は記憶を辿った。ヴォルデモートがジェームズ・ポッターの才能を見込んで死喰い人デス・イーターに引き入れようとして、きっぱり断られたというのは聞いたことがあるが、ピーターに目をつけたというのは聞いたことがなかった。

 ピーター・ペティグリューは特筆すべきことが何もないような人だった。成績も良くはないし、呪文の使い方も上手くはない。兄やポッターと同室だったから仲間に入れてもらえただけ、そんな印象の人だった。常に兄やポッター達の機嫌をうかがい、ヘラヘラついて回っては、その恩恵に預かっていた。そんな人物をヴォルデモートが味方に引き入れるとは俄かに信じがたい。

 けれど、一方でヴォルデモートは弱者に寄り添うフリをするのが非常に上手かった。脅しやすいピーターを利用し、秘密裏に不死鳥の騎士団の情報を入手することは赤子の手を捻るより容易いだろう。そして口車に乗せられたピーターは、兄やポッターにそうしたように、ヴォルデモートにもヘラヘラ媚びへつらい、簡単に仲間を裏切ったのだ。我が身可愛さ、と言ったところだろうか。あのころ、ヴォルデモートは非常に勢力を増していたから、兄やポッターに付き従うより、ヴォルデモートに従った方が安全だという打算もあったかもしれない。

 しかし、ヴォルデモートは凋落した。多くの死喰い人デス・イーターがそうだったように、ピーター・ペティグリューは焦っただろう。そして、自分が裏切り者だと漏れてしまうことを何より恐れていたはずだ。だから、唯一自分が裏切り者だと知ってしまった兄に罪を着せることにした。自分は死んでしまったことにすれば、誰も追ってはこない――。

「プライドも何もない行動ですが、有り得なくはないですね。彼がヴォルデモートと現在も通じている可能性は?」
「分からないわ。私、知らないことも多いの……。とりあえず、ハリーが1年生の時は普通のネズミだったはず……。ヴォルデモートが賢者の石を奪おうとするけど、ネズミは何も動かなかった。2年生の時は分からないわ。よく内容を覚えてなくて……。けど、3年生で裏切り者だってバレるはずよ。貴方のお兄さんが脱獄して、それで、確かいろいろ起こって……」
「ちょっと待ってください」

 僕は軽い頭痛を覚えながら彼女の話を制した。

「兄が――今、なんて言いました?」
「貴方のお兄さんが脱獄するのよ。ハリーが3年生になる年に。ねえ、今、ハリーは何歳? 貴方が今日は1991年だって教えてくれたけど、それって具体的にはいつかしら? 貴方のお兄さんを助けなきゃ!」

 当たり前のように兄を助けると言い出した彼女に僕は頭痛がひどくなるのが分かった。それと同時に彼女が自分とはまったく性質が異なる人間だということに今更ながらに気付かされた。僕は正直兄がどうなろうと、彼女さえ無事で僕の手の届く範囲にいてくれたらそれで満足だが、彼女はそうではないのだ。当たり前のように誰かを助け、知っているなら見過ごせないとばかりにトラブルに首を突っ込んでいくに違いない。そうして僕は当たり前のように彼女に振り回されるのだ。

「兄はひとまず置いておきましょう――」

 深い溜息を吐いて、僕は言った。これは1つ1つ計画的に物事を進めなければ、彼女の身が危険だ。

「貴方はまず、自分がヴォルデモートに狙われていると認識する必要があります。しかも、まだ魔法も使ったことがない。そんな貴方が兄を助けるなんて無理だ」

 そう、まずはそれに尽きる。1年生で習う簡単な呪文すら使ったことがない今の彼女に何かが出来るだなんて到底思えなかった。僕が24時間365日張り付いているなら話は別だが、流石に無理というものだろう。だったら、彼女自身にまずは身を守る術を身につけてもらわなければならない。誰よりも強く、完璧に、だ。

「私、どうしたらいい?」

 僕の言葉にもっともだと思ったのだろう。彼女が不安気な様子で訊ねた。

「どうやったら、魔法を使えるようになる?」
「まずは、ホグワーツに通って貰います」

 僕はローブ内ポケットから一通の封筒を取り出しながら言った。これはダンブルドアから預かってきていたものだ。ホグワーツに通わせるのは、彼の命令なのだ。彼女の話を聞くとホグワーツは完全に安全とは言い難いが、それでもダンブルドアの庇護にあるというのはどこに隠れるより最も安全だと言えた。あわよくば、僕も職員としてホグワーツに在籍出来るようになりたいが――これはまあ、後回しだ。

「貴方は召喚魔法の影響で11歳になっています。ホグワーツでは、魔力を示した子どもの名前や居場所を知る手段があるんですが、そこに貴方の名前が追加されたので、間違いありません」
「11歳――私が?」
「そうです。そして、僕が一時的に貴方の保護者になります。ただ、少し厄介なのは、僕が特殊な立場にあるということです。僕は現在ダンブルドアの下で動いていますが、事情があって、僕はそれを周りに知られる訳にはいきません。あくまでも死喰い人デス・イーターとして振る舞わなければならない。これによって、貴方の自由は限りなく制限される可能性もあります」

 もし嫌ならダンブルドアが代わりに保護してくれるでしょう――僕はそのことを言うべきなのにもかかわらず、どうしても言うことが出来なかった。我儘だと言われてもいいから、彼女をそばに置いておきたかった。目の届く範囲に、手の届く範囲にいて欲しかった。一度も関わったことのない兄を掛け値なしに助けたいと告げた彼女とは大違いだ。僕はどんな生き方をしても、根本的には彼女にそぐわないスリザリンなのだ。けれど、

「分かったわ」

 彼女は驚くほどすんなりと頷いた。あまりにすんなりと頷くので、一瞬ポカンとして彼女を見つめると、彼女は僕を見てクスクス笑った。

「貴方は知らないようだけど、実は私も特殊な立場なの」

 悪戯っ子のように彼女は言った。

「任せて。私、きっと上手くやるわ」

 そこにはもう、グスグスと僕との別れに泣いている小さな少女はどこにもいなかった。


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