ワールドカップと桜の花冠
「クィディッチ・ワールドカップを観戦しつつ、
1978年8月21日月曜日――ホグワーツを卒業し、不死鳥の騎士団に入団したばかりの僕、ジェームズ、リーマスの3人は、イギリスから遥か遠く離れた地、日本にいた。今夏、4年に1度のクィディッチ・ワールドカップがこの地で開催されるというんで、その警戒を任されたからだ。まあ、ヴォルデモートとその配下が活動しているのはあくまでもヨーロッパが主だったので、これは念のための任務だ。なので、今回この任務に当たっているのは僕達3人だけだった。
「とはいえ、ピーターはこういう時運がないな」
「夏風邪じゃ、仕方ないさ」
僕の言葉にジェームズが返した。
「お土産を買って帰ろう。それにしても、チケットが1枚余るからリリーを誘いたかったのに、別任務なんてなぁ」
「任務に使うための魔法薬の調合だろう? リリーは魔法薬学が得意だったから、それこそピッタリじゃないか」
「あーあ、これが婚前旅行になるかもしれなかったのに」
「友達2人付き添ってる婚前旅行なんてリリーも嫌だろ」
そういうわけで、僕達3人は日本にやってきていた。イギリスからは大分離れているが、姿現しを使えばあっという間だ。とはいえ、向こうで姿くらまししたのが夜中の1時だったのに、現地に着いたら午前10時というのはかなり辛いものがあるが。このワールドカップの開催期間中、騎士団員が代わる代わる訪れては観客に紛れて警戒を続けていて、僕達が担当するのは決勝戦だ。
予め日本の魔法省に指定されていた場所に姿現しした僕達は、大きなリュックサックを背負ってマグルの外国人キャンパーを装い、予約していたマグルのキャンプ場にやってきた。リリーが予め日本のお金の払い方を教えてくれていたので、多くの魔法族が手こずる管理事務所での支払いも難なくこなした(「いい? このプリンス・ショウトクが描かれた紙幣が1万よ。日本のお金の中で1番高いものだから、分からなかったらとりあえずこれを出せばなんとかなるわ」)。
管理事務所でキャンプ場の地図を貰った僕達は、早速自分達がテントを張るスペースへと向かった。僕達のスペースはキャンプ場の奥の方で、日本の魔法省の職員がこっそり作ったキャンプ場から競技場へ向かう通りのすぐ近くだ。僕達がこっそり杖を振ってテントをあっという間に張っている間も働き詰めの日本の魔法省の職員達が、げっそりした様子で通り過ぎていくのが見えた。
「さ、僕達の城の完成だ。僕の父さんが若いころに買ったやつだから少し古いけど、なかなかだろ? 中は広いんだ。案内するよ」
目の前のテントを見上げてジェームズは得意げにそういうと、腰を屈めて狭い入口からテントの中に入っていき、そして、叫び声を上げた。僕とリーマスは一体何事だと顔を見合わせると、順番に入口を潜っていき、同じように叫び声を上げた。テントを入ってすぐのところにここにはいないはずハナが膝を抱えて丸まり、転がっていた。
「僕にはハナに見えるけど……夢かな」
「いや、僕にもハナに見えるよ、ジェームズ」
「おいおい、マジかよ……」
一体何が起こったのか、僕達にはさっぱり分からなかった。だって、ハナは今から3年前の9月に僕達の前から完全に姿を消したはずだ。ダンブルドアの話では、次に会えるとしたらヴォルデモートの力が弱まってからのはずで、少なくとも精力的に活動を続けている現在のヴォルデモートは召喚魔法になんて手を出さないはずだった。なのに、僕達の目の前にはハナがいる。たった今張られたばかりのテントの中に、だ。
とはいえ、こんなご時世だ。僕達は、目の前にいるのが本当にハナか確かめなければならなかった。敵であることを考慮して杖を取り出し、変身術が使われていないか知り得る限りの方法で正体を暴こうと試みたけれど、目の前で眠っているのは変身術も何も使っていない、本物のハナだった。
「ハナだ……本物だ! ハナだ!」
ジェームズが嬉しそうに声を上げた。
「ハナ、僕達3年振りなんだ。寝てる場合じゃないぞ! それに、クィディッチ・ワールドカップの決勝戦だ! 君、いい時に現れたなぁ!」
大興奮しながらジェームズがゆさゆさと肩を揺り動かして声をかけると、ようやくハナが目を覚ました。懐かしい色素の薄いヘーゼルの瞳がぼんやりと開かれ、しばらくの間ボーッと辺りを
「なんでここにいるの?」
「そりゃ、こっちのセリフだよ」
呆れながらそう言って、僕はハナに手を差し出した。わけが分からないという顔をしつつもハナが僕の手を取って、それを僕が引き起こした。
「ありがとう――えーっと、今は――」
「今日は1978年8月21日だ」
「1978年? 私、もっと未来にいたはずだけど……どうして過去に戻ってきたのかしら?」
考え込みながらハナは再度、辺りを見渡した。
「ここはどこなの?」
「日本のキャンプ場さ。僕達、3人でキャンプしてるんだ」
ジェームズが僕とリーマスにサッと目配せして言った。どうやら、不死鳥の騎士団に入団したことは伏せておこうということらしい。僕とリーマスは分かったとばかりに小さく頷いた。
「日本のキャンプ場? どうして?」
「クィディッチ・ワールドカップの開催地が日本なんだ。地図があるよ――この辺りに競技場が建てられて、観客はその周りのキャンプ場に泊まるんだ」
リュックサックの中から会場周辺の地図を取り出し、それを広げて見せながらジェームズが言った。ハナはそれを横から覗き込んで「富士山だわ!」と声を上げた。
「青木ヶ原樹海の中に競技場を作ったのね。なるほど……樹海はツアーが組まれることはあるけど、マグルはほとんど足を踏み入れないし、いい場所ね。競技場には何万人入れるの?」
「10万人だって話だよ」
リーマスが答えた。
「日本の魔法省が1年がかりで準備したんだ」
「うわあ、すごい。それを3人で見るのね!」
「そうだ。ハナも一緒にどうだ?」
夏風邪で急遽来れなくなったピーターのチケットが1枚余っていることを思い出して僕は言った。
「名案だ!」
ジェームズが目を輝かせた。
「ハナも見ようよ。実はチケットが余ってるんだ」
「いいの? 見たい!」
「よし、決まりだ!」
思いがけずハナを加えた4人で僕達は、ワールドカップを観戦することになった。僕達はハナのチケット代なんてまったく気にしていなかったが、ハナが払えないことをかなり気にして、代わりに昼食を作ると申し出てくれた。ハナはマグル式だが、僕達よりかは料理が出来るらしい。僕達――主にジェームズ――は、ハナを引っ張り回して魔法使いのテントを隈なく案内したあと、昼食を作ってもらってそれを堪能した。
「僕達が見るのはワールドカップの決勝戦なんだ。アイルランド対日本!」
「アイルランドも今年はいい選手が揃ってるけど、日本もなかなかなんだよ」
「日本のシーカーは小柄ですばしっこい。準決勝なんか――」
僕達は、まるで3年前に戻ったような気分であれこれと夢中になって話した。今回のクィディッチ・ワールドカップについてはもちろんのこと、日本の魔法省はどこにあるのか予想し合って楽しんだりした。僕達3人は日本についてあまり知らなかったので、かなり当てずっぽうで地図を指差しただけだったが、ハナは真剣に考え、国会議事堂や皇居の真下など、本当にありそうな場所をいくつか挙げた。
アフタヌーンティーの時間を過ぎると、テントを出て、キャンプ場を回ってみることにした。ワールドカップでは毎回見栄を張り合い派手なテントがあちこちに張られるので、見るだけでも飽きなかった。途中、僕達の知り合いにも何人か会った。彼――または彼女――らのほとんどが、ハナを見て「こんな美人どこで捕まえたんだ」と訊ねた。
「どこで捕まえただって?」
ジェームズが戯けたように言った。
「転がってたのを見つけたんだ」
*
やがて空が暗くなり、決勝戦の入場時間が近付いてくると、キャンプ場のあちこちに
「いいの? ありがとう、ジェームズ!」
「もう1つはリリーにお土産にするから、リリーとお揃いさ」
「わあ、嬉しいわ。じゃあ、それにメッセージを添えてもいい?」
「もちろん! リリーも喜ぶよ」
一度テントに戻り、リーマスが持ってきていた羊皮紙と羽根ペンでハナがリリーに宛てたメッセージを書いて花冠に結ぶと、タイミングを見計らったかのように入場開始を知らせる鐘の音が響き渡った。外を見れば、キャンプ場から森の向こうにある競技場へ続く道に金色のライトが灯っている。
「もう時間だわ。ねえ、ジェームズ、貴方のリュックサックはどれ?」
「そこの1番左のやつだよ」
「ありがとう。ここにリリーの花冠を置いておくわね」
花冠をジェームズのリュックサックの上に置くと僕達は購入したばかりの応援グッズを握り締め、テントを出た。近くの通りを進み、富士山の
20分ほど歩くと目の前に巨大な競技場が姿を現した。日本の魔法省の職員が何百人がかりで丸1年かけて造り上げたという競技場は木材がふんだんに使用された曲線美溢れるもので、端が見えないほどどこまでも続いている壁一面に施された細工は、繊細で溜息が出るほど美しい。競技場のあちこちには金色の光が灯るライトが設置され、競技場は黄金に輝いていた。
「うわあ、大きい……」
ほとんど真上に顔を向けてハナは感嘆の声を上げた。僕はこのままハナが引っ繰り返る気がして反射的に背中を支えた。
「おい、引っ繰り返るなよ」
「ありがとう、シリウス。でも、それくらい大きいわ。それに壁一面の組子細工を見て。素晴らしいと思わない? 本当に1年でこれを作ったなんて信じられないわ。魔法があるから可能なのかしら……すべて手作業なら10年はかかりそう……」
やがて、待ちきれなくなったジェームズが「早く行こう」といつまで経っても競技場を眺めていそうなハナを引っ張り、僕達は競技場内に入った。入口で日本魔法省の職員がチケットの半券を切り取ってくれ、短くなったチケットを持って僕達は階段を上がった。僕達は比較的いい席で、観客席の上の方だ。
「すごい。本当に高いのね」
席にやってくると、ハナが身を乗り出すようにしてピッチを見渡して言った。席は巨大な掲示板の目の前でちょうどピッチの中央辺りだ。
「ハナ、ここだとマスゲームがよく見えるぞ!」
ジェームズがプログラムを見ながら弾んだ声で言った。
「マスゲームがあるの? 楽しみだわ!」
「大抵、魔法生物がパフォーマンスするんだ。アイルランドは十中八九レプラコーンだけど、日本だとなんだろ。まさか河童にさせるわけにはいかないよな」
「河童? 河童って実在するの?」
「もちろん。鱗に覆われた猿みたいな見た目で、頭のてっぺんが凹んでるんだ」
リーマスが答えた。
「あんまりいい生き物じゃないかな。池の浅瀬を通る人を水中に引きずり込んで、絞め殺したり、生き血を吸ったりするんだ」
「なんだか怖い生き物なのね……会いたくないわ」
「でも、河童に向かって自分の名前が刻み込まれたキュウリを投げ込んだり、お辞儀をすると大丈夫だよ。キュウリが好きだから、キュウリに書かれた名前の人には悪さしなくなるんだ」
「お辞儀はどういう意味があるの?」
「お辞儀すると頭の水が溢れるんだ。河童は水がないとダメなんだよ」
話しているうちに観客席が埋まり、両国によるマスゲームが行われた。初めにパフォーマンスしたのは、アイルランドのレプラコーン達で、ハナは「ドローンみたい!」とわけの分からないことを言いながら大喜びで拍手し、ガリオン金貨の雨には目をまん丸にさせた。僕が「これは数時間で消える」と教えてやると、ハナは安心したようにたくさん集め、ポケットをパンパンにさせた。どうやら本物じゃないだろうかと心配したらしい。
次に行われた日本のパフォーマンスでは5羽の八咫烏が姿を現した。八咫烏は三本脚がある烏の姿をした魔法生物だ。見た目は真っ黒で不吉そうだが、河童と正反対のいい魔法生物で出会う人をいい方へと導いてくれるくれるという。5羽の八咫烏は夜空に光の線を描いて桜を作り上げ、ハナは「ブルーインパルスみたい!」とまたわけの分からないこと言って歓声を上げた。
そして始まった決勝戦は両者とも譲らない稀に見る接戦となった。アイルランドが点を入れれば、今度は日本が点を入れ、日本が入れれば、アイルランドが再び点を決めるといった具合に、両国は常に10点差を争った。ハナは基本的にはアイルランドの応援グッズを持っていたが、頭にだけは桜の花冠を載せていたので、日本が点を入れる度に花冠がピカピカ光り、桜の花弁が辺りに舞った。すると、後ろの席にいた魔法使いが「Wow.......Cherry blossom fairy」と呟いて、それが聞こえた僕とジェームズとリーマスは吹き出した。
「おい、桜の妖精だって言われてるぜ」
僕はニヤニヤしながらハナに言った。ハナは飛び回る選手達を見てあちこちに視線を動かしていたが、僕に声をかけられると「え?」とこちらを見た。
「後ろの席の魔法使いが、ハナを桜の妖精だって」
リーマスが笑いながら付け加えた。途端、日本が点を入れ、また花冠がピカピカ光り、花弁が舞って、後ろの席の魔法使いはそんなハナをポーッと見つめた。連れなのか、その隣の魔法使いが「連絡先を聞いたらどうだ」と話している。
「やあ、彼女の連絡先は教えられないよ」
ジェームズが後ろを振り返って言った。
「彼女は僕達の“幽霊”だからね」
*
試合は、接戦末、日本が制した。僕達は大いに盛り上がり、今日の試合について熱く語りながら、キャンプ場へ戻る10万人の観衆の波に揉まれるようにして自分達のテントに戻った。あちこちで人々が楽しげに歌い、騒ぎ、心配していたヴォルデモートの襲撃もまったくなかった。
「凄かったわ! とーっても楽しかった!」
興奮気味にハナが言った。
「最後、スニッチを取るところなんかもう!」
「あれは凄かった!」
「あんな飛びっぷりはなかなかないぞ!」
「僕達、いい試合を見たよね」
僕達はテントに戻っても時間の許す限り試合について語り合った。誰も眠りたくなんかなかった。ここで眠ってしまえば、起きた時にハナがいなくなっていることを誰もが心のどこかで察していたからだ。テントの外では、未だに賑やかな声がして魔法火が打ち上がる音がどこからともなく聞こえている。そして――……。
人々の騒めきが聞こえて僕達は起きた。今は何時だろうか――混乱しながら辺りを見渡すとハナの姿はもうなかった。どうやら話し込んでいるうちに眠ってしまい、その間にハナは消えてしまったらしい。テントの外がまだ暗いところを見るに、眠っていたのはほんの数時間といったところか。
そこまで考えて、僕は何かおかしいと耳を澄ませた。周りの人々の騒めきがどうも試合後の雰囲気とは違うように思えたのだ。僕は慌てて立ち上がってテントの外を見た。人々がキャンプ場を行き交い、
「あれ?」
いつの間にか隣にやってきて同じように外を覗いていたジェームズが素っ頓狂な声を上げた。
「僕、夢見てたのかな……ここに来たらハナがいて一緒に決勝戦観戦したと思ったんだけど……」
「ジェームズもかい?」
リーマスも混乱した顔で言った。
「実は僕もそんな夢を見たんだ。テントを張って中に入ったらハナが寝てて……」
「2人もか? でも、どう見ても試合開始前だよなぁ。僕達、揃いも揃って時差ボケか?」
そもそも、3年前、ヴォルデモートが召喚を成功させてしまったのだから、ハナに会えるわけがない。僕はあれが現実ではなかったことに落ち込みかけて、でも、あるはずのないものが目に入って大声を上げた。
「ジェームズ! リーマス! これ!」
それは、チケットの半券だった。夢の中でハナが座って話していたところに切り取られた半券が1枚、落ちている。ジェームズが自分のポケットを探って、僕達のチケットを取り出した。そこには、4枚あったはずの未使用のチケットが3枚しかなく、4枚目はどこを探しても出てこなかった。
「どうして、1枚だけ……」
ジェームズが混乱したように言った。
「僕達――」
「2人とも、これ!」
ジェームズが言い終える前に今度はリーマスの声がして僕達はそちらを見た。リーマスが震える手で桜の花冠を持っている。ジェームズがリリーとお揃いだと言って2つ買ったあの花冠だ。試合に行く前にハナがリリーの分に手紙を添えて、ジェームズのリュックサックの上に置いていたあの――。
「手紙がついてる」
信じられない思いで、リーマスが花冠に結ばれている手紙を解いた。広げられたそれを3人で覗き込むと、そこには見慣れないきっちりとした大人っぽい文字でメッセージが綴られていた。
「僕達、ハナと会ったんだ」
ジェームズがぽつりと呟いた。
「あれは、夢じゃなかった」
僕達はそれからしばらくの間、お互いの顔を見れなかった。決勝戦が間近に迫り、ざわめきと興奮が夜気に乗って漂い、キャンプ場を埋め尽くす中、僕達のテントだけは鼻を啜る音が聞こえていた。
私達はなかなか会えないけれど、貴方達のことを思い出す時、私はいつでも貴方達の幸せを祈ってるわ。いつの日か絶対にまた会いましょう。
貴方達の幽霊より、愛を込めて。
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