庇護欲と加虐心


 突然だが、イングランドの首都であるロンドンは、そのほぼ中央に位置するロンドン市とその他32の特別区で構成されている。僕の生家であるグリモールド・プレイス12番地は、その32の特別区の1つであるイズリントン区に位置し、キングズ・クロス駅まで徒歩20分という好立地である。なんでも、ある時自分達の家系に相応しい美しい家を望んだブラック家の祖先が12番地に住んでいたマグルを説得・・し、手に入れたのだという。

 ダイアゴン横丁もそれほど遠くはない。もちろん、暖炉を使えばどこからでもあっという間だが、物理的な距離もグリモールド・プレイスからはそれほど離れてはいなかった。ダイアゴン横丁の入口である漏れ鍋が店を構えるチャリング・クロス通りはロンドン市を西に進んですぐ、ウェストミンスター市内にあるのだから。因みにダイアゴン横丁やキングズ・クロス駅など人が溢れかえっている場所での姿現しは推奨されていない。なぜなら、高確率で人の上に姿現ししてしまうという事件が発生してしまうからだ。面倒だが、暖炉か漏れ鍋を経由するしかない。9月1日にホグワーツ生達がマグルの交通手段を使ってキングズ・クロス駅に向かうことになっているのもそれが理由だった。

 そんなダイアゴン横丁のあるウェストミンスター市に僕はやってきていた。とはいえ、漏れ鍋やダイアゴン横丁に用がある訳ではない。数刻前にダンブルドアから話をされたとおり、そこでとある人物の保護をするのが大きな目的だ。ダンブルドア曰く、その人物は現在、このウェストミンスター市内にあるメアリルボーン地区にいるらしく、話を終えてすぐ飛んできたという訳だ。

 メアリルボーン地区はダイアゴン横丁から北西に進んだところにあった。メイン・ストリートにはブティックやおしゃれなレストランが軒を連ね、マグルに人気の観光名所も多く点在しているようだが、一本路地を入ればいたって閑静で、高級住宅街の雰囲気が見て取れた。目的地はそんな高級住宅街の一画にあり、多くの住宅が並ぶ通りにひっそりとあった。

「ロンドン、ウェストミンスター市メアリルボーン、バルカム通り27番地――ここか」

 何の変哲もない建物を見上げて僕は呟いた。どうやら彼女はここにいるらしい。ダンブルドアがどうやって知ったのかは分からないが、事前に預かってきている入学許可証の宛先の欄にはしっかりとこの住所が記されていた。もしかしたらホグワーツでは生徒達の居場所を知ることが出来るようなものがあるのかもしれない。でないと、毎夏手紙を送る時に困るからだ。

 メアリルボーン、バルカム通り27番地は2階建ての戸建てだった。外観はロンドンの街並みに合うクラシカルな雰囲気で、前庭はほとんどなく、歩道に面したところに玄関がある。玄関前のポーチには砂埃が溜まっているが、そこに真新しい足跡が残されていた。誰かがここから出入りした跡だ。

 そんな玄関の隣には大きな腰窓が2つ並んでいた。カーテンが掛かっているが、不用心にも僅かに隙間が空いている。どうやらそこはリビングのようで、カーテンの隙間から見える部屋の中は明かりがついておらず、人がいるような気配はしなかった。どうやら、リビングにはいないらしい。

 僕は玄関ポーチに立つと杖を取り出し、玄関扉に杖先を向けた。そうして軽く一振りすると、すぐに扉の内側で鍵がカチリと回り、あっという間に開錠された。魔法族の家ならば、開錠呪文を効かなくする呪文をかけて防犯対策をしたりもするが、この家にはそんなものはかけられていないらしい。ここが誰の家なのかははっきりとしないが、もし彼女のものだとしたら、マグルの家だろうから防犯対策がなされていなくとも無理はないだろう。ここに長居するのは危険だが、それでもこの家が彼女の家だとするとヴォルデモートの目の前に召喚されなかったことは僥倖と言えた。

 静かに扉を開けて玄関の中に入るとまず、乱雑に脱ぎ捨てられている小さな靴が目に入った。玄関は広々としていて、廊下の突き当たりと、上がって入ってすぐ左手に1つずつ扉が見える。廊下の右側には上階に通じる階段が真っ直ぐ上に伸びていて、そこから微かに誰かが啜り泣く声が聞こえていた。彼女はまだ泣いているらしい。

「まったく、仕方ない人だな」

 溜息を1つ零すと、僕は少し迷った末、玄関で靴を脱ぎ、きちんと揃えてから階段を上がった。階段を上がると目の前にまず1つ扉があり、左手にもう3つ等間隔に扉が並んでいる。啜り泣く声は、その左手の一番奥の部屋から聞こえているようだった。

 迷うことなく、僕はその一番奥の部屋へと進んだ。啜り泣く声は近づく度に大きくなっていき、扉の前に立つとヒックと大きくしゃっくり上げるような声がした。この扉の向こうにいる彼女は、僕と別れたばかりの彼女なのだろう。いや、今年ホグワーツに入学出来るというからあの時よりも幼いのかもしれない。若返っているのは、召喚魔法の影響だろうか。どうせなら、16年分年を重ねてくれていたらよかったものを、20も下では迂闊に手も出せやしない。

 コンコン、と扉をノックすると啜り泣く声が途端に止まった。それからすぐに何か警戒するような怯えるような空気感が伝わって来たかと思うと、中からか細い声で「だ、誰」と訊ねるのが聞こえた。勝手に上がってきてしまったので、怖がらせてしまったらしい。

「僕です。レギュラス・ブラックです」

 ここまで勝手に上がり込んでおいてなんだが、流石に寝室まで勝手に開けるのは紳士のすることではないだろう。はやる気持ちを抑え、扉の前に立ったまま返事をしてみると、彼女はすぐに反応を返さなかった。どうやら、怪しまれているようだ。

「僕の記憶が確かなら、先程キスしたばかりだと思いますが、忘れてしまいましたか?」

 仕方ないとばかりに続けてそう言うと扉の向こうでガシャーンと何かが盛大にぶち撒けられる音がした。転んだか、慌てて何かを落としたか、それともそのどちらともか――兎にも角にもガシャーンと盛大な音がして、それからドタバタと走ってくる音がして、そして、

「ほ、本物――?」

 扉が僅かに開いて彼女が顔を覗かせた。最後に見た時より数年は幼く小さかったが、黒髪に明るいヘーゼルの瞳は確かに彼女のものだった。恐々とこちらを見上げてくる彼女はどこか小動物のようで、庇護欲と加虐心の相入れない2つの感情が僕の心の奥底で同時に顔を出した気がした。会えない間にすっかり感情を拗らせきってしまったらしい。

「本物ですよ」

 僕は扉を閉じられないよう、すぐさま隙間に足を滑り込ませながら言った。小さな彼女の目線に合わせるように顔を近付ける。

「なんなら、もう一度して確かめますか?」

 次の瞬間、彼女がボンッと効果音がつきそうなほど分かりやすく顔を真っ赤にするものだから、僕は思わず声を出して笑った。この時僕は久しぶりに死喰い人デス・イーターでもダンブルドアの任務を遂行するスパイでもなんでもなく、ただの人に戻れたような、そんな心地がしていた。


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