湧き上がる感情
僕の目の前に彼女が現れなくなってから、幾年かが過ぎた。その間、魔法界では様々なことがあり、僕自身にもまた、多様な変化が起こった。
まず、ヴォルデモートは凋落した。彼がゴドリックの谷に隠れ住んでいたポッター家を襲撃した際、死の呪文が跳ね返り、力のほとんどを失う羽目になったからだ。しかも、その死の呪文を跳ね返したのは、1歳になったばかりの赤ん坊だったから驚きだ。ダンブルドアが言うには、古い魔法の力が働いたのだろうとのことだった。
その古い魔法というのは、護りの魔法だ。血の絆による強いものだが、それを発動させるためには強い愛と犠牲が必要となる。おかげでポッター夫妻は瀕死の重症を負い、今も目覚めていない。彼らは聖マンゴ魔法疾患傷害病院の5階にある隔離病棟の奥で今も治療が進められている。
聖マンゴに勤める
けれども僕はそれが単なる奇跡などではないと思っていた。あのハロウィーンの日、駆けつけた人々によると、ポッター夫妻は1人息子が眠るベビー・ベッドを背にして発見されたと聞いたからだ。なので僕は、ジェームズ・ポッターの護りの呪文は妻と息子に、リリー・ポッターの護りの呪文は夫と息子に働いたのだと考えている。犠牲が少なくて済んだのは、それだけ夫婦の愛が強かったからだ。愛の力による魔法とは、それほどまでに強い魔法なのだ。それは時に死をも軽々と上回る。
とはいえ、2人同時に護りの呪文を成功させたのだから、それは奇跡と呼べるのかもしれない。ハロウィーンの当日、ポッター家に匿名で忠告を促す手紙を送ったが、もしかするとそれが間に合ってギリギリ対処が出来たのかもしれない。自分でもどうしてポッターなんかに忠告したのか分からなかったが、彼女ならそうするだろうと思った時には羊皮紙と羽根ペンを手に取っていた。
彼らの息子であり、生き残った男の子と呼ばれ、今や魔法界の英雄となっているハリー・ポッターは、ダンブルドアの意向で叔母夫婦のところに預けられることとなった。そこが唯一の親戚だったというのもあるが、実のところ、ハリーの後見人だった僕の兄、シリウス・ブラックが裏切り者の大量殺人犯でアズカバンに収監されたのもその一因だった。あの兄が友を裏切り、ましてや僕の仲間だったなんてバカバカしくて笑ってしまうが、誰もが兄を裏切り者だと言い切った。スリザリンとはまったく正反対の生き方をしてきた兄だったが、ブラック家の名から逃れることは叶わなかったのだ。それはまるで呪いのようだった。
僕はといえば、
そういう訳で僕は恥もプライドも何もかも投げ捨てて、早々にダンブルドアを頼った。それしか方法がなかったのだ。とはいえ、ダンブルドアもはいそうですか、と易々と僕を受け入れる訳がなかった。ダンブルドアは僕に確固たる意志を示せとばかりに、二重スパイをするよう僕に持ちかけたのだ。元々ヴォルデモートが召喚魔法を使う兆候があるか見張る必要があった僕は、これ幸いとそれを喜んで引き受けた。
二重スパイの役目は、ヴォルデモートが凋落して以降も続いている。僕はブラック家の名を思う存分利用し、嘗ての
*
「それで、例の件はどうね?」
時は巡って、1991年7月13日――僕はホグワーツの校長室を訪れていた。僕は特定の職にも就かず、相変わらずダンブルドアの下で働いていて、今日訪れたのもダンブルドアに中間報告をするためだった。もちろん、任務の内容は
「
「ほう……誰かね?」
「ルシウス・マルフォイとベラトリックス・レストレンジです。それ以外は聞きませんでした。他に可能性が高いのは、ロケットと同じくどこかに隠していることですが……」
「君のクリーチャー以外に連れていかれた
「ありません。しかも、忠誠心が高く、ヴォルデモートが信頼していた者の多くは現在アズカバンです。これ以上話を聞き出すのは困難でしょう」
様々な魔法道具が置かれた校長室の奥にある事務机に腰掛けているダンブルドアは、僕の話を聞き神妙な面持ちで頷いた。けれどもその視線は、自分の手元に注がれている。何やら羊皮紙を眺めているらしい。ホグワーツの校長とは何かと忙しいご身分らしい。
「では、レギュラス」
羊皮紙から視線を上げるとダンブルドアが口を開いた。半月型の眼鏡の向こうに見える淡いブルーの瞳が、まるでたった今悪戯を思いついた子どものように輝いている。こういう時のダンブルドアは碌でもないことを言い出すと相場が決まっている。
「任務は一時中断じゃ。どうやら、ヴォルデモートが活動を始めたらしい」
「ヴォルデモートが? ですが、
「いや、確実に動き出しておる――実はの、非常に稀有なことじゃが、今年ホグワーツに入学可能な子どもの一覧に、つい先程新たな名前が加わったのじゃ」
ダンブルドアは僕の気持ちを見透かしたようにニコニコ笑いながら続けた。
「君の新たな任務は、その子どもの保護じゃ。そうして、ホグワーツに通えるよう準備を整えるのじゃ。非常に難しい任務といえよう。君は今の立場を守りつつ、その子どもが完全に敵の手に渡らぬようせねばならん。もし、難しいのなら――」
「お任せください、ダンブルドア校長」
ダンブルドアが言い切る前に僕はキビキビと返事を返した。ダンブルドアは相変わらずニコニコ、ニヤニヤしている。けれども僕は、この時ばかりは湧き上がる感情を抑えることが出来なかった。なぜならそれは、
「必ずや、ご期待に添えましょう」
待ちに待った彼女の再来を意味していたのだから。
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