それがどれだけ信じられなくても


 小五郎の話を聞きたいからとロンドンにある自宅へ招待してくれた女性は、ダイアナ・キングストンという資産家だった。資産家というだけあってダイアナはとにかく大金持ちで、手配してくれた飛行機はファーストクラスだというから驚きだ。しかし、コナンがそのファーストクラスを利用することはなかった。江戸川コナンとしてパスポートを発行することが出来ず、小五郎や蘭に隠れて渡航しなければなかったからだ。

 コナンが飛行機に乗るには工藤新一として乗るしかない――ということで、コナンは自身の事情を知る阿笠博士と哀の協力の元、解毒剤で元の姿に戻りロンドンまで行くことになった。この解毒剤の効果は1回1錠で24時間だ。効果が切れれば、再びコナンの姿に戻ってしまうが、東京からロンドンまでのフライト時間なら十分過ぎる時間だと言えた。これを服用するにあたり、コナンは哀に時間を逆算して飲むようにときつく言い聞かせられている。イギリスで入国審査前に元に戻ってはシャレにならないし、戻らないままでも蘭達と合流出来なくなるからだ。

 そんなこんなでコナンは阿笠博士と共に苦労しつつもロンドンまでやってきた。小五郎や蘭には外せない用事が出来たと言って少し遅れてイギリスに行くことになっていたので、ヒースロー空港で薬の効果が切れるのを待ってから蘭と小五郎と合流することになった。阿笠博士は1人で飛行機に乗ることになったコナンの付き添いということになっている。

 無事に小五郎や蘭と合流すると、コナンは早速メアリルボーン地区へと向かった。招待してくれたダイアナと会うのは夜だったので、それまでは調査と観光だ。シャーロキアンとしては、メアリルボーン地区にあるシャーロック・ホームズ博物館だけは欠かせない。

「ロンドン、シティ・オブ・ウェストミンスター、メアリルボーン、バルカム通り27番地――ここだね」

 水町波奈が母方の祖父から相続したというメアリルボーンの自宅は、メアリルボーン駅とベイカー・ストリート駅の丁度中間地点にあった。この辺りは所謂高級住宅街と呼ばれる地域で、バルカム通りの両側には規則正しく家々が並んでいる。どれもこれも高そうな家ばかりで、ここに持ち家があるとは水町波奈の祖父も結構な金持ちだったのだろうとコナンは思った。

 27番地は、メアリルボーンの大通りからバルカム通りに入って程なくしたところにあった。2階建てのなんの変哲もない戸建てで、外観はロンドンの街並みに合うクラシカルな雰囲気だ。歩道に面したところに玄関があり、大きな腰窓が2つ並んでいる。

「人が住んでる気配はしねぇな」

 小五郎が窓に掛けられたカーテンの隙間から中を覗き込んで言った。蘭も一緒になって覗き込み、コナンもここまで付き添ってくれた阿笠博士に共に抱えられて覗いてみたが、カーテンの隙間から見えたリビングは小五郎の言う通り人の気配はなく、どちらかといえばもぬけの殻だといえた。玄関ポーチも砂埃が溜まり、長い間誰もそこに足を踏み入れていないことがうかがえた。

「安室さんが調べてくれたこの周辺の防犯カメラにも何も映っていなかったみたいだし、まるで神隠しにでも遭ったみたいね」

 家の周辺を注意深く見渡しながら蘭が言った。

「神隠しねぇ……しかし、本当にどこに消えちまったんだ? ロンドンまで来て収穫なしじゃねぇか」

 依頼人になんと報告しようかと困り顔で小五郎はガシガシと髪を掻き乱しながら、今度は裏口の方へと回っていった。そんな小五郎のあとを蘭も辺りをキョロキョロとしながらついていくと、27番地の表にはコナンと阿笠博士だけになった。すると、阿笠博士は2人がいなくなるのを待ってからコソコソとコナンの隣にかがみ込みんだ。

「新一、やっぱり、あの本じゃないか?」

 あの内容が書き変わってしまった本のことを知っている阿笠博士が声を潜めて言った。コナンはなんだか腑に落ちない表情をしつつも「だよなぁ……」と声を漏らした。

「"When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth"――不可能なものを除外していった時、どんなものが残っても、それがどれだけ信じられなくても、それが真実……か」

 それはコナンが愛してやまないシャーロック・ホームズ・シリーズの中に出てくる有名な一節だった。『四つの署名』という話の中に出てくるのだが、コナンはまさに今のこの状況がそれに当てはまるのではないかと思えてならなかった。防犯カメラも調べたし、現地にまで来て調べているのに水町波奈の足取りは一向に掴めない。とするならば、残っているのはあの本しかないのだ。信じたくなくて真実から目を背け、事実を捻じ曲げるようなことがあってはいけない。

「博士! あの本、見せてくれ!」

 まだどこかで信じられない思いはあるもののそこしか可能性は残っていない――そう考えるなりコナンはパッと顔を上げて阿笠博士に言った。実は『賢者の石』だけだが、依頼人の女性に借りていた本をロンドンにも持ってきていたのだ。子どもの姿では流石にあの分厚い装丁の本を持ち歩くのは重いだろうと、阿笠博士が持ってくれていたという訳である。

「何か分かったのか? 新一」
「ああ――やっぱりこれしかないと思ってな……」

 コナンは本を受け取ると素早くページを捲って行き、主人公のハリーがホグワーツ特急に乗り込んだシーンに辿り着いた。前回読んだ時に水町波奈と同姓同名のキャラクター――ハナ・ミズマチが登場したあのシーンだ。

「前回はここでやめちまったんだよな」

 コナンはその先を未だに読んでいなかった。あまりに非現実的過ぎて、一旦保留としていたのだ。しかし、他の可能性を探っても水町波奈に関する手掛かりはこの本以外にはなかった。それはつまり、真実はこの本の中にある、ということだろう。

 探偵として、真実から目を背けるわけにはいかない――意を決して、コナンはページを捲った。作中のハナ・ミズマチはどうやら肉親はおらず、魔法使いの後見人がいるらしかった。寮はレイブンクローだ。依頼人に見せて貰った写真の中でも水町波奈はその寮のローブを着ていたが、果たしてそれは単なる偶然だろうか。

 コナンはどんどん先に進み、物語を読み進めた。すると、ハロウィーンのエピソードに入ったところでパタリとハナ・ミズマチの名前が消えた。

 それは、トロールが現れ、ハリーとロンがトイレに閉じこもっていたハーマイオニーを探しに行くシーンだった。トイレの中からハナ・ミズマチの声が聞こえてくる描写があったにもかかわらず、ハリーとロンがトイレに入るとハナ・ミズマチはいないものとなっていたのだ。

「変だな……」

 これは何かおかしい。コナンは顎に手を当てて本をじっと見つめた。今まで存在していたキャラクターがこんなにパタリといなくなるのは不自然である。隣で同じように本を覗いていた阿笠博士が声を上げたのはまさにその時だった。

「し、新一……!」

 開いていたページが一瞬にしてぼやけ始めたのである。文字が歪み、みるみるうちに文章が組み変わり、ハナ・ミズマチの名前がなかったそこに、名前が刻まれていく。まるで今この瞬間、彼女がハリー達と共に物語を進めているかのように。

「はは……」

 コナンは乾いた笑いを零した。こんなことってあるだろうか。けれど、実際見てしまった。信じないことにはどうしようもない。

「そりゃねぇぜ……こんなのどうすりゃいいんだよ」

 水町波奈は本当に本の中に吸い込まれていたのだ。


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