夢と現実の境目


「あー、とっても緊張した!」

 ダイアゴン横丁の一画にあるカフェのテラス席で、彼女はまったく緊張していたとは思えない様子で言った。しかし、一体どうして彼女とカフェにやってきているかと言えば、あれから母が夜の闇ノクターン横丁に少し用があると言って1人で行ってしまったからだ。本当は僕も連れて行く予定だったが、彼女が現れて気が変わったらしい。

「全然緊張していたようには見えませんけどね。それに、よくもまあ純粋な血筋だのなんだのと嘘を言えましたね」
「あら、嘘じゃないわ。父は、純粋な日本人の血筋だもの。貴方のお母様がそれをどう捉えるかは自由だけれど」
「……貴方はスリザリンでも上手くやれそうですね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」

 毒気のない表情でニコニコ笑ってそう言う彼女に溜息をひとつ溢すと、タイミングよく店員が注文していた紅茶とスコーンを持って現れてそこで一旦会話が途切れた。焼き立てのスコーンを見て目を輝かせる彼女は添えられているジャムや蜂蜜を見ながら、どれを塗って食べようかとウキウキした様子で悩んでいる。まったく能天気な人だ。

「――それで、困ったことになったと言ってましたが、なんだったんですか?」

 店員がいなくなると、僕は再び口を開いた。スコーンに蜂蜜をたっぷり掛けているところだった彼女はそれを聞くと先程までのウキウキとした様子から途端に不安そうな表情をした。

「私、ここに来る前、チャリング・クロス通りを歩いていたの――」

 そして彼女はどうやってダイアゴン横丁までやって来たのかを話して聞かせてくれた。なんでも彼女は今日、祖父母の墓参りに行っていたらしく、その帰りにチャリング・クロス通りを歩いていたそうだ。けれどもその途中で魔法使いのローブを着た男が寂れたパブに入るのを見かけたという。しかし、問題はそれが彼女の世界で起こった、ということだった。

「それで私その人のあとに続いてここまでやって来たの。確かに朝を迎えたと思ったんだけど、きっとまだ眠っているんだわ。だって、そうでしょ? 今まで、こんなことなかったもの……」

 話を聞きながらまるで夢と現実の境目が曖昧になっているような印象を受けた。彼女はそれを勘違いで済ませようとしているようだったが、僕にはそうは思えなかった。僕が調べたことが確かなら、彼女はじきに、この世界から出られなくなるからだ。

「よく聞いてください」

 鞄の中から羊皮紙の束を取り出し、僕は言った。

「今貴方に起こっていることは、すべて何者かに掛けられた魔法の影響です。これは貴方の夢の中の出来事ではありません」

 彼女は戸惑った表情でこちらを見ていた。僕は他の誰かが同じような表情をしていてもきっと何も思わないだろう。それなのに、どうしてだか彼女がその表情をすると、なんとかしなければという衝動に駆られた。

 どうしてだか、分からないのだけれど――。


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