Phantoms of the past - 010
1. 隠れ穴とゴドリックの谷
7月31日の朝は雲ひとつない晴天だった。
午前中を思い思いに過ごしたあと、私とリーマスは早めの昼食を食べ、午後1時にゴドリックの谷へ行く予定にしていた。もちろん、24日に購入したハリーの誕生日プレゼントは間に合うようにロキに持たせている。何も問題がなければ、ロキは今頃ハリーの元へプレゼントを届けているだろう。けれども相変わらず、ハリーから羊皮紙の切れ端すら返ってこないことを私はずっと心配していた。ハリーへの心配は尽きないのである。
ゴドリックの谷へは、姿くらましで行くことになっていたので、午後1時になると私達は準備を完璧に済ませ、リビングに集まった。姿くらましというのは、別名、姿現わしともいうらしいのだけれど、未成年の魔法族は使ってはいけない決まりだそうだ。17歳になり、成人を迎えると試験があって、それに合格すると晴れて姿現わしが出来るようになるらしい。試験が行われるのはかなり高度な技術が必要になるからだろうと思う。なんと、失敗すると身体がバラけてしまうのだ。恐ろしい。
「さあ、準備はいいかい? しっかり捕まって」
姿くらましは手を繋いだり腕を掴んだりすれば、数人同時に移動することが可能らしい。付き添い姿くらましとか、付き添い姿現わしというそうで、未成年の子達はみんなそうやって姿くらましをしているとリーマスが教えてくれた。
「ええ、大丈夫よ。もうしっかり捕まっておくわ」
身体がバラけてはいけないと、私はリーマスが差し出してくれた腕をぎゅっと掴んだ。リーマスのことは信じているけれど、やっぱり不安なことを聞かされたばかりなので怖いのだ。
「じゃあ、行くよ。3、2、1――」
リーマスのカウントが0になるや否や、私の身体は大きく回転し、気がつくと全てが闇の中だった。細いゴム管の中を無理矢理通り抜けているような感じとリーマスは話していたけれど、正にそんな感じで身体が四方八方からぎゅうぎゅう押さえつけられている。息苦しい感じもするし、とても好きになれそうにない感覚だ。グリンゴッツのトロッコは最高なのに――
「さあ、着いたよ」
リーマスのそんな声が聞こえ、肺に酸素が戻ってくるのを感じながら私は大きく息を吸った。そして、ゆっくりと息を吐きながら目を開けると、そこはもうメアリルボーンの自宅のリビングではなかった。
私達は曲がりくねった小道に立っていた。
狭い小道の両脇には小さな家々が軒を連ねて並んでいる。メアリルボーンのバルカム通りとも、ダイアゴン横丁とも、隠れ穴とも違う景色がそこにはあった。ここが、ゴドリックの谷なのだ。
気付いたら違う場所にいる、というのは何だか懐かしい感覚だった。あれからもう1年も経ったのだと思うと、時が経つのは早いものだ。私がまだ自分の夢だとばかり思っていたあのころ、気がつくといつでもひょっこりジェームズが目の前に現れた。今回も、そうだったならどんなにいいか。
「大丈夫かい?」
何も言わずに突っ立っている私にリーマスが訊ねた。私は「大丈夫よ」と言いながら、慌てて首を縦に振った。折角リーマスが連れてきてくれたのに、感傷的な気分になって心配させたくなかった。
「ちょっとびっくりしたの。初めてだったから」
「この感覚はそのうち慣れるさ。目的の場所はもう少し先にあるんだ。少し歩こう」
私達は狭い小道を歩き出した。目的地はそれほど遠くはないらしい。時折り村人とすれ違いながら私達は道を進んだ。昼時だからだろうか。両脇に並ぶ家々から、食べ物のいい香りが漂っている。
やがて、小道を左に曲がると村の中心であろう小さな広場に出た。真ん中に記念碑のようなものがあって、広場を囲むようにして数軒の店や郵便局、パブ、教会が建っている。そんな広場の真ん中で、リーマスは立ち止まった。
「ここが目的地?」
記念碑を見上げているリーマスの横顔を見て訊ねながら、私も記念碑に視線を移した。すると、それは先程目にした記念碑ではなかった。眼鏡を掛けたくしゃくしゃの髪の男性と優しそうな髪の長い綺麗な女性、そして、女性に抱かれている男の子の像だった。
男の子の額に傷痕なんてなかったけれど、それが赤ちゃんの時のハリーだということはすぐに分かった。そして、男性がジェームズで、女性がリリーだ。こんな像があるだなんて私は友人から1度も聞いたことがなくて、信じられないような思いでリーマスを見ると、
「さあ、もう少しだ。行こう」
彼はそれだけ言ってその場から歩き出した。慌ててそれについて行きながら広場を振り返ると、像はまた記念碑に姿を変えていた。
「リーマス、ここは一体どこなの――? 何でここにジェームズの像があるの?」
リーマスは答えなかった。彼は広場を横切り、狭い門を通って教会のすぐそばにある墓地へと入って行った。教会の建物を回り込み、ちょうど裏手へと辿り着くと、そこには小さな墓石がたくさん並んでいる。そして、
「ハナ、ここだよ」
私達は1つの墓石の前で立ち止まった。そこには、ジェームズとリリーの名前が刻まれている。リーマスを見れば、優しさと悲しさとやるせなさと、色んな感情が綯い交ぜになったような顔で1度だけ深く頷いた。
私は地面に膝をつき、その場にしゃがみ込むと、そっと、墓石を撫でた。夏の陽射しを浴びて、少しだけ熱を持っていて熱い。
「こんにちは、ジェームズ。今日は1992年7月31日よ」
私は出来るだけ朗らかな声で言った。
「私、貴方に話したいことがたくさんあるの。私――」
そのあとは言葉にならなかった。涙が次から次へと零れ落ちて、私の墓石を濡らしていく。貴方を見殺しにしてしまって、ハリーから引き離すことになってしまって、本当にごめんなさい、と謝るべきなのに、遂にしゃっくり上げながら泣き出してしまった私の口から滑り出しのは、
「私、貴方に会いたい……」
そのひと言だった。