The beginning - 003

1. 夢と現実



 ネズミに気をつけろと釘を刺すのを忘れていた。
 目覚めて一番最初に思ったことがそれだった。でもまあ、いきなりネズミに気をつけろと言われても誰も信じないだろうけど。夢の中だからと「違う世界にいる」だなんて口走った女が、今更何を気にしてるんだって話だけれど。

 ここ最近ずっと夢のことを考えてるなぁ、なんて思いながら、1日を始めるために起き上がった。今日は夜の便でイギリスに行くので、午後には家を出て空港に行かなければいけないけれど、それまでにはまだ時間がある。なので、昨日買ったばかりの『賢者の石』の続きを読みながら軽い朝食を食べた。そのあとはキリのいいところまで読んだあと、次にシリウスに会った時のためにネットで情報収集して午前中を過ごすことにした。

 検索して分かったことは、シリウスの話していた1972年というのは彼らがホグワーツに入学した翌年だということだ。11月だと言っていたから、つまり、昨夜の時点では2年生だったということになる。そこから更に調べていくと、2年生はジェームズとシリウスが友人のリーマス・ルーピンが狼人間だということに気付いて、動物もどきアニメーガスの練習を開始する年らしい。

 2年生なら、まだ知らない抜け道や隠し通路があるかもしれない。そう思い至って、今度はホグワーツの隠し通路について検索をすることにした。うーん、あの人達のことだから、厨房の場所は既に知ってるかも。お菓子屋さんに繋がってる抜け道はまだ知らない可能性はあるかもしれないけど、もっといい所はないだろうか。

「あ! ここよ! 必要の部屋!」

 絶対に知らないだろう隠し部屋を見つけて、私は諸手を挙げて歓喜した。よし、ここへの行き方をしっかり覚えて、次の夢で自慢気に披露してやろう、と意気込んだ。

 午後になるとラフな服に着替え、数日前から準備していた大きなスーツケースを持ち、ノーメイクで家を出た。本の続きとか調べ物は飛行機の中でしよう。なんて思う。因みにノーメイクなのは、どうせ空港に着いたら落としてしまうからだ。以前はバッチリメイクをして、おしゃれな服を着て飛行機に乗っていたんだけれど、空港でメイクを落としたり着替えたりするのがとんでもなく面倒なので今のスタイルに落ち着いている。

 イギリスまでのフライト時間は13時間ほどある。最初の頃は時差ボケに悩まされていたけれど、今は飛行機の中で眠ることにも慣れたし、時差ボケも少ないように思う。というわけで、今回のフライトでもたくさん寝るぞ!


 *


 ガタンゴトン。シュッシュポッポッ。
 つい先程飛行機に乗り、日本を旅立ったはずの私は何故か汽車のコンパートメントの中で目覚めた。どうやら私は窓際の席でウトウトと眠っていたらしい。ここはホグワーツ特急だろうか、なんて考えてしまうのはここ3日程同じ夢を見続けているからに違いない。

 コンパートメントの中は私以外誰もいなかった。閉ざされた扉の向こうの通路では、小さな子ども達――しかも外人だ――が何人も行ったり来たりしている。それを見て、やっぱり、ホグワーツ特急かも、なんて思う。

 今日の私はホグワーツの制服ではなく、ネイビーに白の細いストラップのサマーワンピース姿だった。ワンピースは半袖のパフスリーブでとても可愛い。ちゃっかり、窓に映る自分の姿も確認した。20代が着るには微妙なデザインのワンピースかもしれないけれど、夢の中の私は10代である。なかなかイケてるんじゃないだろうか。

「今日は現れないな」

 いつも夢のはじまりにはひょっこり現れるジェームズやシリウスが、今日はなかなか現れなかった。もしかしたら今日は『ハリー・ポッター』の夢ではないのかもしれないと思いながらも、2人に会えることを期待してコンパートメントを出た。すると、

「あ! ハナじゃないか!」

 くだんの人物はあっさりと顔を出した。私服姿のジェームズが通路の数メートル先でこちらを見てパッと顔を輝かせている。あ、やっぱり今日も『ハリー・ポッター』の夢だった、とどこか安心した気持ちになりながら、私はジェームズに手を振った。

「こんにちは、ミスター・ポッター」
「やあ、ハナ。今日は1973年6月30日だよ」
「あら、ミスター・ブラックに聞いたのね」
「まあね。でも、ひどいじゃないか。僕がクィディッチの練習に駆り出されている時にシリウスと会ってるなんて。それに僕達が知らない情報を教えてくれるってシリウスに聞いたんだけど、それってどんな情報なんだい? 僕それがずっと気になってて――て、ああ、ちょっと待って! 今シリウスを連れてくるから!」

 やっと再会出来たかと思えば、凄い勢いで話し出し、挙げ句の果てには「まだ帰らないでね!」と言い残してジェームズは脱兎のごとく通路を走って行ってしまった。そんなジェームズの姿を見ていると、前々回のシリウスの爆弾発言はやっぱりブリティッシュジョークだったんだろうな、と思う。というか、彼はどうやら前回シリウスにした私の話を全面的に信じているようだ。なんでいいやつなんだ、ジェームズ。

 ジェームズは意外と早くシリウスを連れて戻ってきた。通路に立っている私を見つけるなり、「良かったまだいた!」と嬉しそうに笑う姿はちょっと犬に似ている。いや、彼は鹿だったっけ。

「こんにちは、ミスター・ブラック」
「よう、レイブンクローの幽霊さん」
「ふふ、それ気に入ってるのね。ここが私のコンパートメントみたいなの。通路じゃなんだから、どうぞ」

 2人をコンパートメントの中に招き入れると、私達は向かい合って座ることにした。私の向かいにジェームズ、斜め前にシリウスだ。

「ミスター・ポッターの口振りだと私の話を信じてくれたのね?」
「仕方ないだろ、レイブンクローの寮監すらハナ・ミズマチっていう生徒は知らないって言うんだから」
「そうそう。僕たち、ダンブルドアにも聞いてみたんだ。ダンブルドアは面白がってたな。是非君に会いたいって」

 どうやらあれから2人は先生たちにも確認したみたいだ。素直に信じたジェームズと渋々信じたシリウス、といったところだろう。それにしてもまさかダンブルドアにも訊ねただなんて、彼らの行動力には驚かされる。

「私も是非会ってみたいわ」
「今回は無理だから次の機会だね。また、何ヶ月後か」
「ええ、次に現れるのがホグワーツの中だったら」

 ダンブルドアに会えるなんて、夢のようだ。いや、これは私の夢なんだけど。なんてバカバカしいことを考えながらも、2人に笑顔で頷いて見せた。

 汽車はずっと田園風景の中を走っていた。車窓から見える太陽はまだ高い位置にあるから、キングズ・クロス駅に到着するまで大分時間があるようだった。そういえば2人は、リーマスとネズミくんは一緒じゃないんだろうか。

「そういえば2人は……えーっと、一緒のコンパートメントの人たちはいいの? 私は話が出来て嬉しいけれど」
「大丈夫さ。そんなことより僕は、僕達が知らない情報って言うのがずっと気になって仕方なかったんだ。それに、君は普段は別の世界にいるって言ってたみたいだけど、それにしてはどうも君はホグワーツのことを知ってるみたいだし――ほら、寮の名前とか――あと、さっきも僕がダンブルドアの名前を出しても誰なのか聞かなかった。君って、別の世界じゃなくて、未来から来てるんじゃないのかい?」

 大事な親友2人の話題を「そんなことより」で終わらせたジェームズは、どこか興奮気味に私に訊ねた。なかなか的を得た質問だ、と私は感心しそうになりながらも、ゆっくりと首を横に振った。

「違うわ。えーっと、なんて言ったらいいのかしら……正直に言うと、私は貴方達のことを知ってるわ。私の世界に本があって――その内容を私は少し知っているの」
「つまり、僕たちは君にとっては本の中の人物だってことか」
「そうか。眠りにつくと来ることが出来るって、つまり、君は今自分が夢を見ていると思ってるんだね」

 「ええ、そうなの」と頷きかけて私は、はたと動きを止めた。今のジェームズの言葉にはどこか引っかかりを覚えるのだ。そう、まるで、私が夢を見ていると勘違いしているような――……。

「ここは、私の夢よ、ね?」

 聞いたってどうしょうもないことだと思いながらも訊ねた。ジェームズとシリウスは互いに顔を見合わせてそして、

「ここは現実だよ、ハナ」

 そう言ったのだ。