The symbol of courage - 045

8. 勇気の象徴



 その声は恐怖そのものだった。
 私はただその声の恐怖に凍りつき、クィレルに縄を解かれ、鏡の前に立たされているハリーを見ていることしか出来なかった。あれと戦うだなんて、無謀ではないかと一瞬思えたほどだった。けれど、

 ――ジェームズ……?

 ふと視線を感じて、私はハリー越しにみぞの鏡を見た。そこには、いつから写っていたのか、ジェームズがいた。クリスマスの時にハリーに聞いた話では、みぞの鏡は人によって違うものを見せてくれるらしいので、今のハリーに何が見えているのかはわからなかったが、少なくとも私にはジェームズが見えた。あれは、ハリーではない。ジェームズだ。だって、

 ――Blow away the Slytherin!

 と口をパクパクさせて何度も私に訴えているからだ。声は聞こえなくても何で言っているかはっきりと理解出来た。だって、クリスマス休暇の終わりの日、私をとても心配してくれるリーマスを見ながら、ジェームズなら「スリザリンを吹き飛ばせ!」くらいは言いそうだと、他ならぬ私が思ったからだ。鏡の中のジェームズは続ける。

 ――Blow away Voldemort! Go for it!

 ジェームズは「頑張れ!」と私に言いながら、遠くに飛ばされた私の杖を指差していた。クリスマス休暇明けにみぞの鏡の話を聞いた時、見るのが怖いと感じていた自分の望みが目の前にあった。私は、まさに今、戦う勇気が欲しいと望んでいるのだ。恐怖に打ち勝つ勇気が。

 私はジェームズが指差す先にある自分の杖を見た。ここからもがいて杖まで行く時間は、きっとないだろう。何故なら、私がこうしている間にも、ハリーとクィレルのやり取りは進んでいるからだ。だったら、杖なしの呪文を成功させるしか方法はなかった。

 ――アクシオ!

 無言呪文も成功していないのに、杖なしで呪文を唱えるなんて、無謀な挑戦に思えた。けれど、今なら私は出来る気がしていた。私は1人じゃないからだ。

 ――アクシオ! 杖!

 次の瞬間、私の手の中に杖が収まっていた。「やった!」と心の中で叫びながらみぞの鏡を見ると、ジェームズはもうそこにはいなかった。そこにいたのは、クィレルの後頭部に寄生するヴォルデモートと、それと対峙しているハリーだけだった。

「バカな真似はよせ」

 よろめきながら後退りするハリーにヴォルデモートが言った。ヴォルデモートはひどい有り様だった。蝋のように白い顔、ギラギラと血走った目、鼻孔はヘビのような裂け目になっている。

「命を粗末にするな。俺様の側につけ……さもないとお前もお前の両親と同じ目に会うぞ……二人とも命乞いをしながら死んでいった……」

 ヴォルデモートの言葉に私はグッと杖を握り締めた。杖の先を自分の身体を縛っている縄に向け、心の中で呪文を唱えると、縄はぱらりと解けた。お互いに夢中になっている彼らはそのことに全く気付いていないようだった。

「嘘だ!」

 ハリーが叫んだ。彼は私を庇うように立って、少しずつ後ろに下がって来ていた。こんな状況でも、ハリーは私のことを気にしてくれていたのだ。

「胸を打たれることよ……」

 ヴォルデモートが押し殺したような声を出した。

「俺様はいつも勇気を称える……そうだ、小僧、お前の両親は勇敢だった……俺様はまず父親を殺した。勇敢に戦ったがね……しかしお前の母親は死ぬ必要はなかった……母親はお前を守ろうとしたんだ……母親の死をムダにしたくなかったら、さあ石をよこせ」

 ヴォルデモートの言葉に私はスッと心が冷えていくのを感じた。私は彼に何を恐怖していたのだろう。私の大事な友達を殺した相手に恐怖する暇なんて、私にはないというのに。

 私は上体をわずかに起こして杖を構えた。しっかりとクィレルに標準を合わせ、

「やるもんか!」
「捕まえろ!」

 ヴォルデモートが叫び、ハリーが私に向かって走り出したその瞬間、大声で呪文を唱えた。

「フリペンド!」

 今の私が最も得意としている攻撃魔法だった。
 呪文はハリーの脇腹を飛び越え、彼を追って来るクィレルの腹に直撃し、クィレルの身体は反対側の壁まで吹き飛んだ。壁に背中を強く打ちつけたクィレルは床の上に崩れ落ち、蹲ったまま痛みに呻いてる。

「ハナ……! 君、いつの間に……!」
「説明はあとよ、ハリー! 今はこのまま走って逃げるわよ!」

 今のうちにハリーを逃さなければならないと、私はハリーの手を取り走り出した。振り返れば、蹲って唸っていたクィレルがよろよろと起き上がっている所だった。

「小娘……!」

 クィレルの後頭部で憎々しげにヴォルデモートが言う。

「小僧と小娘を捕まえろ!」

 ヴォルデモートが唸るように叫ぶと、それまで呻いていたクィレルが杖を構えて立ち上がった。今度は私がハリーを庇うように立ち塞がると、クィレルが唱えるより早く呪文を唱えようと杖を構えた。しかし、

「ディフィンド」

 呪文を唱えたのはクィレルが先だった。

「きゃあああああぁぁ!」

 クィレルが唱えたのは全身を切り裂く呪文だった。ハリーが「ハナ!」と叫ぶ声は、私の悲鳴に掻き消された。どこもかしこも痛かった。まるで身体が2つに裂けたかと思うほどの痛みだった。そんな私にクィレルは容赦なく次の呪文を唱える。

「ステューピファイ」

 次の瞬間、私の身体は宙を舞っていた。