The symbol of courage - 044

8. 勇気の象徴



 遠くでジェームズの声が聞こえた。
 ああ、また夢を見ているのか、とぼんやりとした意識の中で考える。ジェームズに話し掛けたいのに、身体が重くて、そして何故か動かない。それに、瞼も持ち上がらないし、声だって出なかった。横たわっている床だって冷たいし、硬い――違う、これは夢じゃない。

 一瞬、自分の身に何が起こったのかさっぱり分からなくなったけれど、次第に意識が浮上してくると、セドリックと共にクィレルに襲われたのだということを思い出した。そして、聞こえてくる声はジェームズではない。きっと、ハリーだ。どうやらクィレルと話をしているようだ。

 目が開かないので、ここは一体どこなのかわからなかったが、ハリーが近くにいることだけはわかった。クィレルに襲われたということは、きっとクィレルは仕掛け扉を破っただろうから、賢者の石が隠されている部屋の中だろうか? 賢者の石は確かどこかに隠されていたんだけれど、あれは、どこだっただろう。

 それに、ハリーは声が聞こえるから無事だろうけれど、ロンや、ハーマイオニー、そして、セドリックが無事かとても気になった。セドリックはこの件には一切関係がなかったのに、巻き込んでしまって、なんと謝ったらいいか分からない。

「他の先生方は全員、スネイプがグリフィンドールの勝利を阻止するために審判を申し出たと思った。スネイプは憎まれ役を買って出たわけだ……随分と時間を無駄にしたものよ。どうせ今夜、私がお前を殺すのに」

 「まあ、ミズマチは私を疑っていたようだがね。さしずめ、ダンブルドアの入れ知恵だろう」とクィレルは続けた。クィレルも、そして、彼の後頭部に居座っているヴォルデモートも、どうやら私がこの世界のことをほんの少し知っているということは、知らないようだった。彼らはきっとただこの世界に連れてきただけの道具だと私のことを思っているに違いない。

「ハナが……? ハナは、何も」
「簡単な話だ、ポッター。ダンブルドアはそれを君に明かすことを望まなかった。だから、彼女も君には教えなかった。忌々しいダンブルドアの犬さ。ご主人様がいなければ、彼女は今ここに存在すらしなかったというのに」

 クィレルが話している間にも私はなんとかこの状況を脱しようともがいていた。どうやら私は縛られているようだと分かり、目だけでも開くことが出来たらと思ったのだけれど、これがなかなか難しかった。もしかしたら強力な魔法かあるいは生ける屍の水薬を使われたのかもしれない。

「……それは一体、どういうことですか?」
「ポッター、何故ダンブルドアが彼女の後見人になったか、考えてみなかったのかね?」
「後見人になった理由……? 確かスネイプもそんなことを……」
「ポッター、話は非常に単純明快だ。ミズマチが、ご主人様の力をより強力にするために用意されたものだからさ。どういうわけかダンブルドアはそのことを随分と前から知っていて、彼女を自分の手中に匿ったんだ」

 クィレルは私がこの世界の知識が多少あるということ以外にも、自分達の不完全な魔法のせいで私が過去に夢を介してこの世界を行き来し、ダンブルドアに会っていたことは知らないようだった。ということは、ヴォルデモートも知らないということになる。

「じゃあ、スネイプがハナを狙っていたわけでは……」
「スネイプ? まさか。何故かは知らないが個人的に彼女に興味があるようだったがね。それで同じように私が彼女に関心を示していたことに気付いて、ご主人様に関係があるのではないかと考えていたようだが……スネイプはミズマチを狙ったりはしないさ」

 ハリーはこの事実に戸惑ったに違いない。それに、私がスネイプではなく、クィレルが真犯人だと知っていて黙っていたことを恨むかもしれない。けれども、クィレルの口から私がジェームズと友達だったと語られなかったことに私はホッとしていた。クィレルなんかに彼らとの日々を穢されたくなどなかった。

 「さあポッター、大人しく待っておれ。このなかなか面白い鏡を調べなくてはならないからな」というと、クィレルが指をパチッと鳴らす音が聞こえた。どうしてだか、その音が鳴ると、今まで開かなかった目がパッチリと開いた。見れば、目の前に立っていたハリーの身体に私と同じように縄が巻きついている。

「この鏡が石を見つける鍵なのだ」

 ハリーもクィレルも私が目を開けたことに気付いていなかった。クィレルは彼の背後に置いてあった大きな姿見をじっくりと観察しながら、枠をコツコツと叩いたりしている。

 鏡は天井まで届くような背の高い見事なものだった。金の装飾豊かな枠には、二本の鈎爪状の脚がついていて、枠の上の方に「すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ」と字が彫ってある。

 あの鏡はきっと「みぞの鏡」だ。ハリーがクリスマス休暇明けに私に話してくれたのを覚えている。それに、映画でハリーがあの中から賢者の石を得るのだ。そうだ、思い出した。クィレルは鏡から賢者の石を取り出すことは出来ない。

「ダンブルドアなら、こういうものを考えつくだろうと思った……しかし、彼は今ロンドンだ……帰ってくるころには、私はとっくに遠くに行ってしまう……」

 ハリーは賢者の石を取り出そうとしているクィレルの意識をどうにか逸らそうとしているようだった。森でスネイプと一緒にいるところを見たことや、数日前にもクィレルが泣いているところを見たことなど、私も知らない話を話した。

 クィレルはスネイプとジェームズが同窓だったことや、けれども殺そうなんて思うはずがないこと、泣いていたのはスネイプに脅されて――ハリーはそう思っていた――ではなく、ヴォルデモートの命令に従うのが難しかったからだと答えた。

 自分の行くところ、どこにでもヴォルデモートがいると話し、懇切丁寧にヴォルデモートとの出会いを語りもしたが、クィレルの興味は鏡だけにあった。私は彼が気を取られている隙に、この縛られている状態でもなんとか戦えるようにしようと自分の杖を探したけれど、杖はずっと離れたところに放り投げられていた。

「いったいどうなってるんだ……石は鏡の中に埋まっているのか?鏡を割ってみるか?」

 しかし、やっぱりクィレルは賢者の石を手に入れられずにいた。ハリーは縛られた状態でその場に立ったままだったが、何を思ったのか、ジリジリと動こうとして、そして、その場に倒れ込んだ。

 思わず、「ハリー!」と声を出しそうになって、私は慌てて口を噤んだ。今、意識があることを気付かれてはいけないと思ったのだ。ただでさえ杖もなく縛られているのに、起きていることに気付かれてまた眠らされては、ハリーを守りたくても守れない。

「この鏡はどういう仕掛けなんだ?」

 クィレルはハリーが倒れたことを気にも留めずに、鏡の前でブツブツと言っている。

「どういう使い方をするんだろう?」

 私はその隙に自分の杖の方に移動しようともがいた。目覚めた時よりも身体は大分動くようになっている。しかし、

「ご主人様、助けてください!」

 とクィレルが叫んで、私は背筋が凍るような感覚に陥った。クィレルから、彼とは全く別人の声が聞こえてくる。

「その子を使うんだ……その子を使え……」

 それは、1年前に聞いた、名前を得たと高らかに叫んだ声と同じ声だった。