The beginning - 002

1. 夢と現実



 First Love――そう、それは初恋。彼は確かにFirst Loveと口にしなかっただろうか。何という都合のいい夢だろう。そもそもジェームズはリリーが好きなんじゃなかったっけ? 友人が確かそんなことを言っていたはず。だったらシリウスはからかうためにそう言っただけなのかも。

「なーんだ、ブリティッシュジョークか」

 まんまと真に受けるところだった。危ない危ない。ハリーパパと禁断の恋なんて笑えない夢になるところだった。なんて思いながら目覚めた朝。今日も夢の内容はバッチリ覚えていた。

 2日連続で不思議なこともあるものだ。こうなると悲しくなるからと第1作目を見て以来遠ざかっていた映画どころか原作の小説がちょっと気になってくるというものだ。少し読んでみるのもいいかもしれない。小説とんでもなく長いみたいだけど。

 都合のいいことに、今日から仕事がゴールデンウィークで連休に入る。明日には向こうの家の手入れをする為にイギリスに旅立つ予定だけれど、準備はもう終わっている。つまり、明日の夜のフライトまで私は暇なのだ。

 これも神の思し召しか……とくだらないことを考えた私は、ついノリで今まで避けていたはずの『賢者の石』の電子書籍をポチッとしてしまった。ハリー、次に夢の中でジェームズに会ったらネズミ――名前をど忘れした――は信用しないように君のパパに言い聞かせておくからね……と心の中で言いながら、買ったばかりの電子書籍を開く。あ、ジェームズよりシリウスに言っておいた方がいいかも。うん、シリウスだな。


 *


「君は突然現れるんだな」

 3日目の夜。この日の私はホグワーツの図書室にいた。どうやら私はレポートを書いているところだったらしい。図書室内に設けられたテーブルに座っている私の目の前には『The Standard Book of Spell』と書かれた教科書と羊皮紙、インク瓶などが広げられていた。

「あら、ミスター・ブラック」

 声を掛けてきたのはシリウスだった。どうやら今日は1人のようで、周りを見てみてもジェームズの姿はなかった。そんな私の様子に、

「今日はジェームズはいないよ」

 ジェームズを探していると察したのだろう。向かいの席に腰を下ろしながらシリウスが言った。何冊か本を抱えているところを見るに、彼もどうやらレポートか何かをするらしい。そういえば、シリウスは頭がいいって友人が話してたっけ。だったら、悪戯仕掛け人とはいえ、レポートはサボらずにさりげなくこなす人なのかもしれない。

「いつも2人一緒なイメージだったから」
「あいつは今日はクィディッチの練習なんだ」
「クィディッチ? あのかっこいいスポーツね」

 クィディッチってなんだっけ……と一瞬考えてから、そういえば唯一見たことのある『賢者の石』の映画でハリーがそういうスポーツをやっていたのを思い出した。確かジェームズのポジションは――

「ミスター・ポッターはシーカーだったかしら?」

 そう、映画ではそんな話をしていたはずだ。

「シーカー? あいつはチェイサーだよ」

 ちゃんと覚えていた私凄い! と意気揚々と話を続けた私に、シリウスは「何言ってんだ、お前」と言いたげな表情で訂正した。いけない。知ったかぶりしたみたいになってしまった。シーカーじゃなかったの? あれ?

「まあ、あいつの普段の態度ならシーカーを選びそうなものだけどな。それに、選手に選ばれたのは数ヶ月前だから、レイブンクローの幽霊は知らなくても当然か」

 ニヤリ、と笑ってシリウスが続けた。どうやら彼は昨日の夢での出来事をいたく気に入っているらしかった。私も思わず、ふふふ、と笑みをこぼす。

「ええ、そう。私、神出鬼没の幽霊だから」

 シリウスの話し振りからするに、今日は昨日ほど夢の中の時間は進んでいないようだった。長くても数ヶ月振りの再会と言ったところだろうか。それにしても夢を見るたびに前回から何ヶ月後とか考えるの、早くも面倒臭くなってきた気がする。いや、夢なんだから別に気にしなきゃいいんだけど。うーん。

「それにしても、本当にお前、幽霊なんじゃないのか? この間会ってから僕も気にして探してみたけど、全く見かけなかった。かと思えば今日はここにいる」

 シリウスが難しい顔をしてこちらを見ながら言った。それに私は「ええ、そうね」と頷いて、そして、

「実は私、普段は違う世界にいるの」

 生徒のフリを続けるのも面倒だし、夢の中だからまぁいいか、と本当のことを口にした。レイブンクローの幽霊も気に入ってるんだけど。そんなことを考えている私の目の前では、シリウスが「はあ?」と素っ頓狂な声を上げている。

「向こうの世界での私はもう大人で、仕事もしているんだけれど、夜、眠りにつくとここに来ることが出来るの」
「なんだそりゃ。Are you insane?」
「本当だから仕方ないわ。だから、今日が何年何月何日で、自分が何年生なのかわからないの」

 「正気じゃない」という言葉を完全スルーした私に、シリウスは随分と訝しげな視線を向けた。そりゃまあ、突然違う世界にいるだなんて話されたら、「Are you insane?」とか言いたくなるのは分かるけど。とはいえ、ここは魔法の世界なんだから少しは信じてくれてもいいのになぁ。

「今日は1972年11月21日だけど……そんな話信じると思ってるのか?」
「こんな話冗談ですると思う?」
「まあ、嘘ならもっとマシな嘘をつくだろうな」
「でしょう?」

 上手く言いくるめられたかと思ったが、シリウスはまだ全然納得していない表情で「うーん」と唸っていた。もう少し柔軟な心を持つべきだよ、シリウス少年。

「だったら、本当に私がレイブンクローにいるのか確認してみて」
「もしいなかったら?」
「貴方は私を信じるの。どう?」
「それが僕にとって何の得があるんだよ」

 もっともな反論をされて私は思わず「確かに」と納得してしまった。私が異世界人かどうか知っても今のシリウスには何の得もないのだ。うーん、だったら、

「貴方が知らない情報を提供するわ。どう? 貴方の知らないホグワーツの謎、とか」

 この提案だったらどうだろう。夢の中なんだから無理矢理信じさせることなんてしなくてもいいんだろうけれど。でも、夢なら私の自由にしたって許されるはずだ。そんな私の考えを知らない夢の中の住人、シリウス少年は、

「本当に知らない情報だったらな」

 フッと小馬鹿にしたように鼻で笑った。