Make or break - 058

6. ドレスローブ

――Harry――



 長い夏休みが終わり、9月1日の朝がやってきた。
 空は昨日に引き続き生憎の雨だ。嵐かと見紛うほど激しい雨と風が窓ガラスに打ちつけ、あんなに楽しかった休みがとうとう終わってしまったという憂鬱な気分をより一層高めた。11時発のホグワーツ特急に乗るため朝早くに起きたハリーは、ロン、フレッド、ジョージと一緒にのろのろと長袖のTシャツとジーンズに着替えた。ホグワーツの制服には汽車の中で着替える予定だ。

 着替え終えると、ハリーは4人で最上階のロンの部屋を出て、朝食を摂りにキッチンへ向かおうと階段を下り始めた。けれども、2階の踊り場までやってきた時、ウィーズリーおばさんがただならぬ様子で階下から現れて、ハリー達は立ち止まった。

「アーサー!」

 階段の上に向かって、おばさんが大声で呼びかけた。

「アーサー! 魔法省から緊急の伝言ですよ!」

 まもなく、ウィーズリーおじさんが大慌てで階段を駆け下りてきた。あまりにも慌てていたので、ローブの表と裏を逆に着てしまっている。しかし、それを教えられる空気でもなく、ハリー達は壁に張りつくようにして道を開けた。

 おじさんがあっという間に階段の下へと消えていくと、ハリーはみんなと一緒にまた階段を下り、キッチンへと入った。キッチンでは、おばさんがどこかに羽根ペンがあるはずだと言いながら引き出しを掻き回していて、おじさんは暖炉の前に屈み込んで話をしていた。暖炉には火が揺らめいているがなんだか普通ではない。

 ハリーは見間違いかと思って、ぎゅっと目を閉じてまた開けてみたが、見間違いではなかった。炎の真ん中に、エイモス・ディゴリーの首が、まるで髭の生えた卵のようにどかりと居座っているのだ。飛び散る火の粉も、耳を舐める炎もまったく気にする様子がなく、早口で喋っている。

「……近所のマグル達が、ドタバタいう音や叫び声に気付いて知らせたのだ。ほら、何とか言ったな――うん、慶察プリーズマンとかに。アーサー、現場に飛んでくれ――」
「はい!」

 ウィーズリーおばさんが息を切らしながら、ようやく見つけた羊皮紙、インク壺、くしゃくしゃの羽根ペンをウィーズリーおじさんの手に押しつけるように渡した。おじさんは、ディゴリー氏の言葉を聞き逃すまいとしながら、床の上に羊皮紙を広げ、インク壺をその隣に置いた。

「私が聞きつけたのは、まったくの偶然だった」

 ディゴリー氏の首が続けた。

「ふくろう便を2、3通送るのに、早朝出勤の必要があってね。そうしたら、魔法不適正使用取締局が全員出動していた――リータ・スキーターがこんなネタを押さえでもしたら、アーサー――」
「マッド-アイは、何が起こったと言ってるのかね?」

 ウィーズリーおじさんはインク壺の蓋を開けて羽根ペンの先を浸しながら訊ねた。話を聞く限り何かを喋るようなので「マッド-アイ」というのは人間らしいが、狂った目と呼ばれているのは一体どういうわけなんだろうか。ハリーが考えていると、ディゴリー氏の首が目玉をぐるぐるさせながら答えた。

「庭に何者かが侵入する音を聞いたそうだ。家の方に忍び寄ってきたが、待ち伏せしていた家のゴミ箱達がそいつを迎え撃ったそうだ」
「ゴミ箱は何をしたのかね?」
「轟音を立ててゴミをそこら中に発射したらしい。慶察プリーズマンが駆けつけた時に、ゴミ箱が1個、まだ吹っ飛び回っていたらしい」

 ディゴリー氏の話を聞いてウィーズリーおじさんが呻いた。警察の前でゴミ箱が吹っ飛び回っていたのはよくなかったのだろうとハリーは思った。マグル製品と定められているものに魔法をかけて使用してはならない――逆に使用さえしなければ魔法をかけてもよいという抜け穴がある――ことになっているし、それに国際魔法戦士連盟機密保持法の13条の非魔法社会の者に気付かれる危険性がある魔法行為の禁止がどうの、に抵触する恐れがあるとかなんとか、だ。

「それで、侵入者はどうなった?」
「アーサー、あのマッド-アイの言いそうなことじゃないか」

 ディゴリー氏の首がまた目をぐるぐるさせた。

「真夜中に、誰かがマッド-アイの庭に忍び込んだって? ショックを受けた猫かなんかが、ジャガイモの皮だらけになって彷徨うろついているのが見つかるくらいが関の山だろうよ。しかし、魔法不適正使用取締局がマッド-アイ捕まえたらおしまいだ――なにしろ、ああいう前歴だし――なんとか軽い罪で放免しなきゃならん。君の管轄の部辺りで――爆発するゴミバケツの罪はどのくらいかね?」
「警告程度だろう」

 眉根を寄せ、忙しくメモを取り続けながらウィーズリーおじさんは言った。

「マッド-アイは杖を使わなかったのだね? 誰かを襲ったりはしなかったね?」
「あいつは、きっとベッドから飛び起きて、窓から届く範囲の物に、手当たり次第呪いをかけたに違いない。しかし、不適正使用取締局がそれを証明するのがひと苦労のはずだし、負傷者はいない」
「分かった。行こう」

 ウィーズリーおじさんは素早く頷くと、羊皮紙をポケットに突っ込み、再びキッチンを飛び出していった。扉がバタンと閉まる音がすると、ディゴリー氏の首がウィーズリーおばさんの方に向いた。

「モリー、すまんね。こんな朝早くからお煩わせして……」

 申し訳なさそうにディゴリー氏が言った。

「しかし、マッド-アイを放免出来るのはアーサーしかいない。それに、マッド-アイは今日から新しい仕事に就くことになっている。なんでよりによってその前の晩に……」
「エイモス、気にしないでちょうだい。帰る前に、トーストか何か、少し召し上がらない?」
「ああ、それじゃ、いただこうか」

 どうやら暖炉の中のディゴリー氏の首は何か食べることも出来るらしい。ハリーがどういう仕組みだろうかと考えていると、ウィーズリーおばさんがテーブルに重ねてあったトーストを1枚取り、急いでバターを塗ってから火箸で挟んでディゴリー氏の口の中に入れた。

「ふぁりがとう」

 やっぱりちゃんと食べ物を食べることが出来るらしい。ディゴリー氏の首はフガフガとお礼を言い、ポンと軽い音を立てると、暖炉の火の中から姿を消した。なんだかよく分からないところも多かったが、どうもウィーズリーおじさんがマッド-アイという狂った目の人を無罪放免にするために向かわなければならないようだ。

 廊下から、ウィーズリーおじさんが慌ただしく、ビル、チャーリー、パーシー、ジニー、ハーマイオニーにさよならを言う声がキッチンに漏れ聞こえ、それから5分も経たないうちにおじさんはキッチンに戻ってきた。今度はローブの表と裏を間違えずに着て、肩からマントをかけている。おじさんはバタバタと姿くらましの準備を整えながら、ハリー、ロン、フレッド、ジョージの4人に呼びかけた。

「急いで行かないと――みんな、元気で新学期を過ごすんだよ」

 ハリー達がそれにこくりと頷くと、ウィーズリーおじさんはおばさんの方を見て続けた。

「母さん、子供達をキングズ ・クロスに連れていけるね?」
「もちろんですよ。貴方はマッド-アイの面倒だけ見てあげて。私達は大丈夫だから」

 あとは頼むとばかりにウィーズリーおじさんが、おばさんと軽くハグを交わしてからその場で姿くらましすると、ハリー達はおばさんに促されてテーブルに着き、朝食を食べ始めた。テーブルの上にはウィンナーにトースト、トーストに塗るジャムやバター、並べられている。ハーマイオニーとジニーは支度に時間がかかっているのか、未だにキッチンには現れていなかった。

「誰かマッド-アイって言った?」

 ウィーズリーおじさんが出掛けて少しして、キッチンにビルとチャーリーが入ってきた。話が聞こえていたのだろう。ビルが怪訝な顔をしている。

「あの人、今度は何をしでかしたんだい?」
「昨日の夜、誰かが家に押し入ろうとしたって、マッド-アイがそう言ったんですって」

 おばさんが答えた。

「マッド-アイ・ムーディ?」

 マッド-アイという人物に聞き覚えがあったのだろう。トーストにマーマレードを塗りながら、ジョージがちょっと考え込んで言った。

「あの変人の――」
「お父様はマッド-アイ・ムーディを高く評価してらっしゃるわ」

 おばさんはジョージの言葉を厳しく嗜めると、女の子達の様子を見に行くのか、キッチンを出ていった。すると、その隙にフレッドが声を潜めて言った。

「ああ、うん。パパは電気のプラグなんか集めてるしな。そうだろ? 似たもの同士さ……」
「往年のムーディは偉大な魔法使いだった」
「確か、ダンブルドアとは旧知の仲だったんじゃないか?」

 ビルとチャーリーが言った。

「でも、ダンブルドアも所謂“まとも”な口じゃないだろ? そりゃ、あの人は確かに天才さ。だけど……」

 フレッドが反論した。どうやらハリー以外のみんながマッド-アイを知っているらしい。ハリーはとうとう我慢出来ずに訊ねた。

「マッド‐アイって、誰?」
「引退してる。昔は魔法省にいたけど」

 チャーリーが答えた。なんでも、マッド-アイ・ムーディという人は腕利きの闇祓いオーラーだったのだという。闇祓いオーラーとは、闇の魔法使い捕獲人のことだ。彼のおかげでアズカバンの独房の半分は埋まったが、代わりに敵も多いという。

「逮捕されたやつの家族とかが主だけど……」

 チャーリーが続けた。

「それに、歳をとってひどい被害妄想に取り憑かれるようになったらしい。もう誰も信じなくなって。あらゆるところに闇の魔法使いの姿が見えるらしいんだ」

 まもなく、ウィーズリーおばさんがハーマイオニーとジニーを連れてキッチンに戻ってくると、今度は入れ替わりでビルがキッチンを出ていった。ビルはそれからしばらくの間戻ってこなかったが、やがてキッチンに戻ってくると、どこで情報を仕入れたのか「郵便局に公衆電話だったかな、それがあるはずだからそこからマグルのタクシー会社に電話をかけられるって」とウィーズリーおばさんにメモ書きとマグルの硬貨を何枚か手渡した。

「まあ、コインまで――」
「シックル銀貨と交換してきたよ。この間グリンゴッツに行ったからレートを知ってたんだって」

 それから、ウィーズリーおばさんは「ひとっ走り行ってくるわ」と言って、レインコートを着込み、メモと硬貨を握り締め、村の郵便局へと出掛けて行った。隠れ穴には電話がないので、公衆電話からでないと電話がかけられないのだ。ハリーは、ダーズリー家に電話をかけてきたロンのことを思い出して本当に大丈夫だろうかと心配になったが、30分後、おばさんは無事に普通のマグルのタクシーを3台手配して戻ってきた。

 はじめ、ビルとチャーリーはエジプトとルーマニアに戻るのでキングズ・クロス駅までは来ないことになっていたが、予定を変更し、駅まで見送りについてきてくれることになった。ウィーズリーおじさんがいないので、おばさん1人では大変だと思ったのだろう。しかし、パーシーはどうしても仕事に行かなければならないからと、くどくど謝った。

「今の時期に、これ以上休みを取るなんて、僕にはどうしても出来ない。クラウチさんは、本当に僕を頼り始めたんだ」
「そうだろうな」

 ジョージが真面目くさった様子で頷いたかと思うと、家族よりクラウチ氏を優先する兄に嫌味を言った。

「そう言えば、パーシー。ぼかぁ、あの人がまもなく君の名前を覚えると思うね」