Make or break - 056

6. ドレスローブ

――Harry――



 クィディッチ・ワールドカップの決勝戦が終わり隠れ穴に帰ってきてからというもの、ウィーズリーおじさんもパーシーもほとんど家にいなかった。帰ってきてはいるようだが、2人共、朝はみんなが起き出す前に家を出るし、夜はみんなが寝るか寝ないかくらいにしか帰らないのだ。ハリーは少しでもヴォルデモートの動きを知ろうと、一度だけ隠れ穴に届く予言者新聞を読ませて貰ったが「闇の印にはシリウス・ブラックの関与が疑われる」と書かれてあるのを見た瞬間、一切読むのをやめてしまった。

 幽霊屋敷での日々もあっという間だったが、隠れ穴での日々もあっという間に過ぎ去った。ハリーはウィーズリー兄弟と果樹園でクィディッチをしたり、魔法使いのチェスをしたりして過ごした。ハーマイオニーはクィディッチやチェスに付き合うこともあったが、ほとんどの時間を『基本呪文集・四学年用』を読むことに費やした。ハリーはハナに届けてもらう予定なので、まだ新しい教科書を持っていなかった。

 ハナが煙突飛行で隠れ穴にやってきたのは、もう夏休みも終わるかという8月30日の午後だった。どうやら午前中にダイアゴン横丁へ行ったらしく、その日のうちに買ったものを持ってきてくれたのだ。ハリーはウィーズリー兄弟と一緒に外でクィディッチをしていたが、ウィーズリーおばさんに「ハナが来ましたよ」と声をかけられると、クィディッチをやめ、ロンと共に隠れ穴のキッチンに戻った。キッチンでは、テーブルの隅に座り、ハナがハーマイオニーとお喋りをしていた。ハナは肩からいつものポシェットを提げている。ハリーとロンが入るとちょうどハーマイオニーが楽しげに声を上げたところだった。

「うわあ、それ素敵! 早く見てみたいわ。私もね――あ、ようやく来たわ。ハリー、ハナが貴方の学用品を届けに来てくれたわよ」
「ハーイ、ハリー、ロン!」
「やあ、ハナ」
「ダイアゴン横丁へ行って学用品を買ってきたわ。それから、部屋に忘れていた杖ホルダーも」

 ハーマイオニーの話がなんだったのか、ハリーは結局分からず仕舞いだった。ハリーが何の話をしていたのか訊ねる前にハナがポシェットの中からテーブルの上に学用品が入った買い物袋や杖ホルダーを取り出したので、すっかりそちらに意識が持っていかれたからだ。ハリーはお礼を言いながら杖ホルダーを手にすると早速ベルトに通し、ホルダーに杖を仕舞った。

「ハナ、ありがとう!」
「どういたしまして。学用品リストにあった物以外にもいろいろ買い足してきたわ。新しい羽根ペンとかインク、羊皮紙を一揃い……それから、魔法薬調合材料セットの補充品も……リーマスがミノカサゴの棘とかベラドンナエキスが少なくなってたって教えてくれたの。貴方の金庫からもお金を下ろしてきたわ。今年はホグズミードを楽しまなくちゃ」

 ハナがポシェットの中から金貨が入った巾着とハリーの金庫の鍵を取り出しながらそう言って、ハリーはニッコリした。ハリーは3年生の時、ホグズミード休暇の許可証のサインをバーノンおじさんから貰い損ね、3年生でたった1人堂々と・・・ホグズミードに行くことが許されていなかった。けれどもそれはあくまで3年生の時の話だ。先日の誕生日の際、シリウスがサイン済みの許可証をくれたので、ハリーは新学期から堂々とホグズミードに行けることが決まっているのだ。

「あ、そうだ。ダイアゴン横丁でドビーに会ったのよ」

 ホグズミード休暇のことを考えてウキウキしているとハナが突然そう話して、ハリーは驚いた。聞けば、グリンゴッツに向かっていたところ、建物のそばにウィンキーと2人で立っていたのだという。ドビーは1年前からすっかり様変わりし、古い枕カバーを脱ぎ捨て、代わりにいろんな衣服を身につけていたと聞いてハリーはドビーが自由を満喫していることを喜んだ。しかし、ウィンキーはずっと泣いていたというので、これにはハーマイオニーが悲劇的な声を出した。

「ああ、可哀想なウィンキー……」
「でも、ドビーと一緒だから少しは安心だわ。1人きりしゃないもの。それに困ったことがあれば私を訪ねるように言ったの。ほら、食べるものに困ったりもあるでしょうから……2人一緒に雇ってあげられなかったのが残念だわ」

 ハナはそう言うと、キッチンの壁にかけてある時計に視線を向けた。隠れ穴にはヘンテコな時計が2種類あり、それぞれキッチンとリビングに1つずつ置かれていた。キッチンにある時計は、針が1本しかなく、数字の代わりに「お茶を入れる時間」「鶏に餌をやる時間」「遅刻よ」などと書き込まれている。針は今、「お茶を入れる時間」と「食事の支度よ」の間にあった。こちらの時計も好きだが、ハリーはリビングの方にある時計の方がもっと好きだった。

「ウィーズリーおじさんとパーシーはあれからずっと仕事なの?」

 ぼんやり時計を見ながらハナが訊ねた。

「うん、朝早くから夜遅くまで。だから、僕達もあんまり会ってないんだ。パパもパーシーも僕達が起きる前に仕事に行くし、帰ってくるのも夜遅くだし」
「それは心配ね……でも、闇の印が13年振りに上がったんだもの。それくらい混乱してしまうのかもしれないわね……」

 それからしばらくの間話をしたあと、ハナはウィーズリーおばさんに挨拶をしてから幽霊屋敷へと戻ることになった。帰り際、ハナはハリーの傷痕が痛んだりしていないかと心配そうにしていたが、ハリーが痛まなかったと答えると安心したように微笑んでから暖炉の向こうへと消えていった。


 *


 ハナが隠れ穴を訪れた翌日――夏休み最後の8月31日は朝から生憎の空模様だった。ビルやチャーリーとクィディッチが出来るのはこれが最後だというのに外ではしとしと雨が降り続け、夜には遂に大粒の雨が隠れ穴のリビングの窓を打った。けれどもこの日はいつも帰りが遅いパーシーが早くに帰ってきて、ワールドカップ決勝戦以降、魔法省がどんな状況だったのかを話して聞かせてくれた。

「まったく大騒動だったよ」

 みんなが集まるリビングでパーシーがもったいぶったようち話し出した。

「1週間ずっと火消し役だった。吼えメールが次々送られてくるんだからね。当然、すぐに開封しないと、吼えメールは爆発する。僕のデスクは焼け焦げだらけだし、1番上等な羽根ペンは灰になるし」
「どうしてみんな吼えメールを寄越すの?」

 リビングの暖炉マットに座り、スペロテープで教科書を補修しながらジニーが訊ねた。『薬草ときのこ千種』の古本であちこち破けている。

「ワールドカップでの警備の苦情だよ」

 パーシーが溜息混じりに答えた。

「壊された私物の損害賠償を要求してる。マンダンガス・フレッチャーなんか、寝室が12もあるジャグジー付きのテントを弁償しろときた。だけど僕はあいつの魂胆を見抜いているんだ。棒切れにマントを引っかけて、その中で寝てたという事実を押さえてる」

 パーシーの話を聞きながら、ウィーズリーおばさんが心配そうに部屋の隅にある大きな柱時計を見た。これが隠れ穴にあるもう1つのヘンテコな時計だった。金色の針が9本もあり、それぞれに家族の名前が彫り込まれている。文字盤にはやっぱり数字がなく、「家」「学校」「仕事」「迷子」「病院」「牢獄」など家族全員がいそうな場所が書いてあった。普通の時計の12時の位置には「命が危ない」と書いてある。今は9本のうち8本が「家」を示していたが、残り1本――1番長いウィーズリーおじさんの針――は「仕事」を指していた。

「お父様が週末に仕事にお出掛けになるのは、例のあの人の時以来のことだわ」

 ウィーズリーおばさんが溜息を零した。

「お役所はあの人を働かせ過ぎるわ。早くお帰りにならないと、夕食が台無しになってしまう」
「でも、父さんは、ワールドカップの時のミスを埋め合わせなければ、と思っているのでしょう? 本当のことを言うと、公の発表をする前に、部の上司の許可を取りつけなかったのは、ちょっと軽率だったと――」
「あのスキーターみたいな卑劣な女が書いたことで、お父様を責めるのはおやめ!」

 パーシーの言葉にウィーズリーおばさんがたちまちカンカンになって怒鳴った。すると、ロンとチェスをしていたビルがすかさず口を開いた。

「父さんが何にも言わなかったら、あのリータのことだから、魔法省の誰も何もコメントしないのはけしからんとか、どうせそんなことを言ったろうよ。リータ・スキーターってやつは、誰でもこき下ろすんだ。グリンゴッツの呪い破りの職員を全員インタビューした記事、覚えてるだろう? 僕のこと“長髪のアホ”って呼んだんだぜ」
「ねえ、お前、確かに長過ぎるわよ」

 おばさんが切りたそうにしながら言った。

「ちょっと私に切――」
「ダメ、ママ」

 雨がリビングの窓を一層強く打った。
 ハーマイオニーは相変わらず『基本呪文集・4学年用』を読み耽っていて、チャーリーは仕事の時に被る防火頭巾を繕っていた。ドラゴンは火を吐くので危なくないようそれを被るのだ。ハリーはといえば、ファイアボルトの手入れだ。去年の誕生日にハーマイオニーからプレゼントされた箒磨きセットを足元に広げ、丁寧に磨いていく。フレッドとジョージは、羽根ペンと羊皮紙を手に隅に座り込み、額を突き合わせて何やらヒソヒソ話していた。

「2人で何してるの?」

 フレッドとジョージを見据え、おばさんが鋭く言った。

「宿題さ」

 フレッドがボソボソ答えた。

「バカおっしゃい。まだお休み中でしょう」
「ウン、やり残してたんだ」

 今度はジョージが答えた。けれどもこれを信じるおばさんではない――怪しむような視線を向けて、おばさんは言った。

「まさか、新しい注文書なんか作ってるんじゃないでしょうね? 万が一にも、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ再開なんかを考えちゃいないでしょうね?」
「ねえ、ママ」

 フレッドが悲痛な表情でおばさんを見上げた。

「もしだよ、明日ホグワーツ特急が衝突して、僕もジョージも死んじゃって、ママからの最後の言葉がいわれのない中傷だったって分かったら、ママはどんな気持がする?」

 フレッドの言葉に、ウィーズリー兄弟もハリーもハーマイオニーもおばさんも、みんなが笑った。その時、突然ウィーズリーおじさんの針が動き出し「移動中」に切り替わった。針は一瞬ののち、プルプル震えたかと思うとみんながいる「家」を指した。

「あら、お父様のお帰りよ! 今行くわ、アーサー!」

 キッチンからウィーズリーおじさんの呼ぶ声がして、おばさんは嬉しそうにリビングを出ていった。