Make or break - 055

6. ドレスローブ



 ドビーとウィンキーが去った数分後には、グリンゴッツの正面入口前はいつもの喧騒を取り戻した。私達は白いポーチの階段を上がり、磨き上げられたブロンズの観音開きの扉とその先にある銀色の扉――泥棒に対する警告文が刻まれている――を潜り、グリンゴッツの行内に入った。ブロンズの扉も銀色の扉も両脇には小鬼ゴブリンが立っていて、私達が通る時には丁寧にお辞儀をしてくれた。

 グリンゴッツの広々とした大理石のホールは、相変わらず賑わっていた。細いカウンターに小鬼ゴブリンが何人も座って仕事をしていたし、金庫への案内係の小鬼ゴブリンは金庫を出入りする人々を案内している。私はサッと辺りを見渡して人のいないカウンターを見つけると、そこに座っている小鬼ゴブリンに近付き声をかけた。

「こんにちは。金庫からお金を下ろしたいんですが」
「鍵はお持ちでいらっしゃいますか?」
「ええ、持ってます――これです」

 私は金色の鍵を2本取り出すと小鬼ゴブリンに手渡した。1本は当然私の金庫の鍵だが、もう1本はハリーの金庫の鍵だ。私達を信用してハリーが事前に預けておいてくれたのである。鍵を受け取った小鬼ゴブリンは、鍵をしげしげと眺めて慎重に調べてから「承知いたしました」と言った。

「係の者にどちらの金庫も案内させましょう――グリップフック!」

 カウンターに座っていた小鬼ゴブリンが、ちょうど通りかかった別の小鬼ゴブリンを素早く呼び止め、私達の案内を頼んだ。グリップフックと呼ばれた小鬼ゴブリンは、金庫の鍵を預かると私達をトロッコの方へと案内してくれた。

 グリップフックと私達3人を乗せたトロッコは、真下に向けて伸びるレールをビュンビュン飛ばしながら走った。金庫の場所を分かりづらくするため、レールは曲がりくねって迷路のようになっていて、トロッコは右に左に曲がりながら金庫に向けて進んだ。

「やっぱりグリンゴッツのトロッコが1番ね!」

 地下湖の近くを通り過ぎながら私は、風の音に負けないようシリウスとリーマスに大声で話しかけた。けれども、シリウスもリーマスもグリンゴッツのトロッコはあまり好きな方ではないらしい。彼らは黙りこくったまま「よく楽しめるな」とばかりにしかめっ面をしていて、私は仕方なく話しかけるのをやめた。

 最初にトロッコが停止したのは、777番――私の金庫の前だった。私は、グリップフックに続いてトロッコを下り、鍵を開ける様子をまじまじと見つめた。グリンゴッツの金庫の扉は不思議だ。扉の鍵を開けると緑色の煙が吹き出してきて扉を覆い、それが消えたかと思うと金庫の中の金貨や銀貨が姿を現すのだ。777番金庫は3年前から毎年結構な額を引き出しているというのに中のお金が一切減る様子を見せないので不思議だった。

「ハナ、ドレスを買うから多めに下ろした方がいいだろう」

 私が硬貨を財布の中に詰めているとトロッコに座ったままだったシリウスが言った。その隣でリーマスがぐったりとした様子で座っている。

「私が代金を出してやりたいが、好きな女の子が別の男から貰ったドレスを着てるなんて、いくらセドリックでもいい気はしないだろうからな。ジェームズなら確実に発狂する」
「セドは発狂しないだろうけど……貴方のその気遣いは素直に受け取っておくわ」

 言われたとおり、私はいつもより大分多めにお金を持ち出した。ハリーの分の学用品の代金は心配いらないけれど、ドレスを買うなら靴もアクセサリーも必要だし、解毒剤などを持ち歩くけるよう杖ホルダーベルトに通せる小さなポーチも買うことになっている。それに、備えあれば憂いなしというし、いつ何があってもいいように手元にある程度のお金は置いておきたいというのが本音だった。

 777番金庫からお金を下ろし終えると、トロッコに戻り、更に地下深くに下りた。今度はまた687番――ハリーの金庫だ。以前にもハリーと一緒にトロッコに乗ったことがあるのでハリーの金庫を訪れたのはこれが初めてではないのだが、ハリーの金庫も相変わらず金貨や銀貨が山となって積まれていて、こちらも以前と変わった気配はなかった。もしかすると、ジェームズの父親でハリーの祖父に当たるフリーモントさんが直毛薬の開発で得た利益が時々振り込まれているのかもしれない、と私は思った。

 ハリーがホグズミード行きを十分に楽しめるだけのお金を下ろすと、私達はホールに戻った。本当はシリウスの金庫にも行きたいのだけれど、引き落としの指示だけならまだしもシリウス・ブラックの金庫に出入りしているとなると完全に怪しいので今回は見送ることになった。

 ホールでは、私のお金のいくらかをポンドに両替し、シリウスとリーマスに半分ほどを預けた。今年から私がホグワーツに行っている間もメアリルボーンの自宅にはシリウスとリーマスが住むので多めに両替し、押し問答の末どうにか私が勝利して押しつけることに成功したのだ。この夏休みの間マグルのスーパーマーケットには何度も足を運んだので、買い物くらいなら2人にも難なく出来るだろう。

「さあ、いろいろ買わなくちゃ」

 グリンゴッツをあとにすると、私の分とハリーの分の学用品リストを取り出して私は言った。私とハリーは選択している教科が違うので買い間違いがないように気をつけなければならない。

「ドレスローブに新しい教科書、羽根ペンとインクも一揃い……羊皮紙も買い足さなくちゃ。あ、魔法薬の調合材料セットの補充も必要ね」
「確かハリーはミノカサゴの棘と鎮痛剤のベラドンナエキスが足りなくなっていたはずだよ」

 隣から学用品リストを覗き込んでリーマスが言った。トロッコの影響がまだ残っているのか、少し具合が悪そうだ。

「その前にリーマス、漏れ鍋で元気薬を貰う? 顔色が悪いわ」
「いや、しばらく経てば大丈夫だろう。それより、時間が惜しいからね。学用品以外にも買うものがある」
「それじゃあ、出来るだけ効率よく回ってお昼までには家に帰りましょう。どこから回るのがいいかしら」
「ここからだと、まずは文具だろうな」

 シリウスが少し先にある店を指差しながら言った。

「あそこが1番近い。それから魔法薬の材料を買い足して、本屋に寄って教科書を買い、最後にドレスローブだろう。ドレスローブを買う時に、君の新しいポーチも見つかるだろう」
「あ、途中でふくろうフードと煙突飛行粉フルーパウダーも買わなくちゃならないわ。それに、私、ファイア・ウィスキーも買いたいの」
「君が飲むのか?」
「まさか。貴方達が飲むのよ」

 私達はグリンゴッツから漏れ鍋へと進みながら、必要なものを順番に購入していった。途中、ポリジュース薬を飲んでから1時間が経つ前にまた飲み直す必要がある以外は順調で、私は文具や魔法薬の材料、教科書、ふくろうフード、煙突飛行粉フルーパウダー、ファイア・ウィスキーと購入した。魔法薬の材料は調合セットに入っているもの以外もかなりの種類を購入したし、本屋では教科書以外にも専門書もいくつか手に入れた。シリウスとリーマスが読むのだ。

 最後に残ったのは、ドレスローブと私の新しいポーチだった。新しいポーチはワールドカップに行く前に話していたもので、常に持ち歩けるように杖ホルダーベルトに通せるタイプのものを購入する予定だった。その中に先日貰った解毒剤などを入れておくのである。解毒剤以外にも、手鏡や櫛など、身だしなみを整えるものも入れておいても便利かもしれない。手鏡はいつもローブのポケットに入れていて、秘密の部屋の騒動の時には大いに役立ったけれど、あれは結構重さがあるのだ。

 ドレスローブとポーチを購入するために訪れたのは、トウィルフィット・アンド・タッティングという店だった。私の中で洋装店と言えばマダム・マルキンの店だったが、シリウスによると、学生時代、よくその店で服を買ったそうだ。因みにトウィルフィット・アンド・タッティングは、ギャンボル・アンド・ジェイプス悪戯専門店の隣にあるらしく、私はなぜシリウスがその店の方を利用していたのか、なんとなく察した。

 トウィルフィット・アンド・タッティングは、マダム・マルキンの洋装店とはまた違った雰囲気だった。入口から店内に入るとドアベルがカランカランと小気味よく鳴って、カウンターの奥から中年の魔女が姿を現した。魔女は私を見ると「お嬢ちゃん、ドレスローブね」とパッと笑顔を見せた。私と同じようにドレスローブを購入する人がたくさんいたので、すぐに分かったのだろう。

「彼女の分とそれから男性用のドレスローブを一式」

 シリウスが落ち着いた口調で魔女に言った。

「男性用は私の息子用だ。生憎この場には来られなかった――歳は彼女と同じで身長は彼女より少し高い」
「かしこまりました。では、他の店員に男性用のドレスローブを案内させましょう。お嬢ちゃんはこちらにいらっしゃいな。まずは採寸をしましょう」

 シリウスとリーマスと一旦別れ、私は奥にある採寸スペースへと向かった。採寸スペースには円形の採寸台が数台置かれているだけで仕切りも何もなかったが、魔女が杖を一振りすると、1番奥の採寸台の周りがあっという間にカーテンで仕切られた。そのカーテンで仕切られた採寸台の上に立つと、カーテンの向こうから男性用のドレスローブを案内する魔法使いの声が聞こえてきて、ハリーのドレスローブを選び始めたのが分かった。

「お嬢ちゃん、ドレスローブははじめて?」

 杖をまた一振りして魔法の巻尺で採寸を始めながら魔女が訊ねた。私はどう答えようかと一瞬考えを巡らせたのち「はい、初めてです」と答えた。元の世界でのことをこの場で持ち出すのはあまりよくないだろう。

「ドレスローブは本当にいろいろあるんですよ。男性はローブタイプが主流だけど、女性はいろんなタイプがあって……お嬢ちゃんにピッタリなドレスを選びますからね」
「はい、よろしくお願いします」
「お嬢ちゃんはなんでも似合いそうだけど、特にシンプルな形のドレスが1番似合いそうだわね……マーメイドラインもいいし……クラシカルなAラインのドレスも……デコルテがすっきりとしたタイプがいいわね……それだったら入荷したばかりのドレスが……いやこの間のドレスでも……ああ、腕が鳴るわ。女の子のお衣装を選ぶのってどうしてこう楽しいのかしら……」

 魔女はブツブツ呟きながらうっとりした表情をした。どうやらドレス選びが本当に楽しいらしく、採寸を終え、いよいよドレス選びの段階になると魔女は私を試着室に押し込み、あらゆるドレスを持ってきては試着するよう促した。

「まずはこの柔らかなオレンジのドレス。オフショルダーのマーメイドライン――ダスティ・ピンクのドレスはどうかしら。深いVネックのスレンダーライン――ああ、なんて似合うのかしら。素晴らしいわ。お嬢ちゃん、こっちも着てみて――グリーンのドレス。デコルテが美しいレースで覆われたハイネックタイプのホルターネックのAライン――スパンコールがふんだんにあしらわれた深いブルーのドレス。キャップスリーブにデコルテは大胆なハートカット、こちらもAライン――シックな黒のドレス。ストレートビスチェに足元にスリットが入った大人っぽいデザイン――」

 ドレス選びは思いのほか大変だった。魔女が大張り切りでいろいろ着せようとするので試着するだけでもクタクタだったし、時間がかかりすぎてシリウスは途中でこっそりもう1本ポリジュース薬を飲まなければならなかった。しかも、持ってきてくれるドレスがどれも素敵なのでなかなか選べない――それでもなんとか候補を絞り、気に入ったものをまた再度試着し、最終的には魔女とシリウスとリーマスが「これが1番似合う」と言ってくれたドレスを買うことにした。

 ドレスを選び終えると今度はアクセサリーと靴選びだったが、こちらは思ったより早く決めることが出来た。魔女によると購入したドレスはその場でサイズを補正してくれるとのことで、私はドレスの補正を待つ間、ハリーに選んだドレスローブを見せて貰ったり、杖ホルダーベルトに取りつけるためのポーチ選びをした。

「では、こちらが購入された商品です。またのお越しを心よりお待ちしております」

 すべての買い物を終えたのはあと十数分で1時になろうかというころだった。私達は買ったものをすべて私のポシェットに詰め、店をあとにするとその場で手を繋いで姿をくらましたのだった。