Make or break - 053

6. ドレスローブ



 夏休みの残りの期間、私はほとんどの時間を大鍋の前で過ごした。ただでさえスネイプ先生は私に脱狼薬の調合の仕方を教えることに前向きではなかったというのに、生ける屍の水薬を完璧に仕上げられないとあっては、ますます断る理由を作ることになる――私はそうならないためにも納得いくまで検証を繰り返し、29日の夜遅くにようやく生ける屍の水薬を完成させた。これで少なくとも課題を完璧にこなせなかったから脱狼薬は教えられないと言われることはないだろう。

 ほとんどの時間を大鍋の前で過ごしている間、家のことは主にシリウスとリーマスがしてくれた。流石に自分の服の洗濯は自分でやったが、それ以外の掃除やら食事の支度なんかは2人が一手に引き受けてくれて、私は魔法薬の課題に集中することが出来た。私が魔法薬の調合以外にしていたことといえば、先程言った自分の服の洗濯と予言者新聞の記事のチェック、そして、数日置きに届くセドリックの手紙に返事を書くことくらいなものだった。

 セドリックは、私への心配と無事を安堵する言葉と共に自分自身には何も被害はなかったことを丁寧に綴って送ってくれた。それから、ディゴリーおじさんにいろいろ聞いてくれたのか、魔法省が現在どうなっているのかも当たり障りのない範囲で教えてくれて、これには私だけではなく、シリウスもリーマスもとても助かった。セドリックの話では、あの日以来おじさんは朝早くから夜遅くまで仕事から帰らず、事後処理に当たっているらしい。吼えメールがどんどん届くので、その対処に追われているのだ。なんでも、みんな、壊された私物の損害賠償を要求しているらしい。

 予言者新聞では、リータ・スキーターが連日あることないこと書き連ねた。彼女の関心は今や、魔法省の更なるスキャンダルを嗅ぎ回ることにあり、まるで重箱の隅を突くように些細なことも大袈裟に報道したが、クラウチさんの屋敷しもべ妖精ハウス・エルフだったウィンキーが闇の印を創り出した杖を持って発見されたことについては嗅ぎつける気配がなかった。代わりに、スキーターは「闇の印にはシリウス・ブラックの関与が疑われる」と書き、私はその新聞を燃やしてしまった。魔法省は腹立たしいことに、この報道を一切否定しなかった。


 *


 生ける屍の水薬を完成させた翌日の8月30日――私、シリウス、リーマスの3人は予定どおりダイアゴン横丁を訪れた。シリウスは当然ポリジュース薬で変身済みだ。一度はストックがなくなったポリジュース薬だが、この夏の間にまた結構な量作り上げたので、シリウスが頻繁に使わない限りはストックの心配をせず済むだろう。

「まずは、グリンゴッツに行かないと」

 煙突飛行ネットワークを使い漏れ鍋に辿り着いた私は、中庭からダイアゴン横丁へと出て、曲がりくねった石畳みの道を進みながら言った。以前、ハリーの家具を揃えに来た時には支払いはすべて711番金庫から引き落とすよう指示をしたためグリンゴッツには行かなかったから、あの素晴らしいトロッコに乗るのは1年振りのことだった。

「あのトロッコには1年に1回は乗らないとならないわ」
「君がそんなにトロッコが好きだとは思わなかった」

 変身して別人になりすましたシリウス――偽名は当面の間バレン・シュバルツをそのまま使うことにした――は、意外そうにこちらを見ながら言った。

「煙突飛行はそんなに好きじゃなかったじゃないか」
「あら、トロッコと煙突飛行はまったくの別物よ。少なくともトロッコは高速回転しないし、座っていられるし、到着時に暖炉から吐き出されたりしないわ」
「ハナは初めて煙突飛行を利用した時、上手く着地出来ずに転んでたんだ」
「言っておくけど、転んだから嫌だって言ってるわけじゃないわよ、狭いところを高速回転するのが嫌なの」

 両脇でクツクツ笑う2人の脇腹を肘で一発ずつ突くと、私はグリンゴッツに向けて通りを進んだ。8月の下旬も下旬だけれど、まだ夏休みだからかダイアゴン横丁にはたくさんの人がいて2人はクツクツ笑いながらもさりげなく私が歩きやすいようにしてくれた。変身済みのシリウスは堂々とし過ぎていて、彼を怪しむ人は誰もいなかった。

 しばらくすると、ひと際高くそびえるグリンゴッツの真っ白な建物が通りの奥に見えてきた。私達以外にもグリンゴッツでお金を下ろしてから買い物に向かう人は多いようで、多くの人々が次から次にグリンゴッツの中へと吸い込まれるように入っていく。けれど近付くにつれ、人々がある一点を避けるように歩いているのが分かって私達は首を傾げた。グリンゴッツの脇――夜の闇ノクターン横丁へと続く通りの入口をみんなが遠巻きに避けている。

「あんなことがあったから、夜の闇ノクターン横丁は怖いのかしら」

 なんたって、13年振りに闇の印が打ち上げられたあとだ。もちろん、ダイアゴン横丁では売っていない魔法薬――肉食ナメクジの駆除剤など――を買うために普通の人達だってそちらに行くことはあるが、夜の闇ノクターン横丁には闇の魔法使いが多く訪れるとされているので、避けるのも無理はないことだと言えた。

「それは十分に考えられる話ではあるが……」
「なんだか様子が違うようだよ、ハナ」

 グリンゴッツのすぐ目の前までやってくると、ようやく人々が何を避けているのかが見えてきた。どうやら夜の闇ノクターン横丁を避けていたわけではないらしい――グリンゴッツのすぐ脇には90センチほどの小さな魔法生物が立っていて、グリンゴッツの入口の両脇に控えている2人の小鬼ゴブリンが煩わしそうにそれを横目で見ている。魔法生物は2人・・いて、1人はずっと顔を覆ってしくしく泣いていて、もう1人がそれを慰めていた。私は見覚えのある姿に思わず目をパチクリとさせて足を止めた。

「ドビー?」

 グリンゴッツの脇にいたのは屋敷しもべ妖精ハウス・エルフだった。蝙蝠のような長い耳に緑色の大きな目、古い枕カバーこそ着ていないが、目の前にいるのは確かに見覚えのある屋敷しもべ妖精ハウス・エルフだ。

「知ってるのかい?」

 足を止めて声を上げた私にリーマスが訊ねた。シリウスも不思議そうにしながら、2人の屋敷しもべ妖精ハウス・エルフを見ている。

「ほら、2年前にハリーを助けようとしてくれた屋敷しもべ妖精ハウス・エルフよ」
「ああ、あの……間違いないのかい?」
「着ている服は違うけど、きっとそうだわ――貴方、ドビーよね?」

 泣いている子も気掛かりだが、まずはドビーと話をした方がいいだろう。近くまで歩み寄って声をかけてみると、ドビーに似た屋敷しもべ妖精ハウス・エルフが顔を上げてこちらを見た。彼は大きな目を更に大きく見開いて目をぱちぱちした。シリウスとリーマスは私の少し後ろに立って、興味深そうに2人の屋敷しもべ妖精ハウス・エルフを見ている。

「はい、ドビーにございます、お嬢様」

 キーキー声で屋敷しもべ妖精ハウス・エルフが答えた。2年前に1度会ったきりだったが、どうやらドビーで間違いないようだ。私はホッとしながら目線の高さを合わせるようにその場に屈み込んだ。以前会った時には古い枕カバーを着ていたドビーは、今やそれを脱ぎ捨て、裸の上半身に馬蹄模様のネクタイを締め、子ども用のサッカーパンツを履いている。靴下は左右揃っておらず、チグハグだ。

「お会い出来て嬉しいわ、ドビー。貴方が元気でいるかずっと気になっていたの――私のことを覚えてるかしら? 2年前、ホグワーツで会ったハナ・ミズマチよ。ハリーとダンブルドア先生と一緒にいた……」
「ドビーはご存知です、お嬢様。アズカバンの囚人の――」
「前に仕えていた家でデタラメな話を聞かされたのね」

 ドビーがアズカバンの囚人の娘と言いかけたことに気付いて、私は苦笑いした。息子のドラコですら、私のことをアズカバンの囚人の娘だと話していたのだ。マルフォイ家に仕えていたドビーなら、ルシウス・マルフォイが私のことをそう話していたのを聞いていてもおかしくはなかった。背後では、私と同じようにドビーの言わんとしていることを理解したシリウスとリーマスがおかしそうに笑っている。

「ドビー、私がアズカバンの囚人の娘だと言うのはまったくのデタラメよ。貴方の前の主人の勘違いなの」
「勘違い、でございますか?」
「そうよ。私の両親は2人共マグルなの。信じてもらえると嬉しいのだけど――」

 とはいえ、私は自分の両親について証明出来るものを何も持ってはいなかった。両親の写真すら持っていないのだから、急にそれは違うから信じてくれと言われても信じられないのは無理もない話だろう。証拠がないものを信じろというのはなかなか難しいものだ――しかし、

「お嬢様、ドビーはお嬢様の話を信じます」

 ドビーはきっぱりとそう言って頷いた。

「ドビーは、ずっとお嬢様は悪い魔女だと思っていました。悪い魔法使いの娘だとお聞きになったからでございます。それに、ドビーがハリー・ポッターをホグワーツから離れさせようとして計画したことを台無しになさったので、ドビーはすっかりお嬢様がハリー・ポッターを罠に嵌めると思い込んでいたのでございます」
「もしかして、ブラッジャーのことかしら?」

 2年生の時、魔法がかけられたブラッジャーが危うくハリーを殺しかけたことを思い出して、私は訊ねた。あのあと、地面に落ちて腕の骨を折ってしまったハリーを治療しようとしたロックハートに逆に骨抜きにされてしまってハリーは散々な目に遭ったのだ。

「そうでございます――しかし、ドビーは自由になって他の屋敷しもべ妖精ハウス・エルフ達とお会いになるうちにお嬢様の素晴らしいお話をお聞きになったのでございます! ホグワーツで働く者はみな、お嬢様が大変親切でお優しいと口を揃えて言います。ドビーは、屋敷しもべ妖精ハウス・エルフに贈り物をする魔女を他にお知りになりません。ドビーは、親切な魔法使いや魔女の方が好きでございます!」
「ありがとう、ドビー。でも、キャンディを1つずつ配っただけなのよ。私のためにみんながいろいろしてくれたものだから」
「いいえ、お嬢様。多くの魔法使いはそのようなことをなさりません。前のご主人様はお嬢様のように親切では――ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」
「ドビー!」

 ドビーが突然グリンゴッツの外壁に頭をガンガンぶつけ始めて、私は驚いて飛び上がるとドビーを引っ掴んで壁から引き離した。前の主人の悪口を言ってしまったので、思わず自分を罰してしまったのだろう。ドビーは目をチカチカさせ、若干意識朦朧としている。

「ドビー、そんなこともうしなくてもいいのよ。貴方は自由になったんだから、自分で自分を罰しなくたっていいの」

 私は諭すようにそう言うと、まだクラクラしている様子のドビーをその場に座らせた。すると、隣にいたもう1人の屋敷しもべ妖精ハウス・エルフがより一層大きな泣き声を上げたので、私は驚いてそちらを見た。どうやら女の子らしい。私は声をかけようとして、はたと気付いた。彼女も私の知っている子だ――。

「ウィンキー?」

 そう、ドビーと一緒にいたのはウィンキーだったのだ。