Make or break - 048

5. クィディッチ・ワールドカップの悪夢

――Harry――



 ウィーズリーおじさんのあとに続き、空地を離れ、小道に戻ったハリー、ロン、ハーマイオニーの3人はキャンプ場へ向けて歩き始めた。けれども、どんなに空地を離れてもウィンキーの悲痛な泣き声が聞こえてくるような気がして、ハリーはチラリと後ろを振り返った。クラウチさんに解雇されてしまって、ウィンキーはどうなるのだろう? 解雇以外にも罰を与えられたりしないだろうか。ハーマイオニーは、ハリー以上に心配なのか、何度も後ろを振り返っている。

「ウィンキーはどうなるの?」

 心配そうにハーマイオニーが訊ねた。これからウィンキーがどうなってしまうのか、ウィーズリーおじさんにも分からないのか、おじさんは首を横に振って「分からない」と短く答えた。

「みんなのひどい扱い方ったら! ディゴリーさんは初めっからあの子を“妖精エルフ”って呼び捨てにするし……それに、クラウチさんったら!」

 先程の出来事を思い出して怒りが込み上げてきたのか、ハーマイオニーがカンカンになって言った。

「犯人はウィンキーじゃないって分かってるくせに、それでもクビにするなんて! ウィンキーがどんなに怖がっていたかなんて、どんなに気が動転してたかなんて、クラウチさんはどうでもいいんだわ――まるで、ウィンキーがヒトじゃないみたいに!」
「そりゃ、ヒトじゃないだろ」

 ロンがそう言って、ハーマイオニーはキッとなってロンを睨みつけた。

「だからと言って、ロン、ウィンキーが何の感情も持ってないことにはならないでしょ。あのやり方には、ムカムカするわ――」
「ハーマイオニー、私もそう思うよ」

 ウィーズリーおじさんは宥めるように言って、未だに後ろを振り返りながら歩いているハーマイオニーに早くおいでと手招きした。

「でも、今は屋敷しもべ妖精ハウス・エルフの権利を論じている時じゃない。なるべく早くテントに戻りたいんだ。他のみんなはどうしたんだ?」
「暗がりで見失っちゃった」

 ロンが言った。

「パパ、どうしてみんな、あんな髑髏なんかでピリピリしてるの?」
「テントに戻ってから全部話してやろう」

 それから何分かかけて森の中を歩き、ハリー達はようやく森の外れまで辿り着いた。けれども、あともう少しでキャンプ場だというところで、思わぬ足止めを食った。森の外れに怯えた顔をした魔女や魔法使い達が大勢集まっていて、ウィーズリーおじさんの姿を見るなりワッと寄ってきたからだ。どうやらみんなおじさんが魔法省の職員だと知っているらしい――魔女や魔法使い達は口々におじさんに質問した。

「あっちで何があったんだ?」
「誰があれを創り出した?」
「アーサー――もしや――あの人?」
「いいや、あの人じゃないとも」

 ウィーズリーおじさんが急いで言った。

「誰なのか分からない。どうも姿くらまししたようだ。さあ、道を空けてくれないか。ベッドで寝みたいんでね」

 群衆を掻き分け、ハリー達は今度こそキャンプ場に戻ってきた。もうすべてが静かで、仮面の一団はいなくなっていたが、壊されたテントのいくつかは未だに燻っている。けれども、ウィーズリー家のテントは無事らしく、暗がりの中、男子用テントからチャーリーが顔を突き出しているのが微かに見て取れた。

「父さん、何が起こってるんだい?」

 こちらに気付いたチャーリーが話しかけてきた。

「フレッド、ジョージ、ジニー、ハナは無事戻ってるけど、他の子が――」
「私と一緒だ」

 ウィーズリーおじさんがテントに潜り込みながら言った。チャーリーは、ハリー、ロン、ハーマイオニーの姿が見えていなかったようだが、3人の姿が見えると、ホッとしたようにテントの中に迎え入れた。

 テントにはウィーズリーおじさん、ハリー、ロン、ハーマイオニー以外の全員が戻っていた。みんな無事だが、ビルは怪我をしたのか小さなテーブルの前に座り、シーツで血を拭っていて、チャーリーはシャツが大きく裂けていて、パーシーはシーツの切れ端でどうにか鼻血を止めようとしているところだった。フレッド、ジョージ、ジニーに怪我はないようだったが、ショックを受けているのか黙り込んでいる。

「ハリー、ロン、ハーマイオニー――無事だったのね。ああ、よかった。心配したわ」

 ジニーのそばに寄り添うように座っていたハナがサッと立ち上がり、ハリー達の方へ駆け寄ってきた。ハナにも怪我はないようだ。ハナはハリーを抱き締めて、それからハーマイオニーをぎゅっと抱き締めると背中を優しく叩いた。ハーマイオニーはそれで緊張の糸がちょっとだけ切れてしまったのか、僅かに目を潤ませた。ハーマイオニーはいつもしっかり者だけど、初めて経験する事態だ――本当は怖かったに違いないとハリーは思った。

「ビル、怪我はどうだ?」

 ウィーズリーおじさんが訊ねた。ビルは余程ひどい怪我をしたのか、手にしているシーツの大部分が赤く染まってしまっていた。

「ハナがハナハッカ・エキスを持っていたから傷はもうすっかり塞がったよ。それより、捕まえたのかい、父さん? あの印を創ったヤツを?」
「いや」

 ウィーズリーおじさんが首を横に振り答えた。ビルだけでなく、みんなが顔を上げておじさんのことを見ていた。

「バーティ・クラウチの屋敷しもべ妖精ハウス・エルフがハリーの杖を持っているのを見つけたが、あの印を実際に創り出したのが誰かは、皆目分からない」

 あまりにも予想外だったのだろう。ビル、チャーリーが「えーっ!?」と驚いたように声を上げ、黙りこくっていたフレッドも「ハリーの杖?」と目をまん丸にさせた。パーシーは尊敬してやまない上司に仕える屋敷しハウスもべ妖精・エルフが現場に居合わせたことが衝撃だったのか、「クラウチさんの妖精エルフ?」と雷に打たれたようになった。

 それからみんなで小さなテーブルを囲んで座ると、ハリー、ロン、ハーマイオニーに話を補ってもらいながら、ウィーズリーおじさんが森での一部始終を話して聞かせた。話を聞きながら、ハナ、ビル、チャーリーの3人は難しい顔をして考え込んでいたが、4人が話し終えるなり、パーシーは憤然と反り返って口を開いた。

「そりゃ、そんな妖精エルフをお払い箱にしたのは、まったくクラウチさんが正しい! 逃げるなとはっきり命令されたのに逃げ出すなんて……魔法省全員の前でクラウチさんに恥をかかせるなんて……ウィンキーが魔法生物規制管理部に引っ張られたら、どんなに体裁が悪いか――」
「ウィンキーは何にもしてないわ――間の悪いときに間の悪い所に居合わせただけよ!」

 途端にハーマイオニーがパーシーに食ってかかり、パーシーは一瞬、面食らったような表情になった。真面目で勉強熱心な2人は、これまでの3年間、他の誰よりずっと馬が合っていて、ハリーは言い争ったところを見たことがなかった。グリフィンドールの談話室でもよく勉強のことを話していたし、いい先輩後輩関係を築いていたと言えるだろう。そんなハーマイオニーが声を荒らげて反論したので、パーシーは不意をつかれたようだった。しかし、すぐに気を取り直すともったいぶったように言った。

「ハーマイオニー。クラウチさんのような立場にある方は、杖を持って無茶苦茶をやるような屋敷しもべ妖精ハウス・エルフを置いておくことは出来ないんだ!」
「無茶苦茶なんかしてないわ! あの子は落ちていた杖を拾っただけよ!」

 ハーマイオニーがますますカンカンになって吠えると、2人は一触即発のような雰囲気になった。ハリーがこのまま喧嘩を始めるのではないかとハラハラしていると、ロンが口を開いた。

「ねえ、誰か、あの髑髏みたいなのが何なのか、教えてくれないかな? 別にあれが悪さをしたわけでもないのに……なんで大騒ぎするの?」

 そのロンの言葉でハーマイオニーはウィンキーのことから少し気が逸れたようだった。まったくこれまでの話を聞いていなかったのかとばかりに、いつもの調子でハーマイオニーが答えた。

「言ったでしょ。ロン、あれは例のあの人の印よ。私、『闇の魔術の興亡』で読んだわ」
「それに、この13年間、1度も現れなかったのだ」

 ウィーズリーおじさんが僅かに顔を青ざめさせて続けた。

「みんなが恐怖に駆られるのは当然だ……戻ってきた例のあの人を見たも同然だからね」
「よく分かんないな」

 眉をひそめ、ロンが言った。

「だって……あれはただ、空に浮かんだ形にすぎないのに……」
「ロン、例のあの人も、その家来も、誰かを殺す時に、決まってあの闇の印を空に打ち上げたのだ」

 かつてのことを思い出したのか、ウィーズリーおじさんがブルッと身震いした。

「それがどんなに恐怖を掻き立てたか……若いお前達には、あのころのことは分かるまい。想像してごらん。帰宅して、自分の家の上に闇の印が浮かんでいるのを見つけたら、家の中で何が起きているか分かる……誰だって、それは最悪の恐怖だ……最悪も最悪……」

 一瞬、みんながしんと静まり返った。ビルが粗方血を拭い終えたのか、シーツを折りたたみながら沈黙を破った。

「まあ、誰が打ち上げたかは知らないが、今夜は僕達のためにはならなかったな。死喰い人デス・イーター達があれを見た途端、怖がって逃げてしまった。誰かの仮面を引っぺがしてやろうとしても、そこまで近付かないうちにみんな姿くらまししてしまった。ただ、ロバーツ家の人達が地面にぶつかる前に受け取めることは出来たけどね。あの人達は今、記憶修正を受けているところだ」
死喰い人デス・イーター?」

 聞き慣れない言葉が出てきて、ハリーは訊ねた。

死喰い人デス・イーターって?」
「例のあの人の配下の人達のことよ」

 ハナが難しい顔をしたまま答えた。

「死を喰らうなんて、いかにもあの人が好きそうじゃない……」
「そう。例のあの人の支持者が、自分達をそう呼んだんだ」

 ハナの言葉を引き継いでビルが言った。

「今夜僕達が見たのは、その残党だと思うね――少なくとも、アズカバン行きを何とか逃れた連中さ」
「そうだという証拠はない、ビル」

 ウィーズリーおじさんはやんわりと否定したが、おじさん自身もそう考えていることは明らかだった。おじさんは絶望的な声で続けた。

「その可能性は強いがね」
「うん、絶対そうだ!」

 ロンが言った。

「パパ、僕達、森の中でドラコ・マルフォイに出会ったんだ。そしたら、あいつ、父親があの狂った仮面の群れの中にいるって認めたも同然の言い方をしたんだ! それに、マルフォイ一家が例のあの人の腹心だったって、僕達みんなが知ってる!」
「でも、ヴォルデモートの支持者って――」

 ハリーがそう言いかけると、ハナ以外の全員がギクリとした。ハナを初め、シリウスやリーマス、ダンブルドアだってその名を恐れないのでうっかりしがちだが、魔法界ではみんながウィーズリー一家と同じようにヴォルデモートの名を恐れていた。名を口にすることすら恐れるので、みんな「You‐Know‐Who――貴方も知ってる例のあの人」と言い方をしたり、「He-Who-Must-Not-Be-Named――名前を呼んではいけない例のあの人」と言い方をするのだ。

「ごめんなさい」

 みんなを怖がらせてしまった――ハリーは申し訳なくなって急いで謝ると、言い直した。

「例のあの人の支持者は、何が目的でマグルを宙に浮かせてたんだろう? つまり、そんなことをして何になるのかなあ?」
「何になるかって?」

 ウィーズリーおじさんが乾いた笑い声を上げた。

「ハリー、連中にとってはそれが面白いんだよ。例のあの人が支配していたあの時期には、マグル殺しの半分はお楽しみのためだった。今夜は酒の勢いで、まだこんなにたくさん捕まってないのがいるんだぞ、と誇示したくてたまらなくなったのだろう」
「やっぱり、あれはバカ騒ぎだったんですか?」

 ハナがしかめっ面で訊ねた。

「ワールドカップの会場で騒ぎを起こすなんて賢い人のすることではないなって思ったの……」
「真実は定かではないがね」

 嫌悪感たっぷりにウィーズリーおじさんが答えた。

「ただ、連中にとっては、ちょっとした同窓会気分だったんだろう」
「でも、連中が本当に死喰い人デス・イーターだったら、闇の印を見た時、どうして姿くらまししちゃったんだい?」

 今度はロンが訊いた。

「印を見て喜ぶはずじゃない。違う?」
「ロン、頭を使えよ」

 ビルが言った。

「連中が本当の死喰い人デス・イーターだったら、例のあの人が力を失った時、アズカバン行きを逃れるために必死で工作したはずの連中なんだ。あの人に無理やりやらされて、殺したり苦しめたりしましたと、ありとあらゆる嘘をついたわけだ。あの人が戻ってくるとなったら、連中は僕達よりずっと戦々恐々だろうと思うね。あの人が凋落した時、自分たちは何の関わりもありませんでした、とあの人との関係を否定して、日常生活に戻ったんだからね……あの人が連中に対してお褒めの言葉をくださるとは思えないよ。だろう?」
「なら……あの闇の印を打ち上げた人は……」

 ハーマイオニーが考えながら言った。

死喰い人デス・イーターを支持するためにやったのかしら、それとも怖がらせるために?」
「ハーマイオニー、私達にも分からない」

 首を横に振りながらウィーズリーおじさんが答えた。

「でも、これだけは言える……あの印の創り方を知っている者は、死喰い人デス・イーターだけだ。たとえ今はそうでないにしても、1度は死喰い人デス・イーターだった者でなかったとしたら、辻褄が合わない……さあ、もう大分遅い。何が起こったか、母さんが聞いたら、死ぬほど心配するだろう。あと数時間眠って、早朝に出発する移動ポートキー乗ってここを離れるようにしよう」

 おじさんがそう言って、みんなベッドに戻ることになった。けれども、ハナ、ハーマイオニー、ジニーの3人は隣の女子用テントに戻らなければならなかったので、チャーリーがテントの前まで付き添うことになった。ハリーは男子用テントの寝室に入る直前、ハナがチャーリーに自分の左手首を見せてヒソヒソと何かを頼んでいるのを見た。おそらく、シリウスとリーマスに連絡を取りたいのに騒ぎが収まったあとでは無闇に杖が使えないので、チャーリーに頼もうとしているのだろう――ハリーはぼんやりとそう思った。

 前学年の学年末まで、ハリーはまったくそうとは知らなかったが、ハナの左手首にあるブレスレットがハナとシリウスの秘密の連絡手段だった。幽霊屋敷に滞在中、今夏からリーマスもそのブレスレットをつけるようになったことにハリーは気付いていたが、少し羨ましいと思う反面、ハリーは自分もブレスレットが欲しいとは決して言い出さなかった。ブレスレットに描かれた5本の杖を見れば、あれがハナとシリウス、リーマス、そして、ハリーの両親との固い絆を現しているのだということは明らかだったからだ。

 何はともあれ、ハナが連絡してくれるのなら、シリウスもリーマスも安心するだろう。ハリーはそう考え、自分のベッドに戻ったが、どうしてだか頭がガンガンしていた。もう夜中の3時だ――寝不足でぐったり疲れているからガンガンするのだろうかとハリーは思ったが、なぜだか横になっても目が冴えて眠れなかった。

 心配事が頭の中でぐるぐるしていた。だって、焼けるような傷痕の痛みで目を覚ましたのは、ほんの3日前だ。そして、3日後の今日、この13年間見られなかったヴォルデモートの印が空に現れた。これは一体どういうことなのだろう。復活の前触れだろうか――ヴォルデモートがハリーのすぐ近くまで来ているということなのだろうか。

 二段ベッドの上に横たわったまま、ハリーはテントの天井を見つめた。数時間前のようにいつの間にか本物の夢に変わっているような、空を飛ぶ夢も湧いてこない。女の子達を送って戻ってきたチャーリーがベッドに入り、やがて鼾がテント中に響いた。ハリーはそれからしばらく経っても眠れないままだった。