Make or break - 047

5. クィディッチ・ワールドカップの悪夢

――Harry――



 闇の印を見留めると、ウィンキーは狂ったように辺りを見渡し、自分が大勢の魔法使いに囲まれていることに気付くと、怯えたように啜り泣き始めた。そんなウィンキーにディゴリー氏が厳しい口調で言った。

妖精エルフ! 私が誰だか知っているか? 魔法生物規制管理部の者だ!」

 すると、ウィンキーは地面に座ったまま体を前後に揺すり始め、息遣いが激しくなり、まるで過呼吸のような症状になった。ハリーはそれを見て、嫌でも命令に背いた時の怯えたドビーの様子を思い出した。ハーマイオニーが悲痛な面持ちでウィンキーを見つめている。

「見てのとおり、妖精エルフよ、今しがた闇の印が打ち上げられた」

 ディゴリー氏が続けた。

「そして、お前は、その直後に印の真下で発見されたのだ! 申し開きがあるか!」
「あ――あ――あたしはなさっていませんです!」

 ウィンキーが怯え切った様子で答えた。

「あたしはやり方をご存知ないでございます!」
「お前が見つかった時、杖を手に持っていた!」

 ディゴリー氏はウィンキーの目の前で杖を振りかざしながら吠えた。その時、夜空に浮かぶ髑髏から注がれる緑色の光に照らし出され、ハリーにも杖の様子がはっきりと見て取れた。あの杖の形は――。

「あれっ――それ、僕のだ!」

 そう、ハリーの杖だった。思わず声を上げると、その場にいた全員が一斉にハリーを見た。ディゴリー氏が信じられないとでも言いたげに訊ねた。

「何と言った?」
「それ、僕の杖です!」

 ハリーが答えた。

「落としたんです!」
「落としたんです? 自白しているのか? 闇の印を創り出したあとで投げ捨てたとでも?」

 疑わしげな様子でディゴリーが繰り返した。どうやらハリーが闇の印を創り出した犯人なのではと疑われているらしい。こんなバカな言いがかりがあるだろうか――ハリーは言い返そうと口を開いたが、それよりも前にウィーズリーおじさんが怒鳴った。

「エイモス、一体誰に向かってものを言ってるんだ!」

 荒い口調だった。ハリーに対するバカげた言いがかりにウィーズリーおじさんは本気で怒ってくれていた。

「いやしくもハリー・ポッターが、闇の印を創り出すことがありえるか?」
「あー――いや、そのとおり」

 その瞬間、ディゴリー氏がハッとしたようになり、すぐに眉尻を下げてバツの悪そうな表情になった。ハリーを見て、本当に申し訳なさそうにしている。

「すまなかった……どうかしてた……」

 どうやらハリーの両親が誰に殺されたのか思い出してくれたらしい。ハリーは疑われたのだから当然いい気分ではなかったが、謝ってくれたディゴリー氏をこれ以上責め立てる気にもならなかった。それよりも杖をどこで失くしたのか話すのが先決だろう。

「僕、あそこに落としたんじゃありません。森に入ったすぐあとになくなっていることに気付いたんです」

 ハリーは、ウィンキーが見つかった辺りを指差しながら主張した。すると、ディゴリー氏の目がまた厳しいものになり、再び足元で縮こまっているウィンキーに向けられた。

「すると妖精エルフよ。お前がこの杖を見つけたのか、え? そして杖を拾い、ちょっと遊んでみようと、そう思ったのか?」
「あたしはそれで魔法をお使いになりませんです!」

 キーキー声でウィンキーが訴えた。涙が、ウィンキーの団子鼻の両脇を伝って暗い地面に落ちた。

「あたしは……あたしは……ただそれをお拾いになっただけです! あたしは闇の印をおつくりにはなりません! やり方をご存知ありません!」
「ウィンキーじゃないわ!」

 今度はハーマイオニーが訴えた。魔法省の職員達の前で緊張した面持ちだったが、それでもきっぱりとウィンキーの無罪を主張した。

「ウィンキーの声は甲高くて小さいけれど、私達が聞いた呪文はずっと太い声だったわ!――ウィンキーの声とは全然違ってたわよね?」

 最後の言葉をハリーとロンに同意を求めるようにハーマイオニーが言うと、ハリーもロンもすぐに頷いた。

「ああ。妖精エルフの声とははっきり違ってた」
「うん、あれは人間の声だった」
「まあ、すぐに分かることだ」

 ディゴリー氏はそんなことはどうでもいいとばかりにそう言うと、震えているウィンキーを見下ろし、なおも厳しい口調で問いかけた。

「杖が最後にどんな術を使ったのか、簡単に分かる方法がある。妖精エルフ、そのことは知っていたか?」

 ウィンキーは必死に首を横に振った。本当にそんな方法があるなんてことを知らないのだろうとハリーは思った。ハリー自身もそんな方法があることを初めて知ったくらいなのだ。そもそもハリーの杖で闇の印が創り出されたからと言って、イコール、ウィンキーが創り出したとはならないのではないのだろうか。だって、ハリー達の声は明らかに大人の男性の声だった。ウィンキーだとは到底思えない。ハリーが考えていると、ディゴリー氏は杖を掲げて自分の杖とハリーの杖の先を突き合わせるところだった。最後に何の呪文を使ったか調べるところらしい。

「プライオア・インカンタート!」

 ディゴリー氏が呪文を唱えると、2本の杖の合わせ目からまるで舌のように口から蛇をくねらせた巨大な髑髏が飛び出した。空高く浮かぶ緑の髑髏の影のようなものだった。灰色の濃い煙で出来ているかのようだ。それを見てハリーはまるで呪文のゴーストのようだと思ったが、ハーマイオニーは恐怖に息を呑んだ。あの印が本当に怖いらしい。

「デリトリウス!」

 また別の呪文をディゴリー氏が唱えると、今度は杖先から噴き出してきた煙の髑髏がフッと消えた。これでハリーの杖が最後に闇の印を創り出し、それをどういう経緯かは不明だが、ウィンキーが持っていたことが証明されたのだ。けれども呪文を唱えた声はずっと太い声だったというハリー達の主張をまるっと無視しているディゴリー氏は、これでウィンキーが闇の印を創り出したことも証明されたとばかりに容赦ない目でウィンキーを見下ろした。

「あたしはなさっていません!」

 甲高い声でウィンキーは訴えた。

「あたしは、決して、決して、やり方をご存知ありません! あたしはよい妖精エルフさんです。杖はお使いになりません。杖の使い方をご存知ありません!」
「お前は現行犯なのだ、妖精エルフ!」

 ディゴリー氏が怒鳴った。

「凶器の杖を手にしたまま捕まったのだ!」
「エイモス」

 今にもウィンキーを逮捕しそうな勢いのディゴリー氏をウィーズリーおじさんが制した。ウィーズリーおじさんはウィンキーが犯人だとは微塵も思っていない雰囲気だった。ハリー達が呪文を唱えたのはもっと太い声だったと話したのを信じてくれているのだろう。

「考えてもみたまえ……あの呪文が使える魔法使いはわずか一握りだ……ウィンキーが一体どこでそれを習ったというのかね?」
「おそらく、エイモスは」

 クラウチ氏が冷ややかな怒りを込めて言った。

「私が常日頃から召使いに闇の印の創り出し方を教えていたと言いたいんだろう」

 ひどく気まずい沈黙が流れた。少なくとも魔法省の職員達が黙り込んだのは、頭にそのことが過っていたからに違いないとハリーは思った。もし本当にウィンキーが犯人だったのなら、それしか闇の印を創り出す方法を知る術がないからだ。

「クラウチさん……そ……そんなつもりはまったく……」

 ディゴリー氏がしどろもどろになりながら言った。クラウチ氏の方が魔法省内では立場が上なので、仮にそう思っていても、はいそうですと言えるはずがなかった。

「今や君は、この空地の全員の中でも、最もあの印を創り出しそうにない2人に嫌疑をかけようとしている! ハリー・ポッター――それにこの私だ !」

 クラウチ氏が噛みつくように言った。

「この子の身の上は君も重々承知なのだろうな、エイモス?」
「もちろんだとも――みんなが知っている――」
「その上、闇の魔術も、それを行う者をも、私がどんなに侮蔑し、嫌悪してきたか。長いキャリアの中で私の残してきた証を、君はまさか忘れたわけではあるまい?」
「クラウチさん、わ――私は貴方がこれに関わりがあるなどとは一言も言ってはいない!」

 茶色の髭に隠れた顔を赤らめてディゴリーが口籠ると、厳しい口調でクラウチ氏が訊ねた。

「他にどこで、この妖精エルフが印の創出法を身につけるというのだ?」
「ど――どこででも修得出来ただろうと――」

 ディゴリー氏がまた口籠った。

「エイモス、そのとおりだ」

 ウィーズリーおじさんが口を挟んだ。

「どこででも拾得・・出来ただろう……ウィンキー?」

 ウィーズリーおじさんさ優しくウィンキーに声をかけたが、ウィンキーはおじさんにも怒鳴りつけられたかのようちギクリとした。キッチンタオルの縁を握り締めていたので、手の中でタオルがボロボロになっている。

「正確に言うと、どこで、ハリーの杖を見つけたのかね?」
「あ……あたしが発見なさったのは……そこでございます……」

 小声でウィンキーが答えた。

「そこ……その木立の中でございます……」
「ほら、エイモス、分かるだろう?」

 ウィーズリーおじさんが言った。

「闇の印を創り出したのが誰であれ、そのすぐあとに、ハリーの杖を残して姿くらまししたのだろう。あとで足がつかないようにと、狡猾にも自分の杖を使わなかった、ウィンキーは運の悪いことに、その直後にたまたま杖を見つけて拾った」
「しかし、それなら、ウィンキーは真犯人のすぐ近くにいたはずだ!」

 ディゴリー氏が急いで言った。

妖精エルフ、どうだ? 誰か見たか?」

 尋問する時とは打って変わってその声音は厳しいものではなかったが、つい先程までディゴリー氏に尋問されていたからか、ウィンキーは訊ねられると一層激しく震え出した。ウィンキーの大きな目が、ディゴリー氏からバグマン氏へ、そして、主人であるクラウチ氏へと移った。それからゴクリと喉を鳴らすと、か細い声でウィンキーが答えた。

「あたしは誰もご覧になっておりません……誰も……」
「エイモス」

 淡々とした様子でクラウチ氏が口を開いた。恐ろしいほど無表情だ。

「通常なら君は、ウィンキーを魔法省に連行して尋問したいだろう。しかしながら、この件は私に処理を任せてほしい」

 当然、ディゴリー氏はこの提案が気に入らない様子だった。屋敷しもべ妖精ハウス・エルフに関することはディゴリー氏が所属する魔法生物規制管理部の担当の案件だからだ。しかし、立場上断れないのだとハリーにははっきりと分かった。

「心配ご無用。必ず罰する」

 クラウチ氏が冷たくそう付け加えると、ウィンキーは主人を見上げ、目に涙をいっぱい浮かべ、言葉を詰まらせた。

「ご、ご、ご主人さま……ど、ど、どうか……」

 ウィンキーを見下ろすクラウチ氏の視線は無慈悲なものだった。これまで仕えてくれた屋敷しもべ妖精ハウス・エルフに対し、何の哀れみもない目つきだ。クラウチ氏が続けた。

「ウィンキーは今夜、私が到底有り得ないと思っていた行動を取った。私は妖精エルフに、テントにいるようにと言いつけた。トラブルの処理に出掛ける間、その場にいるように申し渡した。ところが、こやつは私に従わなかった。それは“洋服”に値する」
「お辞めください!」

 クラウチ氏の足下に身を投げ出し、ウィンキーが叫んだ。

「どうか、ご主人様! 洋服だけは、洋服だけはお辞めください!」

 屋敷しもべ妖精ハウス・エルフを自由の身に――つまり、解雇する唯一の方法は、ウィンキーが着ているようなボロボロのキッチンタオルやドビーが着ていた古い枕カバーなどではなく、きちんとした衣服を与えてやることだ。だからこそ、魔法族達は「解雇するぞ」ではなく、「洋服をくれてやるぞ」という表現を用いるのだ。ハリーは、ハリーの靴下を貰った時のドビーの嬉しそうな反応しか知らなかったが、ウィンキーはドビーとは正反対に泣きながらキッチンタオルに顔を埋めている。その様子があまりにも可哀想で、ハリーはただ不運にもこの場に居合わせただけなのにあんまりだ、と思った。すると、

「でも、ウィンキーは怖がっていたわ!」

 勇敢にもハーマイオニーが声を上げた。クラウチ氏を睨みつけ、怒りに声を荒らげている。

「貴方の屋敷しもべ妖精ハウス・エルフは高所恐怖症だわ。仮面をつけた魔法使い達が、誰かを空中高く浮かせていたのよ! ウィンキーがそんな魔法使い達の通り道から逃れたいって思うのは当然だわ!」

 ウィンキーを見下ろすクラウチ氏の目は、今や腐った汚物を見ているかのようだった。クラウチ氏は、しばらくの間、足下でキッチンタオルに顔を埋めて泣きじゃくるウィンキーを見つめていたが、やがて、触れられては敵わないとばかりに一歩後退ると、ハーマイオニーを見て冷たく言い放った。

「私の命令に逆らう妖精エルフに用はない。主人や主人の名誉への忠誠を忘れるような妖精エルフに、用はない」

 再びひどく居心地の悪い沈黙が流れた。ウィンキーの激しい泣き声だけが辺りに響き渡り、ハーマイオニーが怒りに震えながらまた何か口を開きかけたが、それより先にウィーズリーおじさんが静かな口調で沈黙を破った。

「さて、差し支えなければ、私はみんなを連れてテントに戻るとしよう。エイモス、その杖は語るべきことを語り尽くした――よかったら、ハリーに返してもらえまいか――」

 ウィーズリーおじさんがそう言うと、ディゴリー氏はハリーに杖を差し出した。ハリーはそれを受け取ると今度こそしっかりとポケットに杖を収めた。

「さあ、3人とも、おいで」

 ウィーズリーおじさんが優しく呼びかけた。けれども、ハーマイオニーはウィンキーに目を向けたまま動こうとはせず、おじさんが少し急かすように呼んだ。

「ハーマイオニー!」

 ようやくハーマイオニーがウィンキーから視線を外し、ハリーとロンのあとに続いて空地を離れた。ウィンキーの泣き声は、空中を抜け、小道に戻ってもなお、響いていた。