Make or break - 046

5. クィディッチ・ワールドカップの悪夢

――Harry――



 ハリーは一瞬、決勝戦の時のようにレプラコーンがまた夜空に絵か文字を描いたのかと思ったが、すぐに違うと気付いた。いくらなんでも巨大な髑髏なんて描くはずがない――ハリーが呆気に取られて夜空を凝視していると、ロンも弾けるように立ち上がって息を呑んだ。

 髑髏は、エメラルド色の星のようなものが集まって描かれていた。その髑髏の口からはまるで舌のように蛇が這い出している。ハリーはそれを見て、秘密の部屋でサラザール・スリザリンの像の口から出てきたバジリスクに似ているとなんとなく思った。そうしている間にも巨大な髑髏は高く高く上がり、緑がかったもやを背負って、あたかも新星座のように真っ黒な夜空にギラギラと輝いた。

 今や髑髏は森全体を照らし出すほど高く上がっていた。こんなに高く上がっていれば、誰の目からもはっきりと髑髏を視認出来たに違いない。しかし、どうしてこの髑髏が夜空に打ち上がった瞬間、悲鳴が上がったのか、ハリーにはまったく分からなかった。それに、一体誰が髑髏を出したのだろう。ハリーはもう一度暗闇に目を走らせたが、誰の姿も見当たらなかった。

「誰かいるの?」

 先程、人の気配を感じたところに向けて、ハリーは再度声をかけた。すると、ハーマイオニーがハリーの上着の背を掴み、グイッと引っ張った。

「ハリー、早く。行くのよ!」

 一体どこへ行くというのか――振り返ってみるとハーマイオニーが顔面蒼白になって震えていてハリーは驚いた。どうやらハーマイオニーもあの髑髏に怯えているらしい。

「一体どうしたんだい?」
「ハリー、あれ、“闇の印”よ!」

 力の限りハリーを引っ張りながらハーマイオニーが呻くように言った。

「例のあの人の印よ!」
「ヴォルデモートの――?」
「ハリー、とにかく急いで!」

 ハーマイオニーの様子から察するに、ヴォルデモートの印――ハーマイオニー曰く、闇の印――が打ち上がった場所にいたらまずいことになるから早くここから移動しようということらしい。ハリーが振り返ると、ロンが急いでクラム人形を拾い上げるところだった。

 3人は急いで空地を離れようとした。けれども、ほんの数歩と行かないうちに、ポン、ポンと立て続けに音がしたかと思うと、どこからともなく20人の魔法使い達が現れて、3人を包囲した。包囲した魔法使い達は杖を手に持ち、そのすべての杖先がこちらに向いている。瞬間、ハリーは考えるより先に「伏せろ!」と叫び、ロンとハーマイオニーを掴んで地面き引き下ろした。

「ステューピファイ!」

 20人の声が轟いたのはまさにその直後のことだった。目の眩むような赤い閃光が次々と迸り、空地を突風が吹き抜けでもしたかのように、ハリーは髪の毛が波立つのを感じた。僅かに顔を上げると、包囲陣の杖先から炎のように飛び出した閃光が交差し、木の幹にぶつかり、跳ね返って3人の背後にある闇の中へ消えていった。

「やめろ!」

 聞き覚えのある声が叫んだ。

「やめてくれ! 私の息子だ!」

 途端、閃光が収まり、ハリーはもう少し高く頭を上げた。目の前の魔女が、杖を下ろしている。辺りを見渡して見ると、少し先からウィーズリーおじさんが真っ青になって、大股でこちらにやってくるのが見えた。

「ロン――ハリー――ハーマイオニー――みんな無事か?」

 そばまでやってきて、包囲陣から庇うようにハリー達を抱きしめながらウィーズリーおじさんが呼びかけた。声が震えている。すると、

「どけ、アーサー」

 無愛想な冷たい声がして、ハリーはそちらを見た。バーテミウス・クラウチ氏だった。未だ杖を下ろしていない他の魔法省の職員達と共に、じりじりと3人の包囲網を狭めている。どうやら、ハリー達を疑っているらしい。ハリーは立ち上がって包囲陣と向かい合った。闇の印が打ち上がったことにみんな気が立っているのか、目の前にいるのがただの子どもで、しかもそのうちの1人は「生き残った男の子」であることも忘れ、神経を尖らせピリピリとしている。

「誰がやった?」

 刺すような目で3人を睨み、クラウチ氏が言った。

「お前達の誰が闇の印を出したのだ?」
「僕達がやったんじゃない!」

 ハリーは髑髏を指差しながら言った。

「僕達、何にもしてないよ!」

 ロンは肘をさすりながら、憤然として父親を見た。

「何のために僕達を攻撃したんだ?」
「白々しいことを! お前達は犯罪の現場にいた!」

 クラウチ氏が杖をロンに突きつけ、狂気じみた顔で叫んだ。ハーマイオニーはあの闇の印と呼ばれた髑髏がヴォルデモートの印だと話したが、もしそれが本当ならこんなバカげた言いがかりはないと思った。ハリーは「自分の両親が一体誰に殺されたのか知らずにそんなことを言っているのか」と問い質してやりたいのをグッと堪えた。

「バーティ、みんな子供じゃないの」

 長いウールのガウンを着た魔女が囁いた。ウィーズリーおじさんが止めに入った時、真っ先に杖を下ろした魔女だった。気が立っている人が多い中、彼女は比較的冷静だった。

「バーティ、あんなことが出来るはずは――」
「お前達、あの印はどこから出てきたんだね?」

 これ幸いとばかりにウィーズリーおじさんが素早く訊いた。ハーマイオニーが声が聞こえた辺りを指差し、震える声で答えた。

「あそこよ。木立の陰に誰かがいたわ……何か叫んだの――呪文を――」
「ほう。あそこに誰かが立っていたと言うのかね?」

 クラウチ氏が鋭い視線を今度はハーマイオニーに向けた。ハーマイオニーが口から出まかせを言っているとでも思っているような雰囲気だった。

「呪文を唱えたと言うのかね? お嬢さん、あの印をどうやって出すのか、大変よくご存知のようだ――」

 呪文を聞いた直後にあの髑髏が現れたからハーマイオニーは素直にそう答えただけなのに、クラウチ氏はハーマイオニーが以前から闇の印を創り出す方法を知っていたのではないかと言いたげだった。ハリーにはそれが、どうにか揚げ足を取って無理矢理犯人を仕立て上げようとしているように見えた。しかし、犯人を仕立て上げたがっているのはクラウチ氏だけのようで、他の魔法使いや魔女達はハーマイオニーの言葉を聞くなり、また一斉に杖を上げ、暗い木立を見つめた。

「遅すぎるわ」

 先程のウールのガウン姿の魔女が頭を振った。

「もう姿くらまししているでしょう」
「そんなことはない」

 茶色の髭が豊かな魔法使いが言った。セドリックの父親であるエイモス・ディゴリーだ。

「失神光線があの木立を突き抜けた……犯人に当たった可能性は大きい……」

 ディゴリー氏は杖を構え、肩をそびやかし、空地を通り抜けて暗闇へと進んでいった。そんなディゴリー氏に何人かの魔法使いが「気をつけろ!」と警告した。ハーマイオニーは口を両手で覆ったまま、闇の中に消えていくディゴリー氏を見つめている。

 数秒後、ディゴリー氏の叫ぶ声が聞こえた。

「よし! 捕まえたぞ。ここに誰かいる! 気を失ってるぞ! こりゃあ――なんと――まさか……」
「誰か捕まえたって? 誰だ? 一体誰なんだ?」

 そんなことは有り得ないとでもいうようにクラウチ氏が叫んだ。まもなく、小枝が折れる音や木の葉が擦れ合う音がしたかと思うと、ザックザックと足音が聞こえ、ディゴリー氏が木立の陰から戻ってきた。両腕に小さなぐったりしたものを抱えている。キッチンタオルを身に纏っている――ウィンキーだ。

 ウィンキーがクラウチ家の屋敷しもべ妖精ハウス・エルフだと知らない者は、この場には誰一人としていないようだった。魔法省の職員達が一斉にクラウチ氏を見つめ、クラウチ氏は自らの足下に置かれたウィンキーを身じろぎもせず、無言のまま見つめた。

 誰も何もいわなかった。クラウチ氏も何も言わなかった。クラウチ氏は蒼白な顔に目だけを怒りでメラメラと燃やしウィンキーを見下ろしたまま立ちすくんでいる。無言の時間が流れ、そして、ようやく我に返ったようにクラウチ氏が途切れ途切れに呟いた。

「こんな――はずは――ない――絶対に――」

 それから、クラウチ氏は他にも誰かいるはずだとばかりに荒々しい歩調でウィンキーが見つかった辺りへと向かった。ガサガサ言わせながら茂みを掻き分け、必死に他に魔法使いがいないかと探している。

「無駄ですよ、クラウチさん。そこには他に誰もいない」

 ディゴリー氏が背後から声をかけた。それから失神してぐったりとした様子のウィンキーを見下ろしながら表情を強張らせた。

「何とも恥さらしな。バーティ・クラウチ氏の屋敷しもべ妖精とは……何ともはや」
「エイモス、やめてくれ」

 ウィーズリーおじさんがそっと言った。

「まさか本当に妖精エルフがやったと思ってるんじゃないだろう? 闇の印は魔法使いの合図だ。創り出すには杖がいる」
「そうとも」

 ディゴリー氏が応えた。

「そして彼女は杖を持っていたんだ」
「何だって?」
「ほら、これだ」

 そう言って、ディゴリー氏は杖を持ち上げ、ウィーズリーおじさんに見せた。ハリーはどんな杖なのか見ようと目を凝らしたが、暗がりでよく見えなかった。

「これを手に持っていた。まずは “杖の使用規則”第3条の違反だ。ヒトにあらざる生物は、杖を携帯し、またはこれを使用することを禁ず」

 ちょうどその時、またポンと音がして、バグマン氏がウィーズリーおじさんのすぐ脇に姿現しした。バグマン氏は息を切らし、ここがどこかも分からない様子でくるくる回りながら、目をギョロつかせて夜空に輝いている髑髏を見上げた。

「闇の印!」

 息も絶え絶え、バグマンが言った。そうして、仲間達に事情を訊ねようと足を向けた拍子に危うくウィンキーを踏みつけそうになったが、バグマン氏は気付かないままだった。

「一体誰の仕業だ? 捕まえたのか?」

 バグマン氏が辺りを見渡しながら訊ねると、やはり何も見つからなかったのか、クラウチ氏が手ぶらで空地に戻ってきた。幽霊のように蒼白な顔のまま、両手も歯ブラシのような口髭も僅かに痙攣している。

「バーティ! 一体何をしてるんだ?」

 バグマン氏が驚いたように声を上げた。

「バーティ、一体どこにいたんだ? どうして試合に来なかった? 君の妖精エルフが席を取っていたのに――おっとどっこい!」

 バグマン氏が足下に横たわるウィンキーにやっと気付いて声を上げた。

「彼女は一体どうしたんだ?」
「ルード、私は忙しかったのでね」

 ギクシャクとした話し方で、クラウチ氏が言った。ほとんど唇を動かしていない。

「それと、私の妖精エルフは失神術にかかっている」
「失神術? ご同輩達がやったのかね? しかし、どうしてまた――?」

 そこで、バグマン氏はようやく事態を把握したようだった。バグマンの丸いテカテカした顔に、突如「そうか!」という表情が浮かんだかと思うと、髑髏を見上げ、ウィンキーを見下ろし、それからクラウチ氏を見た。

「まさか! ウィンキーが? 闇の印を創った? やり方も知らないだろうに! そもそも杖がいるだろうが!」
「ああ、まさに持っていたんだ」

 ディゴリー氏が答えた。

「杖を持った姿で、私が見つけたんだよ、ルード。さて、クラウチさん、貴方にご異議がなければ、彼女自身の言い分を聞いてみたいんだが」

 クラウチ氏はディゴリー氏の言葉が聞こえたのか聞こえていなかったのか、まったく反応を示さなかった。しかし、ディゴリー氏はその沈黙は了承の意味だと受け取ったらしい。杖をウィンキーに向けて、唱えた。

「リナベイト!」

 ハリーの聞いたことのある呪文だった。前学年の学年末、叫びの屋敷の中でハナが失神したスネイプを目覚めさせる時に使った呪文だ。あの時のスネイプと同じように、呪文をかけられたウィンキーは微かに動き出したかと思うと、大きな茶色の目を見開き、寝ぼけたように2、3度瞬きした。みんなが黙って見つめている中、よろよろ身を起こしたウィンキーは、ディゴリー氏の足に目を止め、おずおずと視線を上げていき、やがて、ゆっくりと空を見つめた。大きなガラス玉のようなウィンキーの両目に、髑髏が映り、そして、ウィンキーはハッと息を呑んだのだった。