Make or break - 045

5. クィディッチ・ワールドカップの悪夢

――Harry――



 ドラコ・マルフォイは木々の間からキャンプ場の様子をずっと眺めていたようだった。いつもどおりの嫌味ったらしい口調に、ロンがウィーズリーおばさんの前では決して口にしないであろうスラングを吐いて悪態をついたが、マルフォイは薄ら笑いを浮かべただけだった。

「君達、急いで逃げたほうがいいんじゃないのかい? その子が見つかったら困るんじゃないのか?」

 ハーマイオニーの方を顎で指しながら、マルフォイが言った。キャンプ場で爆弾が破裂するような音が響き、緑色の閃光がそんなマルフォイの表情を照らし出した。薄青い目がギラリと光っている。ハーマイオニーがマルフォイに食ってかかった。

「それ、どういう意味?」
「グレンジャー、連中はマグルを狙ってる。空中で下着を見せびらかしたいかい? だったら、ここにいればいい……連中はこっちへ向かっている。みんなで散々笑ってあげるよ」
「ハーマイオニーは魔女だ」

 今度はハリーが食ってかかった。そんなハリーのことをチラリと見遣って、マルフォイは意の地の悪い笑みを浮かべた。

「勝手にそう思っていればいい。ポッター。連中が“穢れた血”を見つけられないとでも思うなら、そこにじっとしてればいい」
「口を慎め!」

 ロンが怒鳴った。魔法界の存在を知って3年――今やハリーもハーマイオニーも「穢れた血」という言葉が、マグル生まれの魔法使いや魔女達を侮辱する差別的で品性の欠片もない下品な言葉だと、もう分かっていた。それを魔法族こそ至高と考えている、マルフォイ家のような狂信的な「純血主義」の人々が使うものだということも。

「気にしないで、ロン」

 今にもマルフォイに向かって行きそうなロンの腕を掴みながら、ハーマイオニーが言った。すると、森の反対側でこれまでよりずっと大きな爆発音がして、周りにいた人々が悲鳴を上げた。

「臆病な連中だねぇ?」

 逃げ惑う人々を眺めながら、マルフォイはせせら笑った。

「君のパパが、みんな隠れているようにって言ったんだろう? 一体何を考えているやら――マグル達を助け出すつもりかねぇ?」
「そっちこそ、君の親はどこにいるんだ? あそこに、仮面をつけているんじゃないのか?」

 マルフォイの態度に腹が立って仕方がなくて、ハリーは強い口調で言い返した。咄嗟に出た言葉だったが、ハリーは自分の言ったことが強ち間違いではないとほとんど確信していた。

「さあ……そうだとしても、僕が君に教えてあげるわけはないだろう? ポッター」

 意味ありげな、嫌な言い方だった。ハリーとロンはなおも食ってかかろうとしたが、ハーマイオニーがもうこれ以上マルフォイとは話したくないとばかりに「さあ、行きましょうよ」と2人のことを急かした。マルフォイがバカにしたように嘲っている。

「その頭でっかちのボサボサ頭をせいぜい低くしているんだな、グレンジャー」
「行きましょうったら!」

 ハーマイオニーはもう一度そう言うと、力いっぱいハリーとロンを引っ張って、また森の奥へ向けて歩き始めた。マルフォイのバカにしたような笑いが3人の背中から追いかけてくるようで、ロンはもちろんのこと、ハーマイオニーもカッカしていた。

「あいつの父親はきっと仮面団の中にいる。賭けてもいい!」
「そうね。上手くいけば、魔法省が取っ捕まえてくれるわ!」

 2人共、激しい口調だった。ハリーも時間さえ許されるのならマルフォイについての文句をこれでもかと吐き出したい気分だった。しかし、

「まあ、一体どうしたのかしら。あとの4人はどこに行っちゃったの?」

 フレッド、ジョージ、ジニー、ハナの4人がいないことに気付き、ハリー達はマルフォイの文句を言うどころではなくなった。どうやらハリー達がマルフォイに気を取られている間に4人は先に行ってしまったらしい。辺りにはキャンプ場の騒ぎを振り返る人で溢れ返っているのに、4人の姿はどこにも見当たらない。

 ハリー達は4人の姿を探してキョロキョロ辺りを見渡しながら競技場へ続く小道をまた進んだ。少し先の方でパジャマ姿の子達が集まり、何やら言い争っている。ハリーは暗がりで見た時、一瞬ハナ達かもしれないと思ったが、近付いてみるとそれは全然違う子達だった。おそらくは同世代だろう――3人がすぐそばまで近付いてきたことに気付くと、向こうも知り合いかと勘違いしたのか、集団の1人である豊かな巻き毛の女の子が振り返って早口で話しかけてきた。

「Où est Madame Maxime? Nu L'avons perdue」

 その子がなんと言ったのか、ハリーにもロンにもハーマイオニーにも分からなかった。あまりにも早口だったし、英語ではなかったからだ。どこか別の国の人に違いない。思わずロンが戸惑ったように「え――なに?」と言うと、その子もようやく3人が自分達と同じ学校ではないと気付いたのか「オゥ……」とロンと同じように戸惑った声を漏らし、くるりと背を向けた。3人が横を通り過ぎる時、ハリーはその子が「プドラール」言ったのがはっきりと聞こえた。

「ボーバトンだわ」

 ハーマイオニーが呟いた。

「え?」

 知らない単語が出てきて、ハリーが間の抜けた声を出した。ハーマイオニーは辺りを他の4人を探してキョロキョロしながらそれに答えた。

「きっとボーバトン校の生徒達だわ。ほら……ボーバトン魔法アカデミー……。朝見かけたダームストラングと同じのように国際魔法使い連盟に登録済みの由緒正しい11の魔法学校の1つよ。ハナが話してたように魔法史の教科書にももちろん載ってるけど、私、『ヨーロッパにおける魔法教育の一考察』でもそのこと読んだわ」

 ホグワーツ以外にも魔法学校があることは、朝話を聞いて始めて知ったことだったが、どうやらヨーロッパにはホグワーツとダームストラング専門学校以外にまだ魔法学校があるらしい。ハリーは知らなかったことを知られたくなくて、「あ……うん……そう」と気のない返事を返した。

「あの子が最初に何と言ったのかは私にも分からなかったけど“プドラール”っていうのが何なのかは知ってるわ。フランス語でホグワーツって意味よ。ほら、私、去年の夏、フランスに旅行に行ったでしょう? その時に――」
「それより、4人を探さないと。フレッドもジョージもそう遠くへは行けないはずだ」

 こんな時までうんちくをずっと聞かされるのはたくさんだとばかりにロンは話を遮ってそう言うと、杖を引っ張り出してハーマイオニーと同じように杖灯りを点した。杖灯りは手元を照らすほどの明かりしか出せないので、ハーマイオニーの杖灯りだけでは広い範囲を見渡すことは出来なかったのだ。ハリーも杖灯りを点けてハナ達を探そうと上着のポケットを探ったが、朝、確かにそこに入れたはずの杖は、そこにはなかった。あるのは万眼鏡オムニオキュラーだけだ。

「あれ、いやだな。そんなはずは……」

 ハリーは上着のありとあらゆるところを探った。けれども、どんなに探しても杖はどこにも入ってはいなかった。朝起きてからここに至るまで、一度も杖を取り出していないはずなのに、だ。ハリーは慌てて声を上げた。

「僕、杖をなくしちゃったよ!」

 この騒ぎだ。どこかで落としてきたに違いない。ハリーが辺りに落ちてやいないかと探し始めると、ロンとハーマイオニーが杖を高い位置に掲げて、少しでも明かりが地面に広がるようにしてくれた。けれども、いくら探してもハリーの杖はどこにも見当たらなかった。だとしたら、テントに落ちているか、森のどこかで落としたということになるが、この状況で来た道を引き返せるはずがなかった。

 仕方なく杖を探すのを諦めると、ハリー達は再び森の奥へと歩き始めた。とはいえ、この騒ぎの真っ只中で杖なしでいるのはとても無防備に思えて心細かった。ハリーは杖ホルダーを幽霊屋敷に忘れてきてしまったこと自分を心底恨んだ。どうしてあの時、煙突の中に落っことしてしまうかも、なんて不安になったんだろう。1ヶ月の間に大事なものがいっぱい増えて、無意識のうちにどれもこれも失くしたくないと思ってしまったのだろうか。でも、杖はホルダーに入れていれば落ちる可能性なんて低かった。それに、上着のポケットは杖がすっぽり入るほど深くはなかったのに、どうして杖をポンッと突っ込んだままにしていたのだろう。どうしてテントから出る時、最初から杖を手にしていなかったのだろう――。

 その時、ガサガサと音がして3人は飛び上がった。見れば、屋敷しもべ妖精ハウス・エルフのウィンキーが近くの茂みから抜け出そうともがいている。まるで見えない誰かに後ろから引き止められているかのように、いくら手足を動かしても前に進めず、ウィンキーは奇妙な動きを繰り返していた。

「悪い魔法使い達がいる! 人が高く――空に高く! ウィンキーは退くのです!」

 キーキー声でウィンキーが言った。前のめりになって懸命に走り続けようとしていたが、いくら足を動かせど、やっぱりウィンキーは前に進めていなかった。ウィンキーは自分を引き止める謎の力に抵抗しながら息を切らし、キーキー声を上げて、やがて、斜め後ろにある木立の向こうへと消えていった。

「一体どうなってるの?」

 ウィンキーが消えていった先を見つめながらロンが言った。

「どうしてまともに走れないんだろ?」
「きっと、隠れてもいいっていう許可を取ってないんだよ」

 ドビーの行動を思い出しながら、ハリーが答えた。当時仕えていたマルフォイ一家の意向に沿わないことを言ったり行ったりする時、ドビーはいつも自分をいやというほど殴り、罰を与えた。

「ねえ、屋敷しもべ妖精ハウス・エルフって、とっても不当な扱いを受けてるわ!」

 ハーマイオニーがカンカンになって言った。

「奴隷だわ。そうなのよ! あのクラウチさんていう人、ウィンキーをスタジアムのてっぺんに行かせて、ウィンキーはとっても怖がってた。その上、ウィンキーに魔法をかけて、あの連中がテントを踏みつけにし始めても逃げられないようにしたんだわ! どうして誰も抗議しないの?」
「でも、妖精エルフ達、満足してるんだろ?」

 ロンが言った。

「ウィンキーちゃんが競技場で言ったこと、聞いたじゃないか……“屋敷しもべ妖精ハウス・エルフは楽しんではいけないのでございます”って……そういうのが好きなんだよ。振り回されてるのが……」
「ロン、貴方のような人がいるから。腐敗した、不当な制度を支える人達がいるから。単に面倒だからという理由で、何にも――」
「とにかく先へ行こう。ね?」

 熱くなり始めたハーマイオニーにロンが気遣わしげな視線を投げかけて言った。マグルの一家を弄んでいたあの仮面の集団が、今度はハーマイオニーのようなマグル生まれを狙うのではないかと心配しているのだ。先程マルフォイが言ったように、ハーマイオニーが他の誰よりも本当に危険なのかもしれない。それに、ハナも――。

「ハナは大丈夫かな」

 再び歩き出しながらハリーは言った。杖がポケットに入っていないと分かっているのに、ハリーの手はなおもポケットの中を探っていた。

「この騒ぎがもし、ハナを狙ってのものだったら、ハナは危険だ。それに、フレッドもジョージも、ハナがどれだけ危険な立場にいるか知らないわけだし……」
「そのためにも私達、早く合流しなくちゃ」
「うん……そうだね」

 暗い森の中を、フレッド、ジョージ、ジニー、ハナを探しながら、ハリー達は更に森の奥へと入っていった。4人の姿は見当たらなかったが、途中、金貨の袋を前に高笑いしている小鬼ゴブリンの一団がハリー達を追い越していったり、若い魔法使い達に取り巻かれたヴィーラを見かけた。

 ヴィーラの時なんて、こんな時にもかかわらず若い魔法使いがみんな口々に声を張り上げ、ヴィーラの気を引こうとしていた。ハリーはその中になんとスタン・シャンパイクの姿を見つけて、吹き出しかけた。スタンは三階建ての夜の騎士ナイトバスの車掌で、ハリーは去年それに乗ったのだ。ロンにそのことを教えようと振り向くと、ロンが突然叫び出した。

「僕は木星まで行ける箒を発明したんだ。言ったっけ?」
「まったく!」

 ハーマイオニーが呆れた声を出し、ハリーと2人でロンの腕を掴んで回れ右させて引っ張っていった。そうして、ヴィーラ達からもう十分離れたかと思うころ、3人は不意に立ち止まった。もう随分と森の奥深くに入り込んでしまったのか、周りに誰もいなくなっている。叫び声や悲鳴も遠くに聞こえ、周囲は静かなものだった。

「僕達、ここで待てばいいと思うよ。ほら、何キロも先から人の来る気配も聞こえるし」

 これ以上奥に行く必要はないだろうとハリーは辺りを見渡しながら言った。すると、その言葉が終わらないうちに、ルード・バグマンがすぐ目の前の木陰から姿を現した。ハーマイオニーとロンが作る微かな杖灯りに照らし出されたバグマンの顔は真っ青だ。

「誰だ?」

 バグマンは、緊張した声で目を凝らし、ハリー達を見つめた。どうやらハリー達の顔がよく分からなかったらしい。けれどもすぐに目の前にいるのがハリー達だと分かると少しだけ声を和らげて続けた。

「こんなところで、ポツンと、一体何をしているんだね?」
「それは――暴動のようなものが起こってるんです」

 バグマンこそ何を呑気なことを言っているのか――戸惑いながらロンが答えた。バグマンは何も知らなかったのか、驚いたようにロンを見返した。

「なんと?」
「キャンプ場です……誰かがマグルの一家を捕まえたんです……」
「なんてヤツらだ!」

 途端にバグマンは取り乱し、大声で罵ったかと思うと、あとはそれきり、何も言わずに姿くらましした。仮面の一団との戦いがあるからあんなに青ざめていたのではないのだとしたら、バグマンはどうしてあんなに顔色が悪かったのだろう。ハリーが考えていると、ハーマイオニーが顔をしかめて言った。

「ちょっとズレてるわね、バグマンさんて。ね?」
「でも、あの人、すごいビーターだったんだよ」

 ロンはそう言うと、小道から外れたところにちょっとした空地を見つけ、そこで待機していようとハリーとハーマイオニーを誘った。木の根元の乾いた草叢に腰を下ろして、ロンが続けた。

「あの人がチームにいた時に、ウイムボーン・ワスプスが連続3回もリーグ優勝したんだぜ」

  そうして、ロンは上着に入れたままにしていたクラム人形をポケットから取り出すと、地面に置いて歩かせはじめた。本物のクラムと同じで、人形はちょっと猫背で、箒に乗っている時ほど格好よくはなかった。ハリーはクラム人形を横目に、キャンプ場からの物音に耳を澄ませた。しんとしている。暴動が治まったのだろうか。

「みんな無事だといいけど」

 しばらくしてハーマイオニーが呟いた。

「ここまで来てもハナ達が見つからないなんて」
「大丈夫さ」

 励ますようにロンが言った。ハリーはロンの隣に座り、再びクラム人形が落ち葉の上をとぼとぼと歩くのを眺めながら、話題を変えようと口を開いた。

「君のパパがルシウス・マルフォイを捕まえたらどうなるかな。おじさんは、マルフォイの尻尾を掴みたいって、いつもそう言ってた」
「そうなったら、あのドラコの嫌味な薄笑いも吹っ飛ぶだろうな」
「でも、あの気の毒なマグル達」

 心配そうにハーマイオニーが言った。

「下ろしてあげられなかったら、どうなるのかしら?」
「下ろしてあげるさ」

 慰めるようにロンが言った。

「きっと方法を見つけるよ」
「でも、今夜のように魔法省が総動員されてる時にあんなことをするなんて、狂ってるわ。つまりね、あんなことをしたら、ただじゃすまないじゃない? 私、だからそこダンブルドアはハナが決勝戦を観戦することを許したのだと思ったの。ハナも同じように考えていたと思うわ。けれど、暴動が起こった……飲みすぎたのかしら。それとも、本当にハナを狙ってのことだとしたら――」

 そこで、ハーマイオニーが突然言葉を切って後ろを振り返った。ハリーとロンも急いで振り返った。誰かがこちらに向かって歩いてくる足音が聞こえたのだ。3人は暗い木々の陰から聞こえる不規則な足音に耳を澄ませ、じっと待った。

「誰かいますか?」

 足音が止まり、ハリーがおずおずと呼びかけた。
 けれども、なんの返事もない――ハリーはゆっくり立ち上がると、木の影の向こうの様子をうかがった。暗くて、遠くまでは見えない。けれども、目の届かない所に誰かが立っている奇妙な感覚をハリーは感じていた。そこに誰かがいるという確かな感覚だ。

「どなたですか?」

 ハリーが訊いた。すると、何者かの声が突然静寂を破った。恐怖に駆られた叫びや悲鳴、鳴き声ではない、どこか呪文のような響きだった。

「モースモードル!」

 一体何が起こったのか、ハリーにはさっぱり分からなかった。分かったことといえば、ハリーが懸命に見透そうとしていた辺りの暗闇から巨大な緑色に光る何かが立ち上がったということだけだった。その緑色の何かはあっという間に木々の梢を突き抜け、空高くに舞い上がっていく。瞬間、爆発的な悲鳴が上がり、ハリーは混乱した。

「あれは、一体――?」

 夜空に打ち上がったもの、それは禍々しい巨大な髑髏だった。