Make or break - 044

5. クィディッチ・ワールドカップの悪夢

――Harry――



 ウィンキーという屋敷しもべ妖精ハウス・エルフに会ったり、魔法大臣のコーネリウス・ファッジに会ったり、マルフォイ一家と会ったり――開始前には様々あったクィディッチ・ワールドカップの決勝戦が終わり、ハリーはみんなと一緒にウィーズリー家のテントに戻ってきた。試合直後のキャンプ場は騒がしく賑やかで、大声で歌う声が至るところから聞こえ、豆電球を持ったレプラコーン達はケタケタ笑いながらそこら中を飛び交っている。

 テントに戻ってきて早々、ウィーズリーおじさんがもう遅いから寝る準備をするように言い、女の子達は女子用テントに向かい、ハリー達も男子用のテントに入ったが、テントの中では誰も寝る準備なんてしなかった。確かに試合前には同じ貴賓席にやってきたファッジやマルフォイ一家に嫌な気分にもなったが、その嫌な気分を吹き飛ばすほどの試合ぶりにハリーもウィーズリーおじさんもウィーズリー兄弟もみんな気分が高揚していた。

 今日の試合について話し込んでいると、しっかりと寝る準備を済ませた女の子達が男子用テントにやってきた。ジニーは前髪の片側を落ちてこないようにピンで留めていて、ハーマイオニーも珍しく髪をハーフアップにしてシンプルなヘアクリップでまとめている。ハリーはハナがしたんだろうな、となんとなく思った。

 ジニーが温かいものを飲みたいのだとウィーズリーおじさんに頼むと、じゃあ寝る前に1杯だけとみんなにココアを作ってくれた。たちまち、試合の話でまた大盛り上がりし、ウィーズリーおじさんとチャーリーは、反則技の「コビング」について熱く議論を交わし始め、ハリー達も最後のクラムの飛びっぷりについて話した。話は尽きることはなかったが、やがて眠り込んでしまったジニーがココアをココアを床にこぼしてしまうと、おじさんがチャーリーとの舌戦を中止し、全員もう寝なさいと言った。

 ハナとハーマイオニーが半分寝ているジニーを連れて女子用テントに戻り、ハリーはウィーズリー一家と一緒に寝る準備を整えて二段ベッドの上に登った。キャンプ場の外れではまだ騒いでいる人達がいるのか、まだまだ歌声が聞こえ、バーンという音が時折響いた。天井を見上げれば、レプラコーンがまだ飛び交っていて、時折豆電球の明かりがヒューッと通り過ぎた。

「やれやれ、非番でよかった」

 ウィーズリーおじさんが眠そうに言った。

「アイルランド勢にお祝い騒ぎはやめろなんて、言いに行く気がしないからね」

 ハリーは横になって時折通り過ぎるレプラコーンの豆電球の明かりを眺めながら、クラムの素晴らしい飛びっぷりを思い出していた。ファイアボルトに乗って、自分もウロンスキー・フェイントを試してみたくてウズウズした。他にもいろんな飛び方があるなら試してみたい。シリウスから貰ったファイアボルトなら、それが出来るだろう――……。

 ハリーは背中に自分の名前が書かれたユニフォームを着て、大きなクィディッチ競技場のピッチに立っている自分の姿を思い描いた。10万人の観衆が歓声を上げている。ルード・バグマンの声がスタジアムに鳴り響いた――「ご紹介しましょう……ポッター!」

「起きなさい!」

 ウィーズリーおじさんが突然叫んで、ハリーはパチリと目を開けた。果たして起きていたのか眠っていたのか、ハリーには定かではなかった。もしかすると、クラムのように飛びたいと思い描いていたことが、いつの間にか本物の夢に変わっていたのかもしれない。

「ロン――ハリー――さあ、起きて。緊急事態だ!」

 兎にも角にも、ハリーはウィーズリーおじさんの声で飛び起きた。あまりに勢いよく起き上がったので、ハリーはテントの天井に頭のてっぺんをぶつけた。

「どしたの?」

 混乱しつつもそう訊ねながら、ハリーは何か異様な雰囲気を感じ取った。ベッドに入った時には確かに聞こえた賑やかな歌声はやみ、キャンプ場の騒音が様変わりしている。お祭り騒ぎとは到底言いがたい人々の叫び声や走る音がハリーの耳に届いた。これは確かに異常事態だ――ハリーは大慌てでベッドから滑り降り、パジャマから着替えなければと洋服に手を伸ばした。

「ハリー、時間がない――上着だけ持って外に出なさい――早く!」

 既にパジャマの上にジーンズを履いていたウィーズリーおじさんが言った。ハリーより先に起きていたのか、ビル、チャーリー、フレッド、ジョージの姿はもう既にテントの中にはなかったが、ハリーが服を手に取るのをやめ、上着を引っ掴んだ時、ビルとチャーリーがテントの中に飛び込んできた。

「父さん、女の子達は起きてた――」

 飛び込んできたビルが早口で言った。どうやら、ビルとチャーリーがいなかったのは、女子用テントの方に行っていたかららしい。

「フレッドとジョージにくれぐれも頼むと話してる――彼女を」

 最後の一言を小声で言うと、ビルは大急ぎでパジャマの上を脱ぎ、着替え始めた。彼女というのはおそらくハナのことだろう。ハリーは反射的にそう思った。ビルとチャーリーは、ヴォルデモートによってハナが呼び出されたことを知っているので、この騒ぎがハナを狙ったものではないかと心配しているに違いない。

 その後もビルとウィーズリーおじさんは早口でボソボソ何かを話し合っていたけれど、悠長に聞き耳を立て続けるわけにはいかず、ハリーはロンがベッドから出てくると一緒にテントを飛び出した。テントの外では、まだ残っている焚き火の明かりを頼りに、みんなが追われるように森へと駆け込んでいる。すぐそばでは、ハナ、ハーマイオニー、ジニー、フレッド、ジョージが身を寄せ合うようにして立ち、キャンプ場の向こう――管理事務所がある方角――を見つめていた。

 みんなに釣られるようにして、ハリーもキャンプ場の向こう側に視線を移した。遠くで何かが、奇妙な光を発射しながら、大砲のような音を立てていた。その何かは、大声で野次り、笑い、酔って喚き散らしながら、キャンプ場を横切り、だんだんとこちらに近付いてきている。初めは暗くて何が騒ぎを起こしているのかハリーにはよく見えなかったが、突然、強烈な緑の光が炸裂すると、辺りが照らし出され、騒ぎの中心が見えるようになった。

 何人もの魔法使い達が集まり、行進していた。杖を真上に向け、キャンプ場の中をゆっくりこちらに向かって歩いてくる。ハリーは魔法使い達の顔をよく見ようと目を凝らした。けれども、魔法使い達には顔がない――フードを深々と被り、仮面をつけている。

 その仮面の魔法使いの一団の遥か頭上に、ハリーは何かが浮かんでいるのを見つけて視線を上げた。宙に4つの影が蠢いている。仮面の一団がまるで操り人形師のように杖を振って操っているかのようだった。それらはグロテスクな形に歪められ、もがき続けている。4つの影のうち2つはとても小さかった。

「どうして……」

 ハナが震える声で呟いた。

「どうしてこんなことが出来るって言うの……?」

 宙に浮かんでいるもの、それは人だった。確かに4つの人影がもがいている。その人影がそばを通ると多くの魔法使い達がそれを指差して笑い、次々と行進に加わった。そうして、仮面の一団の人数が増えていくと、テントが潰され、倒され、吹き飛ばされ、時には燃やされた。逃げ惑う人々の叫び声がますます大きくなっていく。

 仮面の一団が燃えるテントのそばを通過する時、宙に浮いた姿が照らし出され、ハリーはそれが誰だったのかがようやく分かった。キャンプ場管理人のロバーツさんだ。あとの3人は奥さんと子ども達だろう。仮面の魔法使いの一人が、杖で奥さんを逆さまに引っくり返し、ネグリジェの下のドロワーズを露わにした。奥さんは隠そうともがいたが、仮面の一団は大笑いし、囃し立てた。

 最悪な光景だった。これが人のすることなのかと、信じられない思いだった。ハナは、怒りに震えながら手にしていた杖を握り締めていて、助け出しに行こうとするかもしれないと思ったのか、ジョージがハナの杖を持っていない方の手を取った。

「ハナ、ここは大人に任せるしかない。悔しいけど未成年の魔法使いに出来ることは何もない」

 ジョージの言うとおりだった。未成年であるハリー達にはこの場で出来ることはほとんどないに等しかった。一番小さいマグルの子どもが、20メートルも上空で独楽のように回されるのだって、何も出来ずに見ているしかないのだ。もしハナがヴォルデモートに捕まったらこうなるのだろうか――ハリーはそう考えて、ひどく吐き気がした。怒りが体の底で渦巻いている。

「むかつく」

 隣でロンが呟いた。

「ほんと、むかつく……」

 まもなく、ウィーズリーおじさんが男子用テントから出てきた。そのあとから、ビル、チャーリー、パーシーが、ちゃんと服を着て、杖を手に袖をまくり上げて姿を現した。

「私らは魔法省を助太刀する」

 ウィーズリーおじさんも腕まくりしながら大声で言った。その横をビル、チャーリー、パーシーが通り過ぎ、仮面の一団に向かって駆け出していった。おじさんがそのあとに続きながらハリー達に向かって続けた。

「お前達――森へ入りなさい。バラバラになるんじゃないぞ。片がついたら迎えにいくから!」

 魔法省の職員が四方八方から飛び出し、仮面の一団に向かっていった。ロバーツ一家を宙に浮かべた一団が、どんどん近付いてきている。

「さあ」

 フレッドがジニーの手を掴み、森の方に引っ張っていくとジョージとハナ、最後にハリー、ロン、ハーマイオニーがそれに続いた。ハナのことをビルに頼まれたからか、ジョージはハナの手をしっかり掴んだままだった。

 森に辿り着くと、全員が振り返った。ロバーツ一家の下にいる仮面の一団は、かなり大きくなっている。魔法省の職員達が、何とかして中心に近付こうとしていたが、苦戦しているようだった。ロバーツ一家が落下してしまうことを恐れて、何の魔法も使えずにいるのだ。その光景を見ながらハナが別のキャンプ場にいるセドリックのことを心配していたが、ジョージが優しくそれを宥めていた。

 森の中は真っ暗だった。競技場へ続く小道に設置されていたランタンも既に明かりが消え、ほとんど何も見えない状況だった。ハリーは顔も見えない誰かに、あっちへこっちへと押されながらフレッド、ジョージ、ジニー、ハナのあとに続いて森の奥へと進んだ。暗い森の中にはたくさんの人影が動き回り、あちこちから不安げに叫ぶ声や恐怖に慄く声、子ども達が泣き喚く声が聞こえている。その時、

「あいた!」

 ロンが叫ぶ声が聞こえ、ハーマイオニーが「どうしたの?」と心配そうに訊ねる声が聞こえた。ハリーはロンを探してキョロキョロ辺りを見渡し、前方で急に立ち止まったハーマイオニーの背中にぶつかってしまった。ハリーがぶつかったことを気にも留めずに、ハーマイオニーも辺りをキョロキョロ見渡した。暗がりでは近くにいるであろうロンの姿さえ見えやしない。

「ロン、どこなの? ああ、こんなバカなことやってられないわ――ルーモス!」

 焦ったそうに言って、ハーマイオニーは杖灯りを点すと、ロンの声がした方に光を向けた。暗い地面にロンが倒れ込んでいる。

「木の根に躓いた」

 ロンが腹立たしげに言いながら立ち上がった。すると、

「まあ、そのデカ足じゃ、無理もない」

 背後で気取った声がして、ハリー、ロン、ハーマイオニーは振り返った。そこには、木に寄りかかり腕組みをして、ドラコ・マルフォイが一人、立っていた。