Make or break - 043

5. クィディッチ・ワールドカップの悪夢



 つんざくような悲鳴が辺りに響き渡った。
 まばゆいネオンの明かりのように髑髏が暗い森を緑色に照らし、人々が出来るだけその髑髏から離れようと逃げ惑っている。私、フレッド、ジョージ、ジニーの周りをたくさんの人が駆け抜けていって、フレッドとジョージが人波に流されないよう、私とジニーを庇ってくれた。

「ありゃ、一体なんだ……?」
「とりあえず悪趣味だっていうのは分かるけど」
「あれは、例のあの人の印に違いないわ」

 フレッドとジョージの言葉に、髑髏を見上げて私は言った。瞬間、私以外の3人がギクリと肩を揺らした。

「髑髏が死の象徴だし……それに、蛇は言わずもがな、スリザリンのシンボルだわ」

 いかにもヴォルデモートが好んで使いそうな印だ、と私は思った。蛇が髑髏の口から出ているのは、秘密の部屋にいたバジリスクがサラザール・スリザリン像の口の中から出てくることに由来しているのだろう。しかし問題は、どうしてその印が空に打ち上がったのか、ということだった。ヴォルデモートが現れたということだろうか。だからあんなに仮面の――おそらくはヴォルデモートの手下がマグルの一家を弄び、騒ぎを起こしていたのだろうか。

 いや、ペティグリューがヴォルデモートと合流したことをきっかけにアズカバン行きを逃れたかつての手下達が次々と合流しているのだとしたら、このキャンプ場内にいる私を狙わないのはおかしな話だ。一昨日の朝、ヴォルデモートの夢を見たというハリーの様子を見るにヴォルデモートが私――もしくは私とハリー両方――を復活に使うなり、殺してしまおうと計画しているのを見てしまったに違いないからだ。だったら、マグルの一家を弄びキャンプ場を練り歩くより、辺り一帯にあるテントを無差別に襲撃した方が遥かに効率的ではないだろうか。でも、仮面の一団はそうはしなかった。

 だとしたら、これは仮面の一団が勝手にバカ騒ぎを起こしただけだということになる。そもそも、ヴォルデモートはまだ復活しておらず、力だって戻っていない。そんな中、魔法省の職員が大勢いるクィディッチ・ワールドカップのキャンプ場で騒ぎを起こすなんていうバカな真似はしないはずだ。仮に復活に私を使うにしてももっと別の方法で確実に手に入れようとするだろう。

 しかし、そうは思っても完全に安心することは出来ない。私が判断を間違えば、何も事情を知らないフレッドやジョージ、ジニーを巻き込むことになりかねないのだ。ここでただのバカ騒ぎだから大丈夫だろうと考えなしに動いて、3人を危険に晒すことは出来なかった。でも、ハリー達と逸れてしまったのが気がかりだ。何かに巻き込まれていないだろうか。危険な目に遭ってはいないだろうか。

「何だか、静かになったみたい……」

 どれだけ時間が経ったのか、ふっと辺りが暗くなって私は呟いた。夜空に浮かび上がる髑髏が消え、気がつけば辺りはしんと静まり返っている。緑色の閃光も見えなければ、爆発音も聞こえず、悲鳴もどこか遠くに聞こえていた。私は辺りを慎重に見渡した。

「終わったのか?」

 フレッドも辺りを見回して言った。

「どうする? ロン達とも逸れたままだし一旦引き返してみるか? もし、親父達がテントに戻ってたら探しにいってくれるかもしれない」
「そうしよう」

 ジョージが頷いた。

「ただ慎重に戻らないと。念の為、全員杖を持とう。ジニー、大丈夫。僕達には未来のヘッドガール候補がついてる」
「そこは“僕達がついてる”っていうところじゃないの?」
「お生憎様。僕達はO.W.L試験が散々だったんでね」
「俺達がお袋に怒られたこと、君も知ってるだろ」
「“お前達、この成績はなんです!”」
「“ああ、ビルとチャーリーとパーシーはこんなことなかったのに……”」

 大袈裟に身振り手振りを加えてフレッドとジョージがウィーズリーおばさんの真似をするものだから、私もジニーも思わず笑った。それは彼らがあくまでも冗談でそんな振る舞いをしているのだと分かっていたからだ。私達を怖がらせまいとしているのだろう。彼らのいつでも誰かを笑わせようとしてくれるところは素晴らしいところだ。こんな時に誰かを笑わせようとするなんてなかなか出来ることではないのだから。

「じゃあ、行こう。ゆっくり慎重に」

 全員が杖を持つと、フレッドを先頭に私達はキャンプ場へと引き返しはじめた。フレッドのあとにはジニーが続き、その後ろを私、最後尾がジョージだ。周りでは私達と同じように騒ぎが収まったことに気付いた人達が森の奥から出てきて、恐る恐るといった様子でキャンプ場に近付いているのが分かった。ただ、その場に留まっている人達も多くいて、途中ではヴィーラに懸命にアピールしているしている魔法使い達がいたり、辺りを不安気にキョロキョロしている同年代くらいの子ども達の姿があった。そばを通りかかる時、話し声が聞こえた。

「Vous ne trouvez toujours pas Madame Maxime?」
「Où diable est-elle allée?」

 午前中に見かけた子達とはまた違うイントネーションだった。この言葉の響きはフランス語だろうか。だとしたら、今の子達はボーバトン魔法アカデミーの生徒に違いない。ボーバトンは、ホグワーツやダームストラング同様、国際魔法使い連盟に登録済みの由緒正しい11の魔法学校の1つだ。曰く、フランスのどこかにあるらしい。

 森の際まで戻ってくるとそのには多くの魔法使いや魔女達が集まっていた。キャンプ場から争う音は聞こえなくなったが、本当に戻ってもいいのか分からず様子を見ているのだろう。私達はその人混みを縫うようにしてキャンプ場の方へと進んでいき、そして、

「マルフォイ?」

 見覚えのある顔を見つけて私は思わず足を止めた。急に足を止めたので、後ろを歩いているジョージが私の背中に思いっきりぶつかり「あいた!」と声を上げ、その声に気付いたフレッドとジニーが驚いて振り返った。

「どうしたの、ハナ」
「今、マルフォイって言わなかったか?」
「気のせいかもしれないけど、ほら、あそこ。マルフォイじゃないかしら……1人みたい」

 私達がいる場所から数メートルほど離れた場所にドラコ・マルフォイは立っていた。彼のそばには両親はおらず、1人きりだ。キャンプ場を見つめ、なんだか不安そうにしている。

「両親が捕まったんじゃないか?」

 フレッドが嫌悪感たっぷりに言った。

「あいつの両親なら仮面つけて行進していてもおかしくはない」
「それとも両親だけ逃げて置いて行かれたかだな。マルフォイの奴、ビビリなんだ。去年、ホグワーツ特急に吸魂鬼ディメンターが乗ってきた時なんて、ほとんどお漏らししかかってた。なあ、フレッド」
「そうそう。俺達のコンパートメントに駆け込んできたんだ」
吸魂鬼ディメンターは誰だって怖いわ」

 嗜めるように私は言った。

「そりゃ、マルフォイの言動で腹立つことも多いけど……私、マルフォイが本当は優しい普通の男の子なんじゃないかって思う時があるの」
「正気かよ。マルフォイだぜ」

 フレッドがしかめっ面で答えた。

「でも、去年、彼はダイアゴン横丁でウィーズリーおじさんとルシウス・マルフォイが乱闘騒ぎになった時、私が止めに入ろうとするのを止めてくれたわ。それに、ヒッポグリフに怪我をさせられたのを覚えてる? ずーっと包帯を巻いてた時……あの時、なんだか本人はそうすることを望んでいないように見えた」
「だからって、ヤツがマグル生まれの子を差別したりしている事実は消えない」

 ジョージがきっぱりと言った。

「あいつ、2年前、ハーマイオニーを穢れた血だって罵ったんだ。他にもネビル・ロングボトムに呪いをかけたりね。君自身もアズカバンの囚人の娘だって、謂れのないことを言われたこと忘れたのか」
「なんにせよ、あいつは俺達に声をかけられることを望んでないさ」
「行きましょう、ハナ」

 3人に引っ張られるようにして、私はその場を離れた。確かにマルフォイには腹が立つことがたくさんある。私自身、それでマルフォイを吹き飛ばしたり怒鳴ったことだってある。だけど、ふとした瞬間に見せる優しさだったり、憂いだったり、気弱な部分を知る度に分からなくなる。マルフォイは、本当に自ら望んで嫌な態度を取っているのか、と考えてしまうのだ。ただ生まれた家柄のためにそういう態度を取っているだけなのではないかと思える瞬間があるのだ。けれども、フレッドの言うようにマルフォイは私から声をかけられることを決して望んではいないだろう――。

 森を抜けてキャンプ場へ戻ると騒ぎは収まっていたものの辺りはひどい有り様だった。たくさんのテントが無惨にも壊され、そのいくつかはまだ燻っている。けれども森の際に近いところにあったからか、運のいいことに、ウィーズリー家のテントは二張りとも無事だった。

「よかった、僕達のテントは無事だ」

 ホッとしたようにジョージが言った。

「パパ達やロン達はまだ戻ってないのか?」

 フレッドが辺りを見渡しながらそう言って、杖を構えたまま恐る恐る男子用テントを覗き込んだ。私もジョージもジニーも後ろから一緒になって中を覗いてみたけれど、テントの中には誰の姿もなく、魔法省に加勢をしたウィーズリーおじさん達の姿もなければ、ハリー達の姿もなかった。すると、真後ろでバシッと音がして私達は飛び上がった。

「お前達、戻ってたのか」

 姿を現したのはビルだった。どうやら戦いが終わって戻ってきたらしい。私達はビルが戻ってきたことに胸を撫で下ろしながら振り返って、言葉を失った。ビルの片腕から血がだらだら流れている。ひどい怪我だ。

「ビル! その怪我どうしたの!?」

 私は驚いて声を上げながらビルに駆け寄った。どうやら 戦闘した時に攻撃を受けたらしい。まさかこんな怪我を負うなんて考えてもみなかったのか、ジニーは真っ青になって口を両手で覆ったまま言葉を失くし、フレッドとジョージもショックを受けたままひどい怪我を負った兄のことを呆然と見つめている。ビルはそんな弟妹達を安心させるように「大丈夫だ」と笑った。

「傷を見せて、ビル。治療するわ」
「ありがとう、助かるよ」

 ビルが腕を僅かに持ち上げて見せてくれて、私は傷口をよく見ようと覗き込んだ。二の腕の辺りが切り裂かれたようになっていて出血も多いが、この傷ならハナハッカ・エキスで治るだろう。私は手に持ったままだった杖を上着のポケットに突っ込むと、急いでポシェットを漁り、ハナハッカ・エキスの入った瓶を探し出した。

「あったわ。3人共、ビルの怪我はすぐ治るわ。ハナハッカ・エキスを持ってるの」

 ショックで立ち尽くしたままの3人に私は微笑みかけた。

「外は不衛生だし、テントの中でやりましょう。さあ、ビル、中に入って。ジョージ、何か血を拭くものを探してきて。フレッド、私と一緒にビルの服を脱がすのを手伝って。袖を破るだけでもいいわ。ジニー、大丈夫よ。すぐに治るわ」

 みんなでテントの中に入ると、ジョージが早速拭くものを探しに行き、フレッドはビルの袖を破くのを手伝ってくれた。ジニーは顔面蒼白のままビルのそばに座って私達の様子を見守っている。

「2滴でいいと思うわ――」

 私は「ハナハッカ・エキス」とラベルの貼られた小瓶の蓋を開けると露わになってビルの傷口に2滴垂らした。途端に緑がかった煙が上がって傷口を覆い隠し、それが次第に消えていくと流れていた血が止まり、切り裂かれていた傷口はもうほとんど治りかけのような状態となった。全員がホッと息をついた。

「助かった。ありがとう、ハナ」

 傷口を確認しながらビルが言った。

「よくハナハッカを持ってたな」
「例の保護者が持たせてくれたの。何かあった時のためにって。解毒剤もいくつか持ってるわ。必要な人はいるかしら」
「いや、それは大丈夫だと思うよ。ありがとう」

 傷口が塞がってもこれまで流れていた血が消えるわけではないので、一段落すると、ジョージが見つけてきてくれた真新しいシーツでビルが血を拭い始めた。けれども治ったとはいえ、兄がひどい怪我を負ったショックはなかなか消えるものではなく、小さなテーブルを囲んで座ったままジニーはずっと黙り込んでいたし、フレッドとジョージも口数が少なかった。

「ハナ、他の3人はどうした?」

 テーブルのそばに座り、シーツで血を拭いながらビルが訊ねた。

「ロンとハリーとハーマイオニーの姿が見えないけど……」
「途中で逸れてしまったの。心配だわ。何もないといいけど……仮面の一団はどうなったの?」
「印が上がった瞬間に逃げられたよ。君達は怪我はないかい?」
「ええ、大丈夫よ。森の中でいろんな人とぶつかったんだけど、フレッドとジョージが随分私とジニーを庇ってくれたの」
「そうか、2人共よくやった」

 ビルはそう言って微笑んで、怪我をしていない方の腕でフレッドとジョージの頭をポンポンと撫でた。けれどもフレッドとジョージはいつもの調子が出ず、こくりと頷いただけだった。

「とはいえ、ロン達が心配だな。もうすぐチャーリーとパーシーが戻ってくるだろうから、どうするか相談しよう。父さんはまだかもしれない。印が上がった現場に向かったんだ」
「あの印は仮面の一団の誰かが上げたの?」
「いや、分からない。ただ分かっているのは、あれが“闇の印”と呼ばれる例のあの人の印で、打ち上げ方を知ってるのはあの人とその手下達だけだってことだ――」

 まもなく、チャーリーとパーシーがテントに戻ってきた。チャーリーは外傷は見受けられなかったものの、シャツが大きく裂けていて、パーシーは鼻血を流している。流石に鼻の中にハナハッカ・エキスを垂らすわけにもいかず、ビルがシーツの端を杖で突いて切り裂いて、まだ血に染まっていないところをパーシーに渡した。

 やがて、ハリー、ロン、ハーマイオニーが戻っていないことを知ったチャーリーが様子を見るためにテントから顔を出して外の様子をうかがった。しばらく待ってみて戻りそうにないならチャーリーが探しに行ってくれるという。すると、チャーリーが様子をうかがい始めて少ししてウィーズリーおじさんが戻ってきた。なんとハリー、ロン、ハーマイオニーと一緒だ――私は無事に戻ってきた3人にホッと胸を撫で下ろしたのだった。