Make or break - 042

5. クィディッチ・ワールドカップの悪夢



 ビルとチャーリーのあとに続いて私、ハーマイオニー、ジニーがテントを出ると、大勢の人々が森に向かって逃げているところだった。どうやらキャンプ場の入口の方で何者かが暴れているらしい。大声で野次り、卑下た笑い声を上げ、酔って喚き散らす声が、夜気に乗って微かに聞こえてくるのが分かった。遠くで奇妙な光が見え、直後に大砲のような音が響くと、ジニーが私の腕をぎゅっと掴んだ。

 ビルとチャーリー以外、男子用テントからはまだ誰も出てきていなかった。どうやら相当慌てて駆けつけてきてくれたらしい。2人はテントを出て以降もすぐには魔法省に加勢せず、しばらくの間私達に付き添っていたが、フレッドとジョージが姿を見せると、「女の子達のそばから絶対離れるな」と言って一度テントの中に戻っていった。もしかしたら慌てて出てきたので加勢するにも準備が中途半端だったのかもしれない。

「フレッド、ジョージ――ねえ、一体何が起こってるの? 誰がこんなことしてるの?」

 ビルとチャーリーと入れ違いでフレッドとジョージが私達のそばにやってくるとジニーが不安そうに訊ねた。その間にも光と大砲のような音が何発も聞こえ、騒ぎ立てる声は次第に大きくなり、騒ぎを起こしている何者かが確実にこちらに近付いてきているのをヒシヒシと感じた。一瞬、シリウスとリーマスに連絡しようかと迷ったが、明日は満月だし、シリウスがここに現れては別の問題が起こりかねない――私はあとで2人から散々怒られるのを覚悟して連絡するのをやめた。

「俺達にも何が起こってるのか分からないんだ。親父に叩き起こされて、ビルとチャーリーがあとは頼んだぞって……」

 騒ぎが起こっている方を見ながらフレッドが答えた。おそらく初めて経験するであろう事態に恐怖の色が浮かんでいる。けれども、妹に視線を戻した時、フレッドも、そしてジョージも、いつもの戯けた調子に戻っていた。それは、妹を心配させまいとする兄の顔だった。

「ま、とにかく、いい騒ぎじゃないことだけは確かだな。せっかく賭けに勝っていい気分だったのにやってくれるぜ」
「ジニー、そんなに心配しなくてもいい。魔法省の職員はうじゃうじゃいるし、ビル達もいる。それに、何かあったら僕達がこっそり持ってきた悪戯グッズをお見舞いしてやるよ」

 それからほどなくして、ハリーとロンがテントから出てきた。騒ぎはより一層大きく聞こえるようになり、逃げ惑う人々が叫び声を上げながら次々に私達の目の前を通り過ぎていく。ほとんど明かりもない夜のキャンプ場は暗く、騒ぎの中心は何も見えなかったが、突然強烈な緑の光が炸裂すると、辺りが眩しく照らし出された。

 魔法使い達の集団がキャンプ場をゆっくりと行進し、遠くからこちらに歩いてくるところだった。全員フードを被り、仮面をつけ、素顔を隠している。そして、その行進に参加しているほとんどが杖先を真上に向けていた。私は恐る恐る視線を上に向け、言葉を失った。仮面の一団の頭上に4つの影が宙に浮かび、グロテスクな形に歪められ、もがいている。

「どうして……」

 やっとの思いで私は言葉を絞り出した。

「どうしてこんなことが出来るって言うの……?」

 仮面の一団が頭上に浮かべているもの、それは人だった。4人の人間をまるで操り人形マリオネットのように操っている。しかも、4人のうち2人はまだ小さい、ほんの子どもだった。

 多くの魔法使い達が浮かぶ4人を指差し、笑いながら、次々と行進に加わり、一団は更に大きくなっていった。テントが潰され、倒され、吹き飛ばされ、時には燃やされ、逃げ惑う人々の叫び声がますます大きくなっていく。燃えるテントのそばを通過する時、宙に浮いた姿がはっきりと照らし出された。

 宙に浮いていたのはキャンプ場の管理人のロバーツさんだった。あとの3人は奥さんと子ども達だろうか。仮面の魔法使いの一人が、笑い声を上げて杖を振り、奥さんを逆さまに引っくり返している。ネグリジェがめくれて、ドロワーズが剥き出しになり、奥さんは隠そうともがいたが、下の群衆は大笑いし、囃し立てた。

 ああ、これが今のイギリス魔法界を担う多くの大人達がかつて見てきた景色なのだと私は思った。ヴォルデモートが力を失うその日まで、イギリスではこれよりもっとひどいことが横行し、シリウスとリーマスは常にその只中で戦っていたのだ。明日は我が身だ。こんなことが毎日起こり続けて、気が狂わない人はいないだろう。

「ハナ、ここは大人に任せるしかない」

 杖を握ったままの手をぐっと握り締めると、ジョージがその反対側の手を取って言った。

「悔しいけど未成年の魔法使いに出来ることは何もない」

 ジョージの言葉に私は黙って頷くしかなかった。ここで私が勝手をすれば、みんなに迷惑がかかることはまず間違いないからだ。マグルの女性が下着を剥き出しにされて笑われるのも、一番小さいマグルの子どもが、20メートルも上空で独楽こまのように回されるのも私は見ているしかなかった。私の手を掴んでいるジョージの手が落ち着いた口調とは裏腹に怒りで震えている。

「むかつく」

 ロンが呟いた。

「ほんと、むかつく……」

 まもなく、ウィーズリーおじさんが男子用テントから出てきた。そのあとから、ビル、チャーリー、パーシーが、杖を手に袖をまくり上げて飛び出してくる。ビルとチャーリーはパジャマにジーンズ姿ではなく、きちんと着替えを済ませていた。

「私らは魔法省を助太刀する」

 騒ぎの中で、ウィーズリーおじさんが腕まくりしながら声を張り上げた。その横を通り抜けてビル、チャーリー、パーシーの3人がもう間近に迫っている一団に向かって駆け出していく。おじさんがそのあとに続きながら私達に向かって叫んだ。

「お前達――森へ入りなさい。バラバラになるんじゃないぞ。片がついたら迎えにいくから!」

 魔法省の職員が四方八方から飛び出し、仮面の一団に向かっていった。ロバーツ一家を宙に浮かべた一団が、どんどん近付いてきている。

「さあ」

 フレッドがジニーの手を掴み、森の方に引っ張っていった。ジョージと私がそれに続き、その後ろにハリー、ロン、ハーマイオニーが続いた。ジョージは私の手を掴んだままだ。もしかするとビルとチャーリーに何か頼まれたのかもしれないと私は思った。私から絶対に離れるなと言われたに違いない。

「セドは大丈夫かしら……」

 森の中に入り、後ろを振り返りながら私は言った。仮面の一団はどんどん人数を増やして膨れ上がり、今や大集団となっている。魔法省の職員達はなんとかして一団に近付こうとしていたが、攻撃魔法が使えずにいた。何せ、ロバーツさん達が20メートルも上にいるのだ。下手に攻撃して落下したら、まず助からないからだ。

「ディゴリーは心配ないさ」

 ジョージが私の手を引き、フレッドとジニーのあとに続いてグイグイ森の奥へ進みながら言った。

「あいつが優秀なことは君も知ってるじゃないか」
「でも、ディゴリーおじさんと2人で来たのよ。おじさんが戦いに加われば、彼は1人になるわ」
「大丈夫、心配いらない」

 宥めるようにジョージが続けた。

「それに、あっちのキャンプ場では騒ぎは起こってないかもしれない」
「そうね……そうかも……」

 競技場へ続く小道を照らしていたランタンは既に消え、森の中は真っ暗だった。木々の間を黒い影がいくつも動き回り、不安げに叫ぶ声や恐怖に慄く声、子ども達の泣き喚く声が周りに響いている。前に進むたびに誰かとぶつかり、肩を押されながら私は森の奥へと進み、そして、振り返った。

「待って!」

 途端、私は叫んだ。

「フレッド、待って! ハリー達がいないわ!」

 一緒に森の中に入ったはずのハリー、ロン、ハーマイオニーの3人がいなくなっていた。私の声にたちまちフレッド、ジニー、ジョージが足を止め、同じように後ろを振り返った。

「おいおい、マジかよ」

 フレッドがジニーを連れてこちらに引き返してきた。ジニーが不安そうにフレッドの手を握り締めている。私達は辺りをキョロキョロ見渡したが、暗闇の中にお互いの姿がなんとか見て取れるだけであとはほとんど何も見えなかった。こんなんじゃハリー達を探せやしない。私は素早く杖を振り、杖灯りを点した。

「どうしよう、どこかで逸れたんだわ」

 辺りに杖灯りをかざして私は言った。明かりの届く範囲に3人の姿はなく、周りには知らない人ばかりだった。すぐ近くにいた小さな子が杖灯りに少しだけホッしたような顔をして、足を止めた。

「戻るか?」

 ジョージが辺りをキョロキョロしながら言った。

「3人を探さないと」
「まったくやってくれるぜ……探した方がいいだろうけど、無闇に動くのは危険だな……」

 キャンプ場から爆弾が破裂するような音が聞こえ、緑色の閃光が、一瞬、周囲の木々を照らした。その音から逃れるようにして周囲の人々が森の更に奥へと進み、先ほど近くで足を止めていた小さな子もいつの間にかいなくなっていた。ジニーが顔を真っ青にして肩を震わせ、フレッドにしがみついる。私とフレッドとジョージはそんなジニーを見て、戻るのはやめた方がいいだろうと頷き合った。

「ここにいよう」

 フレッドが言った。

「戻るのは危険だ。親父やビル達が迎えにくるまで待とう。もしかしたら、ロン達がこっちに来て、合流出来るかもしれない」

 私達はその場でじっと待った。みんな更に奥の方へ逃げたのかそれとも別の方へ行ってしまったのか、叫び声や泣き声は聞こえるのに私達の周りには誰もいなかった。フレッドとジョージが末妹を怖がらせまいと軽口を言って笑わせようとし、私はポシェットを探ってお菓子を見つけると3人にそれを配った。

「マグルのお菓子なの。こういう時は甘いものって相場は決まってるのよ」
「ありがとう、ハナ」

 ジニーが微かに微笑みながらお菓子を受け取った。フレッドとジョージもお礼を言ってお菓子を受け取り、口の中に放り投げ、そして、そのまま口をあんぐりと開けたまま恐怖に顔を引き攣らせて上空を見上げた。

「あれは……」

 夜空に巨大な髑髏が打ち上がっていた。その髑髏の口から蛇が這い出し、緑がかったもやを背負って、真っ黒な空にギラギラ輝いている。私達は空に高々と打ち上がったそれを見上げ、しばらくの間、呆然と立ち尽くしていた。