Make or break - 039

5. クィディッチ・ワールドカップの悪夢



 鋭いホイッスルの音とバグマンさんの声が競技場内に響き渡ると、審判のモスタファーが空中に飛び出して試合が開始された。クィディッチの試合はホグワーツで何度も見たことがあったし、もちろん初めてではなかったけれど、それでも、プロの試合振りにはかなり圧倒された。みんな動きが速くて、とてもじゃないけど目が追いつかない。赤いクアッフルが次々に選手の手から手へ渡っていく。

「そしてあれはマレット! トロイ! モラン! ディミトロフ! またマレット! トロイ! レブスキー! モラン!」

 元々プロだったバグマンさんすら、クアッフルを手にした選手の名前を叫ぶだけで精一杯だった。試合があっという間に進んでいくので、細やかな部分を実況している暇がないのだ。アイルランドのチェイサーはひと塊になってブルガリア陣に突っ込んでいき、先頭の選手が上手くブルガリアの選手を引きつけて急上昇したかと思うと、ノーガードで下を飛んだままだった後方の選手にクアッフルをパスした。

「上手い!」

 チャーリーが唸るように声を上げた。けれども、その直後にブルガリアのビーターが、パスを受け取ったアイルランドのチェイサーであるモランの行く手目掛けてブラッジャーを強打した。モランはヒョイとブラッジャーをかわしたが、うっかりクアッフルを取り落とし、下からやってきたブルガリアのチェイサーにクアッフルを奪われた。モランが慌てて急旋回すると同時にアイルランドのビーターがブラッジャーを打ち込み、クアッフルは再びモランの手に渡った。奪い返したクアッフルはトロイに渡り、そして、トロイが矢のようにゴールへと飛んでいき、華麗にシュートを決めた。

「トロイ、先取点! 10対0、アイルランドのリード!」

 バグマンさんの声が轟き、アイルランド側のスタンド席が大歓声に揺れた。私達もハイタッチし合って喜んだが、ハリーだけが1人、間の抜けた声を出した。

「えっ? だって、レブスキーがクアッフルを取ったのに!」

 どうやらハリーは万眼鏡オムニオキュラーのスロー再生機能を使って試合を見ていたらしい。ハリーはわけが分からない様子で万眼鏡オムニオキュラーを覗き込んだまま辺りをぐるぐる見回した。

「それは大分前よ、ハリー! 奪い返してゴールを決めたの!」
「ハリー、普通のスピードで観戦しないと、試合を見逃すわよ!」

 私とハーマイオニーがほぼ同時に叫んだ。目の前では、ゴールを決めたトロイがピッチを1周するウイニング飛行をしているところで、ハーマイオニーはハリーに叫びながらピョンピョン飛び上がって、トロイに向かって両手を大きく振っている。上空では、ピッチの端に座り込んで試合を観戦していたレプラコーンが再び舞い上がって輝く巨大な三つ葉のクローバーを作り上げていて、ヴィーラが憎々しげにそれを眺めていた。

 それから、10分の間にアイルランドはもう2回得点し、30対0とリードを広げた。アイルランドのチェイサーの一糸乱れぬ連携プレーは素人から見ても素晴らしく、アイルランド・サポーター達からはひっきりなしに歓声が上がった。アイルランドのチェイサーの3人は、互いの位置を見もしていないのに、誰がどこにいるのかすべて把握しているかのようにパスを回し、華麗にゴールを決めた。

 少しずつ点差が開くにつれ、ブルガリアのプレイが荒っぽくなってきた。ブルガリアのビーターであるボルコフとボルチャノフは、アイルランドのチェイサーに向かって思い切り激しくブラッジャーを叩きつけ、連携を封じようと躍起になり、遂にアイルランドのチェイサーの連携が乱れると、ブルガリアが初ゴールを決めた。

「耳に指で栓をして!」

 途端、ウィーズリーおじさんが大声を上げた。ヴィーラが祝いのダンスを踊り始めたからだ。男性陣は一様に耳栓をし、魅了されないようピッチから目を背けたが、その間試合が再開されたかどうかも見れなくなるので、ところどころから不満の声が上がった。

「ディミトロフ! レブスキー! ディミトロフ! イワノバ――」

 試合再開後もクアッフルはまだブルガリア勢が持っていた。バグマンさんの実況の声が再び響き渡り、男性陣も顔を上げて試合観戦を再開させた。すると、

「うおっ、これは!」

 バグマンさんが唸り声を上げ、同時に10万人の観衆が息を呑んだ。両国のシーカー、クラムとリンチがチェイサー達の中心を裂くように地面に向かって一直線に急降下している。私は万眼鏡オムニオキュラーを覗き込んでスニッチがあるかどうか目を凝らしたけれど、私が探している間に、クラムとリンチは地面スレスレまで迫っていた。

「地面に衝突するわ!」

 隣でハーマイオニーが悲鳴を上げた。けれども、クラムの方は恐ろしいほど箒の扱いが上手く、ぶつからなかった。クラムは地面スレスレのところで箒の柄を引き上げて、旋回しながら飛び去っていく。対してリンチは急上昇に失敗し、鈍い音を響かせて地面に衝突した。

「バカ者!」

 ウィーズリーおじさんが呻いた。

「クラムはフェイントをかけたのに!」

 アイルランドがすぐさまタイムアウトを宣告し、専門の魔法医がリンチに駆け寄った。ジニーは真っ青になってボックスの前方の手摺壁から身を乗り出すようにして下を覗き込み、チャーリーがそれを慰めた。

「大丈夫だよ。衝突しただけだから! もちろん、それがクラムの狙いだけど……」
「今のはクラムのフェイントだったの?」

 驚いて、私は訊ねた。

「てっきり2人がスニッチを見つけたんだと思ったわ」
「ウロンスキー・フェイントっていうシーカーを引っかける危険技だ。失敗すれば自分も地面に衝突することになるけど、成功すればほら――タイムアウトの時間、スニッチを探すことに費やせる」

 チャーリーが上空を指差してそう言って、私も上を見た。そこには先ほど上昇していったクラムが、輪を描くようにして飛びながらスニッチを探している姿がある。なるほど、魔法界では治療のための魔法薬や呪文があるので、こういう危険な技も可能なのだろう――再びピッチを見てみるとリンチが魔法医に何杯も魔法薬を飲まされているところだった。

 やがて、リンチが立ち上がると、アイルランド・サポーターが沸き立った。まんまとしてやられたことでアイルランドは奮起したのか、リンチがファイアボルトに跨り空へと戻っていくと、チェイサーの3人がこれまで以上に素晴らしいプレイを見せた。アイルランドのチェイサー達はブルガリアを一切寄せつけず、たった15分の間に10回ものゴールを決め、今や130対10にまで点差が開いていた。

 ブルガリア 10  アイルランド 130

 あまりの点差に、ブルガリアのプレイが益々荒っぽくなってきた。アイルランドのチェイサー、マレットがクアッフルをしっかり抱え、またまたゴール目掛けて突進すると、ブルガリアのキーパー、ゾグラフが飛び出し、彼女に肘打ちを喰らわせたのだ。これは明らかな反則だ――審判のモスタファーが鋭く、長くホイッスルを吹き鳴らした。

「モスタファーがブルガリアのキーパーから反則を取りました。“コビング”です――過度な肘の使用です!」

 どよめく観衆に向かって、バグマンが解説した。

「そして――よーし、アイルランドがペナルティ・スロー!」

 レプラコーン達は反則行為に怒り、まるで怒れる蜂のように辺りを飛び回っていたが、ペナルティ・スローが得られると分かると一転して喜び、今度は素早く集まって空中に「ハッ! ハッ! ハッ!」と挑発するような文字を描き始めた。これにはヴィーラも怒りを露わにして立ち上がり、髪を激しく打ち振り、怒りのダンスを披露した。

 ヴィーラは怒りのダンスでも魅了の力があるらしい。男性陣の多くは耳を塞ぎ、ヴィーラから目を逸らしたが、影響を受けない私とハーマイオニーとジニーはピッチの様子見て、顔を見合わせクスクス笑った。耳を塞ぎ損ねた審判のモスタファーが踊るヴィーラの真ん前に降りて、腕の筋肉を見せつけたり、夢中で口髭を撫でつけたりしていたのだ。

「審判を見てよ!」

 ハーマイオニーがおかしそうに右隣にいるハリーを引っ張り、ジニーは笑いながらチャーリーの足を叩き、私は左隣にいるビルの腕を叩いて知らせた。

「ヴィーラに魅了されてしまったわ!」
「耳を塞ぐ暇がなかったのね。ちょっと可哀想だけど」

 これには、気付いた男性陣も大笑いだった。今や競技場のあちこちから笑い声が上がり、バグマンさんはおかしくて笑いたくなるのを必死に耐えながら「誰か、審判をひっぱたいてくれ!」と声を上げた。モスタファーはその間もずっとヴィーラにアピールを続けていたが、駆けつけた魔法医の1人にすねを思いっきり蹴られると、ようやく正気を取り戻したのだった。