Make or break - 037

4. マグルのキャンプ場



 ウィンキーと話してしばらくすると、みんなの頭の中はまたクィディッチ・ワールドカップ一色となった。ロンは万眼鏡オムニオキュラーを取り出して、観客席に座っている人々の様子を眺めては面白がっていたし、しばらくの間、気に入らないとばかりに眉根を寄せて考え込んでいたハーマイオニーも、やがてプログラムを開くとそれに目を通し始めた。プログラムはビロードの表紙にタッセルがついた上品なデザインだ。

「閉会の時間は書いてないみたいね」

 ハーマイオニーが開いているプログラムを覗き込んで私は言った。

「もし、試合が何日も続くようなら、リーマスに迎えにきてもらって途中で帰らなくちゃ……魔法薬学の課題がまだ完全に終わってないの。絶対仕上げなくちゃ……」
「例のやつね? どこまで出来たの?」
「あと、魔法薬を1つ完成させれば終了よ。ただ、ちょっと手こずってるの」
「貴方が手こずるなんて。スネイプ先生は貴方から点数を引けなくていつもイライラしてるくらいなのに」
「教科書に載っているとおりに作っても上手くいかなくて……でも、絶対仕上げてみせるわ」
「応援してるわ。頑張って――あ、ねえ、見て――試合の前にマスゲームがあるみたい」

 ハーマイオニーがプログラムを指差し、読み上げた。

「“試合に先立ち、チームのマスコットによるマスゲームがあります”」
「ああ、それはいつも見応えがある」

 ウィーズリーおじさんがそう言って、私はおじさんの方を見ると訊ねた。

「マスゲームって、どんなことをやるんですか?」
「ナショナルチームが自分の国から何か生き物を連れてきてね、ちょっとしたショーをやるんだよ――それから」

 ウィーズリーおじさんは辺りを見渡し、ウィンキー以外このボッスク席に誰もいないことを確かめると小声で言った。

「そのうちここに魔法大臣がやってくるだろう。ただ、あの一件・・・・は一般的には公になっていないということを忘れてはならない」
「どこでその事実を知ったのか、勘繰られないようにしなければならないんですね」
「そうだ」

 私の言葉にウィーズリーおじさんが頷いた。

「ダンブルドアに話を聞いたと思ってくれたらいいが、そうじゃなければ彼との繋がりを疑われ、そこから居場所がバレる可能性は十分にある。彼のためだと思って堪えるんだ。いいね?」

 ファッジ大臣がシリウスに対する聴取を手酷く打ち切ったことは、私をはじめ、ハリー、ロン、ハーマイオニー、ビル、チャーリー、ウィーズリーおじさんの中では周知の事実となっているので忘れがちになってしまうが、世間ではシリウスがすっぽかしたということになっている。魔法省がわざと聴取の開始時間を変更したことは当然世に知られていないことになっているのである。

 なのに、ただの子どもである私達がその事実を知っていたらどうなるか、想像に難くない。おじさんの言うように私達とシリウスが未だに繋がっていると知ったファッジ大臣が居場所を探ろうとする可能性は十分に有り得るのだ。なぜなら、ダンブルドア先生がシリウスの滞在先を明かさなかったことをファッジ大臣はよく思っていないからだ。今のところ、たとえ滞在先がバレたとしても家から出なければシリウスは大丈夫だと信じたいが、自らの悪評を広めかねないシリウスをファッジ大臣がそのままにしておくかどうか、私には判断がつかなかった。

 1年前、漏れ鍋で初めて会った時、ファッジ大臣はこんな理不尽なことをするような人には見えなかった。人のいい親戚のおじさんのような雰囲気だったのに、どうしてこんなことになったのか、私は未だにどこか信じられない気持ちだった。それだけ、恐怖やプレッシャーやストレスは、思わぬ疑念を呼び込み、冷静な判断を失わせるということだろうか。かつて、ヴォルデモートの恐怖に支配されていたころ、シリウスとリーマスが互いに信じ合えなくなってしまったように――。

 それから30分の間に、私達とウィンキーしかいなかった貴賓席も徐々に埋まりつつあった。大抵イギリス魔法省の中でも重要なポストについている魔法使い達で、ウィーズリーおじさんは続けざまに握手を交わし、パーシーはひっきりなしに椅子から飛び上がっては、ピンと直立不動の姿勢をとった。

 まもなく、ファッジ大臣が豪華な黒ビロードのローブを着た魔法使いと共に現れると、私達は揃って大臣の方を見ないように気をつけた。ひと目見てしまえば、嫌味の1つでも言いたくなってしまうからだ。とはいえ、ウィーズリーおじさんは自分の職場のトップを無視するわけにはいかない――すぐさま立ち上がり、にこやかに挨拶して握手を交わした。パーシーも弾かれたように立ち上がって深々とお辞儀をしたが、その拍子に眼鏡が落ちてしまい、パーシーは恥じ入ったように拾い上げると、杖で元通りにしてから椅子に座った。

「やあ、ハリー、元気かね?」

 ウィーズリーおじさんと握手を終えると、ファッジ大臣がハリーに声をかけてきて、ハリーは飛び上がった。まさか声をかけられるなんて思っても見なかったのだろう。ハリーが戸惑いながら立ち上がると、大臣はまるで父親のような仕草でハリーと握手を交わし、ビロードのローブの魔法使いにハリーのことを紹介した。

「ご存知、ハリー・ポッターですよ」

 ファッジ大臣が大声で話しかけた。どうやら、生き残った男の子と懇意にしているとアピールしたいらしい。ハーマイオニーが俯いて顔を隠し「ムカつく」と口だけ動かした。

「ハリー・ポッターですぞ……ほら、ほら、ご存知でしょうが。誰だか……例のあの人から生き残った男の子ですよ……まさか、知ってるでしょうね――」

 ビロードのローブの魔法使いは、どうやらブルガリアの魔法使いらしく、言葉が分からない様子だった。ファッジ大臣が案内しているところから見るに、彼がブルガリアの魔法大臣なのだろう。はじめ、ブルガリアの大臣はわけが分からないとばかりに首を傾げていたが、やがてハリーの額の傷痕に気付くと、それを指差しながら、何やら興奮して騒いでいた。

「なかなか通じないものだ」

 ファッジ大臣がうんざりしたようにハリーに言った。

「私はどうも言葉は苦手だ。こうなると、バーティ・クラウチが必要だ。ああ、クラウチの妖精エルフが席を取っているな……いや、なかなかやるものだわい。ブルガリアの連中がよってたかって、よい席を全部せしめようとしているし……」

 奥にいるウィンキーを見て、ファッジが言った。どうやらクラウチさんの屋敷しもべ妖精ハウス・エルフだったらしい。クラウチさんは規則をきちんと守る人のように見えたので、妖精エルフの扱いもまた、古くからの慣習に則っているのだろうか。とはいえ、これだけでクラウチさんの人となりを判断するのはよくないことだろう。

「ああ、ルシウスのご到着だ!」

 ボックス席の出入口の方を見たファッジ大臣がそう言って、ハリー、ロン、ハーマイオニー、私の4人は急いで振り返った。ウィーズリーおじさんの真後ろが3席だけぽっかり空いていて、ちょうどそこに向かってマルフォイ一家が歩いてくるところだった。先頭を歩くのは先程話題に上ったドビーの昔の主人であるルシウス・マルフォイだ。その後ろから1人息子のドラコと女性が1人、歩いてくる。女性は、綺麗なブロンドの美しい人で、彼女がマルフォイ夫人だろうと私は察した。

「ああ、ファッジ」

 魔法大臣のところまで来ると、ルシウス・マルフォイが手を差し出して挨拶した。

「お元気ですかな? 妻のナルシッサとは初めてでしたな? 息子のドラコもまだでしたか?」
「これはこれは、お初にお目にかかります」

 ファッジは笑顔でマルフォイ夫人にお辞儀した。マルフォイ夫人も丁寧にお辞儀を返し、それに倣ってドラコも父親そっくりなお辞儀を返した。

「ご紹介いたしましょう。こちらはオブランスク大臣――オバロンスクだったかな――ミスター、ええと――とにかく、ブルガリア魔法大臣閣下です。どうせ私の言っていることは一言も分かっとらんのですから、まあ、気にせずに。ええと、他には誰か――アーサー・ウィーズリー氏はご存知でしょうな?」

 ファッジ大臣がそう言った途端、ウィーズリーおじさんとルシウス・マルフォイの間に緊張が走った。なにせ、2人の仲はすこぶる悪い――1年前にフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で鉢合わせた時には、取っ組み合いの大喧嘩をしたくらいなのだ。ルシウス・マルフォイは冷ややかな視線をウィーズリーおじさんに投げかけると、私達のことを列の端から端までズイッと眺めた。

「これは驚いた、アーサー」

 ルシウス・マルフォイが低い声で言った。

「貴賓席のチケットを手に入れるのに、何をお売りになりましたかな? お宅を売っても、それほどの金にはならんでしょうが?」
「アーサー、ルシウスは先ごろ、聖マンゴ魔法疾患傷害病院に、それは多額の寄付をしてくれてね。今日は私の客として招待なんだ」

 ルシウス・マルフォイの言葉を聞いてもいなかったのかファッジが言った。ウィーズリーおじさんは流石にイギリスとブルガリアの要人の前で挑発に乗るわけにはいかず、無理に笑顔を取り繕った。

「それは――それは結構な」

 嫌味を言い損ねたルシウス・マルフォイが、次のターゲットを探すように視線を動かした。そして、ハーマイオニーを見ると、不快そうに口許を歪めている。純血主義のマルフォイ家にとって、マグルの血を引く者は皆、侮蔑の対象なのだ。だというのに私のことを同じような目で見ないのは、彼らが私の両親について、大きな勘違いをしているからだろう――私がじっとルシウス・マルフォイを見ていると、視線を感じたのか、彼がこちらをチラリと見遣ると、また口を開いた。

「そういえば、先日はひどい目に遭いましたな、ファッジ。シリウス・ブラックの件で――」
「分かるかね? とんだ目に遭った」

 ファッジ大臣が自分のしたことなんてさっぱり忘れたかのような口振りで答えた。ハーマイオニーが指先が真っ白になるほど拳を握りしめていて、ハリーとロンはわなわな震え、みんな怒りに耐えていた。

「実はブラックが通知を受け取っていないなどと嘯くので手に負えんのだよ。通知を出した記録は残っていると言うのに……」
「それはそれは。シリウス・ブラックが信用に値しないというのも、実に真っ当な判断かと――」

 次の瞬間、ハリーが立ち上がるより早く、ロンがハリーの腕を取り押さえた。ファッジ大臣はそのことに気付きもせず上機嫌でブルガリアの大臣と共に席に着き、ルシウス・マルフォイはニヤリと口許を持ち上げて、こちらを蔑むような会釈をすると自分達の席まで進んでいった。ドラコは、ハリー、ロン、ハーマイオニー、私の4人に小バカにしたような視線を投げかけ、両親に挟まれて席に着いた。

「ムカつくやつだ」

 せっかくクィディッチ・ワールドカップの決勝戦を貴賓席で観戦出来るというのに、これ以上ファッジ大臣とマルフォイ一家を見ていても腹が立つだけだ。私達が怒りに耐えながらピッチに視線を戻した時、ハリーを取り押さえる手を離しロンが声を殺して呟いた。ボックス席には、嫌な空気が漂い始めていたが、まもなく、バグマンさんが勢いよく飛び込んでくると、その空気を一蹴した。

「みなさん、よろしいかな?」

 バグマンさんは興奮で生き生きとしながら言った。

「大臣――ご準備は?」
「君さえよければ、ルード、いつでもいい」

 ファッジ大臣が満足げに言った。シリウスの聴取を打ち切り、彼に対して否定的な報道を流して以降、吼えメールや呪いの手紙は激減したのだろう。実に機嫌がよさそうだ。ハリーに対して親しげに話しかけたのも、自分の思惑がある程度上手くいき、心に余裕が出てきたからというのもあるに違いと思った。もし聴取の打ち切りについて何か突っ込まれたとしても、先程のようにシリウスが嘘をついていると話せば、ほとんどの人はアズカバンから脱獄した男より、魔法大臣の言葉を信じるし、仮に信じて貰えなくともそれがシリウスの味方であることを特定出来るのだから――。

「ソノーラス!」

 ファッジ大臣の言葉を受け、バグマンさんがサッと杖を取り出すと自分の喉に当てて増幅呪文をかけると、私は目の前のピッチに意識を戻した。バグマンさんの声が拡声器を使ったかのように満席のスタンドに響き渡る。

「レディーズ・アンド・ジェントルメン……ようこそ! 第422回、クィディッチ・ワールドカップ決勝戦に、ようこそ!」

 そして、いよいよクィディッチ・ワールドカップの決勝戦は幕を開けたのだった。