Make or break - 033
4. マグルのキャンプ場
私達がテントに戻ると、ウィーズリーおじさんがなんとかマグル式で火を熾そうとマッチを手に四苦八苦しているところだった。魔法界で生まれ育ったおじさんがマッチで火をつけるなんて機会があったとは思えないので、上手くいかないのも仕方のないことだろう。おじさんの周りには、折れたマッチがぐるりと散らばっている。けれども、それだけ失敗を繰り返してもおじさんは「我が人生最高の時」という顔をしていた。
見兼ねたハーマイオニーが正しいマッチの使い方を丁寧に教え、おじさんがようやく薪に火をつけられたのはそこから10分後のことだった。しかし、火をつけられたからと言ってすぐに料理が始められるわけではなく、私とハーマイオニーで様子を見ながら少しずつ薪を焚べ、火が安定するまで待った。私は、薪がしっかり燃えるよう、肩から提げたままにしているポシェットの中から古い日刊予言者新聞を取り出すと、遠慮なく火種にした。
それから昼食の支度が出来る状態になるまで、少なくとも1時間はかかったけれど、決して暇はしなかった。ウィーズリー家がテントを張ったこの森の際は、どうやら競技場へ向かう通りに面しているらしく、魔法省の職員が気忙しく行き交ったからだ。職員達はテントの前を通りかかると、誰もがおじさんに丁寧に挨拶し、おじさんはその度に今挨拶したのが誰なのかを詳しく解説してくれた。
「今のはカスバート・モックリッジ。
ウィーズリー家の子ども達は父親が魔法省の職員であることを生まれた時から知っているので特に関心はなく、この解説は主にハリーやハーマイオニー、そして、私のためのものだった。学生である私が魔法省の職員について知る機会はほとんどないので、おじさんはこの機会に教えようとしてくれているのだと察した。
「そして、あれがボードとクローカー……Unspeakableだ……」
また2人の男性が通りかかって、おじさんが言った。突然、おじさんがUnspeakable――言葉では言い表せない――と言い出したものだから、私もハーマイオニーも首を傾げ、ハリーは間の抜けた声を出した。
「え? 何ですか?」
「Unspeakable――無言者だ。神秘部に属している。極秘事項だ。一体あの部門は何をやっているのやら……」
「神秘部内で何をしているのか、分からないんですか?」
まさか、魔法省にそんな不透明な部署があるとは思わず、私は訊ねた。
「神秘部は魔法省の機関ではあるが、高度な独立性を持っている……実のところ、魔法大臣ですら、介入する権限を持っていないんだよ」
なるほど、秘匿性が高い部署に所属していて何をしているのか言葉では言い表せないから無言者――Unspeakable――と呼んでいるわけだ。神秘部内で無言者達がどんなことをしているのか興味はあるが、ウィーズリーおじさんですら分からないのなら、きっとシリウスやリーマスに聞いても分からないだろう。
「そろそろ火が安定してきたみたい……」
そうこうしているうちに火が安定してきて私は言った。
「ウィーズリーおじさん、昼食の材料はありますか?」
「ああ、パンと卵とソーセージをモリーがたくさん持たせてくれた」
「じゃあ、簡単にソーセージを焼いて、卵は目玉焼きにするのはどうですか? パンに挟んで食べたら立派なランチです」
「素晴らしい! そうしよう!」
それほど難しいことをするわけではないので、料理はみんなでやることにした。とは言え、この中で料理経験があると言えるとは私くらいなものだったので、まず、た卵の割り方を教えるところから始めなければならなかった。フレッドとロンは割り方がちょっと乱暴で大きな殻の欠片が入りそれを取るのに苦労していたし、ジョージは卵の黄身が崩れ、ハリーとハーマイオニーは勢いが良すぎて、卵にヒビを入れる際、ぐしゃっと割れて地面に落としてしまった。
「ハナ、どうしたら上手くやれるの?」
1番真剣だったのはジニーだった。私の右隣に陣取ったジニーは綺麗に割れるようになりたいとかなり慎重に卵を割っていて、私は練習のためにビル、チャーリー、パーシーの分の卵を全部ジニーに割って貰うことにした。
「上手よ、ジニー。今回はしっかり火を通したいから、水を少し入れて蓋をして蒸しましょう」
「水を入れなくても出来るの?」
「出来るわ。時間はかかるけど、少し火を弱めにしてじっくり焼くと黄身が黄色いままの綺麗な目玉焼きが出来るの――さあ、ソーセージも焼きましょう。みんな、自分の分のソーセージは自分で焼いてね」
目玉焼きを焼き始め、別のフライパンでソーセージを焼き始めると森の方からビル、チャーリー、パーシーがゆっくり歩いてきた。いつの間にかもうそんな時間になっていたらしい。
「パパ、ただいま姿現しました」
パーシーが大声で言った。それまで、初めてマグル式で焼く自分の目玉焼きとソーセージに夢中になっていたウィーズリーおじさんはパッと顔を上げて、にこやかに息子達を迎え入れた。
「ああ、ちょうどよかった。昼食だ!」
みんなで焚き火を囲み、昼食が始まった。卵は1人2個はあったし、ソーセージもたくさんあったので、ほとんどの人がパンに目玉焼きを1つソーセージを2本ほど乗せて食べた。ビルとチャーリーは、妹が作った目玉焼きをとても褒めていてジニーは嬉しそうにはにかんでいた。そして、目玉焼きとソーセージが半分ほどなくなった時、ウィーズリーおじさんが急に立ち上がってニコニコと手を振り出した。見れば、こちらに大股で近付いてくる魔法使いがいる。
「ハナ、彼がルード・バグマンだ」
私の左隣にいたビルが小声で囁いて教えてくれ、私は分かったとばかりに小さく頷いた。ビルは私がヴォルデモートに狙われていることをかなり気にしてくれていて、昨日の夕食の時もそうだったが、なるべく近くにいようとしてくれていた。チャーリーもそうなのか、さりげなくハリーの近くに陣取っている。
「これは、これは!」
おじさんがサッと立ち上がった。
「時の人! ルード!」
ルード・バグマンは、蜂のような鮮やかな黄色と黒の太い横縞が入ったクィディッチ用の長いローブを着ていて、このキャンプ場の中でも特に目立つ人だった。ローブの胸には巨大なスズメバチが一匹描かれ、その下ではお腹がパンパンに膨らんでいる。鼻は真正面からブラッジャーに潰されたのかと思うくらい、潰れてしまっていた。
「よう、よう! 我が友、アーサー」
バグマンさんが嬉しそうに応えてこちらにやってきて、ウィーズリーおじさんと軽く握手を交わした。
「どうだい、この天気は? え? どうだい! こんな完全な日和はまたとないだろう? 今夜は雲ひとつないぞ……それに準備は万全……俺の出る幕はほとんどないな!」
軽快に笑ってバグマンさんがそう言った途端、バグマンさんの背後をげっそりやつれた魔法省の職員が数人、急いで通り過ぎた。遠くに魔法火が燃えている印である火花が見えたからだ。魔法火は、6メートルもの上空に紫の火花を上げている。バグマンさんの出る幕がほとんどないのは他の職員達の努力の賜物だろうと密かに思った。
「ああ――そうだ。息子のパーシーだ。魔法省に勤めはじめたばかりでね――」
パーシーが急いで進み出てバグマンさんに握手を求めたのに気付き、ウィーズリーおじさんが紹介した。
「こっちはフレッド――おっと、ジョージだ。すまん――こっちがフレッドだ――ビル、チャーリー、ロン――娘のジニーだ――それからロンの友人のハーマイオニー・グレンジャーとハリー・ポッターとハナ・ミズマチ――ハナはダンブルドアのゴッドチャイルドだ」
バグマンさんが僅かにたじろいだ。丸いブルーの瞳がハリーの前髪の下に隠れた額の傷痕を探るように動き、そして、私に向いたが、バグマンさんが何か言うことはなかった。
「みんな、こちらはルード・バグマンさんだ。誰だか知ってるね。この人のお陰でいい席が手に入ったんだ――」
おじさんに紹介されると、バグマンさんはニッコリして、そんなことは何でもないという風に手を振り、反対側の手をローブのポケットに突っ込んだ。結構な金貨が入っているのか、これ見よがしにジャラジャラと音を立てている。
「試合に賭ける気はないかね、アーサー?」
その言葉に私はひっそりと眉根を寄せた。まだ未成年の子どもが大勢いる目の前で嬉々として賭け事の話をするなんて、信じられない思いだった。けれども、そう感じてしまうのは私が今までほとんどの時間を日本で過ごしてきたからだろうか。実際、日本とイギリスではこういった賭け事に関する法律が違い、日本では違法なものもこちらでは政府の認可さえあれば、合法だったりもする。なので、王室で誕生した赤ちゃんの名前を賭けたり、天候に関することを賭けたり出来るのだ。
そもそも周りに賭け事が溢れているからこそ、子ども達から完全に賭け事を切り離してしまうのも、ある意味危険なのかもしれない。子どものうちから正しいお金の使い方を学ばなければ、将来、騙されたり、大損をしてしまうことにもなりかねないからだ。とはいえ、今この場がそのお金の使い方の教育の場になるかは甚だ疑問ではあるけれど。私には、金貨をジャラジャラさせるバグマンさんが、どうしても賭け事でお金を集めたいだけに見えてならなかった。それとも、私が競馬なども含めて賭け事をしたことがないからこんな風に見えてしまうのだろうか。
「ロディ・ポントナーが、ブルガリアが先取点を挙げると賭けた――いい賭け率にしてやったよ。アイルランドのフォワードの3人は、近来にない強豪だからね――それと、アガサ・ティムズお嬢さんは、試合が1週間続くと賭けて、自分の持っている鰻養殖場の半分を張ったね」
「ああ……それじゃ、賭けようか」
ウィーズリーおじさんはまったく乗り気ではない様子だったが、付き合い上仕方ないとばかりに切り出した。
「そうだな……アイルランドが勝つ方にガリオン金貨1枚じゃどうだ?」
1ガリオンという金額に、バグマンさんは少しガッカリしたように肩を落とした。けれども、すぐに気を取り直すと今度はビル、チャーリー、パーシーを見遣り、他に賭ける者はいないかと訊ねた。
「この子達にギャンブルは早過ぎる」
ウィーズリーおじさんがすかさず割って入った。
「妻のモリーが嫌がる――」
しかし、思いがけないところから声が上がった。
「賭けるよ。37ガリオン、15シックル、3クヌートだ」
フレッドだった。ジョージと2人で手持ちの硬貨を掻き集めている。私はギョッとして2人を見ると、当然ウィーズリーおじさんはやめて欲しそうな顔をしていたし、ビルもチャーリーもあまりいい顔をしていなかった。けれども、2人はそんなことどこ吹く風だ。
「まずアイルランドが勝つ――でも、ビクトール・クラムがスニッチを捕る。あ、それから、だまし杖も賭け金に上乗せするよ」
今朝の騒動から免れたものがあったらしい。どこからともなくだまし杖を取り出すと、2人は賭け金と共にバグマンさんに手渡した。途端、パーシーが非難がましく弟達を見た。
「バグマンさんに、そんなつまらない物をお見せしてはだめじゃないか――」
けれども、バグマンさんはだまし杖を大層気に入ったようだった。フレッドから杖を受け取ると、顔を輝かせながら、ガアガア大きな鳴き声を上げてゴム製のおもちゃの鶏に変わった杖を見ている。
「素晴らしい!」
大声で笑いながらバグマンさんが言った。
「こんなに本物そっくりな杖を見たのは久し振りだ。私ならこれに5ガリオン払ってもいい!」
褒められたことにフレッドもジョージも嬉しそうににんまり笑ったが、ウィーズリーおじさんは困り顔で息子達を嗜めた。
「お前達……賭けはやってほしくないね……貯金の全部だろうが……母さんが――」
「お堅いことを言うな、アーサー!」
バグマンさんが興奮気味にポケットをジャラジャラいわせながら声を張り上げた。
「もう子供じゃないんだ。自分達のやりたいことは分かってるさ! アイルランドが勝つが、クラムがスニッチを捕るって? そりゃ有り得ないな、お2人さん、そりゃないよ……2人に素晴らしい倍率をやろう……その上、おかしな杖に5ガリオンつけよう。それじゃ……」
バグマンがすばやくノートと羽根ペンを取り出して双子の名前を書きつけるのを、ウィーズリーおじさんはなす術もなく眺めていた。私は本当にフレッドとジョージを止めなくて大丈夫か心配になって、隣にいたビルに囁いた。
「本当にいいの? 止めた方がいいんじゃないかしら……」
だって全財産だ。あれは、いつか悪戯専門店を開きたいと地道に貯めていたお金なのではないだろうか。しかし、ビルはやんわりと首を振った。
「なんでも未然に防いでやるより、子どものうちにある程度の失敗を学んだ方がいい。それがあの2人のためさ」
ビルが小声で答えた。
「いつか自分の店を持ちたいと言うのなら必要な学びだ」