Make or break - 032

4. マグルのキャンプ場



 朝日が姿を現すと、到着時にはまだ眠っていた他のキャンパー達も次々と起き出し始めた。最初にゴソゴソし出すのは大抵幼い子どものいる家族で、あちこちのテントから早速小さな子ども達が顔を覗かせた。少し先にある大きなピラミッド形のテントの前では、2歳になるかならないかくらいの小さな男の子がしゃがみ込んで杖で何かを突いている。よくよく見てみるとそれはナメクジで、突かれたナメクジはやがてサラミ・ソーセージくらいに膨れ上がった。

 男の子が握っているのは保護者の杖ではないだろうか――少しだけ心配しながら男の子のそばを通りかかると、杖がないことに気付いた母親が慌ててテントから飛び出してきた。母親は杖を取り戻そうと男の子に駆け寄ったが、その時、足元にいた巨大ナメクジに気付かずに踏み潰してしまった。男の子の泣きじゃくる声が朝の静かなキャンプ場に響き渡った(「ママがナメクジをつぶしちゃったぁ! つぶしちゃったぁ!」)。

 もう少し行くと、先程の男の子よりちょっと年上の小さな女の子が2人、おもちゃの箒に乗って遊んでいた。箒は危なくないように爪先が草を掠める程度までしか上がらない仕組みらしい。近くに女の子の保護者らしき姿は見受けられず、代わりに目敏く女の子達を見つけた魔法省の職員が1人、疲れ切った表情で駆け寄っていった(「こんな明るい中で! 親は朝寝坊を決め込んでいるんだ。きっと――」)。

 子ども達だけではなく、あちこちのテントから大人の魔法使いや魔女も顔を覗かせ、朝食の支度に取りかかっていた。大抵、魔法省の職員に見つからないようコソコソしながら杖で火を熾していたが、中にはマグル安全対策を守ろうとマッチを手にして火をつけようと努力している人もいた。

 私達は地図を確かめつつ、あちこちキョロキョロしながらキャンプ場を進んだ。すぐそばでは、白の長いローブを着たアフリカの魔法使いが3人、鮮やかな紫色の炎でウサギのようなものを炙りながら真面目な会話をしている。向こうでは、中年のアメリカ魔女達が2つのテントの間に「魔女裁判の町セーレムの魔女協会」と書かれた魔法でピカピカ光る横断幕を張り渡し、その下に座り込んで楽しそうに噂話に耽っている。いろんな言語が飛び交い、みんなワールドカップのために世界各国から集まってきたというのがはっきりと実感出来た。

 やがて、私達は三つ葉のクローバーでビッシリと覆われたテントの群れの中にやってきた。本当にどこもかしこも緑色なので、まるで、変わった形の小山がいくつも地上に隆起しているかのように見えた。このテントの群れを魔法省の人達は嫌がるだろうけれど、キャンパー達は楽しそうにニコニコしている。その時、

「ハリー! ロン! ハーマイオニー!」

 背後から誰かが3人を呼ぶ声がして、私達は振り返った。見れば、そこにはグリフィンドールの4年生、シェーマス・フィネガンの姿があった。たしかグリフィンドール寮では、ハリーとロンと同じ寝室だっただろうか。シェーマスはやっぱり三つ葉のクローバーで覆われたテントの前に座っていて、そばには母親と思われる黄土色の髪をした女性と、同じくグリフィンドール生のディーン・トーマスの姿もあった。

「やあ、シェーマス、ディーン!」
「君達もこのキャンプ場だったのか!」
「偶然ね!」

 同じグリフィンドール生がいたことに3人は嬉しそう顔を綻ばせてテントに近付いていった。私も3人のあとからついて行くとシェーマスとディーンに手を差し出して挨拶した。

「はじめまして。話すのは初めてだったわよね」
「ああ、でも、君のことは知ってるよ」
「そうそう。1年生の時、ダンブルドアのゴッドチャイルドだって一躍有名になったからね――この飾りつけ、どうだい?」

 シェーマスは私と握手を交わし終えると、テントをチラリと見遣ってニッコリした。

「魔法省は気に入らないみたいなんだ」
「あら、国の紋章を出して何が悪いっていうの? ブルガリアなんか、あちらさんのテントに何をぶら下げているか見てごらんよ」

 フィネガン夫人が不機嫌そうな顔で割って入った。どうやら熱狂的なアイルランド・サポーターらしい。夫人は私達の方をキラリと見つめながら付け加えた。

「貴方達は、もちろん、アイルランドを応援するんでしょう?」
「はい、もちろん、アイルランドを応援します」

 私達は4人共、元々アイルランドを応援するつもりだったけれど、仮にブルガリアを応援するつもりだとしても、三つ葉のクローバーだらけのあの場ではアイルランドを応援すると言わなければならなかっただろう。ロンも同じことを思っていたのか、シェーマス、ディーン、フィネガン夫人と別れ、再び歩き始めると「あの連中に取り囲まれてちゃ、他に何とも言えないよな?」とぼやいた。

「ブルガリアのテントには、何がいっぱいぶら下がってるのかしら」

 ハーマイオニーが興味を唆られたようにそう言うと、ハリーが「見に行こうよ」とどこかを指差した。指の先を辿って見てみると、白、緑、赤の横縞のブルガリアの国旗が翻っているテント群が少し離れた場所に見えていた。こちらのテントは植物ではなく、ポスターがベタベタ飾りつけられている。どのポスターもすべて同じで、真っ黒な眉をした無愛想な男性が写っていた。魔法の写真をポスターにしてあるので動くはずだけれど、写真の人物は瞬きをして僅かに顔をしかめる以外、まったく動かなかった。

「「クラムだ」」

 ハリーとロンが同時に囁いた。すると、ハーマイオニーが不思議そうに「なあに?」と訊ねた。

「クラムだよ! ビクトール・クラム。ブルガリアのシーカーの!」

 ロンが興奮気味に答えた。大勢のビクトール・クラムがこちらに向かって瞬きしたり睨んだりしている。意外と若いようだ――私は話を聞きながらまじまじとポスターを見て思った。

「昨日話したばかりじゃないか」
「とっても気難しそう」
「とっても気難しそうだって? 顔がどうだって関係ないだろ? すっげぇんだから」
「ねえ、ロン。クラムって若いのね?」

 私は気になって訊ねた。

「私、知らなかったわ。いくつなの?」
「18かそこらだよ」
「うわあ、それでもう国の代表なの? 凄いのね」
「クラムは天才なんだ。今晩、見たら分かるよ」

 クラムのポスターだらけのブルガリアのテントの群れを通り抜けると、私達はようやくキャンプ場の隅にある水道に辿り着いた。水道にはもう何人かが並んでいて、私達もその最後尾に加わった。

 私達の目の前では、魔法使いが2人、大論争を繰り広げていた。1人は花模様の長いネグリジェを着た老魔法使いで、もう1人は間違いなく魔法省の職員だった。細縞のズボンを差し出し、困り果てて泣きそうな声を上げている。

「アーチー、とにかくこれを履いてくれ。聞き分けてくれよ。そんな格好で歩いたらダメだ。門番のマグルがもう疑い始めてる――」
「わしゃ、マグルの店でこれを買ったんだ」

 老魔法使いが頑固に言い張った。

「マグルが着るものじゃろ」
「それはマグルの女性が着るものだよ、アーチー。男のじゃない。男はこっちを着るんだ」

 魔法省の職員は、細縞のズボンを掲げヒラヒラ振った。

「わしゃ、そんなものは着んぞ。わしゃ、大事なところに爽やかな風が通るのがいいんじゃ。ほっとけ」

 これを聞いて、ハーマイオニーはクスクス笑いが止まらなくなってしまい、両手で口許を抑えたまま一旦列を抜けた。ハーマイオニーが抜けたあともアーチーと魔法省の職員の言い争いは続き、アーチーが水を汲み終わって自分のテントへ帰っていくと、魔法省の職員はズボンを振り回しながら半泣きでついて行った。

「魔法省には思うところはたくさんあるけど、あれは流石に可哀想ね」
「あれじゃ、みんなげっそりするはずだよ」
「そう考えると、パパは本当に運がよかったよな」

 私達の順番が来ると、ハーマイオニーが戻ってきて、持ってきたヤカンや鍋に水を汲んで来た道を戻った。行きだって少しゆっくりと来たのに、帰りは汲んだ水の重みで更にゆっくりとなり、私達は出来るだけ近道しようと行きとは違う道を通ることにした。

 すると、あちこちでまた顔見知りに出会った。前学年の時までグリフィンドールのクィディッチ・チームのキャプテンだったオリバー・ウッドは、ハリーを見つけるや否や自分のテントに引っ張っていき、両親にハリーを紹介した。その間、ロン、ハーマイオニー、私の3人はテントの前で待つことになったのだが、プロチームのパドルミア・ユナイテッドと2軍入りの契約を交わしたと興奮した様子で話すオリバーの声がテントの外まで漏れ聞こえていた。

 やっとハリーがオリバーから解放されて再び歩き始めると、今度はハッフルパフの4年生、アーニー・マクミランに会ったし、レイブンクローの5年生のチョウ・チャンにも出会った。チョウはハリーに微笑みかけて手を振り、ハリーも手を振り返したが、水をどっさり零して洋服の前を濡らしてしまった。

 なるほど、ハリーはチョウが気になっているらしい――ジニーのことを考えて複雑な気持ちになりながらチョウを見ると、バチッと目があった。私と目が合うとチョウはハッとして気まずげに視線を逸らし、自分のテントに引っ込んでいった。2年生の時のバレンタインにセドリックからカードをもらった直後にばったり鉢合わせて以来、チョウは私と関わり合いになろうとはしなかった。私を嫌っているというよりは、おそらくどう接していいのか分からないのだろう。

「あの子達、誰だと思う? ホグワーツの生徒、じゃないよね?」

 チョウが引っ込んでいくと、ハリーが同年代の子ども達がたくさん集まっているのを指差して訊ねた。ホグワーツでは見たことがない子ども達だ。

「どっか外国の学校の生徒だと思うな」

 ロンが答えた。

「学校が他にもあるってことは知ってるよ。他の学校の生徒に会ったことはないけど。ビルはブラジルの学校に文通相手がいたな……もう何年も前のことだけど……それでビルは学校同士の交換訪問旅行に行きたかったんだけど、家じゃお金が出せなくて。ビルが行かないって書いたら、文通相手がすごく腹を立てて、帽子に呪いをかけて送って寄越したんだ。お陰でビルの耳が萎びちゃってさ」

 それはあんまりではないだろうか。ロンの話を聞いて思わず顔をしかめると、子ども達の集団が何やら興奮気味に囁き合っているのが聞こえた。

「Wen würden Sie unterstützen, Irland oder Bulgarien?」
「Bulgarien! Viktor Krum ist sehr attraktiv」
「Merlins Bart! Was ist so attraktiv an diesen unfreundlichen, buschigen Augenbrauen?」

 話している内容はよく分からなかったが、言葉の響きからするにドイツ語だろうか――私は魔法史の教科書に書いてあった内容を思い出しながら言った。

「もしかすると、北欧にあるダームストラング専門学校の子達かもしれないわね」
「ダ――なに?」

 ちんぷんかんぷんという顔でハリーが聞き返した。何も言わなかったけれど、ロンもまったく同じ顔をしている。

「ダームストラング専門学校――国際魔法使い連盟に登録済みの由緒正しい11の魔法学校の1つよ」
「貴方達、本を読まないの?」

 信じられないという顔でハーマイオニーが言った。

「国際魔法使い連盟に登録済みの魔法学校の名前は、魔法史の教科書にも書いてあるじゃない。それに、闇の魔法使い、ゲーラト・グリンデルバルドの出身校よ。かつて、ダンブルドアが打ち破った――本に書いてあったわ」
「ホグワーツ以上にヨーロッパ各国から生徒が集まるから公用語がドイツ語なのかしら? 多分ドイツ語だったと思うわ」
「複数の言語が飛び交ってるのかもしれないわ――ホグワーツはイギリス在住の人がほとんどだから新鮮よね」

 子ども達の集団の横を通り抜けると、やっとウィーズリー家のテントが見えてきて、私達はようやく薪拾い組と合流したのだった。