Make or break - 029

3. 夢

――Harry――



「みんな、時間よ。起きて――この塊は誰?」

 夜明け前にハナが起こしに来た時、ハリーはあまりの眠さにたった今眠りについたような錯覚に陥った。出来ることならもう少し布団の中で眠っていたいとハリーは思ったけれど、今日はクィディッチ・ワールドカップだ。ハリーは手探りで眼鏡を探すと、眼鏡をかけてから起き上がった。外はまだ真っ暗だ。

 ハナに声をかけられると、ハリーの次にロンがブツブツとわけの分からないことを言いながら起き出し、最後にハリーの寝ていたベッドの足側にあった毛布の塊から、くしゃくしゃのパジャマ姿のフレッドとジョージが朦朧としながら出てきた。

「もう時間か?」

 フレッドが大欠伸をしながら言った。

「そうよ。着替えたら下りてきてね」

 ハナが部屋から出ていくと、4人は黙って服を着替えた。眠くて今日の試合が楽しみだと話すどころではない。ハリーは大欠伸をしながら上着を着替え、ズボンを履き替え、杖ホルダーベルトを取り出そうとトランクの中を引っ掻き回した。しかし、杖ホルダーベルトがどこにも見当たらない。ハリーは幽霊屋敷に忘れてきたのだと悟った。煙突飛行の時に杖を落としたらいけないからとベルトごと外したのがマズかった――仕方なく、ハリーは上着のポケットに杖を入れ、ハナに言われたとおりキッチンに下りていった。

 キッチンでは、ハナがテーブルに人数分のグラスを出しているところだった。そのそばでウィーズリーおばさんが竃にかけた大鍋を掻き回していて、おじさんはテーブルに着いて今日のチケットの枚数を念入りに数えている。4人が入ってくると、おじさんは顔を上げ、両腕を広げて着ている服がみんなに見えるようにした。ゴルフ用のセーターのようなものと、よれよれのジーンズという出で立ちだ。なんでも、隠密に行動しなければならないので、マグルらしく見せる必要があるらしい。おじさんにマグルらしく見えるか、と問われたハリーは「とってもいいですよ」と微笑んだ。

 ハリーが起きてきた時、ビル、チャーリー、パーシー、ハーマイオニー、ジニーの5人はまだキッチンに下りてきていなかった。ハーマイオニーとジニーはまだ下りてきていないだけだが、ビル、チャーリー、パーシーの3人は姿現しで現地へ行くのでもう少し寝ていられるらしい。姿現しはとても難しい術で、所謂瞬間移動のようなものだ。

 ハリー達も姿現しさえ出来たら、こんな早い時間に起きなくてもよかったけれど、姿現しをするにはテストを受けなければならないそうだ。もし無免許で姿現しを使った場合、魔法運輸部に罰金を取られるのだとか。いや、罰金ならまだマシだ。姿現しはきちんとやらなければ、バラけてしまうのだから。体が本当にバラけるのだ。この間、無免許で姿現しを使った魔法使い2人なんて、体半分が置いてけぼりになったらしい。ハリーは両足と目玉が1個、プリベット通りの歩道に置き去りになっている光景を思い浮かべてゾッとした。元に戻るらしいが、絶対バラけたくなんかない。

 やがて、ウィーズリーおばさんがよそってくれたオートミールを食べていると、ハーマイオニーとジニーがキッチンに下りてきた。あまりにも起きてくるのが遅いので、ハリー達にオートミールをよそったあと、おばさんが様子を見に行ったのだ。キッチンに現れた2人は血の気のない顔をして、ジニーは目を擦りながらどうしてこんなに早起きしなくちゃいけないのかと愚痴を溢した。ハリーは知らなかったが、マグルに見られないように移動しなければならないので、途中まで歩かなくてはならないらしい。

 そうして、ハリーがキッチンに下りてきてからしばらくの間、みんな和やかな雰囲気で話をしていたが、そのうちとても和やかとは言えない雰囲気になった。フレッドとジョージが着ている服の至るところにベロベロ飴トン・タン・タフィーを隠しているのがウィーズリーおばさんに見つかったからだ。

「アクシオ! 出てこい! アクシオ!」

 おばさんがカンカンになって呼び寄せ呪文を使う度、ベロベロ飴トン・タン・タフィーは思いもよらぬところから出てきた。おばさんは出てきたものを容赦なく放り捨て、フレッドが悲痛な声で叫んだ。

「俺達、それを開発するのに6ヶ月もかかったんだ!」
「おや、ご立派な6ヶ月の過ごし方ですこと! O.W.L試験の点が低かったのも当然だわね。普段から悪戯グッズの開発の時のようにもっとしっかりしてほしいものだわ!」

 そんなこんなで、出発時の雰囲気は最悪なものになった。ウィーズリーおばさんはしかめっ面で全員の頬にキスをし、フレッドとジョージなんて、それよりももっと恐ろしく顔をしかめていた。まもなく、フレッドとジョージがリュックサックを背負い、おばさんと口も利かずに家を出ていくと、ハナが心配そうに駆け寄って2人の背中を宥めるように優しく叩いた。

 3人から少し遅れて、ウィーズリーおじさん、ハリー、ロン、ハーマイオニー、ジニーもキッチンを出て夜明け前のまだ暗い庭に出ていった。おじさんはワールドカップの会場へ向かうためには途中まで歩いていかなければならないと教えてくれたが、直後にベロベロ飴トン・タン・タフィー騒動が起こり、ハリーは途中まで歩いていってそこからどうするのかがイマイチよく分かっていなかった。

「マグル達に気付かれないように、みんな一体どうやってそこに行くんですか?」

 隠れ穴を出発してしばらくして、ハリーは訊ねた。

「組織的な大問題だったよ」

 ウィーズリーおじさんが溜息を漏らした。

「問題はだね、およそ10万人もの魔法使いがワールドカップに来るというのに、当然だが、全員を収容する広い魔法施設がないということでね。マグルが入り込めないような場所はあるにはある。でも、考えてもごらん。10万人もの魔法使いを、ダイアゴン横丁や9と4分の3番線にぎゅう詰めにしたらどうなるか。そこで人里離れた格好な荒地を探し出し、出来る限りのマグル避け対策を講じなければならなかったのだ。魔法省を挙げて、何ヶ月もこれに取り組んできたよ。まずは、当然のことだが、到着時間を少しずつずらした。安い切符を手にした者は、2週間前に着いていないといけない。マグルの交通機関を使う魔法使いも少しはいるが、バスや汽車にあんまり大勢詰め込むわけにもいかない――なにしろ世界中から魔法使いがやってくるのだから――」
「みんな、姿現しは使わないんですか?」
「姿現しをする者ももちろんいるが、現れる場所をマグルの目に触れない安全なポイントに設定しないといけない。確か、手ごろな森があって、姿現しポイントに使ったはずだ。姿現しをしたくない者、または出来ない者は、移動ポートキーを使う。これは、予め指定された時間に、魔法使い達をある地点から別の地点に移動させるのに使う鍵だ。必要とあれば、これで大集団を一度に運ぶことも出来るイギリスには200個の移動ポートキーが戦略的拠点に設置されたんだよ。そして、我が家に一番近いキーが、ストーツヘッド・ヒルのてっぺんにある。今、そこに向かっているんだよ」

 ハリー達の目指すストーツヘッド・ヒルは隠れ穴からは随分と距離があった。一行は暗く湿っぽい小道をただひたすらに歩き、オッタリー・セント・キャッチポール村を通り抜けた。肌寒いので、歩いても歩いても体が温まらず、みんな寒そうにしている。そして、目の前に黒々とした大きな丘がはっきりと見えてきたころ、ようやく空が白み、夜空が薄れ始めた。移動ポートキーは時間が決まっているようで、おじさんは何度も懐中時計を取り出し、時間を確認していた。

 ストーツヘッド・ヒルを登り始めると、これがまた大変だった。ただでさえここまで歩いてきて疲れている中、坂を登らなくてはならないというのに、丘の至るところにウサギの巣穴や黒々と生い茂った草の塊があり、何度も足を取られる羽目になったからだ。みんな息も絶え絶えといった様子になり、中でもハーマイオニーは特に辛そうにして、最終的にはハナがハーマイオニーを引っ張っていた。

 もうこれ以上足が動かないとなった時、やっとハリーは平らな地面を踏み締めた。一番最後だったのはハナとハーマイオニーで、ハナも薄っすら汗をかいていたし、ハーマイオニーなんてすっかり息が上がってハァハァいいながら脇腹を押さえていた。ウィーズリーおじさんがまた懐中時計で時間を確かめながら額から流れる汗をセーターで拭った。

「やれやれ、ちょうどいい時間だ――あと10分ある……さあ、あとは移動ポートキーがあればいい。そんなに大きいものじゃない……さあ、探して……」

 一行は、休憩もそこそこに手分けして移動ポートキーを探した。すると、探し始めてほんの数分も経たないうちに、大きな声がしんとした空気を破った。

「ここだ、アーサー! 息子や、こっちだ。見つけたぞ!」

 丘の頂の向こうにハリーの知っている人物が2人、立っていた。1人はハリーがここ最近グズグズするべきではないとヤキモキしていたセドリック・ディゴリーで、もう1人は去年ハリーがダイアゴン横丁で遭遇したセドリックの父親であるエイモス・ディゴリーだ。どうやら、2人は先に到着していて、丘の向こう側を探していたらしい。

「エイモス!」

 ディゴリー氏に気付いたウィーズリーおじさんが、ニコニコしながら歩み寄った。ハリー達もそのあとに続いたが、ハナはどういうわけかハーマイオニーの隣にピッタリ張りついていた。

「みんな、エイモス・ディゴリーさんだよ」

 ウィーズリーおじさんが紹介した。ディゴリー氏は褐色のゴワゴワとした顎鬚の血色のいい魔法使いで、左手にかびだらけの古いブーツをぶら下げていた。あれが移動ポートキーらしい。

「魔法生物規制管理部にお勤めだ。みんな、息子さんのセドリックは知ってるね?」

 紹介を受けると、セドリックがみんなを見渡して「やあ」と挨拶した。みんなも「やあ」と返事を返したが、ハナは妙にぎこちなかったし、フレッドとジョージは黙って頷いただけだった。ハリーはハナがぎこちない理由は分からなかったが、フレッドとジョージが不機嫌なのは、前学年の時、クィディッチ開幕戦でハッフルパフに負けたことが原因だろうと思った。あの時セドリックは、ハリーが箒から落ちたことに気付かず、スニッチを取ってしまったのだ。ハリーはそのことを恨んでなんかいなかったし、2人だって仕方ないと思っているだろうけれど、あの敗戦は相当悔しかったのだろう。

「アーサー、随分歩いたかい?」

 ディゴリー氏が訊ねた。

「いや、まあまあだ」

 ウィーズリーおじさんが答えた。

「村のすぐ向こう側に住んでるからね。そっちは?」
「朝の2時起きだよ。なあ、セド? まったく、こいつが早く姿現しのテストを受ければいいのにと思うよ。いや……愚痴は言うまい……クィディッチ・ワールドカップだ。たとえガリオン金貨1袋やるからと言われたって、それで見逃せるものじゃない――もっともチケット2枚で金貨1袋分くらいはしたがな。いや、しかし、私のところは2枚だから、まだ楽な方だったらしいな……おっと、そこにいるのはハナとハリーじゃないか!」

 ディゴリー氏は人のよさそうな顔で、ウィーズリー家の4人の子ども達とハーマイオニーを見渡したかと思うと、最後にハリーとハナに目を留めて嬉しそうに声を上げた。ディゴリー氏はニコニコしながらこちらに歩み寄ってくると、ブーツを持っていない方の手を差し出して最初にハリーと、次にハナと握手した。

「久し振りじゃないか、ハナ。私も妻も、君がいつまたうちに泊まりに来てくれるものかと楽しみにしているんだがね」

 ディゴリー氏がそう言ってハナと握手を交わすと、ハリーとセドリック以外の子ども達全員がギョッとしてハナを見たのが分かった。ハリーは去年の夏休みにダイアゴン横丁でセドリックと会った際、ディゴリー夫妻が頻りにハナに「また泊まりにおいで」と誘っていたので知っていたが、みんなはハナがセドリックの家に泊まったことがあることを知らなかったのだ。

「セドもこの夏、ずっと君に会いたがってね――口を開けば君の話ばかりして――」

 周りの反応に一切気付いていない様子のディゴリー氏がそう続けると、ハナが真っ赤になって俯いた。すると、セドリックが慌てたように自分の父親を制した。恥ずかしいのか顔がセドリックも少し赤くなっている。

「父さん!」

 けれども、ディゴリー氏は気にも留めずに豪快に笑い、セドリックの背中を何度か叩いた。ハリーはその姿を見ながら、レイブンクローのとびきり可愛い女の子、チョウ・チャンの前でシリウス達が同じように話しているのを想像して――激しくセドリックに同情した。本人の前で「夏休み中君の話ばかりしていた」と暴露されるなんて絶対嫌だとハリーは思った。

「恥ずかしがる必要はない。それで、ハナとハリー以外は全部君の子かね、アーサー?」
「まさか。赤毛の子だけだよ」

 ウィーズリーおじさんは子ども達を指差した。

「この子はハーマイオニー、ハリーとハナと息子のロンの友達だ。君がハリーとハナと面識があったとは驚いた」
「息子の繋がりで会ったことがあってね。ハナは泊まりにも来たし、ハリーとはダイアゴン横丁で話をした。ハナのこともそうだが、ハリー、セドがもちろん、君のことも話してくれたよ。去年、君と対戦したことも詳しく教えてくれた……私は息子に言ったね、こう言った――セド、そりゃ、孫子にまで語り伝えることだ。そうだとも……お前はハリー・ポッターに勝ったんだ!」

 ディゴリー氏の言葉にハリーはどう反応したらいいのか分からず黙ったままだった。そんなハリーのそばではフレッドとジョージがウィーズリーおばさんと喧嘩した直後の仏頂面に戻り、セドリックは心底困ったような表情で自分の父親に言った。

「父さん、ハリーは――箒から落ちたんだよ。そう言ったでしょう……事故だったって……」
「ああ。でもお前は落ちなかったろ。そうだろうが?」

 ディゴリー氏はセドリックの背中をバシンと叩き、快活に大声で言った。

「うちのセドは、いつも謙虚なんだ。いつだって紳士的だ……しかし、最高の者が勝つんだ。ハリーだってそう言うさ。そうだろうが、え、ハリー? 1人は箒から落ち、1人は落ちなかった。天才じゃなくったって、どっちがうまい乗り手か分かるってもんだ!」
「そろそろ時間だ」

 ウィーズリーおじさんが懐中時計を引っ張り出しながら話題を変え、セドリックとハリーが同時に胸を撫で下ろした。

「エイモス、他に誰か来るかどうか、知ってるかね?」
「いいや、ラブグッド家はもう1週間前から行ってるし、フォーセット家は切符が手に入らなかった。この地域には、他には誰もいないと思うが、どうかね?」
「私も思いつかない――さあ、あと1分だ……準備しないと……」

 移動ポートキーは、指1本でも触れていればいいらしい。ハリー達は、ディゴリー氏の掲げた古ブーツに手を伸ばし、ぎゅうぎゅうに詰め合った。魔法のポシェットがあるハナ以外はみんなリュックサックを背負っていたので、ブーツに触れるだけでもひと苦労だ。時間が来るまでの間、ほとんど誰も話さなかったが、ハナの隣に陣取ったセドリックだけはハナに顔を近付けて何やら話しかけていた。

「3秒……」

 ウィーズリーおじさんが片手に持った懐中時計を見ながら呟いた。

「2……1……」

 ハリーは急にへその裏側がグイッと前方に引っ張られるのを感じた。両足が地面から離れ、両隣にいるロンとハーマイオニーと肩がぶつかるのを感じた。風の唸りと色の渦の中を全員が前へ前へとスピードを上げて進んでいた。ハリーの指先はしっかりとブーツに張りつき、まるで磁石となってみんなを引っ張っているようだった。

 まもなく、ハリーの両足が地面にぶつかった。何の前触れもなかったので、ハリーは無惨にも地面に転がり、そのハリーの上にロンが折り重なって倒れ込んだ。移動ポートキーはいつの間にかハリーの手から離れ、ハリーの頭の近くにドスンと重々しい音を立てて落ちてきた。

 ロンが上に乗っていたので立ち上がるに立ち上がれず、ハリーが顔だけ上げて辺りを見てみるとウィーズリーおじさん、ディゴリー氏、セドリック、ハナはしっかり立ったままだったが、4人以外はみんな地べたに転がっていた。ハリーはセドリックの腕がハナの腰に回っているのを見て、セドリックがハナのことを支えてあげていたのだろうと思った。それにしても、

「5じ7ふーん。ストーツヘッド・ヒルからとうちゃーく」

 一体全体どうしてこの2人は付き合わないんだ? ハリーは間の抜けたアナウンスの声を聞きながら心底疑問に思ったのだった。