The beginning - 001

1. 夢と現実



「Hey, if you sleep there, you'll catch a cold, right?」

 布団の中に入り、ぬくぬくと眠りについたと思ったら、誰かに英語で声を掛けられて私は目を覚ました。直訳すると「おーい、そこで寝てたら風邪引くよ?」といったところだろうか。英語が分かって良かった。ホッ。

 パチリと目を開けると目の前には、こちらを覗き込んでいる男の子の姿があった。丸眼鏡にくしゃくしゃの髪、そして黒いローブ姿の知らない男の子――いや、知ってる男の子だ。彼の名前はそう、

「ハリー・ポッター?」

 寝転がったまま私は、目の前の男の子の名前を口にした。と同時に、『ハリー・ポッター』の夢を見るなんて思わなかった、なんて考える。今まで夢を見ていてこれは夢だ! と感じたのは初めてだし、英語の夢を見るのも初めての経験だったけれど、そんなことはどうでもいい。それよりも『ハリー・ポッター』の夢を見るだなんて、『ハリー・ポッター』大好きな友人がさぞや羨ましがるだろう。ふっふっふ。しっかり脳裏に焼き付けて、あとで自慢しよう。

「Harry? Sure, I'm Potter, but ――ハリーじゃなくてジェームズだよ。ジェームズ・ポッター」

 ハリー・ポッター改めジェームズ・ポッターは不思議そうにそう言いながら、こちらに手を差し出してきた。反射的にその手を握り返しながらマジマジと彼の目を見ると、グリーンじゃなくてハシバミ色だと言うことに気付いた。私は友人ほど内容には詳しくないけれど、友人から話は聞かされているから父子で目の色が違うことくらいは知ってるのだ。目の色がハシバミ色なのは、ジェームズである証拠だ(友人談)。

 どうやら私はホグワーツの校内にある湖のほとりで寝てしまっていたようだった。ジェームズに引き起こされて立ち上がってからよくよく自分の姿を確認してみると、この夢の中では私もホグワーツ生らしく若返っていて、お馴染みのローブ姿であった。ジェームズもローブ姿だから彼もこの夢の中ではホグワーツ生のようだ。

「ごめんなさい。寝惚けて知り合いと間違えたみたい。それから、起こしてくれてありがとう。ミスター・ポッター」
「どういたしまして。君はえーっと……」
「レイブンクローのハナ・ミズマチよ」

 ネクタイの色が青だったので、咄嗟とっさにそう自己紹介した。確か青はレイブンクローだったはずだ。『ハリー・ポッター』に関しては友人の影響でかなり偏った知識だけれど、それくらいは知っている。

 それにしても、ジェームズは何年生なのだろうか。ホグワーツの制服は名札なんてものはないから、彼が何年生なのかはもちろん、自分が何年生の設定なのかもさっぱり分からない。なんとなく同い年な気はするのだけれど。まあ、夢だから特に知らなくてもいいんだけど。

「君、何年生? 見ない顔だね」

 私が何年生なのか考えていたからだろうか。ジェームズの方から先に訊ねられて、私は「えーっと」と口ごもった。首を傾げて訊ねてくるジェームズの姿はちょっと可愛いけれど、さっぱり分からないから答えられない。ごめん、ジェームズ。

「それは次に会う時までの貴方の宿題ということにしましょう、ミスター・ポッター」

 苦し紛れにそう言うと、まさか私がそう返してくるとは思わなかったのか、ジェームズは驚いたような顔をして、それから、

「いいね」

 と楽しそうに笑った。


 *


 とても楽しい夢だった、と思いながら目が覚めた。起きてからも鮮明に覚えていられるだなんて、なんていい夢だろう。すぐさまくだんの友人に夢で起こった出来事をメッセージで送ったら、その倍以上に渡って羨ましいという言葉と共に、親世代の良さを綴られた返事が返って来た。こうして私の中で『ハリー・ポッター』の偏った知識が積み重なっていくのだ。友人の熱量恐るべし。

 夢を見た影響か、『ハリー・ポッター』は最初の映画しか観たことがなかったけれど、今度映画を全部見てみるのもいいかもしれないなぁ、なんて思いながら1日を過ごした。前々から「4分の1はイギリス人の血が入っているのに『ハリー・ポッター』を観ないなんて!」と友人に言われ続けていたので、今こそ重い腰を上げる時なのかもしれない。まあ、原作をあまり知らないだけで、ある程度は友人の影響で色々知ってるんだけどね。親世代を知っているのもそのせいだ。

 完全に余談だけれど、私の母方の祖父がイギリス人だ。だから、4分の1はイギリス人の血が流れているというわけである。祖父も祖母も今はどちらも亡くなっているけれど、向こうにある家は私が相続しているので、年に数回はイギリスに行って、手入れをしている。次に行くのはなんと数日後である。渡航準備は完璧だ。抜かりない。

 何故私がイギリスの家を相続したかと言えば、肉親はみんな亡くなってしまったからだ。そういう身の上なので、ハリーのことはとても他人とは思えない。その上闇の帝王から命を狙われ続けるという点では、比較するのも烏滸おこがましいくらい私以上に悲惨な運命にあるのだ。悲しすぎる。あ、悲しすぎるから私は1作目の映画を見た以降は、友人から話を聞く専門になったのかもしれない。感情移入しすぎる。


 *


 1日中『ハリー・ポッター』のことを考えていたからか、なんと2日連続で夢を見てしまった。今日の私はどうやらホグワーツの校内を歩いているらしい。お城凄い、なんて思いながら当てもなく歩いていると、

「あ! やっと見つけた!」

 前方から大きな声が聞こえて私は視線をそちらに向けた。見ると、広い廊下の先の方から誰か――あれはジェームズだ――がこちらに向かって走ってくるのが見えてびっくりしながら立ち止まった。今日はなんと、シリウス・ブラックも一緒である。全力疾走のジェームズと違い優雅に歩いてくるシリウス・ブラック。なんというイケメン。芸術品か。因みに友人の推しがシリウス・ブラックである。自慢しよう。

「こんにちは、ミスター・ポッター」

 廊下の向こうから走ってきたジェームズに、苦笑混じりでそう挨拶をすると、彼は突然「君、実はゴーストなのかい!?」と意味不明なことを訊いてきた。思わず「は?」と声に出てしまい、慌てて言いなおす。

「ゴーストって、その、どういうこと?」
「だって君、1年前に出会って以来、全く姿を見せなかったじゃないか!」
「え?」

 がっしりと私の肩を掴んでそう主張するジェームズの言葉に、私はパチパチと瞬きをした。どうやら昨日の夢から1年も経っているらしい。私からしてみれば24時間しか経っていないので、何だか変な気分である。

「レイブンクロー生に君のことを聞いたら知らないっていうし、ゴースト以外考えられない!」
「えーっと、なら、私は透けてる?」

 確か映画ではゴーストは透けていたはず、と考えを巡らせてから、私は問いかけた。「透けてない……」と呟くジェームズの後ろで、ようやく追いついたシリウスが呆れた様子で彼を見ていた。その顔は正にチベットスナギツネである。

「透けてないし、触れているだろ、ジェームズ」

 溜息混じりにシリウスが言って、未だに私を掴んで離さないジェームズをベリッと引き離した。彼はこちらを見て、「ジェームズが突然悪かったな」と謝罪までして、そして、

「君を初めて見た日から、ジェームズは君にご執心なんだ」

 と、ニヤリと笑って手を差し出してきた。

「シリウス・ブラックだ。よろしく」
「レイブンクローの幽霊のハナ・ミズマチよ。よろしく、ミスター・ブラック」

 手を握り返して自己紹介すると、シリウスは私の返しがお気に召したらしく、クツクツと喉を鳴らして笑った。ジェームズは逆に気に入らなかったようで、シリウスの横でぶすっと不機嫌そうな顔をしている。

「そんな顔するなよ、ジェームズ」
「君が僕よりもハナと仲良くなるからじゃないか」

 不機嫌そうなジェームズにシリウスは、やれやれ、とでも言いたげに肩をすくめた。そして、次の瞬間、驚くべきことを口走るのである。

「君の初恋の相手を奪ったりしないさ、ジェームズ」