Make or break - 025

3. 夢



 フレッドとジョージは、ベロベロ飴トン・タン・タフィーをありとあらゆるところに隠し持っていた。どうやらウィーズリーおばさんの目がないうちに手元に残っているものをワールドカップ会場で売り捌こうとしていたらしい。おばさんが「アクシオ!」と杖を振るたびにベロベロ飴トン・タン・タフィーは思いもよらぬところ――ジョージのジャケットの裏地やフレッドのジーンズの折り目――からピュンピュン飛び出し、おばさんは怒りに任せてそれをすべて放り捨てた。

「俺達、それを開発するのに6ヶ月もかかったんだ!」

 フレッドが悲痛な声で叫んだ。去年のクリスマス前にだまし杖をこっそり売りつけているところに遭遇した時、まだ開発している最中だと話していたけれど、あれからもずっと開発を続け、ようやく完成させたのだろう。しかし、その6ヶ月をO.W.L試験の勉強に費やして欲しかったウィーズリーおばさんはカンカンだ。

「おや、ご立派な6ヶ月の過ごし方ですこと! O.W.L試験の点が低かったのも当然だわね。普段から悪戯グッズの開発の時のようにもっとしっかりしてほしいものだわ!」

 フレッドとジョージは恐ろしく不機嫌な仏頂面で母親から視線を背け、ウィーズリーおばさんも嫌味っぽい口調で文句を言うと息子達から顔を背けた。けれども息子達に背を向けたおばさんの目に薄っすら涙が浮かんでいたのが見えたのは、きっと私とウィーズリーおじさんだけだっただろう。おばさんは切実に息子達にしっかりしてほしいと願っているのだ。苦労して欲しくない。お金に困るようなことになってほしくない。いざという時、最後まで生き残ってほしい――それは息子を想う愛ゆえの怒りだった。

 ウィーズリーおじさんが立ち上がって妻のそばに寄り、慰めるように何やら言葉をかけていたが、出掛ける直前までウィーズリーおばさんの機嫌もフレッドとジョージの機嫌も直らなかった。他の子ども達も触らぬ神に祟りなしといった具合に黙り込んでいたので、いざ出発する時にはとても和やかとは言い難い雰囲気だったが、おばさんはしかめっ面とはいえ全員の頬にキスをした。

「それじゃ、楽しんでらっしゃい――お行儀よくするのよ」

 私達を見送りながらウィーズリーおばさんが言った。おばさんは最後の言葉をフレッドとジョージの背中に向かって声をかけたが、2人は仏頂面で黙りこくったまま振り向きもせずに家から出ていった。私はおばさんの怒りの裏に深い愛情が見え隠れしているのを感じるのと同じように、家から遠ざかっていく2人の背中に1番応援して欲しかった人から応援して貰えない寂しさのようなものを感じて、小走りで追いかけると慰めるように背中を叩いた。

 夜明け前のオッタリー・セント・キャッチポールはとても肌寒かった。日の出が近いのか、東に見える地平線が鈍い緑色に縁取られていたが、空はまだまだ暗く、月が出ている。私達のすぐ後ろには、ウィーズリーおじさんがハリー、ロン、ハーマイオニー、ジニーを連れて歩いていた。ワールドカップの会場へ向かうためにはここからしばらく歩かなければならないらしい。

「マグル達に気付かれないように、みんな一体どうやってそこに行くんですか?」

 隠れ穴を出発してしばらくするとハリーが訊ねた。

「組織的な大問題だったよ」

 相当大変だったのか、ウィーズリーおじさんが溜息を漏らしながら答えた。

「問題はだね、およそ10万人もの魔法使いがワールドカップに来るというのに、当然だが、全員を収容する広い魔法施設がないということでね。マグルが入り込めないような場所はあるにはある。でも、考えてもごらん。10万人もの魔法使いを、ダイアゴン横丁や9と4分の3番線にぎゅう詰めにしたらどうなるか。そこで人里離れた格好な荒地を探し出し、出来る限りのマグル避け対策を講じなければならなかったのだ。魔法省を挙げて、何ヶ月もこれに取り組んできたよ。まずは、当然のことだが、到着時間を少しずつずらした。安い切符を手にした者は、2週間前に着いていないといけない。マグルの交通機関を使う魔法使いも少しはいるが、バスや汽車にあんまり大勢詰め込むわけにもいかない――なにしろ世界中から魔法使いがやってくるのだから――」
「みんな、姿現しは使わないんですか?」
「姿現しをする者ももちろんいるが、現れる場所をマグルの目に触れない安全なポイントに設定しないといけない。確か、手ごろな森があって、姿現しポイントに使ったはずだ。姿現しをしたくない者、または出来ない者は、移動ポートキーを使う。これは、予め指定された時間に、魔法使い達をある地点から別の地点に移動させるのに使う鍵だ。必要とあれば、これで大集団を一度に運ぶことも出来るイギリスには200個の移動ポートキーが戦略的拠点に設置されたんだよ」

 ウィーズリーおじさんによると、隠れ穴に1番近い移動ポートキーがストーツヘッド・ヒルのてっぺんにあるらしい。ストーツヘッド・ヒルはオッタリー・セント・キャッチポール村の彼方にある丘で、現在地からも離れたところに大きな黒々とした丘が盛り上がっているのが見えたが、結構歩かなくてはならないようだった。因みに移動ポートキーはマグルが弄んだりしないように、マグルがガラクタだと気にも留めないようなものになっているらしい。

 私達は村に向かって、暗い湿っぽい小道をただひたすら歩いた。みんな朝早くに起きて眠かったので、次第に話し声もなくなり、村に住むマグルもまだ起き出す時間ではなかったので、聞こえているのは自分達の足音だけだった。日が昇らないうちは寒くて手が悴み、温めようと手を擦り合わせるとジョージが気遣わしげに訊ねた。

「ハナ、大丈夫か?」
「ありがとう、大丈夫よ。でも、まだ暗いうちはちょっと冷えるわね。日本だと夏はこの時間帯でも暑いくらいなんだけど」

 ようやく空が白み始めたのは、私達が村を通り過ぎたころだった。暗い夜空の色が少しずつ薄くなり、東から朝日が顔を出そうとしている。このころになると本当に誰も話さなくなって、やがて、ストーツヘッド・ヒルを登り始めると、唯一聞こえていた足音にみんなの息切れして荒い息遣いが加わった。誰も彼もが歩き疲れて辛そうだったが、特にハーマイオニーが辛そうで、丘を登り始めてしばらくすると少しずつみんなから距離を離されていった。

「ハーマイオニー、もう少しよ」

 私はフレッドとジョージと共に先頭を歩いていたものの、ハーマイオニーが心配になって丘を戻ると彼女の手を取り引っ張った。ハーマイオニーは私に引っ張られながらなんとか足を進め、息も絶え絶え言った。

「ありが――とう――私――脇腹が――もう――痛くて」

 こういう時、トレッキングポールなんかがあればもう少し楽に丘を登れるのだろうけれど、生憎そんなものはこの場にはなかった。しかも、ストーツヘッド・ヒルには、あちらこちらに黒々と生い茂った草の塊やうさぎの巣穴があるので、私達は度々足を取られてつまずきかけ、歩くのにかなり苦労した。これには男の子達ですら息も絶え絶えといった様子になり、普段運動を日課にしている私ももう歩きたくないと思うくらいには疲れ果て、やっと丘を登りきって平らな地面を踏みしめた時には、汗だくだった。

 昨日、ビルとチャーリーに競技場へ向かう時に会うかもしれないと聞いていたけれど、丘の上にはまだ誰の姿も見受けられなかった。私はセドリックの姿がないことにホッと胸を撫で下ろしながらポシェットからタオルを取り出すと、額から流れる汗を拭った。ただでさえ学年末にあんなことがあって未だに面と向かって会うのは気恥ずかしいというのに、約2ヶ月振りの再会が汗だくのままなんて考えたくもなかった。

「やれやれ、ちょうどいい時間だ――あと10分ある……」

 懐中時計で時間を確かめながらウィーズリーおじさんが言った。額から流れる汗をセーターで拭っている。

「さあ、あとは移動ポートキーがあればいい。そんなに大きいものじゃない……さあ、探して……」

 休憩もそこそこに、私達は手分けして移動ポートキーを探すことになった。移動ポートキーを具体的にどの辺りに置いているのか、そもそもどんなものをキーにしているのか分からないので、10分の間に探し出せるか不安だったが、私の心配を他所にキーは数分も経たないうちに見つかった。

「ここだ、アーサー! 息子や、こっちだ。見つけたぞ!」

 丘の頂の向こう側から声が聞こえて私は顔を上げた。朝と夜が混ざり合った空に輝く星々を背に、長身の影が2つ立っているのが見えて、私はドキリとした。それが、ディゴリーおじさんとセドリックだとすぐに分かったからだ。反射的にパッと視線を下げると、隣でハーマイオニーがニヤニヤしながら私の脇腹を肘で突いた。まだ来ていないとばかり思っていたのに、どうやら丘の向こう側にいて姿が見えなかっただけだったらしい。

「エイモス!」

 ディゴリーおじさんに気付いたウィーズリーおじさんが、ニコニコしながら歩み寄っていき、私もハーマイオニーの隣にピッタリ張りついて他の子ども達と共にそちらに歩いていった。近付くにつれ、ディゴリーおじさんの左手にかびだらけの古いブーツが握られているのが見え、あれが移動ポートキーなのだとすぐに分かった。なるほど、あれはそれが何か分かっていないと触ろうという気にはなれないだろう。

「みんな、エイモス・ディゴリーさんだよ」

 ウィーズリーおじさんが紹介した。

「魔法生物規制管理部にお勤めだ。みんな、息子さんのセドリックは知ってるね?」

 2ヶ月振りに会うセドリックは、白み始めた空の光を受けてなのか、キラキラ輝いて見えた。セドリックはみんなを見渡して最後に私の方を見るとにこやかに微笑んで「やあ」と挨拶をし、みんなも「やあ」と返事を返したが、私はぎこちなかったし、フレッドとジョージは黙って頷いただけだった。ウィーズリーおばさんとの口論を引きずっているというよりは、前学年の時、クィディッチ開幕戦でハッフルパフに負けたことが許しがたいと思っている雰囲気だった。仕方なかったこととはいえ、あの敗戦は相当悔しかったのだろう。

「アーサー、随分歩いたかい?」

 ディゴリーおじさんが訊ねた。

「いや、まあまあだ」

 ウィーズリーおじさんが答えた。

「村のすぐ向こう側に住んでるからね。そっちは?」
「朝の2時起きだよ。なあ、セド? まったく、こいつが早く姿現しのテストを受ければいいのにと思うよ。いや……愚痴は言うまい……クィディッチ・ワールドカップだ。たとえガリオン金貨1袋やるからと言われたって、それで見逃せるものじゃない――もっともチケット2枚で金貨1袋分くらいはしたがな。いや、しかし、私のところは2枚だから、まだ楽な方だったらしいな……おっと、そこにいるのはハナとハリーじゃないか!」

 ディゴリーおじさんは人のよさそうな顔で、ウィーズリー家の4人の子ども達とハーマイオニーを見渡したかと思うと、最後に私とハリーに目を留めて嬉しそうに声を上げた。おじさんはニコニコしながらこちらに歩み寄ってきて、ブーツを持っていない方の手を差し出してハリーと握手し、次に私と握手した。

「久し振りじゃないか、ハナ。私も妻も、君がいつまたうちに泊まりに来てくれるものかと楽しみにしているんだがね」

 ディゴリーおじさんがそう言って、ハリーとセドリック以外の子ども達全員がギョッとしてこちらを見た。去年の夏休みにセドリックの家に泊まったことを私は誰にも教えていなかったので、驚いているのだろう。けれどもハリーが驚いていないのは、その後ダイアゴン横丁でディゴリー夫妻とセドリックとばったり会った時、夫妻がしきりに「また泊まりにおいで」と誘っていたからに違いない。

「セドもこの夏、ずっと君に会いたがってね――口を開けば君の話ばかりして――」

 私はなんと反応したらいいのか分からなくて、ディゴリーおじさんと握手したまま俯いた。顔が熱くて仕方ない――すると、セドリックが慌てたように自分の父親を制した。

「父さん!」

 けれども、ディゴリーおじさんは気にも留めずに豪快に笑い、私の手をパッと離すとセドリックの背中を何度か叩いた。

「恥ずかしがる必要はない。それで、ハナとハリー以外は全部君の子かね、アーサー?」
「まさか。赤毛の子だけだよ」

 ウィーズリーおじさんは子ども達を指差した。

「この子はハーマイオニー、ハリーとハナと息子のロンの友達だ。君がハリーとハナと面識があったとは驚いた」
「息子の繋がりで会ったことがあってね」

 ディゴリーおじさんが答えた。

「ハナは泊まりにも来たし、ハリーとはダイアゴン横丁で話をした。ハナのこともそうだが、ハリー、セドがもちろん、君のことも話してくれたよ。去年、君と対戦したことも詳しく教えてくれた……私は息子に言ったね、こう言った――セド、そりゃ、孫子にまで語り伝えることだ。そうだとも……お前はハリー・ポッターに勝ったんだ!」

 途端、ハリーは困ったような顔になり、フレッドとジョージはウィーズリーおばさんと喧嘩した直後の恐ろしいほどの仏頂面に戻っていた。セドリックは心底困ったような表情で、ディゴリーおじさんに言った。

「父さん、ハリーは――箒から落ちたんだよ。そう言ったでしょう……事故だったって……」
「ああ。でもお前は落ちなかったろ。そうだろうが?」

 ディゴリーおじさんはセドリックの背中をバシンと叩き、快活に大声で言った。

「うちのセドは、いつも謙虚なんだ。いつだって紳士的だ……しかし、最高の者が勝つんだ。ハリーだってそう言うさ。そうだろうが、え、ハリー? 1人は箒から落ち、1人は落ちなかった。天才じゃなくったって、どっちがうまい乗り手か分かるってもんだ!」
「そろそろ時間だ」

 ウィーズリーおじさんが懐中時計を引っ張り出しながら話題を変え、セドリックとハリーが同時にホッとしたように胸を撫で下ろした。

「エイモス、他に誰か来るかどうか、知ってるかね?」
「いいや、ラブグッド家はもう1週間前から行ってるし、フォーセット家は切符が手に入らなかった。この地域には、他には誰もいないと思うが、どうかね?」
「私も思いつかない――さあ、あと1分だ……準備しないと……」

 移動ポートキーは、指1本でも触れていればいいらしく、私達はディゴリーおじさんの周りにぎゅうぎゅうに詰め合って、古ブーツに指を伸ばした。私はポシェットだけだからよかったけれど、みんなはリュックサックを背負っているので、ブーツに触れるだけでもひと苦労だった。

「さっきはその……父さんがごめんね」

 いつの間にか私の右隣にいたセドリックが気恥ずかしそうに呟いた。私がなんとか左手の人差し指でブーツに触れながらそんなセドリックを見上げて首を横に振ると、彼は「よかった」と安堵したように微笑みながら続けた。

「昨日、君に会えるって知って楽しみにしてたんだ」

 セドリックが私にだけ聞こえるように囁いた。

移動ポートキーは初めてだろうから掴まってて」

 セドリックが空いている方の手で私の右手を取り、自分の服を握らせた。私はドギマギしながら彼の服を握り、時間が来るのを待った。私の真向かいにいるハーマイオニーがニヤニヤしながらこちらを見ていたけれど、私はそれを気にするどころではなかった。

「3秒……」

 ウィーズリーおじさんが片手に持った懐中時計を見ながら呟いた。途端、セドリックの腕が私の腰にするりと回って、私は飛び上がりそうになった。心臓が痛いくらいにバクバクいって、そして、

「2……1……」

 次の瞬間、急に臍の裏側がグイッと前方に引っ張られるような感じがして、両足が地面から離れた。一体どこをどう移動しているのか、風の唸りと色の渦の中を私はセドリックに支えられながら、前へ前へとスピードを上げて進んでいた。あまりに強い風にみんな肩がぶつかり合いもつれ合いそうになっていて、もしセドリックが支えてくれていなければ、私も同じようになっていただろう。とても速くてブーツなんてあっという間に離してしまいそうなのに、私の指先はしっかりとブーツに張りついていたし、もう片方の手はしっかりとセドリックの服を掴んだままだった。

「ハナ、歩くように足を動かして」

 まもなくして、耳元でセドリックの声が聞こえ、私はコクコク頷いた。言われたとおりに空中で歩くようにしてみると、少しだけスピードが緩んだように感じて、やがて、ゆっくりと地面に着地したが、私とセドリック、それにウィーズリーおじさんとディゴリーおじさん以外は全員着地が上手くいかず、地面に転がっていた。

「ありがとう……セド」
「どういたしまして、ハナ」

 小声でお礼をいうとセドリックの優しい声が降ってきて、まもなく、アナウンスの声が聞こえた。

「5じ7ふーん。ストーツヘッド・ヒルからとうちゃーく」