Make or break - 024

3. 夢



 翌朝、夜が明ける前に私は起きた。
 昨夜は早く寝なくちゃいけなかったのに、ハーマイオニーとジニーと3人ですっかり話し込んで寝るのが遅くなってしまい、私はまだ半分目を閉じたまま、のそのそとベッドから抜け出した。3台のベッドがぎゅうぎゅうに詰められているジニーの部屋をどうにか横切ると、部屋を出て凸凹の階段を下りた。ハーマイオニーとジニーはまだぐっすり眠っていた。

 1階に下りるとキッチンにはもう明かりが点いていた。開かない目をこすってどうにかこうにか開くと、私はそっとキッチンの扉を開いて中を覗いた。昨夜も遅くまで起きていただろうに竃の前にはもう既にウィーズリーおばさんが立っていて、大きな鍋を準備しているところだった。

「おはようございます、ウィーズリーおばさん」
「おはよう、ハナ。早いのね。感心だわ」

 取り出した鍋を竃にドンッと置きながらウィーズリーおばさんが振り返った。

「まだもう少しゆっくり出来ますよ」
「いえ、時間があるのなら、お手伝いさせてください。朝は大変でしょうから」
「なら、甘えようかしら。先に着替えてらっしゃいな」
「はい。すぐに戻ってきますね」

 そう言うと私はキッチンを出て洗面所で顔を洗い、みんなを足音で起こさないよう気をつけながら部屋に戻ると着替えを済ませ、またキッチンに下りた。もちろん腰には杖ホルダーベルトを提げていたし、シリウスとリーマスの言いつけどおり、ポシェットはずっと肩から提げたまだった。

「テーブルを拭いて、食器とカトラリーを並べてくれるかしら。ビルとチャーリーとパーシーはあとから行くことになってるし、私もあとで食べるから、8人分でいいですからね。それが終わったら、子ども達を起こしてきてちょうだいな。ロンの部屋は分かるかしら?」
「ええ、分かります」
「起きなかったら叩き起こしてきてちょうだい」

 お玉を片手にスコンと叩くような仕草をしてウィーズリーおばさんが言った。私はそれにクスクス笑いながら「分かりました」と頷くとまずは布巾を濡らして固く絞り、テーブルを拭き始めた。ウィーズリー家全員が座れるほど広いテーブルを拭き上げていると、階段を下りてくる足音が聞こえてきて、やがて、ウィーズリーおじさんがキッチンに入ってきた。

「おはよう、ハナ。どうだね?」

 入ってくるなり、両手を広げてウィーズリーおじさんが言った。おじさんは普段のローブ姿とは違い、ゴルフ用のセーターのようなものと、よれよれのジーンズという出で立ちでファッションに頓着のないマグルという雰囲気だった。ただ、ジーンズのサイズが合っていないので太いベルトでどうにかとめている。

「マグルらしく見えるかね?」
「ええ、バッチリです」

 私が微笑みながら答えると、ウィーズリーおじさんは途端に嬉しそうに頷いた。

「実は隠密に行動しなければならなくてね。マグルらしく振る舞う必要がある」

 どこかウキウキとした調子でウィーズリーおじさんが続けた。マグルのように振る舞わなければならないことがおじさんにとってはまるで何かのご褒美のようだ。まもなく、おじさんはテーブルの端の席に腰掛けるとワールドカップのチケットを取り出した。魔法界のチケットはマグルとは違って、大きめなカラフルなデザインの羊皮紙だった。チケットには大きく「THE FINAL」と書かれている。

「それが今日のチケットなんですね」

 私は布巾を片付けながら言った。

「しかも、貴賓席だ」

 チケットの枚数を数えながらウィーズリーおじさんがニッコリした。

「魔法省に勤めていてよかったと思うのは、こういう時、チケットを融通してもらえることだろうね」
「私、魔法界でこんなに大きなイベントは初めてなのでとっても楽しみです」
「賑やかでそれはもう楽しいはずだ。駆り出される職員は大変だろうが……いやはや、私は休みでよかった」

 確かにこういう大きなイベントを管理しなければならない魔法省の職員達は大変だろう。私はそう思いつつ布巾を片付けると食器棚から食器とカトラリーを出し、並べ始めた。こういうイベントの時は特にマグルに気付かれないようにしなければならないし、羽目を外しすぎた魔法使い達を諌めたりもしなければならない。ウィーズリーおじさんが思わず休みでよかったと言いたくなるのも無理はなかった。

「それじゃあ、みんなを起こしてきますね」
「お願いね、ハナ。それが終わったらすぐに朝食ですからね」
「はい、分かりました」

 食器とカトラリーを並べ終えると私はキッチンを出て階段を上がり、子ども達を起こしに向かった。凸凹とした階段を上がり、まずは2階にあるジニーの部屋に入ると、ぎゅうぎゅうに詰められたベッドを乗り越え、ぐっすり眠っているジニーとハーマイオニーに近付いて肩を揺すった。

「ジニー、ハーマイオニー、起きて。時間よ」

 しかし、これがなかなか起きない。私は根気強く声をかけてどうにか2人を起こし、ようやくもぞもぞ動き出したのを確かめると「着替えてキッチンへ下りてね。朝食を食べたら出発よ」と釘を刺してから部屋を出て次の任務に移った。今度はまた階段を上がってロンの部屋に行き、ハリー、ロン、フレッド、ジョージを叩き起こす任務だ。

「みんな、時間よ。起きて――この塊は誰?」

 普段はロンが1人で使っている最上階の部屋は4つのベッドが隙間なく並べられ、そこにハリー、ロン、フレッド、ジョージがぐちゃぐちゃになって眠っていた。ハリーの黒髪が真ん中あたりにいて、その隣にひどい寝相のロンが大の字になって眠っている。フレッドとジョージの姿が見当たらないことから、ハリーが寝ているベッドの足側にあるこの乱れた毛布の大きな塊がフレッドとジョージだ。

「フレッド、ジョージ、起きて。クィディッチ・ワールドカップの会場に行く時間よ。ハリー、さあ、出掛ける時間よ。ロン、準備して――」

 私が声をかけて回るとようやくハリーが手を伸ばして手探りで眼鏡を取り、起き上がった。まだぼんやりした顔で辺りを見渡している。その隣でロンは寝ぼけているのかわけの分からないことをブツブツと呟きながら体を起こして、最後にくしゃくしゃのパジャマ姿のフレッドとジョージが朦朧としながら毛布の中から出てきた。

「もう時間か?」

 フレッドが大欠伸をしながら言った。

「そうよ。着替えたら下りてきてね」

 全員起き出したのを見届けると私はキッチンへ下りていった。先に起こしたはずのジニーとハーマイオニーは準備に時間がかかっているのかまだキッチンに下りてきておらず、キッチンにはウィーズリー夫妻がいるだけで、おじさんはまだチケットの枚数を数えていた。

「おばさん、全員起きました」
「ありがとう、ハナ。飲み物を用意するからグラスを人数分お願い出来るかしら。食器棚にあるわ」
「はい、分かりました」

 ウィーズリーおばさんの言葉に頷くと、私は食器棚からグラスを人数分取り出して既に配置された食器のそばに並べていった。そのうち、ハリー、ロン、フレッド、ジョージの4人が眠そうな顔で下りてきて、ウィーズリーおじさんは私にした時と同様、両腕を広げて着ている服がみんなに見えるようにした。

「どうだね? 隠密に行動しなければならないんだが――マグルらしく見えるかね、ハリー」
「はい」

 ハリーは眠そうにしながらも微笑んだ。

「とってもいいですよ」
「ビルとチャーリーと、パぁ――パぁ――パぁーシーは?」

 父親の服装には一切興味がないのか、ボサボサ頭で大欠伸をしながらジョージが訊ねた。

「ああ、あの子達は姿現しで行くんですよ」

 ウィーズリーおばさんがオートミールの入った大きな鍋をテーブルに運び、皿に取り分けながら答えた。

「だから、あの子達はもう少しお寝坊出来るの」
「それじゃ、連中はまだベッドかよ? 俺達はなんで姿現し術を使っちゃいけないんだ?」

 寝ぼけ眼のフレッドが席に着き、オートミールの皿を引き寄せながら不機嫌に言った。他の3人もそれぞれ空いた席に着き、半分目を閉じたままオートミールを食べ始めた。私はウィーズリーおばさんが用意していた飲み物をみんなのグラスに注いだ。

「貴方達はまだその年齢じゃないのよ。テストも受けてないでしょ――ところで、ジニーとハーマイオニーは何をしているのかしら?」

 ウィーズリーおばさんが天井を見上げながら言って、せかせかとキッチンを出ていった。男の子達はみんな起きてきたというのに、ジニーとハーマイオニーは未だにキッチンに姿を見せる気配がなかった。もしかしたらまだ寝ているのではないだろうか。私はきちんと用意を始めるまで見届けなかったことを申し訳なく思いつつ、席に着いてオートミールを食べ始めた。ミルクで煮込まれたオートミールは、はちみつやナッツを加えて食べると美味しい。すると、姿現しに興味をそそられたのかハリーが訊ねた。

「姿現しはテストに受からないといけないの?」
「そうだとも」

 きっちり数え終えたチケットをジーンズの後ろのポケットに仕舞いながらウィーズリーおじさんが頷いた。

「この間も、無免許で姿現し術を使った魔法使い2人に、魔法運輸部が罰金を科した。そう簡単じゃないんだよ、姿現しは。きちんとやらないと、厄介なことになりかねない。その2人は術を使ったはいいが、バラけてしまった」

 バラけたと聞いてハリー以外の全員がギクリと仰け反った。バラけるとはつまり、体がバラバラになってしまうということだからだ。元に戻るとはいうもののその光景を想像するとなんともグロテスクだ。魔法界の移動手段にはどうしてこうも危険が付き纏うのか疑問でならない。ハリーは私達の反応に何か察するところがあったのか、恐る恐る訊ねた。

「あの――バラけたって?」
「体の半分が置いてけぼりだ」

 オートミールにたっぷり糖蜜をかけながらウィーズリーおじさんが答えた。

「当然、にっちもさっちもいかない。どっちにも動けない。魔法事故リセット部隊が来て、何とかしてくれるのを待つばかりだ。いやはや、事務的な事後処理が大変だったよ。置き去りになった体のパーツを目撃したマグルのことやらなんやらで……」
「助かったんですか?」
「そりゃ、大丈夫――しかし、相当の罰金だ。それに、あの連中はまたすぐに術を使うということもないだろう。姿現しは悪戯半分にやってはいけないんだよ。大の大人でも、使わない魔法使いが大勢いる。箒の方がいいってね――遅いが、安全だ」
「でもビルやチャーリーやパーシーは出来るんでしょう?」
「チャーリーは2回テストを受けたんだ」

 フレッドがニヤッとした。なんでも1度目は姿を現す目的地より8キロも南――買い物中の老婦人の上――に現れて、不合格だったのだそうだ。それから、パーシーは2週間前にテストに合格したばかりでそれから毎朝1階まで姿現しで下りてくるらしい。

 しばらくすると、足音が聞こえてきてウィーズリーおばさんがキッチンに戻ってきた。ジニーとハーマイオニーはそれから少ししてキッチンに下りてきたが、2人共かなり眠そうで血の気のない顔をしている。目を擦りながらテーブルに着いたジニーが愚痴を溢した。

「どうしてこんなに早起きしなきゃいけないの?」
「結構歩かなくちゃならないんだ」

 ウィーズリーおじさんが言った。すると、ハリーが驚いたように声を上げた。

「歩く? え? 僕達ワールドカップ会場まで、歩いていくんですか?」
「いや、いや、それは何キロも向こうだ。少し歩くだけだよ。マグルの注意を引かないようにしながら、大勢の魔法使いが集まるのは非常に難しい。私達は普段でさえ、どうやって移動するかについては細心の注意を払わなければならない。ましてや、クィディッチ・ワールドカップのような一大イベントは尚更だ――」
「ジョージ!」

 オートミールを食べながらハリーとウィーズリーおじさんが話しているの聞いていると、突然ウィーズリーおばさんが怒鳴り声を上げて全員飛び上がった。もしや、またウィーズリー・ウィザード・ウィーズだろうか――驚きつつも見てみると、怒鳴られた当の本人は「どうしたの?」のしらばっくれていたが、明らかにポケットが明膨らんでいるのが分かった。

「ポケットにあるものは何?」
「何にもないよ!」
「嘘おっしゃい! アクシオ!」

 ウィーズリーおばさんがジョージのポケットに杖を向けて呼び寄せ呪文を唱えると、鮮やかな色の小さな物が数個、ポケットから飛び出した。ジョージが捕まえようとしたが、飛び出したものはジョージの手を掠め、おばさんが伸ばした手の中にまっすぐ飛び込んでいった。おばさんが手にしたもの――それは、紛れもなくあのベロベロ飴トン・タン・タフィーだった。