Make or break - 019

3. 夢



 ウィーズリーおじさんから、ダーズリー家の暖炉を煙突飛行ネットワークに組み込む手筈が無事整ったと連絡があったのは、7月19日のことだった。本来なら、純粋なマグルの家の暖炉をネットワークに繋ぐことは禁止されているのだけれど、ウィーズリーおじさんがネットワークの管理をしている魔法運輸部の煙突飛行規制委員会に伝手があったことから、ほんの何時間かだけネットワークが使えることとなったのだ。

 ハリーを幽霊屋敷に連れてくることが本格的に決まると、私、シリウス、リーマスの3人はハリーを迎えるためにさまざまな準備をした。シリウスが使っていた家具はすべてリーマスの部屋に押し込み、ハリーのために新たな家具を揃え、31日には誕生日パーティーをしようと計画を練った。ウィーズリー夫妻に相談すると、ハリーの誕生日パーティーにおばさんがケーキを焼いてくれることになり、ビルとチャーリーがロンとハーマイオニーを私の家に連れてきてくれることになった。ハグリッドも誘おうとしたけれど、どうやらホグワーツで行われるイベントの準備で忙しい――なぜか妙に浮かれていた――らしく、代わりにロックケーキをたくさん送ると返事をくれた。

 ダイアゴン横丁にプレゼントを買いに行くのも決して忘れたりはしない。けれども、プレゼントを買いに行くのにシリウスを連れていくか否かで私達は揉めに揉めた。私とリーマスは「先日魔法省とのいざこざがあったばかりだし、今後のことも考えて残り1本となったポリジュース薬は大事に使った方がいい」と説得を試みたけれど、シリウスは「ハリーは私のゴッドチャイルドだ! ハリーのプレゼントは私が選ぶ!」と譲らなかった。そう言われると私もリーマスも弱くて、結局シリウスは私が去年渡したポリジュース薬の最後の1本を飲んでダイアゴン横丁へついて来た。犬だと店内まで入れないので、飲むしかなかったのだ。

 ハリーへのプレゼントに私達は服をプレゼントすることにした。ハリーはダドリーのお下がりを着ることが多かったのも理由の1つだが、私は、私の服をリリーが選んでくれたように自分もハリーの服を選んであげたかった。新しい家具も何もかも、本当ならハリーが当たり前に享受するべきものだったのだから、私達は出来る限りを尽くしてその当たり前をハリーにしてあげたかった。

 今回新しく購入した家具やプレゼントの代金は、なんとすべてシリウスが支払った。すべての店で私達は、代金を711番金庫から引き出すよう手続きし、無事会計を済ませた。そういえば、ファイアボルトも逃亡中にもかかわらずシリウスの金庫から代金が引き落とされたのだけれど、改めて聞いてみると小鬼ゴブリンというのは魔法使い達のいざこざにはほとんど興味がないらしい。つまり、シリウスが魔法界でどんな立場かなんて、彼らはどうでもいいのである。

 小鬼ゴブリンには独自の価値観があり、常に魔法使い達とは一線を引いて過ごしている。ただ魔法使い達とは価値観が合わないことが多々あり、それ故に小鬼ゴブリンの反乱など度々魔法使い達と争い事が起こったりもする。けれど、普段は魔法使い達に干渉しようとせず、お金さえちゃんと支払えば「シリウス・ブラックが箒の代金を払いました」なんて魔法省に報告することはないのだという。だから、逃亡中も現在の微妙な立場でもシリウスの金庫からお金を引き落とせるのだ。

 それからそう――ウィーズリー家の子ども達だが、先日話し合ったとおり、自分達の両親やビル、チャーリーがヴォルデモートの復活に向けて密かに動き出していることをまったく聞かされていなかった。情報は身を守る助けになるのは事実だけれど、未成年の子ども達が現時点でいろいろ知りすぎるのは逆に危険を招くことになりかねない。子ども達に教えるのは時期尚早だろう。もちろんこの件はハリー、ロン、ハーマイオニーにもしばらく話さないつもりだ。情報を与える時期を間違えてはいけないというのが私達の総意だった。1つでも間違えれば誰かが死ぬ世の中がもう目の前に迫っているのだから。

 それにロン以外の子ども達――フレッド、ジョージ、ジニー――とパーシーの4人に至っては、私の秘密もほとんど知らされていなかった。魔法省には、シリウスの滞在先を秘密にしているので当然私の家にシリウスがいることも話していなかったし、リーマスが狼人間であることも、話さないままだった。けれど、私の後見人は元々ハリーの父親がつとめるはずだったということだけは全員に知らされ、みんな私がハリーの姉になるはずだったと知って大いに驚いていたらしい。

 そんなこんなで、24日までの1週間は驚くほどあっという間に過ぎ去った。その間、ビルとチャーリーが何度かうちに来てパーティーのための計画やハリーをダーズリー家から連れ出す計画を練った。ダーズリー家にはウィーズリーおじさんの他に、フレッド、ジョージ、ロンが同行することになり、そこから一旦隠れ穴を経由し、ビルとチャーリーが私の家にハリーを連れてくる計画だ。フレッドとジョージは私の家にもついて行くと主張したけれど、2人のO.W.L試験の結果を盾にウィーズリーおばさんがその主張を捩じ伏せた。

 隠れ穴を一旦経由するのは、なるべく魔法省にハリーの行き先を知られないためだった。なんでも、やろうと思えば煙突飛行ネットワークは監視出来るそうなのだ。今回、ハリーを隠れ穴に連れてくるためにネットワークを繋ぎたいとウィーズリーおじさんが知り合いの職員に頼んでくれていたので、隠れ穴に着いたか確認するために見られている可能性があると考慮して一旦隠れ穴を経由しようとなったのである。

 そして、ハリーが無事に隠れ穴に向かったあとはウィーズリーおじさんが終わったことを連絡する手筈になっている。そうすれば、その後ネットワークが見られる心配はないからだ。だって、ハリーがシリウス・ブラックのいる家に行くなんてその職員は思いもしないのだから。ハリーが再び暖炉に入りネットワークを使うころには、マグルの家にネットワークを繋いだ証拠を消す作業をしていることだろう。


 *


 そんな準備期間を経て、遂にハリーは我が家にやってきた。ハリーがメアリルボーンにやってきてからの約1ヶ月はとても素晴らしいもので、私達は大っぴらに出掛けたりすることは出来なかったけれど、誕生日のサプライズは大成功だったし、簡易クィディッチ――これは男の子達に大ウケだった――をしたりして日々を満喫した。それに数日に1度はマグルのスーパーへ出掛けて買い出しをした。シリウスは毎度犬になって店の入口までついて来た。

 ただ遊んでばかりではいられなかった。私には魔法薬学の課題もあったので、ハリーの滞在中も1日に何時間か――多い時は日が暮れるまで――大鍋に向き合い魔法薬を調合したり、レポートを書いたりした。8月の初めには、ポリジュース薬が無事完成して、安らぎの水薬も上手くいったし、苦戦していた生ける屍の水薬もあともう少しというところまで来ていた。今は攪拌の回数や回す方向について検証しているところで、研究用の羊皮紙にはびっしりとこれまでの検証結果が書き綴られている。この研究レポートもスネイプ先生に提出する予定だ。

 8月も半ばになると、ロンからクィディッチ・ワールドカップのチケットが取れたと連絡があった。なんと、以前ガリオンくじに当選した時、ウィーズリーおじさんが聖マンゴ魔法疾患傷害病院に多額の寄付したことから、決勝戦を観戦することになったという。これにはウィーズリー家の子ども達もハリーも大喜びだったが、その知らせが入って以降、シリウスは見る見るうちに落ち込んでいった。私はワールドカップが終われば魔法薬学の課題もあるので家に戻ってくるけれど、ハリーはそのまま隠れ穴に泊まるからだ。つまり、ワールドカップの観戦は、ハリーとの生活の終わりを意味していた。私とリーマスは隙を見てはシリウスを励まし、これ一度きりじゃないんだからと慰めた。

「シリウス、元気を出して」
「もう2度とハリーが来ないわけじゃないんだ」

 ハリーと私が隠れ穴に向かう前の日の朝も、私とリーマスはシリウスを励ましていた。シリウスはダイニングテーブルの定位置に座り、項垂れたままだ。シリウスはハリーの前でこそ普通に振る舞おうと努力していたが、このところ私とリーマスの前では終始こんな様子だった。楽しかった日々が終わることが寂しいのだろうと思う。魔法省のひどい裏切りのせいで未だに完全な自由が手に入れられていないのだから無理もない。

「夏休みが終わってもクリスマス休暇あるわ。そうでしょ? ダンブルドア先生がいいと言ってくださったら、ハリーと帰ってくるわ」
「いや、それがそうもいかないんだ、ハナ」

 シリウスの肩を励ますように叩きながらリーマスが言った。

「今年のクリスマス休暇は君もホグワーツに残ることになる。例のイベントのためにね」
「クリスマス休暇にも何か行われるの? そもそも、ホグワーツで何が行われるの?」
「君はまだ知らない方がいい。子ども達には知らせてはいけないことになっているからね――ああ、ハリーが起きてきたようだ」

 階段を下りる足音が聞こえてきて、私達はさりげなく話題を朝食のことに切り替えた。項垂れていたシリウスが顔を上げ、私が朝食を運ぼうとキッチンへ向かうと、リビングの扉が開く音がして、まもなく、ダイニングにハリーが姿を見せた。しかし、明日には隠れ穴に行って、明後日にはクィディッチ・ワールドカップの決勝戦だというのに、今朝のハリーは何やら浮かない顔で額を揉んでいる。傷痕がある方を、だ。

「ハリー? 痛むの?」

 私はシリウスとリーマスとサッと目配せすると、キッチンから運んできたスープカップを急いでダイニングテーブルに置き、ハリーに駆け寄った。私が顔を覗き込むとハリーは何やら言いたいことを我慢しているような表情で、口を開いたり閉じたりしている。どうやら何かよくないことがあったらしい。

「さあ、ハリー座って」
「おいで。私の隣に来るといい」
「寝起きにミルクティーはどうだい? 淹れてこよう」

 私達が促すと、ハリーはシリウスの隣に座ったが、何も喋らず俯いたままになった。そんなハリーを落ち着かせようとリーマスがミルクをたっぷり使ったミルクティーを淹れてくれて、ダイニングには紅茶のいい香りが漂い始めた。ハリーは目の前に紅茶を出されてもしばらくの間じっとしていたけれど、やがてカップを持ち上げて一口飲むと口を開いた。

「僕、傷痕が痛んだんだ……」

 迷いながらもハリーが呟いた。

「僕、前に痛んだのはヴォルデモートが近くにいた時だった……だから、僕……」
「不安になったのかい? ハリー」

 シリウスが訊ねるとハリーはこくりと頷いた。

「でも、ヴォルデモートがバルカム通りにいるはずない。そうだよね?」
「ああ、バルカム通りにはいない。この家の戸口にヴォルデモートが立った形跡もない」
「それに、ヴォルデモートがここにやってきたら、たちまち来訪者探知機が反応したはずだ」

 リーマスが言った。

「探知機はどんな者でも必ず反応する。ヴォルデモートがやってきたら、私達に危険を知らせていただろう。そもそもこの家にはスリザリン避けがかけられている。スリザリン出身の魔法使いはこの家がどこにあるのか知ることが出来ないから近付くことも出来ない。ただ、今もどこかで復活のために動いているかもしれない」
「復活……ヴォルデモートはもう動いてると思う?」
「そう考えていた方がいいでしょうね。ペティグリューはヴォルデモートがアルバニアの森に身を隠していることを知っていたんですもの」
「ハナ、ヴォルデモートが復活のために何をするか、君なら分かる? 君の世界には予言書があったし――」
「ハリー、私が知っていたのは3年生の学年末までだったの。ヴォルデモートがどうやって復活するのか、私には分からないわ」

 私が答えるとハリーはショックを受けたような顔をした。それからまた俯くと深刻な顔をして、話し出した。

「僕……あの、夢を見たんだ。どこか知らない場所で、ヴォルデモートとペティグリューが話してた……誰かを殺したって……」
「誰かを殺した?」

 シリウスが鋭い声で訊ねた。

「ハリー、ヤツらは誰を殺した?」
「僕、分からない……名前を言っていた気がするけど思い出せなくて……でも、ハナの話をしてた。召喚にかなり苦労したとか、それに……それに……」

 途端に怯えた表情になって、ハリーは言葉を詰まらせた。もしかすると私を復活に利用しようとか、殺してしまおうとか話しているのをハリーは聞いてしまったのかもしれない――そう、ハリーはヴォルデモートとペティグリューの話を聞いてしまったのだ。2年前、一角獣ユニコーンの血を啜っていたまさにその瞬間を私が見てしまったように、ハリーもまたヴォルデモートの心を覗き見たのだ。

「ハリー、今までそういう変な夢を見たことは?」

 これは早急にダンブルドア先生に指示を仰ぎ、対処すべき事案だ。なぜなら、私が2年前に夢を見たことを相談した時、ダンブルドア先生は即座に閉心術を覚えるよう話したからだ。あの時、ダンブルドア先生は私がヴォルデモートの心を覗き見れるなら、逆も有り得ると言っていた。だからこそ、そのことに気付かれる前に備えるべきだとも。

「夢を見ていて、妙にリアルだなと感じたりしたことはあった?」
「ううん……今までこんなことなかった。あれってなんなの?」
「ハリー、私、変な夢を見なくなる方法を知ってるわ」

 ハリーの問いに気付かないフリをして私は言った。ダンブルドア先生の指示を仰ぐ前に下手なことを言って不安を煽ってはならないだろう。

「あとで教えてあげるわ。一緒にやりましょう」
「本当に?」
「ええ、本当よ。だから、心配しないで、ハリー。顔を洗っていらっしゃい」

 ハリーは私が落ち着かせるための嘘を言っているとでも考えたのか、本当にその方法を知っているのか信じられずにいる様子だった。けれど、やがて、おずおずと立ち上がるとダイニングを出て洗面所に向かった。リビングの扉が開き、また閉まり、廊下を歩いていく音が聞こえている。

「シリウス、リーマス」

 ハリーの足音が遠ざかると私は声を潜めて言った。

「明日、私とハリーが出掛けたらすぐにダンブルドア先生に連絡を。先生の指示を仰ぐ必要があるわ」
「あれは一体なんなんだ?」

 シリウスが訊ねた。

「夢じゃないのか?」
「夢じゃないわ」

 私はすぐさま否定した。

「無意識にヴォルデモートの心を覗き見たのよ。私にも経験があるから間違いないわ。ハリーは閉心術を覚える必要がある」
「なら、私が教える。私は閉心術が使える」
「ダメだ」

 今度はリーマスがすぐさま否定した。

「まずはハナの言うようにダンブルドアの指示を仰ぐべきだ。ハナ、ウィーズリー夫妻とビルとチャーリーには君が話してくれ。ピーターとヴォルデモートが既に行動を共にしていることと、それから、既に誰かが殺されたと――」
「――分かったわ」

 私はぎゅっと拳を握り締めて頷いた。誰かが既に殺された――その現実が恐ろしく思うのと同時に、どうして例の友人が私に『アズカバンの囚人』以降の話をしなかったのか、分かった気がした。この先、ふとした瞬間に誰かが死んでしまうからだ。クィレルがヴォルデモートに殺された時より遥かに残酷で卑劣な方法で、何人もだ。肉親をすべて亡くした私にそのことを話すのは酷だと感じたに違いない。

 けれども、彼女は私を映画に連れていったことがあるし、好きなことを急に話さなくなったら私が不審に思うから、友人はシリウスの学生時代の話ばかり私に聞かせたのだろう。なぜなら、登場人物が次々に亡くなることを知ったのは、私に映画を見せたあとだからだ。確か『賢者の石』の映画を見た翌年くらいに次は上下巻なんだと教えてくれたように思う。英語は分からないから邦訳版の発売を待っているのだと――。

 これから一体どれほど恐ろしい出来事が待っているのだろう。一体何人殺されてしまうのだろう。私はそのことを考えるのが恐ろしくて、吐き気を覚えたけれど、ダイニングにハリーが戻ってくると何事もなかったかのように微笑んだ。