Make or break - 018

2. 幽霊屋敷

――Frank――



「ご主人様、お言葉を返すようですが!」

 フランクが更に耳を近付けた途端、ワームテールが声を上げた。かなり怯えきっている声だ。

「この旅の間中ずっと、わたくしめは頭の中でこの計画を考え抜きました――ご主人様、バーサ・ジョーキンズが消えたことは早晩気付かれてしまいます。もしこのまま実行し、もしわたくしめが死の呪いをかければ――」
「もし?」

 囁くようにヴォルデモート卿が言った。

「もし? ワームテール、お前がこの計画どおり実行すれば、魔法省は他の誰が消えようと決して気付きはせぬ。お前はそっと、下手に騒がずにやればよい。俺様自身が手を下せればよいものを、今のこの有り様では……。さあ、ワームテール。あと1人邪魔者を消せば、ハリー・ポッターとハナ・ミズマチへの道は一直線だ。お前に1人でやれとは言わぬ。その時までには忠実なる下僕が再び我々に加わるであろう――」
「わたくしめも忠実な下僕でございます」

 ワームテールが訴えた。けれども、これまでの怯えようからフランクにはワームテールに忠誠心があるようには到底思えなかった。むしろ、ヴォルデモート卿怖さに付き従っていると言った方が納得出来るだろう。

「ワームテールよ。俺様には頭のある人物が必要なのだ。揺らぐことなき忠誠心を持った者が。貴様は、不幸にして、どちらの要件も満たしてはおらぬ」
「わたくしが貴方様を見つけました」

 ワームテールは再度訴えた。今度は、評価されないことに憤っているような、悔しがっているような雰囲気があった。

「貴方様を見つけたのはこのわたくしめです。バーサ・ジョーキンズを連れてきたのはわたくしめです」
「確かに」

 ヴォルデモート卿が楽しげに言った。

「僅かな閃き――ワームテール、貴様にそんな才覚があろうとは思わなかったわ――しかし、本音を明かせば、あの女を捕らえた時には、どんなに役に立つ女か、お前は気付いていなかったであろうが?」
「わ――わたくしめはあの女が役に立つだろうと思っておりました。ご主人様」
「嘘つきめが」

 ヴォルデモート卿は明らかに相手が狼狽えているのを楽しんでいた。ワームテールをなじり、必死に取り繕っている姿を見て笑っている。フランクは、実際にワームテールを痛ぶっている現場を見たわけではないというのに、ヴォルデモート卿の言動にどこか、猟奇的で冷淡で残忍な歪んだ感性が見え隠れしているのを感じていた。

「しかしながら、あの女の情報は価値があった。あれなくして我々の計画を練ることは出来なかったであろう。そのことで、ワームテール、お前には褒美を授けよう。俺様のために1つ重要な仕事を果たすことを許そう。我につき従う者の多くが、諸手を挙げ、馳せ参ずるような仕事を……」
「ま、誠でございますか?」

 まったく有り難がっていない怯えた声でワームテールが言った。

「ご主人様。どんな――?」
「ああ、ワームテールよ。せっかく驚かしてやろうという楽しみを台無しにする気か? お前の役目は最後の最後だ……しかし、約束する。お前はバーサ・ジョーキンズと同じように役に立つという名誉を与えられるであろう」
「あ……貴方様は……」

 突然、掠れ声になってワームテールが言った。

「貴方様は……わたくしめも……殺すと?」
「ワームテールよ、ワームテール。なぜお前を殺すのだ?」

 ヴォルデモート卿が宥めるように呼びかけた。

「バーサを殺したのは、そうしなければならなかったからだ。俺様が聞き出したあとは、あの女は用済みだ。何の役にも立たぬ。いずれにせよ、あの女が魔法省に戻って、休暇中にお前に出会ったなどと喋ったら、あの女は厄介な事態を引き起こす羽目になったろう。ただでさえ、小娘にしてやられて写真まで撮られおったのだ。逃亡中の魔法使いが片田舎の宿屋で魔法省の魔女に出会すなど、そんなことは起こらぬ方がよかろう……」

 ヴォルデモート卿の言葉に、ワームテールは何かボソボソ呟いたが、フランクには聞き取れなかった。やがて、そのボソボソ声が聞こえなくなったかと思うと、ヴォルデモート卿の笑い声が部屋に響いた。話す時と同様、冷酷な笑い声だった。

「記憶を消せばよかっただと? しかし、忘却術は強力な魔法使いなら破ることが出来る。俺様があの女を尋問したときのようにな。せっかく聞き出した情報を利用しなければ、ワームテールよ、それこそあの死んだ女の記憶に対して失礼であろうが」

 その言葉を聞いた瞬間、フランクはどっと汗が噴き出て、歩行杖を握り締めた手が滑るのを感じた。このヴォルデモート卿とかいう冷たい声の男は、バーサ・ジョーキンズとかいう女性を殺した。しかも、それを微塵も後悔していないし、悪びれてもいない。危険人物だ。狂っている。それに――それに、まだ誰か狙うつもりだ。誰だか知らないが、ハリー・ポッターという少年とハナ・ミズマチという少女が危ない。少女の方にはフランクの考えが及ばないほどのことをするつもりだし、少年の方にだって何かするつもりだ。いや、本当は分かっている。男共は、ジョーキンズと同じように2人を殺すつもりだ。まだ、未成年の子どもを――。

 ここから抜け出して村の公衆電話のところに行くなら今しかない。フランクはそう思った。今すぐ公衆電話に向かって、緊急電話番号である999番を押すのだ。猟奇殺人鬼が少年と少女を狙っていると話さなければならない――しかし、いざ踵を返そうとすると、あのヴォルデモート卿のおぞましいほど冷たい声が聞こえて、フランクはその場から動けなくなった。

「もう一度呪いを……我が忠実なる下僕はホグワーツに……ワームテールよ、ハリー・ポッターとハナ・ミズマチは最早我が手の内にある。決定したことだ。議論の余地はない――しっ、静かに……あの音はナギニらしい……」

 ヴォルデモート卿はそう言ってワームテールを黙らせると、急にシューシュー、シャーシャーと息を吐き、フランクが今まで聞いたことのないような音を立て始めた。引きつけか何かの発作を起こしたのだろうか。フランクが考えていると、背後で何か蠢く音が聞こえ、フランクは振り返った。

 真っ暗な廊下を巨大な蛇が蠢いていた。優に4メートルはあろうかという巨体をズルズルと引きずりながら、フランクの方へと這ってくる。フランクは恐怖でピクリとも動けなくなった。逃げ道はない――階段に向かおうにも蛇がいるし、反対側は2人の男が殺人の計画を企てている部屋しかなく、その部屋に入ろうものなら男達に殺されてしまうだろう。しかし、このまま動かずにいても間違いなく蛇に殺される。

 フランクが決めかねている間に、蛇はすぐそばまでやってきていた。そうして、信じられないことに、蛇はフランクの前を素通りし、部屋から聞こえるシューシュー、シャーシャーという音に導かれるようにして、扉の隙間から中へと入っていった。

 助かった――フランクは急に息をすることを思い出したかのようにどっと息を吐き出した。額に冷や汗が流れ、恐怖に歩行杖を持つ手がガタガタ震えている。扉の向こうでは、ヴォルデモート卿が未だにシューシュー言い続けていた。まるで、蛇と会話をしているように。

 フランクは湯たんぽを抱えてベッドに戻りたいと、ただそれだけを願った。けれども、どんなに願っても足が恐怖で縫いつけられて動かない。フランクは震えながらその場に立っていることしか出来なかった。

「ワームテール、ナギニが面白い報せを持ってきたぞ」

 フランクが動けないでいる間にヴォルデモート卿がまた口を開いた。今度は、シューシュー、シャーシャーという声ではなかった。

「さ――左様でございますか、ご主人様」
「ああ、そうだとも。ナギニが言うには、この部屋のすぐ外に老いぼれマグルが1人立っていて、我々の話を全部聞いているそうだ」

 一瞬、フランクは息を詰まらせた。頭が真っ白になり、どうにも出来ないでいるうちにバタバタと足音がして、半開きの扉が完全に開かれた。鼻の尖った、色の薄い小さい目をした白髪混じりの禿げた小男が、フランクを見て恐れと驚きの入り混じった表情で見ている。

「中にお招きするのだ。ワームテールよ。礼儀を知らぬのか?」

 ヴォルデモート卿の声は、暖炉前に移動させた古めかしい肘掛け椅子から聞こえていた。けれども、赤ん坊でもあるまいに、その姿は背凭れにすっぽり隠れて見えやしない。その肘掛け椅子のそばにはあの大蛇がとぐろを巻いてうずくまっている。

 ワームテールに部屋に入るように促されると、フランクは杖をしっかり握り直し、足を引きずりながら入っていった。部屋に入ると、明かりは暖炉の火だけで、暖炉を中心に金色の明かりが広がり、部屋の壁にまるで蜘蛛のような影を落としていた。フランクは肘掛け椅子をじっと見つめたが、やっぱりヴォルデモート卿の姿は見えなかった。

「マグルよ。すべて聞いたのだな?」

 肘掛け椅子の背凭れの陰からヴォルデモート卿が言った。フランクは「マグル」という聞き慣れない単語に食ってかかった。

「俺のことをなんと呼んだ?」
「お前をマグルと呼んだ。つまりお前は魔法使いではないということだ」
「お前様が、魔法使いと言いなさる意味が分からねえ――ただ、俺は、今晩警察の気を引くのに十分のことを聞かせてもらった。ああ、聞いたとも。お前様は人殺しをした。しかもまだ殺すつもりだ! それに、言っとくが」

 フランクは急に閃いて、たった今思いついた脅し文句を言った。

「かみさんは、俺がここに来たことを知ってるぞ。もし俺が戻らなかったら――」
「お前に妻はいない」

 まるで見透かしたようにヴォルデモート卿が言った。

「お前がここにいることは誰も知らぬ。ここに来ることを、お前は誰にも言っていない。ヴォルデモート卿に嘘をつくな。マグルよ。俺様にはお見通しだ……すべてが……」
「へえ?」

 フランクはぶっきらぼうに言った。フランクにとって、それが今この場で出来る最大限の強がりだった。

「卿だって? はて、卿にしちゃ礼儀をわきまえていなさらん。こっちを向いて、1人前の男らしく俺と向き合ったらどうだ。出来ないのか?」
「マグルよ。俺様は人ではない。人よりずっと上の存在なのだ。しかし……よかろう。お前と向き合おう……ワームテール、ここに来て、この椅子を回すのだ」

 ワームテールはヒッと声を上げた。ヴォルデモート卿の姿を見ることを妙に恐れている。しかし、「聞こえたのか」と問われると、ワームテールは顔を歪めながらそろそろと進み出て、肘掛け椅子を回し始め、そして、フランクの方に向けた。

 それは、おぞましい何かだった。人ではない――喋っていなければ、生きているかどうかさえ分からないのに、目だけが赤くギラギラしている。そんなものが椅子の上にいた。フランクは恐怖に叫び声を上げた。歩行杖が落ちて音を立てるのと同時に、椅子の上にいる何かが棒切れのようなものを振り上げたと思ったら口のようなところが開いて何かを喋った。

 瞬間、緑の閃光が迸り、フランクは床に倒れ伏した。
 床にだらりと四肢が投げ出され、顔には恐怖が張りついている。それは奇しくも、50年前にリドル一家が死亡した死因と同じ死因だった。

 そして、そこから300キロ離れた場所で、ハリー・ポッターはハッと目を覚ました。