Make or break - 016

2. 幽霊屋敷

――Frank――



 リトル・ハングルトン村には、古くから曰く付きの屋敷がある。村を見下ろす小高い丘に建つその屋敷は、かつてはその周辺では特に大きく豪華で見事な屋敷だったが、今ではすっかり荒れ果てている。住む人もなく、窓という窓には板が打ちつけられ、屋根瓦は剥がれ落ち、外壁には蔦が絡み放題だ。その家の持ち主は、どこかの大金持ちだったが、税金対策で所有しているに過ぎず、自宅にするどころか別荘として使用する気配すらなかった。なぜなら、この古屋敷がまだ荒れ果てていなかったころ、一家全員が殺されるという殺人事件が起こったからだ。

 大金持ちが所有者になるずっと前、古屋敷に住んでたのはリドル家の人々だった。リドルの館と呼ばれる壮大な屋敷に何人もの使用人がいるような大金持ちだったが、この家の主人であるトーマスとその妻、メアリーは高慢ちきの礼儀知らずとして有名で、その1人息子であるトムは村一番のハンサムとして評判だった。けれどもトムはハンサム以上に傲慢で両親以上の人格破綻者として知られており、とにかく一家は揃いも揃ってすこぶる評判の悪い嫌われ者だった。

 村人達は、この一家に何が起こっても露ほども同情しなかった。たとえば、息子のトムが婚約者のセシリアを捨ててろくでなしの娘と駆け落ちした時だって、村人達は夫妻に同情せず酒の肴にするだけだったし、数年後、騙されたのなんだのとトムがのこのこ村に帰ってきた時だって、やっぱり酒の肴にしかならなかった。

 今から50年前のある晴れた夏の日の明け方、早起きした1人のメイドが屋敷の客間にやってきた。どうしてだかさっぱり覚えていないけれど、昨夜リドル一家がダイニングではなく客間で食事をしたので、その掃除をしなければならなかったからだ。さて、来客の覚えもないのにどうして客間だったのか――メイドはそんなことをぼんやり考えながら客間を開け、途端、悲鳴を上げた。客のいない客間で、リドル家の3人全員が恐怖を顔に張りつけ、息絶えている。

「目ん玉ひんむいたまんま倒れてる! 氷みたいに冷たいよ! ディナーの正装したまんまだ!」

 メイドは丘の上から村まで駆け下り、大声を上げて村中の人々を片っ端から起こして回った。みんなが、この思いも寄らぬ知らせに飛び起き、興奮を隠しきれない様子で騒ぎ立てた。けれども、誰1人として、リドル一家のために悲しみに暮れるようなことはなかった。村人達の関心といえば、一体どうしてリドル一家は亡くなったのか、ただそれだけだった。

 まもなく警察が呼ばれると、リドル一家の遺体は検死に回され、屋敷の現場検証が始まった。屋敷で働く使用人達は1人残らずアリバイを聞かれた。使用人も村人も警察も、事件を知る誰もが、それまで健康だった3人が、一晩のうちに全員死んでしまうなんて、どう考えてもおかしいと殺人を疑っていた。

 その晩、村人達はこのかつてない事件に居ても立っても居られず、少しでも情報を得ようと村唯一のパブである「首吊り男」に集まった。この時既に村人の関心は、一体どうしてリドル一家は亡くなったのかから、一体リドル一家を殺した殺人犯は誰かに変わってしまっていた。村人達は使用人達の名を挙げ、誰それが怪しいなどと言っては酒を酌み交わした。

 リドル家の料理人のドットという女性が物々しくやってきたのは、まさにそんな時だった。ドットは、一瞬にして静まり返ったパブに向かって、フランク・ブライスが逮捕されたとされたと知らせた。それは今、村人達が1番知りたがっていたことだった。誰もがわざわざ家の暖炉を離れてパブまできた甲斐があったと、興奮冷めやらぬ様子で騒ぎ立てた。

「フランクだって!」
「まさか!」

 フランク・ブライスは、リドル家で働く庭師だった。第二次世界大戦に従軍している間に片足が不自由になり、生還して以降は人混みと騒音をひどく嫌うようになっていたが、リドル家に雇われて以降ずっと仕え、敷地内にあるボロ小屋で寝泊まりしている男だ。そのフランクがどうしてリドル一家を殺害したのか――村人達は我も我もとドットに酒を奢り、更に詳しく話を聞き出そうとした。

「あの男、どっか変だと思ってたわ」

 村中の注目を浴び、シェリー酒を4杯も引っかけ、すっかり気分をよくしたドットは饒舌だった。

「愛想なしって言うか。たとえばお茶でもどうって勧めたとするじゃない? 何百回勧めてもダメさね。付き合わないんだから、絶対」
「でもねえ……戦争でひどい目に遭ったのよ、フランクは。静かに暮らしたかったんだよ。なんにも疑う理由なんか――」

 ドットの悪口にも似た言葉に、カウンターに座っていた女が嗜めるような口調で言った。リドル家の敷地の片隅で折角静かに暮らしていたというのに、戦争から戻って以降、人と関わり合いになるのがすっかり嫌になってしまっていたフランクがその生活をわざわざ手放してしまおうとするなんて考えられなかったのだ。

「他に誰が勝手口の鍵を持ってたっていうのさ?」

 気分を害したようにドットが噛みついた。

「あたしが覚えてる限り、とうの昔っから、あの庭師の小屋に合鍵がぶら下がってたさ! 昨日の晩は誰も戸をこじ開けちゃいないんだ! 窓も壊れちゃいない! フランクは、あたしたちみんなが寝てる間に、こっそりお屋敷に忍び込みゃあよかった……」

 確かにドットの言うとおりだ。フランク以外に誰が殺せるというのだろう――村人達は目と目を見交わした。

「あいつはどっか胡散臭いと睨んでた。そうだとも」
「戦争がそうさせたんだ。そう思うね」
「言ったよね。あたしゃあいつの気に障ることはしたくないって。ねえ、ドット、そう言っただろ?」

 つい先ほど、まさかと驚いたばかりだというのに、今や、パブの中にいる誰もが昔からフランクは胡散臭く人殺しをするような怖い雰囲気があったと信じて疑わなかった。1人がフランクに否定的な発言をすれば、周りにいる人々も自分もそうだったと同調し、パブはフランクに対する罵詈雑言で埋め尽くされた。

「ひどい癇癪持ちなのさ」

 ドットがしきりに頷きながら言った。

「あいつがガキのころ、そうだったわ……」

 夜が明けるころには、リトル・ハングルトン村のほとんどが、フランクがリドル一家を殺害したのだと信じて疑わなかった。けれども、村人達がフランクの犯行だと信じきっている一方で、隣村のグレート・ハングルトン村にある警察署で事情聴取を受けていたフランクは犯行を否定し続けていた。フランクは何を聞かれようとも自分の犯行を認めようとはせず、あの日屋敷の近くで10代の男の子を見た、と言い張った。

「黒髪で青白い顔をした10代の男の子だ。この辺りじゃ見たこともない顔だった」

 フランクは繰り返した。

「仕事が終わって小屋に引っ込む前、屋敷の周りを彷徨うろついているのを見たんだ」

 しかしながら、屋敷の使用人の誰も、フランクが見たという男の子を見た者はいなかった。フランク以外の全員が「その日は屋敷に訪れた人は誰もいなかった」と答えた。リドル一家は普段から傲慢な態度で知られていたので、その日ダイニングではなく客間で食事をしていたことも、正装をしていたことも、単なる我儘として片付けられた。

 警察は、フランクが嘘をついているに違いないと考えた。罪に問われぬよう、存在すらしなかった人間をでっち上げて捜査を混乱させようとしているのだとして、犯行に使った凶器はなんだ、一体どこに隠した、犯行の動機はなんだ、とフランクを執拗に問い詰めた。けれど、リドル一家の検死報告書が届くと、警察はフランクをどう問い詰めることが出来なくなった。

 なぜなら、リドル一家の死因は毒殺、刺殺、射殺、絞殺、窒息のどれでもなかったからだ。リドル一家はもう既に死んでいるということ以外は至って健康で、外傷も一切なく、唯一奇妙なことといえば、3人全員が恐怖に顔を引き攣らせていたことだけだった。これではフランクを罪には問えない――警察は渋々証拠不十分だとしてフランクを釈放した。

 まもなく、検死に回されていたリドル一家の遺体がリトル・ハングルトン村の教会墓地に葬られると、しばらくの間はそこにある墓が好奇の的となった。フランクが証拠不十分として釈放されたことにより、真実を知る機会がついぞなくなってしまった村人達は、この結果にモヤモヤとしたが、疑いが晴れないままのフランクはというと、我関せずの様子で自分の小屋に戻った。そう、驚いたことにフランクは、主人のいない屋敷の敷地内にある自分の小屋に戻ったのだ。

「何てったって、あたしゃあいつが殺したと思う。警察の言うことなんか糞食らえだよ」

 村のパブでは、ドットが毎日のようにフランクを罵った。

「あいつに自尊心の欠片でもありゃ、ここを出ていくだろうに。分かってるはずだよ。あいつが殺ったのをあたしらが知ってるってことをね」

 しかし、フランクは誰にどう言われようと出ていこうとしなかった。フランクは、リドルの館に次に住んだ家族のために庭の手入れをしたし、その次の家族のためにも同じように手入れした。けれども、リドルの館には何か嫌な雰囲気があるとして、どの家族も、この家には長くは住まなかった。そうして、誰も住まなくると屋敷は現在の荒れ果てた姿となった。

 リドルの館の現在の持ち主である大金持ちは、フランクに給料を支払い、面倒な屋敷の管理を任せ続けた。もう77歳の誕生日が来ようかというフランクは、耳も遠くなり、不自由な足はますます強張り、かつてほどせっせと庭の手入れが出来なくなっていた。それでも天気のよい日になると、フランクは花壇の手入れをしたが、フランクがどんなに引っこ抜いてもあちこちから雑草が伸びてくるので、庭はいつでも荒れ放題だった。

 それに、フランクに嫌がらせをするのは何も雑草だけではなかった。村の子ども達は、しょっちゅう屋敷にやってきては屋敷の窓に石を投げつけたし、フランクが手入れしたそばから自転車を乗り回して庭の芝生をめちゃくちゃにした。夜だって、肝試しに屋敷に入り込むこともあるので油断は出来ない。子ども達は、フランクが杖を振り回し、しわがれ声を張り上げて庭の向こうから足を引きずってやってくるのを面白がって見ていた。それもこれも、親や祖父母から自分が殺人犯だと聞かされたからに違いないとフランクは思っていた。

 そうして、1994年8月のある夜――またもや屋敷に忍び込んだ子ども達を追い出すため、フランクは小屋を出たのだった。