Make or break - 015

2. 幽霊屋敷

――Harry――



 ハナの家にやってきてからの1週間は驚くほどあっという間に過ぎた。幽霊屋敷の夏休みは、旅行に行くわけでもないし、動物園や遊園地に行くわけでもなかったけれど、ハリーは何日かに1度マグルのスーパーに買い物――シリウスは犬になってついてきた――に出掛けたり、魔法使いのチェスをしたり、池で釣りをしたり、小さな大草原であれこれ特別ルールを設けた2対2の簡易版のクィディッチをして遊んだりするだけで、とても満ち足りた気分になった。

 朝、昼、晩と出てくる料理だって、ハリーは大好きだった。ハナが言ったとおり、夕食が豪勢だったのは初日の夜だけだった。それ以外の日は大抵、芋やパンなどの主食――ハナはライスを食べる日もあった――に肉か魚料理、野菜料理がつく、イギリスでは極一般的なメニューだったけれど、ダーズリー一家で食べる食事より遥かにご馳走だったことは言うまでもなかった。

 昼食はリーマスやシリウスがサンドイッチを作ってくれることもあったし、ハナが魔法薬学の課題に夢中でなければ、パスタやオムライス、中華料理や和食が出てくる日もあった。ハリーは火曜日に出てきたナポリタンが好きだったが、ハナが「ナポリタンは日本の料理なのよ」と教えてくれてかなり驚いた。イタリアのナポリに行ってもナポリタンは食べられないらしい。

 そんな生活だったので、巾着袋の中のお菓子の残りに手をつける機会は一切やってこなかった。アフタヌーンティーの時にはクッキーやスコーンなどが出てきたし、ハリーは胃も心も満たされていたので、部屋でこっそりお菓子を取り出して空腹を満たすなんてことをせずに済んだ。


 *


 幽霊屋敷にやってきてちょうど1週間後の朝、ハリーはキッチンから漂う甘い香りで目覚めた。なんだかバニラのような甘い香りが部屋まで漂ってきている。今朝はなんだかいつもと違う――ハリーはベッドに横たわったまま、どうしてだろうとぼんやりと考えて、不意に気付いた。ここに来てあまりに毎日楽しくてすっかり忘れていたが、今日はハリーの14歳の誕生日だ。ハリーは慌てて飛び起きると、急いで着替えて階段を下り、顔を洗ってダイニングに向かった。

 ハリーがダイニングに入ると、そこにはもうハリー以外の全員が揃っていた。1週間前に手紙を出したきりずっと戻ってきていなかったヘドウィグとロキも戻っていて、ウィーズリー家の老ぼれふくろうのエロールと共に出窓のところで休んでいた。エロールは長旅で疲れたのかぐったりとクッションの上に座り込んでいる。その出窓の手間にある腰までの高さの棚の上には、大きな箱が3つとラッピングされた袋が1つ置かれていた。甘い匂いはするものの、ダイニングテーブルにはいつもと違ってまだ朝食は並んでいなかった。

「誕生日おめでとう、ハリー」

 ハリーがやってくると、ハナ、シリウス、リーマスがにこやかにそう言って、ハリーは途端に胸がいっぱいになった。なぜなら、ハリーが覚えている中で、誕生日当日に「おめでとう」と直接言ってもらえたのはたった1度だけ――3年前の嵐の日にハグリッドが乗り込んできた時だけだったのだ。両親と過ごした1歳の誕生日は覚えていないし、それ以外はずーっとダーズリーの家で過ごしていたので、誕生日を直接祝って貰えているはずがなかった。

「ハリー、まずは私から君にプレゼントだ」

 いつもの定位置に座っているシリウスが立ち上がってハリーの目の前までやってくると、紙切れを1枚差し出して言った。ハリーはシリウスからの誕生日プレゼントが紙切れ1枚であることにガッカリしかけて、でも、そこに書いてある内容に目を留めると途端に嬉しさを爆発させた。シリウスが差し出したもの――それは、去年、ハリーが泣く泣く白紙のまま捨てるしかなかったホグズミード行きを許可する許可証だった。しかも、シリウスのサイン入りの、だ。

「ダンブルドアに頼んで随分前に許可証を送って貰っていた。私が今贈れる中で1番いいプレゼントはこれしかないと思ってね」
「最高だよ! ありがとう、シリウス!」
「ダンブルドアがマクゴナガルにも話をしてくれている。ホグワーツに戻ったらマクゴナガルに渡すといい」
「うん、ありがとう!」

 大喜びでハリーが許可証を受け取ると、今度はハナとリーマスが棚の上に置かれていた大きな袋を手にハリーの方に歩み寄ってきた。お礼を言ってハリーが受け取り、袋を開けてみると中には服がいっぱい入っている。夏服に冬服、春や秋に着れそうな服までさまざまだ。ダドリーのお下がりじゃない、ハリーだけの真新しい服だ。

「私が普段着ている服は、リリーが選んでくれたの」

 ハナがニッコリ微笑んだ。

「だから、今度は私が貴方に服を選ぶ番よ」
「私やシリウスもいくつか選んだんだ。女の子の服には疎いけど、男の子の服なら分かるからね」
「ありがとう!」

 ハリーはたくさんの服を抱えてお礼を言った。ハリーが自分の服を買って貰えたのは、記憶がある中ではこれが初めてのことだった。嬉しさのあまり、「僕、ダドリーのお下がり以外を貰えるなんて初めてだ」とハリーが言うと、ハナもシリウスもリーマスも途端にダーズリー一家を一発ぶん殴りたいという顔をしてハリーは笑った。この瞬間、ハリーはこれまでダーズリー一家から受けてきた仕打ちの数々が本気でどうでもいいと思えた。それよりも今のこの瞬間がこの上なく幸せだった。

 ハナ、シリウス、リーマスからのプレゼントを一旦棚の上に置くと、ハリーは次に親友達からのプレゼントの開封に取りかかった。最初の箱にはロックケーキがたくさん入っていて、これはハグリッドからだな、とすぐに分かった。次の箱には「砂糖なし」スナックがいっぱい――これはハーマイオニーだ。ハーマイオニーの両親は歯医者なので、砂糖なしを選んだに違いなかった。最後の箱はロンとウィーズリーおばさんからだった。大きなフルーツケーキにミートパイが食べきれないほどたくさん入っている。3人の手紙にはどれも「ハリーの誕生日にパーティーをするってハナが教えてくれたんだ。ハッピーバースデー!」と書いてあった。

「さあ、ハリー、朝食にしましょう」

 ハリーがプレゼントを開封しているうちにハナとリーマスが朝食を用意していたのか、気付けばダイニングテーブルの上には朝食が並べられていた。今朝はスープはないが、その代わりに皿には美味しそうな分厚いフレンチトーストが載せられ、カリカリに焼かれたベーコンとソーセージ、生野菜のサラダが添えられ、皿の両側にナイフとフォークがそれぞれ置かれていた。

「フレンチトーストだ!」
「今日は特別だもの。昨日の夜、こっそり仕込んでおいて今朝焼いたのよ」
「すごいや。僕、これがバースデーケーキでもいいよ」

 4人でテーブルに着いて、ハリーは誕生日の特別な朝食を堪能した。昨夜から仕込んでおいたというフレンチトーストは、外が焼けてカリッとしているのに中が驚くほどとろりとしていて、何もかけなくても十分に甘くて美味しかった。リーマスはそれに更にたっぷりと蜂蜜をかけていたが、甘党ではないシリウスのフレンチトーストは砂糖なしの特別製で、シリウスはベーコンやソーセージと一緒に食べている。卵液をたっぷりと吸い込んだバゲットは結構お腹に溜まるので、ハリーは今朝はそれでスープがなかったのかと納得した。

 朝食を終え、食後の紅茶も飲み終えると、今朝はまだ日課の運動をしていないというハナと一緒にハリーは運動することにした。一緒にランニングをし、ストレッチやヨガをすると思いの外すっきりして、ハリーは早起きは無理だけど、ここにいる間だけでも毎日運動しようと思った。それに、体を動かさないとホグワーツに戻るころにはダドリー予備軍になりかねない。

 運動を終え、シャワーを浴びるとハリーはハナとシリウスが大鍋に向き合っている間、森の中を好き放題探検してまわることにした。何でも魔法薬の1つが完成間近らしいので、どうしても手が離せないのだという。リーマスもその間は本を読むと言っていたので、ハリーは森を探検して遊ぶことにしたのだ。小さな大草原の森は安全な森だったので、ハナ達はハリーが1人で行くと言い出してもそれを止めるようなことはなかった。

 ダーズリー家にいる時、ハリーはいつも暇を持て余していた。遊ぶ相手もいないし、話す相手もいないからだ。だからいつもペチュニアおばさんに雑用を押しつけられたり、ダドリーのサンドバッグにされないようブラブラと近所を歩いては、時間を潰すだけだった。今だって、森の中を1人でブラブラ歩いていることには代わりなかったが、ダーズリー家にいる時とは気分がまったく違っていた。幽霊屋敷では、みんな一緒に楽しむ時もあれば、それぞれの時間を楽しむ時もあるのだ。

 森を歩いていると、丸々と太ったリスを背中に乗せているバックビークと出会って、ハリーもその背中に乗せてもらうことにした。バックビークに乗ると、バックビークは羽を上下させて空へと舞い上がり、小さな大草原の中をぐるりと一周してくれた。バックビークに乗るのはこれが3回目だったので、ハリーはヒッポグリフを随分と乗りこなしていた。

 シリウスとリーマスが作ったこの小さな大草原をハリーはとても気に入っていた。森は広いので、歩くだけでも楽しかったし、4人で簡易クィディッチをして遊ぶのはもっと楽しかった。ハナとシリウスが顔を突き合わせて魔法薬について議論している――時々口論になる――のも、リーマスがそのすぐそばで静かに本を読み、ハナとシリウスのやりとりに呆れたり笑っているのも、ハリーは大好きだった。バックビークの背に乗って、そんな小さな大草原を見下ろすと、ハリーは自然と口許が弧を描くのを感じた。すると、

「おーい! ハリー!」
「ハリー!」

 小さな大草原の家の真上までやってきたところで、ここにはいないはずの声が聞こえてきてハリーは驚いて下を覗き込んだ。小さな大草原の家のすぐ近くで、ビルとチャーリー、そして、ロンとハーマイオニーがハリーに向かって手を振っている。

「ロン! ハーマイオニー!」

 ハリーは親友の思いがけない来訪に驚いて大声を出した。今朝誕生日プレゼントが届いたばかりだというのに一体どうしたというのだろう? それに、ハナもシリウスもリーマスも、今日ロンとハーマイオニーが来るなんて一言も言ってはいなかった。ハリーは慌てて手綱を引くと、親友達の前に着地した。

「ビルとチャーリーが私を迎えに来てくれて、ここまで連れてきてくれたの! 私達、姿現しでここまで来たのよ!」

 ハーマイオニーが瞳を輝かせて言った。

「ハナが君の誕生日パーティーを企画してるんだって、僕達に教えてくれたんだ」

 今度はロンが言った。聞けば、ハリーをここに連れてくると決まってからハナとシリウスとリーマスは、様々な準備をしてくれていたらしかった。ハリーの部屋を用意したり、誕生日プレゼントを用意してくのはもちろんのこと、事情を知っているウィーズリー夫妻やビルとチャーリーに、ロンとハーマイオニーをどうにかパーティーに招待出来ないかと相談してくれていたりしたのだという。ハナ達はすべての準備を整えた上でハリーを幽霊屋敷に迎え入れてくれたのだ。

「僕、何も知らなかった」

 ハリーは、もしかすると自分は明日で死んでしまうんじゃないかと思った。だって、そうじゃないとおかしいくらい今日は出来過ぎている。朝は起きたら誕生日おめでとうと言ってもらって、プレゼントを貰って、特別な朝食だって食べたのに、それ以上があるなんてハリーは思いもよらなかった。それとも、これは自分の夢だろうか。ハリーは自分の頬を思いっきりつねってみたが、やっぱりこれは夢ではなかった。

 そうこうしているうちに、ハナ、シリウス、リーマスもやってきて、小さな大草原でガーデン・パーティーが始まった。芝の上に大きなテーブルと椅子が置かれ、ありとあらゆるご馳走がその上に並んだ。ハリーは、ハナ達が家の中でいつもどおり過ごしているとばかり思っていたのに、実はハリーが森を探検している間、パーティーの準備をしてくれていたのだ。

 パーティーには、ビルとチャーリーも参加してくれて、とても賑やかなものになった。ハリーとロンは目の前に並んだ料理の数々を思いっきり掻っ込んでお腹いっぱい食べたし、ハーマイオニーはシリウスとリーマスにこの小さな大草原を作り上げるためにどんな複雑な魔法を使っているのかとしきりに訊ねていた。ハナはビルとチャーリーに何やら耳打ちされて、それに驚いたり楽しそうにクスクス笑ったりしていて、ハリーはやっぱりセドリックはぐずぐずするべきではないと思った。

 お腹いっぱいになると、みんなで簡易クィディッチをして遊ぶことになった。簡易クィディッチはハリー達が小さな大草原で遊んでいるクィディッチの簡易版だった。箒が4本しかないので2対2の対戦でスニッチもブラッジャーもなく、クアッフルを奪い合い、先にゴールを11回決めた方の勝利だ。2対2だとクアッフルを奪い合うだけで手一杯でとてもスニッチやブラッジャーに気を配れないからだ。それに、ハリーもシリウスもリーマスも、ハナにブラッジャーをぶつけるなんてしたくなかった。

 簡易クィディッチは、ウィーズリー兄弟に大ウケだった。ペアはくじ引きで決め、ハリーはなんとグリフィンドールの伝説のシーカー、チャーリーとペアになり、ビル、シリウス組に大差で勝利した。ハナとリーマスもこの1週間の経験値と連携のよさでハーマイオニーとロン組に僅差で勝利し、最後に決勝戦と称してハリー、チャーリー組とハナ、リーマス組が対戦したけれど、これはハリー、チャーリー組の圧勝だった。

 夕方になるとビルもチャーリーもロンもハーマイオニーも帰っていき、幽霊屋敷はまた4人になった。その日の夕食はさすがにみんな昼間に食べ過ぎたとなって流石に量は控えめだったけれど、それでも美味しい料理が並んだ。この日、誰もがシリウスが受けた仕打ちなんて一切忘れて笑い合い、ハリーは初めて誕生日の終わりに満ち足りた気分で眠りについたのだった。