Make or break - 013
2. 幽霊屋敷
――Harry――
ハリーが手紙をすべて読み終えたころには、外は家々の明かりもすっかり消えた深夜だった。明かりといえば、ライティング・デスクの上にあるテーブル・ランプの温かな明かりと夜空を彩る月と星明かりくらいなものだ。ハナもシリウスもリーマスもみんな寝ているのか、幽霊屋敷の中はしんと静まり返っている。ヘドウィグとロキやバックビークの鳴く声すら聞こえなかった。
そういえば、ハナ達はヘドウィグを自由にしてやったと話していたけれど、どこに放してやったのだろう。ハリーはぼんやりと考えた。ハナが言うには明日――日付が変わったらので正確には今日――にはヘドウィグを放してやった場所を見せてくれるらしいけれど、この家の中のどこに動物達がいるのか、ハリーには皆目見当もつかなかった。裏庭かもしれないと部屋の窓から覗いてみても、裏庭にはこぢんまりとした物置小屋があるだけだ。ヘドウィグとロキなら入るだろうが、どう考えてもあれにバックビークは入らない。
羊皮紙の束を丁寧にトランクの中に仕舞うと、ハリーはふーっと息をついた。少なくとも、これから来月クィディッチ・ワールドカップを見に行くまで、自分が幽霊屋敷で過ごせるなんて、ハリーは未だに信じられなかった。自分の家族と呼べる人達と賑やかな食卓を囲む日が来るなんて、1年前までは考えもしなかった。家族と食事をした記憶なんてあるはずもないし、どんなものなのか想像もつかなかったのだ。確かにホグワーツや隠れ穴で楽しく食事をすることは出来たが、家族と過ごす夕食はそれとはまた違った充足感があった。
時刻は深夜1時を回ろうとしていた。
ハリーは、そろそろ寝なければならないなと考えたが、その前に渇いた喉を潤そうと足音を立てないようにソッと部屋を出て階段を下りると、リビングとダイニングを通り過ぎ、キッチンへと向かった。食器棚の中にあるピカピカに磨かれたグラスを1つ手に取ると、冷蔵庫の中にあるミネラルウォーターを注いだ。
ミネラルウォーターのボトルを冷蔵庫に戻すと、ハリーはグラスを持ってリビングに戻った。ハリーが暖炉の前に立つと4枚の写真の中にいるハリーの家族が一斉に大喜びした。みんな手を振ってくれていたが、ハリーの父親だけは、隣にいるハナに何やら声をかけながら、ハリーの方を指差している。ハリーにはそれが、自分の息子を自慢しているように見えた(「ハナ、僕の息子だ! 可愛いだろう!」)
「ハリー、起きてたのか」
水を飲みながらハリーが写真を眺めていると、リビングの扉が開いて誰かが入ってきた。振り返ると、それはシリウスだった。
「貰った手紙を読んでたらこんな時間になっちゃったんだ」
ハリーが答えると、シリウスは「ああ」と笑いながらこちらに歩み寄ってきてハリーの隣に立った。写真の中のハリーの父親は、未だにハナに向かって息子自慢をしているような動きを見せている。
「あれは超大作だったろう」
シリウスが笑った。
「ジェームズは間違いなく、どのレポートより真剣に取り組んでいた。リーマスも同じことを言うだろう」
「母さんとの思い出がいっぱい書かれてたよ。かっこいいと思ってもらおうと思ってスニッチを放したり掴んだりしてたとか、元々くしゃくしゃなのに髪をもっとくしゃくしゃにしたりしてたとか」
「そんなこともあったな。5年生の時だ――ジェームズはその年に初めてリリーへの想いに気付いた」
「きっかけはハナのことで落ち込んでるのを母さんが慰めてくれたからだって。母さんもハナに会ったことがあったの?」
「会ったと言っても、最後の日に一度だけ……それもほんの数分だ。けれど、リリーはずっとその時のハナの様子を心配していた。君の母親はそんな優しい人だった……まだ眠くないなら少し話すか、ハリー」
「うん。僕、もっと聞きたい」
話をするならばと、シリウスがキッチンからウイスキーの瓶とロックグラスを持ってきて、2人は向かい合わせにソファーに腰掛けた。大きな氷の入ったグラスに琥珀色のウイスキーが注がれ、途端に咽せ返るようなアルコールの匂いがリビングに広がった。ハリーが瓶のラベルを読んでみると「オールド・クロウ――バーボン・ウイスキー――40度」とあって、大人はこんなにアルコール度数の高いお酒を飲むのかとギョッとした。
「お酒って美味しいの?」
ハリーは思わず訊ねた。
「ああ――ハリーもいずれ分かるようになる」
シリウスがそう言って笑って、ウイスキーの注がれたロックグラスを持ち上げると、カランと氷が小気味よく音を立てた。シリウスは持ち上げたグラスを暖炉の上の棚に置いてある4枚の写真に掲げ、ハリーもそれを真似して水の入ったグラスを掲げた。
「ジェームズに」
「父さんに」
それからハリーは学生時代のいろいろな話を聞いた。1年生の時、ハナに興味を持ったハリーの父親が「レイブンクローのハナ・ミズマチって知ってるかい?」と聞いて回るのに散々付き合わされた話。何人に聞いても知ってる人がいなかったので、本当はゴーストなんじゃないかと疑い始めたころにハナがまた現れた話。図書室でシリウスだけがハナの秘密を聞いたと知った時、ハリーの父親がどうしてシリウスだけなんだと数日間拗ね続けた話。
「じゃあ、レイブンクローの幽霊って父さんがハナのことをゴーストだって言い始めたからついたあだ名なんだね」
「そうだ。自分のことをゴーストなんじゃないかって言い出したジェームズを面白がってハナが“レイブンクローの幽霊のハナ・ミズマチ“だって、私に自己紹介してきたのが始まりだ」
シリウスから聞くハナと自分の両親の話はなんだか新鮮で、ハリーは時間も忘れて夢中になって聞いた。シリウスの話は当然ジェームズのことが多かったけれど、リリーの話もしてくれて、成績優秀だったとか、美人でかなりモテただとか、ジェームズと付き合い出した時、男子生徒の半数以上が絶望したと教えてくれた。ハリーはそれらのすべてを聞き逃すまいとした。
「ハリー、ヴォルデモートが復活する予言を聞いたそうだね」
話も落ち着いてくると、ウイスキーの入ったグラスを傾けながらシリウスが静かに言った。
「トレローニーが予言したと」
「うん……」
ハリーは学年末の占い学の試験での出来事を思い出しながら頷いた。
「トレローニーが……えーっと、トランス状態っていうのかな……そんな風になって、それで闇の帝王が復活するって話したんだ。召使いの手を借りて……ヴォルデモートはどうやって復活するんだろう? ハナに危険が及んだりは……」
「こればかりは、分からない」
シリウスは苦々しげに首を横に振った。
「ただ、今まで以上にハナに危険が迫っている可能性は高い」
「ヴォルデモートはハナに乗り移りたかったんだって……ハナの命を喰いものにして力や肉体を取り戻そうとしてたんだ……復活にも利用されたら……」
「そうはさせない」
きっぱりと強い口調でシリウスが言った。
「私の親友を二度もあいつの好きにはさせない――絶対だ」
「うん」
「ハリー、君もくれぐれも気をつけてくれ。そして、来年の夏もこの家で一緒に過ごそう。楽しく」
シリウスを見れば、心底そう願っているような表情だった。魔法省のせいでシリウスは幽霊屋敷から出られなくなったのだから無理もない。ハナやリーマス、そして、ハリーがこの家にいなければ、シリウスはひとりぼっちになってしまうのだ。ハリーはシリウスのこれからに胸を痛めながらもしっかりと頷いた。
「うん、必ず」
*
翌朝、ハリーはすっかり寝不足のまま起きた。
昨夜は深夜までシリウスと話し込んでいたので、寝るのが遅くなってしまったのだ。それでも、ハリーはダーズリー家にいた時よりもずっと早くに目覚めると着替えを済ませ、階下へと下りていった。ハナとシリウス、リーマスが話す声と朝食のいい匂いが漂っている。
「おはよう、ハリー」
ハリーがダイニングに行くとそこにはもう朝食の準備が出来ていた。トースト、オムレツ、サラダが1つの皿に盛られ、それが人数分食卓に並んでいる。ハリーはこんなに豪勢な朝食はホグワーツ以来で驚いた。ダーズリー家の朝食なんてグレープフルーツの四半分だったのだから無理もない。
「おはよう――すごいや。ホテルの朝食みたいだ」
「顔を洗ってきて、ハリー。その間にスープを用意するわ」
「うん。僕、急いで洗ってくる」
眠気も吹っ飛んで、ハリーは大急ぎで洗面所に向かうと顔を洗って再びダイニングに駆け戻った。ハリーが戻ってくると小ぶりのスープカップが食卓に増えていて、中にクリームスープが注がれていた。ベーコンに玉ねぎ、人参、じゃがいも、ブロッコリー、アサリが入ったチャウダー風だ。
ハリーが戻ると早速4人で食卓を囲み、朝食が始まった。食卓の中央にはジャムとバターも置いてあって、リーマスはジャムをたっぷり、ハナはバターを控えめに塗ってトーストを食べている。シリウスは塗らないタイプのようで、そのままトーストを齧った。ハリーはどうしようか迷って、トーストにオムレツを乗せて食べた。オムレツはリーマスが作ったらしいが、ハリーが美味しいと言うとどうしてだかハナが得意気に「そうでしょう!」と言った。
トーストを半分ほど食べると、今度はスープを一口飲んでみた。アサリの味がスープに溶け込んで、驚くほど美味しい。ハリーはパッと顔を上げて言った。
「これも美味しい!」
「ハナが作ったんだ」
今度はリーマスがにっこり微笑んで言った。
「我が家のスープ担当はハナなんだよ」
「意外と作るのが簡単なのよ」
ハナが何気ない口調で言った。リーマスのオムレツはあんなに得意気だったのに、自分の作ったスープは本当に簡単なものだと思っているような口調だった。ハナが言うには、具材を切って軽く炒め、それから煮込むだけらしい。確かに三ツ星レストランなどで出てくるような凝ったスープに比べたら、ハナのスープは簡単なのだろう。ハリーはそう思ったが、同時にどんな凝ったスープよりも自分はハナのスープの方が好きだろうとも思った。このスープの優しさと暖かさには三ツ星シェフだって絶対に勝てやしない。
もしかすると、家族の味ってこんな感じなのだろうか。ハリーは一口一口味わってスープを飲みながら考えた。特別な日の凝った料理もいいけれど、普段のこういう何気なく味わっているものが家族の味になるに違いない。そして、間違っていなければ、ハリーにたった今、その家族の味が生まれたのだ。
「これ、僕大好き」
ハリーがそう言ってハナに笑いかけると、ハナはニッコリ微笑んで頷いた。