Make or break - 012

2. 幽霊屋敷

――Harry――



 幽霊屋敷の洗面所は、可愛らしい印象だった。
 扉の向かいに洗濯機と洗面台があり、そこに淡いブルーグリーンに小花柄が控えめにちりばめられた壁紙がアクセントとして使われている。鏡は木製の額に縁取られた楕円形で、壁紙との相性もピッタリだ。

 左手にある折り戸を開けるとその先が浴室で、バスタブは猫足だった。床は白のタイル張りで、フェイクグリーンの観葉植物が置かれている。窓はオーロラ色の磨りガラスだ。そこに天井から吊るされた円形のドリームキャッチャーと共に、奇妙だけど美しい真鍮製の何かが吊るされている。星空を閉じ込めたような球体が真鍮の細い管で出来た輪っかの中に取り付けられていて、よく見ると球体には星型の穴が所々に空いていた。

「これも3人で作ったものだ」

 シリウスは自慢気にそう言うと、おもむろに杖を取り出して杖先をその真鍮製の何かに向けた。そして、

「ステラ・ルクス」

 何かハリーの知らない呪文を唱えたかと思うと、次の瞬間、真鍮製の球体の穴からもやが噴き出した。深い青のもやは小さな浴室の天井をあっという間に埋め尽くしたかと思うと、そこにキラキラと星が瞬き始め、流星が流れている。流れていった星を目で追って床に視線を落とすと、そこはいつの間にか森のようになっていて、一角獣ユニコーンや他にもいろんな動物達が飛び跳ねている。

 ハリーはそのあまりの美しさに息を呑んだ。こんなに素晴らしいものを自分の父親とその親友達が作っただなんて信じられなかった。ただただ圧倒されて目の前の光景に目を奪われていると、ハリーの後ろにいたリーマスが言った。

「召喚された時、ハナが寂しくないようにしようとジェームズが提案して、これを作り始めた。どんなものが喜ぶだろうかと話し合って、最終的に選んだのがこれだ。私達はグリフィンドール生だったが、運のいいことに・・・・・・・レイブンクローの談話室の天井が星空だということを知っていたんでね。完成してからもジェームズがいろいろ手を加えていたみたいだが……」
「どうして浴室にぶら下げてるの?」
「さあ……ぶら下げたのはジェームズじゃないか?」

 シリウスが当時のことを思い出すように視線を上に上げながら答えた。流れ星がまた1つ流れて、森へと消えていった。

「最初はハナの部屋に置いてたはずなんだが……リーマス、何か知ってるか?」
「いや。完成してここに持ってきてからはジェームズが1人でいじってたから……ハナは、最初からここにあったと話していたから、浴室にも何か楽しみを用意したいと思ってジェームズが移動させたのかもしれない。部屋には他にも置いていたしね」
「父さんは家のどこにいてもハナが寂しくないようにしたかったんだね」
「ああ、まさにそれだ。ジェームズはそればかり気にしていた」

 この美しい魔法道具は「星屑製造機スターダストメーカー」というのだそうだ。ハリー達はその呪文の効果が切れるまで夜空と森の様子を楽しむと、浴室を出て今度こそ階段を上がって幽霊屋敷の2階に上がった。

「階段を上がって目の前がトイレだ。そして、ハリー――君の部屋は左に曲がってすぐの扉だ。その隣がリーマスと私、1番奥がハナの部屋だ。ハナの部屋は開けられるのはハナだけだ。解錠呪文じゃ開かないよう、リーマスが対策した」
「シリウスが勝手に開けるんじゃないかって心配だったんでね」
「これだ――リーマスは私が着替えを覗くと思ってるんだ」

 ハリーに当てがわれた部屋の扉を開けながらシリウスが思いっきりしかめっ面で言った。そんなことを思われるなんて心外だとでも言いたげだが、ハリーは確かに間違って開けてしまうことがあるかもしれないな、と内心思った。リーマスだってシリウスがわざと覗くなんて考えていないだろうけれど、何か用があってガチャッと扉を開けたらハナが着替えている最中だった、ということは有り得ると考えたに違いない。ハナのことを本当に親友だと思っているからこそのうっかりがあると思ったのだろう。

「さあ、ここが君の部屋だ。ハナが好きに使っていいと話していた」

 ハリーの部屋はダーズリー家にあるハリーの部屋と同じくらいの広さしかなかったけれど、ハリーはひと目でこちらの方が好きになった。インテリアはハリーの好みに合うように揃えられた新品ばかりでお下がりなんて1つもない。ハリーは、ハナとシリウスとリーマスが自分のために全部新しいものを用意してくれたんだと分かった。

「僕の部屋……」

 部屋に入り、ぐるりと見渡しながらハリーは呟いた。部屋には、裏庭に面した窓辺にベッドとライティング・デスクが置いてあって、クローゼットも備えつけられている。クローゼットの中はほとんど空っぽだったけれど、リーマスが運んでくれたハリーのトランクがもうそこにあった。

 ダーズリー家で階段下の物置から2階の一室に移った時、ハリーはちっとも嬉しくなかったけれど、今度ばかりは飛び上がるほど嬉しかった。シリウスとリーマスは部屋が3部屋しかないのでそのうちもう1室増やしたいと話していたけれど、ハリーはここにずーっといられるなら、自分がどちらかと相部屋でも構わないと思った。

 部屋を見終えると、3人でまた1階に戻りダイニングで夕食となった。ダイニングは動かない絵画が1枚飾られていて、窓際に腰までの高さの棚が据え付けられている。棚の上には観葉植物が置かれていて、リビングと同じように品のいい雰囲気だった。

「幽霊屋敷はどうだった?」

 ハリー達がダイニングに入ると、奥にあるキッチンからスライスしてトーストされたバゲットが盛られた皿を持ってハナがやってきた。5人掛けのダイニングテーブルには既に他の料理が並べられていて、ゴロッとした肉の入ったビーフチューに骨付きのグリルチキン、生野菜のサラダ、トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ、マッシュポテトと豪勢だ。

「クリスマスみたいだ」

 思わず、ハリーが言った。

「僕、ダーズリーの家でこんなの食べたことないよ。量だってこんなに出てこない」
「今日は特別よ。ハリーが来てくれたんだもの」

 ハリーがダーズリーの名前を出すと、ハナが片眉をちょっと上げながらも答えた。ハリーがダーズリー家でまともな食事をしていないことが気に入らないと言いたげな表情だった。

「普段からここまで豪勢じゃないけど、ここでは当たり前に、健康的な食事をさせてあげるわ」
「これ、ハナが全部作ったの?」
「そうよ。1人が長かったから、料理は出来るの。貴方の口に合えばいいんだけど――」
「絶対美味しいよ」

 ハリーはほとんど確信を持ってそう言ったが、いざ席に着いて食べはじめると本当に美味しかったから驚いた。ビーフシチューは間違いなく絶品だったし、サラダのドレッシングもカプレーゼに添えられたバジルソースだって美味しかった。ハナはビーフシチューは市販のルウでドレッシングもバジルソースも全部買ったんだと話していたけれど、ハリーはハナがこっそり更に美味しくなる魔法をかけたに違いないと思った。

 夕食を食べながら、ハナもシリウスもリーマスも、ハリーに両親の話をしてくれた。出会いがどうだった。初めて幽霊屋敷に来た時の様子、一緒に食べたデリバリーのピザの味。ジェームズがなんだかんだ言いながら、いつもリリーは可愛いと褒めていたと教えてもらった時はなんだか嬉しかったし、ハナの家を幽霊屋敷と名付けたのがハリーの父親だったと聞いた時はハリーも一緒になって笑った。

「ハリー、これを貴方にプレゼントするわ」

 夕食を食べ終え、お腹がいっぱいになるとハナが何やら分厚い羊皮紙の束をハリーに差し出した。羊皮紙には細かな字でびっしりと何かが書き記されている。



 ハナ、昨日やっとリリーに付き合ってもいいって言われたんだ! やっとだ!



 最初の一文を読んで、ハリーは勢いよく顔を上げてハナの顔を見た。それから、シリウス、リーマスの顔を見ると、3人共がニッコリ微笑んでハリーを見ていた。

「これって……」
「ジェームズが私に遺してくれたものの1つよ。リリーへの愛が本当にたくさん書かれているの。これを貴方に持っていて欲しい」
「僕に……? でも、これはハナに宛てた手紙じゃ……」
「私はジェームズにたくさんのものを貰ったわ。だからこの手紙は貴方が持っているべきよ。ジェームズがどんなにリリーを愛していたか、貴方がどんなに愛されて生まれてきたか、私は貴方にそれを知っていて欲しい」

 ハナの言葉にハリーはお腹だけでなく、胸までいっぱいなりながら羊皮紙の束を震える手で受け取った。羊皮紙の束をパラパラと捲っていくと、ハリーの母親との馴れ初め――時々スネイプは嫌なやつだと書かれていた――や、最後の方にはハリーが生まれた知らせが書かれた手紙が入っていた。

「君が生まれたころ、ジェームズもリリーも隠れていなければならなかったが、私やリーマスが手紙を預かって時々この家に運んだ」

 シリウスが優しい顔をして言った。

「透明マントや忍びの地図以外に君に遺せるものがあったことを私達全員が嬉しく思っているよ」

 微笑みながらリーマスが続けた。

「ありがとう……僕……ありがとう……」

 ハリーは羊皮紙の束を胸に抱いて、ただただお礼を繰り返した。確かにハリーはグリンゴッツの金庫に山ほど金貨を遺しておいて貰えたけれど、お金以外に遺っていたものは透明マントと忍びの地図、それにハグリッドがくれたアルバムの写真くらいなものだった。それ以外のものは全部手元にはない。生家も、両親との思い出も何もかも、ハリーは持っていなかった。そんなハリーにとってこの羊皮紙の束がどれだけ価値のあるものか、最早言うまでもなかった。



 ハナ、昨日やっとリリーに付き合ってもいいって言われたんだ! やっとだ!

 君が知っているかは分からないけど、僕とリリーが出会ったのは、ホグワーツに入学した日の汽車の中だった。僕とシリウスとリリー――もう1人いたが当然忘れた――は同じコンパートメントで、リリーはそこでずーっとグスグス泣いていた。思えばこの最初の出会いから、僕はリリーがとびきり可愛い女の子だって思ってた気がするけれど、このとおり、恋なんて何も分からない子どもだったから、僕はリリーへの気持ちに気付くのに5年もかかった。

 でも、そこから約2年、アピールにアピールを続け、直せと言われたところを頑張って直すようにして、ヘッドボーイにまでなって、ようやくデートまでこじつけて、昨日遂に交際を始めた。この喜びを君に伝えたくて手紙を書くことにした。いつか、僕とリリーに子どもが生まれたら――今シリウスに気が早すぎるって鼻で笑われた。あとで踊り続ける呪いをかけてやる――まあ、とにかく、そんな日が来たら、この手紙を見せてリリーがどれだけ素晴らしいか伝えたいから、手紙は捨てずに取っておくように。いいね? 僕とリリーの子どもなら絶対可愛いぞ!



 その日の夜、ハリーは寝る間を惜しんで父親の書いた長々とした手紙を読み耽った。手紙には所々涙の跡ようなシミが残っていて、文字が滲んでいるところがあったけれど、ハリーが読み終わった時、不思議とそのシミは倍くらいに増えていた。