Make or break - 011

2. 幽霊屋敷

――Harry――



 ハリーが自分の本当の家族と暮らせるかもしれないと期待に胸膨らませたのは、3年生の終わりのほんの一瞬のことだった。叫びの屋敷からホグワーツへと戻る道すがら、一緒に暮らさないかと後見人であるシリウス・ブラックに提案された時には、これ以上にないほどの喜びを感じたものだが、結局ダンブルドアに「NO」を突きつけられたことによって、話は流れてしまった。ダンブルドアが、ハリーはダーズリー家に住むべきだと主張したのである。

 この事実を突きつけられた時、ハリーはこれ以上ないほど落ち込み、どうしてダーズリー家に居なければならないのかとダンブルドアを恨んだ。きっとハナがいなければ、自分はこのままダンブルドアを嫌いになっていただろうとすらハリーは思った。なぜなら「貴方自身のためにダーズリー家に居なければならない理由があるのよ、ハリー。ダンブルドア先生はいつかその理由を教えてくださるわ」とハリーを懸命に宥めたのは他ならぬハナだったからだ。

 ただ、ハナはハリーを宥めるだけでは終わらなかった。ダンブルドアに一緒に住んではならないと言われて以降、自分だって魔法省の人に事情を聞かれたりといろいろあったのに、合間を縫って何度もダンブルドアに手紙を書いてやり取りし、どうにかハリーと一緒に過ごす時間が作れないかと考えてくれていたのだ。ダンブルドアもハリーが幽霊屋敷に「住む」のではなく「泊まる」というだけなら大丈夫だとして、今回のサプライズが実現したという。

 ハリーをプリベット通りから幽霊屋敷に連れてくることが決まると、ハナ、シリウス、リーマス――もう先生じゃないからリーマスでいいよ、と言われた――の3人は、ハリーをどうやって家に連れてくるかと相談し合った。ダーズリー家の暖炉は煙突飛行ネットワークに繋がっていないから使えない。ならば、姿現しはどうかと考えたが、マグルの住宅地に姿現しするのは現実的ではなかった。車は論外だ。既にペティグリューがヴォルデモートと合流していたのなら、暢気に車で移動なんて危険だからだ。

 それに、学年末のキングズ・クロス駅でハナがバーノンおじさんを脅した以上、ハナ達が迎えに行くといざこざが起こることは必至だった。そもそも、シリウスは魔法省との約束で外には出られないことになっているのに、堂々と迎えに行けるはずもない。もしシリウスがハリーを迎えに行き、幽霊屋敷へ連れていったことがバレでもしたら、たちまち魔法省に滞在先が知られてしまうことだろう。

 そこで、ウィーズリー家の出番というわけだ。ウィーズリー家の家長であるウィーズリーおじさんは魔法省に勤めているし、ウィーズリー家の人達なら確実にハリーを安全に幽霊屋敷へ連れてきてくれるだろうと考えたのだ。ハナは急いでダンブルドアに手紙を書き、ウィーズリー家の人達に協力してもらうのはどうだろうかと相談した。これに了承したダンブルドアがウィーズリー夫妻に事情を話し、密やかに話し合いの場が設けられた。

 話し合いは、休暇を取って帰宅していたビルとチャーリーも含めた7人で、幽霊屋敷で行われた。シリウスは家から出るわけにはいかなかったからだ。ウィーズリー夫妻、ビル、チャーリーの4人は、シリウスの事情やルーピン先生の正体を予めダンブルドア先生に説明され、納得済みで話し合いに応じたのだという。もちろん、シリウスが幽霊屋敷にいることを魔法省には報告しないと約束して、だ。

 話し合いの場で、ハナはウィーズリー家の4人に洗いざらい事情を打ち明け、スキャバーズの件を黙っていたことやロンを危険に晒してしまったことを謝罪したそうだ。なので、話し合いに参加した4人はすべての事情を知っている、というわけだ。しかし、一方でロン以外のフレッド、ジョージ、ジニー、パーシーには、まったく事情を知らされていなかった。ハナとハリーが本当なら姉弟になるはずで、それもあって今回ハリーが幽霊屋敷に泊まることになったことくらいは流石に知っているが、そこでシリウスが暮らしていることはもちろんのこと、ハナの秘密だって話されてはいなかった。幽霊屋敷に行く前にロンが話していたとおり、パーシーが魔法省の仕事に熱を上げすぎているからだ。

 パーシーは口を開けば上司のバーテミウス・クラウチの名前を口にするほど心酔しているらしく、シリウスが幽霊屋敷にいるだなんて知ろうものなら即上司のクラウチに報告してしまうだろうというのがビルとチャーリーの意見だった。フレッド、ジョージ、ジニーに関してはまだ未成年ということもあって、話をされていないらしい。ロンは話し合いより前にすべての事情を知っていたので例外だ。

 なぜ、ウィーズリー家の人達が自らの家族にすらこんなにも頑なに秘密を守るのかは、すぐに分かった。魔法省がシリウスに対する態度を一変させたからだ。なんでも、ひどい手段で一方的に聴取を中断させた挙句、それをシリウスのせいにして「滞在先を教えないのはやましいことがあるからじゃないのか。次に問題を起こせばペティグリューが捕まるまで、アズカバンに戻ってもらう必要がある」と言ってのけたのだという。

「そんなのってないよ!」

 ビルとチャーリーが姿をくらまして隠れ穴に帰ったあと、この夏に起こった出来事を聞かされたハリーは憤慨した。

「だって、シリウスは無実なんだ! ペティグリューの写真だって公開されたし、スネイプだって証言したのに!」
「セブルスの証言と写真で証明出来るのは、ピーターが生きているということだけなんだ、ハリー」

 リーマスが苦い顔をして言った。

「以前ならそれでも即無罪になっていただろう。しかし、魔法省はこの1年の間に起こった度重なる不祥事で慎重にならざるを得なくなった。セブルスの証言やシリウス側の主張のみで無罪放免を言い渡すことは危険だと判断されたんだ」
「でも、どうしてそれが今回の仕打ちになるの?」
「私に判決を下さなければならないのはファッジだが、そのファッジが判断を間違うことを恐れたからだ」

 今度はシリウスが答えた。

「度重なる不祥事が公になり、ファッジの元には連日クレームの嵐だ。そんな中、再び判断を間違えばファッジは魔法大臣を辞めざるを得ない。ハリー、ファッジは魔法大臣を辞めたくなかったんだ。そこで、私に問題があるよう見せかけ、無理矢理聴取を中断させた。中断させてしまえば、判断そのものをしなくて済むのだからね。それに、私のせいにしてしまえば、自分に向いていた批判が私に向くだろうと思ったのだろう」
「そんなの許されないよ! たかが魔法大臣を辞めたくないからって、こんなデタラメな方法でシリウスを追いやるなんて!」
「それが許されるのよ」

 ハナが眉間に皺を寄せて言った。シリウスに対する魔法省の仕打ちに未だに納得がいっていないような、心底軽蔑し、怒っているような、そんな顔だった。

「今のイギリス魔法界の仕組みでは、誰もファッジの決定を覆すことは出来ないの……ダンブルドア先生ですら」
「そんな……僕、シリウスは無罪になるんだって……自由になれるんだって思ってたのに……」
「ハリー、確かにシリウスはすぐに無罪とはいかなかったわ。しかも、マグルの中ではまだ脱獄囚のままよ……だけど、自分のゴッドチャイルドとひと夏を過ごす権利を魔法省は奪えやしなかったわ。さあ、ハリー、シリウスとリーマスに家を案内して貰ったらどう? 私はその間に夕食の支度をするわ」

 魔法省が行ったシリウス対する仕打ちを聞いてしまったあとでは、ハリーはとても幽霊屋敷を見て回って楽しむ気分にはなれなかったが、ハナに促されるままにリビングの扉へと歩み寄った。リーマスが扉を開いて先に廊下に出て、それから俯いているハリーの背中をシリウスがポンポンと叩いたかと思うと、やおら、扉の右側にあるテレビを指差した。

「ハリー、見てみろ」

 ハリーはふっと顔を上げてテレビを見た。そこにあるのはダーズリー家にあるような何の変哲もない、ブラウン管テレビだ。少し型が古いものなのか、デザインがひと昔前のようにも思う。しかし、テレビがどうしたというのだろう? シリウスは魔法使いの家で育ったからテレビは珍しいのかもしれないけれど、ハリーにとっては珍しくもなんともないものだ。ハリーは訝りながらテレビを見つめ、そして、突然気付いた。テレビの裏にメモが貼りつけてある。



 戻し方が分からなくなったんだ! ごめん!



 誰が書いたメモなのか、ハリーにはすぐに分かった。だって、メモの最後に丸眼鏡のマークが入っている。これはハリーの父親が書いたメモなのだ。よくよく見てみれば、テレビの裏の配線が抜けてしまっている。どうやら、気になって抜いてしまったはいいものの、どうやって元に戻したらいいのか分からなくなってしまったらしい。ハリーはそれまでのどんよりした気分が一気に吹き飛んで、思わず笑った。

「ジェームズは初めてここに来た時から配線を抜きたがってた」

 シリウスが思い出し笑いを浮かべながら言った。

「最初の時は引っこ抜く直前にハナに触るなと言われて阻止されたんだが、ま、それで辞めるようなヤツじゃない。何度目だったか……ハナがいない間にここにこっそり忍び込んでいた時期があったんだが……とうとうジェームズが引っこ抜いた」
「それにハリー、後ろを振り返ってみてごらん」

 廊下に出て、扉を開けたまま待っていてくれたリーマスがそう言って、ハリーは後ろを振り返った。そこには、ハリーがつい先程出てきた暖炉があり、その上に備えつけられた棚の上には4枚の写真が飾られている。写真はハナがジェームズ、シリウス、リーマスの3人とそれぞれツーショットで撮ったものが1枚ずつに、先月ハリーが見せてもらった4人で撮った写真が1枚置かれてた。それから、暖炉の右上の方にヘンテコな時計のようなものがかけられている。ウィーズリー家にあるもの――針が1本で数字の代わりに「お茶を入れる時間」「鶏に餌をやる時間」「遅刻よ」など書き込まれいる――と似ているが、それとはまた違うものだ。ハリーは時計のようなものを指差して訊ねた。

「あの時計みたいなのってなんなの?」
「あれは、来訪者探知機だ」

 シリウスが答えた。

「学生時代に3人で作り上げた。この家を守る必要があると考え、家にやってくる人が本物か偽者か、安全か危険かを見分ける――」

 来訪者探知機には、時計の針のようなものが2本とシリウスが言ったように「本物」「偽者」「安全」「危険」の4つの文字が書かれている。その上の方には小窓のようなものもあるが今は灰色だ。すると、

「リーマス・ルーピン! 本物! 安全!」

 突然時計が喋り出したかと思うと、灰色だった小窓にリーマスの顔が現れ、「リーマス・ルーピン」と名前が表示されたかと思うと、2本の針が同時に動き出した。1本は安全を指し、もう1本は本物を示している。ハリーが扉の方を振り返ってみれば、先程までそこにいたはずのリーマスがいつの間にかいなくなっていた。

「すごい!」

 ハリーは声を上げた。自分の父親とその親友2人が、今の自分とそう変わらないころにこんな魔法道具を作り出したことにハリーは純粋に驚いた。忍びの地図を作り上げたというだけでもすごいのに、まだこんなものまで生み出していただなんて。

「他にもあるぞ――案内しよう」
「ハリー、いってらっしゃい。戻ってくるころには夕食よ」

 シリウスに連れられ、ハナに見送られるとハリーは廊下に出た。ちょうど、右手にある玄関からリーマスが戻ってきたところで、ハリー達は目の前にある階段を上がらずに、まずは左手に進んだ。

「水回りはここだ。階段下がトイレ、その向かいが納戸。それから廊下の突き当たりが脱衣所兼洗面所とバスルーム。バスルームにもいいものがあるぞ」

 まだ何かあるというのだろうか。ハリーは内心驚きつつも幽霊屋敷のバスルームに足を踏み入れたのだった。