Make or break - 010

1. 小さな大草原の家

――Harry――



 ぼやけた暖炉の影が、次々に通り過ぎていった。
 はじめ、ハリーは目を開けたままそれらを見ていたが、やがて気分が悪くなって目を閉じた。もちろん、あらぬところにぶつからぬように肘をピッタリ閉じるのも忘れない。ハリーはそのまま暖炉の煙突の中――といっていいのか定かではないが――を勢いよく旋回しながら進んでいき、やがてスピードが落ちてくるとウィーズリー家のキッチンの暖炉から吐き出されるように飛び出した。吐き出される直前、両手を前に突き出したので、ハリーは辛うじて顔面から床にダイブせずに済んだ。

「やつは食ったか?」

 フレッドがハリーに手を差し出しながらも興奮した様子で訊ねた。ハリーはその手を取って立ち上がりつつ答えた。

「ああ。でも、あれって一体なんだったの?」
ベロベロ飴トン・タン・タフィーさ。ジョージと俺とで発明したんだ。誰かに試したくて夏休み中カモを探していた――」

 フレッドとジョージがそんな悪戯グッズを発明していたなんて知らなかった。ハリーが驚いていると、キッチンに誰かが笑う声が響いてハリーは振り返った。見れば、磨き上げられた白木のテーブルにロンとジョージが座り、ハリーの知らない赤毛の男の人2人と楽しそうに話している。ウィーズリー家の長男と次男のビルとチャーリーに違いない。ハリーはすぐに察しがついた。ハリーがこの家でまだ会ったことがないのはこの2人だけだった。

「やあ、ハリー、調子はどうだい?」

 ハリーが見ていることに気付いたのだろう。ハリーの近くに座っていた方――ビルとチャーリーのどちらか――が立ち上がってにこやかに手を差し出してきた。ハリーが微笑み返してその手を握り握手すると、タコや水脹れが手に擦れて、彼がルーマニアでドラゴンの仕事をしているチャーリーなのだと分かった。それに腕は筋骨隆々で、片腕に大きなテカテカした火傷の痕がある。これは間違いなくチャーリーだ。

「ハリー、会えて嬉しいよ」

 チャーリーと握手を終えると次にビルが立ち上がって、ハリーと握手を交わした。ハリーは、ホグワーツでビルがヘッドボーイだったことや、魔法界の銀行であるグリンゴッツに勤めていることも知っていたので、パーシーのような真面目な性格なのだろうと思っていたけれど、まったくそうではなかった。とにかく爽やかでかっこいい――ビルを正確に表すならこれしかない、とハリーは思った。長髪をポニーテールにしているのも似合っているし、このままマグルのロックコンサートに行っても場違いではないくらい、牙のイヤリングにドラゴン革製のブーツをおしゃれに着こなしている。

「じゃあ、ここからは僕とチャーリーの役目だ」

 握手を交わし終えると、ビルがハリーのトランクを手に暖炉の方へとやってきた。チャーリーもヘドウィグの入った鳥籠を持って同じようにハリーの方へと歩み寄った。まるでこれからまたどこかへ出掛けるみたいだ。ハリーはわけが分からず訊ねた。

「僕、ここに泊まるんじゃないの?」
「いいや、違う」

 チャーリーがニッコリ微笑んで答えた。

「君が隠れ穴に泊まるのはまだもう少し先だ」
「それってどういう――」

 ハリーがすべてを言い終わらないうちに、ポンッと小さな音がしたかと思うと、ジョージの肩辺りにウィーズリーおじさんが現れた。ハリーがこれまでに見たことがないほど怒った顔をしている。

「フレッド! 冗談じゃすまんぞ!」

 おじさんが怒鳴った。

「あのマグルの男の子に、一体何をやった?」
「俺、何にもあげなかったよ。落としちゃっただけだよ……拾って食べたのはあいつが悪いんだ。俺が食えって言ったわけじゃない」

 悪びれもせずにフレッドがそう言うとおじさんがまた怒鳴り声を上げた。

「わざと落としたろう! あの子が食べると、分かっていたはずだ。お前は、あの子がダイエット中なのを知っていただろう――」
「あいつの舌、どのくらい大きくなった?」

 今度はジョージが熱心に訊ねた。フレッドと同じようにジョージもまったく悪びれてはいなかった。おじさんは息子達の様子に憤慨しながら答えた。

「ご両親がやっと私に縮めさせてくれた時には、1メートルを超えていたぞ!」

 これには、ハリーもこの場にいるウィーズリー家の息子達も全員大爆笑だった。隙を見ては食べ物を掠め取るようなダドリーにはいい薬になったに違いない、とハリーは思った。

「笑い事じゃない!」

 おじさんが大声で叫んだ。

「こういうことがマグルと魔法使いの関係を著しく損なうのだ! 父さんが半生かけてマグルの不当な扱いに反対する運動をしてきたというのに、よりによって我が息子達が――」
「俺達、あいつがマグルだからあれを食わせたわけじゃない!」
「そうだよ。あいつがいじめっ子のワルだからやったんだ。そうだろ、ハリー?」
「うん、そうですよ、ウィーズリーおじさん」

 フレッドとジョージは誰彼構わず悪戯を仕掛けるようなことはしなかった。2人が悪戯を仕掛けるのは、生徒という生徒を恨んでいて体罰を与えたがっている管理人のフィルチ――ハリーはフィルチの事務室に体罰の道具が置かれていることを知っていた――だとか、マグル生まれを差別するスリザリン生のような人達ばかりだった。それに、1人ホグズミードに行けないハリーに大事な忍びの地図をポンッと渡してしまう優しさがあることをハリーは知っていた。

「それとこれとは違う!」

 しかし、おじさんは納得しなかった。ウィーズリーおばさんに話したらどうなるかと頭を抱えている。ハリーはおじさんですらこんなに怒っているのに、おばさんだったらどうなるのだろうと想像した。すると、

「私に何をおっしゃりたいの?」

 後ろからウィーズリーおばさんが現れて全員飛び上がって驚いた。おばさんは小柄でふっくらとしていて、普段はとても面倒見のよさそうな雰囲気を醸し出しているが、今回ばかりは訝しげに目を細めていた。

「まあ、ハリー、こんにちは。これから楽しんでね」

 おばさんはハリーを見つけると一瞬にしてにこやかな表情になったが、また一瞬にして表情を戻すと鋭い目でおじさんを睨みつけた。

「アーサー、何事なの? 聞かせて」

 おじさんは途端に狼狽えた。たとえフレッドとジョージのことで叱らなければならなかったとしても、それをおばさんに報告するつもりはなかったのだとハリーには分かった。妻を怒らせるとどんなに怖いか、おじさん自身よく分かっているからだ。おじさんがオロオロとおばさんを見つめ、キッチンはしーんと静まり返った。

 何事かと気になったのだろう。沈黙が流れるキッチンにウィーズリー家の末の妹であるジニーがやってきた。ジニーはハリーと目が合うと僅かに微笑みかけたが、ハリーが挨拶代わりにニッコリ笑い返すと、真っ赤になってすぐにキッチンから出ていった。ハリーが初めて隠れ穴に来たとき以来、ジニーはほとんどハリーとまともに話せたことがなかった。

「アーサー、一体何なの? 言ってちょうだい」

 なかなか話し出そうとしないおじさんに、おばさんの声がどんどん険しくなっていくのが分かった。おじさんはしどろもどろになりながら、答えた。

「モリー、大したことじゃない。フレッドとジョージが、ちょっと――」
「フレッドとジョージが何をしでかしたの? 荷物を運ぶのを手伝うだけだって言うからついて行くのを許したというのに……最初からビルとチャーリーに任せるべきだったんだわ。2人はいろいろ事情を知っているし……」
「事情って何?」

 フレッドが訊ねた。

「ハリーがこれから泊まりに行くところと関係あるの?」

 今度はジョージが興味津々といった様子で訊ねた。

「お黙り!」

 おばさんがフレッドとジョージをキッと睨みつけて怒鳴った。

「お前達は知らなくていいことです。もし知りたいというのなら、O.W.L試験で最高の成績を取るべきでした。それより、こっちにいらっしゃい――話があります」

 おばさんはそう言うと、フレッドとジョージの首根っこを掴んで、2人を引き摺るようにしてキッチンから出ていった。絶望の表情の双子が奥に消えて、それからウィーズリーおじさんがビルとチャーリーにあとは任せるとだけ言って、すごすごとついて行った。

「ハリー、今のうちに行けよ」

 上の階からおばさんがガミガミ怒る声が微かに聞こえ始めたかと思うと、ロンがこちらに寄ってきて言った。

「僕、どこへ行くんだい?」

 ハリーはわけが分からず訊ねた。フレッドとジョージは知ってるか分からないけれど、少なくともビル、チャーリー、ロンの3人は何か知っているようだった。

「君に取っては素晴らしい場所さ、ハリー」
「ウィーズリーおばさんが話してた事情って?」
「ほら、シリウスの潜伏先とかいろいろ」

 ロンが声を潜めて答えた。

「パパやママ、ビル、チャーリーは、シリウスが今どこで暮らしているのか知ってるけど、それ以外には話してないんだ。パーシーがとにかく魔法省にお熱で――でも、僕達、シリウスの居場所を魔法省に知られるわけにはいかないんだ。あいつら、正真正銘のクソだ。居場所を話さなかったダンブルドアは正解だったってわけだ……」
「どういうこと?」
「詳しいことは向こうで聞いた方がいい――ビル、チャーリー、ハリーをよろしく」
「ああ」

 ビルが頷いて、ハリーの肩に手を回した。ビルが反対側の手に持っていたトランクはチャーリーがサッと受け取り、そして、

「それじゃ、ハリー、またあとで」

 ハリーにニッコリ微笑みかけると、チャーリーはその場で姿をくらました。ハリーは目を瞬かせるとビルを見上げて訊いた。

「僕達、どこへ行くの?」
「もうすぐ分かる――さあ、一緒に暖炉に入ろう。狭いぞ」

 ビルに肩を抱かれたまま、ハリーは先程出てきたばかりの暖炉に歩み寄った。ビルが煙突飛行粉フルーパウダーをひとつまみ、暖炉の炎の中に投げ入れると、途端に炎はエメラルド色になって、ハリーとビルはそれほど広くない暖炉にぎゅうぎゅうになりながらどうにか入りんだ。一体どこに行くのだろう? ハリーがそう考えていると、ビルが行き先を唱えた。

「幽霊屋敷!」

 ハリーは自分の耳を疑った。ビルを見上げてみれば、双子そっくりの悪戯顔でニヤッと微笑んでいる。そういえば、ビルとチャーリーはシリウスがどこで暮らしているのか知っていると話していた――これからハリーが行くのが その潜伏先ということだろうか。

 本当に?

 ハリーは期待に胸が膨らむのが分かった。だって、幽霊屋敷なんていうヘンテコな名前の家はハリーが知っている中では1軒しかない。

 暖炉の向こうで手を振るロンが一瞬にして視界から消え去り、ハリーとビルは急旋回した。目まぐるしく、いくつもの暖炉が過ぎ去り、旋回する速度はどんどん上がっていった。そして、いつになったら到着するのかと考え始めたころ、ようやく速度が緩み、とある暖炉の1つで止まった。ビルが一緒だったので、ハリーは今回ばかりは転ばずに済んだ。

 ハリーが辿り着いたのは、品のいいリビングだった。柄の入った壁紙にこれまた柄の入ったカーテン、ゴテゴテとした置き物の数々に暖炉の上の棚に置かれたたくさんのダドリーの写真なんかで埋め尽くされたダーズリー家のリビングとはまったく違う。置かれた家具はもちろんゴテゴテしていないしどれもセンスよく配置されていて、ここが幽霊屋敷なんてとんでもない、とハリーは思った。何より、ウィーズリー家とは違う温かみがこの家にはあった。

 暖炉の前には半円形のレンガを敷き詰められた小さなスペースがあり、そのすぐ横に靴箱とスリッパラックが用意されていた。ただ、靴箱はビルのドラゴン革のブーツより遥かに小さく、高さが足りない。どうやらこの家では靴を脱ぎスリッパに履き替える生活スタイルなのだと分かったが、こんなに小さなものにブーツが入るのだろうかとハリーは心配になった。けれども、ハリーの心配を他所に、ビルがブーツを脱いで靴箱を開けるとブーツはその中にすっぽりと収まった。

 ハリーも靴を脱いで恐る恐る靴箱に仕舞い、スリッパに履き替えるとリビングに足を踏み入れた。リビングには中央にローテーブルが1台あり、それを挟むようにして2台のソファーが置かれている。純粋な魔法使いの家ではない――なぜなら、暖炉の真正面にテレビがあるからだ。しかし、どういうわけかリビングには誰もいない。家を間違えたのだろうか。ハリーが質問しようとビルを見上げたその時、奥から勢いよく扉が開く音がしてバタバタと誰かが駆け込んできた。

「ハリー!」

 現れたのはハナだった。ハナは大急ぎでハリーの方に駆け寄ってくると、ハリーをぎゅっと抱きしめた。

「ああ、ハリー、会いたかったわ!」

 輝くような笑顔でハナが言った。それから、ビルに向き直ると手を差し出して握手した。ハナはセドリックと並んでいても絵になると思っていたが、ビルと並んでいても驚くほど絵になった。

「ハリーを連れてきてくれてありがとう、ビル。とっても助かったわ」
「チャーリーはあっちかい?」
「ええ。今、シリウスと一緒にヘドウィグを連れていったところよ。煙突飛行して、姿現しもして、ご機嫌斜めだったから。悪いことをしてしまったわ――ハリー、ヘドウィグは心配しないでね。今、自由にしてあげたところなの。明日ゆっくり案内してあげるわ」

 やっぱりここはハナの家なのだ。嬉しいやらビックリするやらでハリーが何も言えずにいると、また扉が開いて誰かが入ってきた。今回開いたのは、テレビの横にある扉だった。

「やあ、ハリー、よく来たね。君のトランクを部屋に運んできたところだよ」

 入ってきたのはルーピン先生だった。ハリーはじわじわと湧き起こる嬉しさにニッコリ顔を綻ばせた。今日からしばらくの間ここに泊まるんだ! 家族と一緒に! ハリーが何か喋ろうと口を開きかけると、三度みたび扉が開く音がして、ハナがやってきた方から足音が2つ聞こえてきた。

「ハリー!」

 まもなくして、リビングにシリウスとチャーリーが入ってきた。シリウスはハナと同じようにハリーの方に駆け寄ってくると、まるで大親友との再会を喜ぶかのようにぎゅっとハグをして嬉しそうに微笑んだ。

「よく来たな、ハリー。直接迎えに行けなくてすまなかった」
「ううん、僕、ここに来られて嬉しい」

 ハリーはシリウス、ルーピン先生、そして、ハナの顔を見渡した。みんながハリーを見てニッコリしている。学年末の汽車の中でハナが話してくれたとおり、確かに今年の夏は悪い夏にはならないだろう。なぜなら、

「ようこそ、幽霊屋敷へ」

 ハリーにとって、本当の家族と過ごせる初めての夏なのだから。