Make or break - 009

1. 小さな大草原の家

――Harry――



 ハリーにとってはこんなに面白い初対面は他になかったが、ダーズリー夫妻にとってみれば、最も最悪な初対面と言わざるを得なかった。自慢のリビングは滅茶苦茶で、吹き飛んだ電気ストーブが壁にぶつかりひしゃげていたし、そこら中、埃や瓦礫だらけ。おまけに暖炉から出てきたウィーズリー一家の4人だけでなく、ダーズリー夫妻もハリーも埃だらけで真っ白だった。バーノンおじさんは自慢の上等なスーツが台無しになり、髪も髭も白くなったせいで30歳は老けて見えた。

「これでよし、と」

 絶対にこれでいいとは言えなかったが、とりあえずドンヅマリからの脱出に成功したウィーズリーおじさんはそう言うとローブについた埃を払い、曲がった眼鏡を直した。それから、部屋の隅で口も利けないほど縮み上がったダーズリー夫妻を見つけると何事もなかったかのように笑顔を見せて歩み寄り、手を差し出した。

「ああ――ハリーのおじさんとおばさんでしょうな!」

 魔法使いからしてみれば、呪文1つで元通りに出来ので本当に暖炉の1つや2つ吹き飛ばすことなど何事もなかったも同然だが、ダーズリー夫妻にしてみれば一大事に違いなかった。いつもなら出てくる文句を言うことすら出来なくなって、バーノンおじさんもペチュニアおばさんもウィーズリーおじさんが近付いてくると怯えたように後退りした。

「あぁ――いや――申し訳ない」

 夫妻が怯えていることに気付いたウィーズリーおじさんが手を下ろし、暖炉を振り返りながら言った。

「すべて私のせいです。まさか到着地点で出られなくなるとは思いませんでしたよ。実は、お宅の暖炉を煙突飛行ネットワークに組み込みましてね――なに、ハリーを迎えに来るために、今日の午後に限ってですがね。マグルの暖炉は、厳密には結んではいかんのですが――しかし、煙突飛行規制委員会にちょっとしたコネがありましてね。その者が細工してくれましたよ。なに、あっという間に元通りに出来ますので、ご心配なく。子ども達を送り返す火を熾して、それからお宅の暖炉を直して、そのあとで私は姿くらましいたしますから」

 バーノンおじさんもペチュニアおばさんも、ウィーズリーおじさんが話したことの意味が何一つ分からなかったに違いない。ハリーはそう思った。相変わらず、ダーズリー夫妻は返事も返さずに怯えきったままで、ウィーズリーおじさんはちょっと肩を竦めたあとハリーに向き直ってニッコリした。

「やあ、ハリー! トランクは準備出来ているかね?」
「2階にあります」

 ハリーもニッコリして答えると、すぐさまフレッドとジョージが「俺達が取ってくる」と名乗りを上げてリビングから出ていった。単なる親切心からではなく、ここにはいないダドリーをひと目見るために出ていったのだろうとハリーには分かった。それに、部屋に閉じ込められていたハリーを空飛ぶ車で助け出したことがあったので、2人共ハリーの部屋がどこにあるのか知っていた。

 フレッドとジョージがリビングから出ていくと、なんとも気まずい沈黙が流れた。ダーズリー夫妻は大人の魔法使いが怖くて何も言えないでいるし、ロンはマグルの家を珍しそうに眺め回したままだ。

「さーて」

 この空気をなんとかしようとウィーズリーおじさんが声を出した。

「なかなか――エヘン――なかなかいいお住まいですな」

 つい先程荒れ果てた姿になったリビングを前にダーズリー夫妻がこの褒め言葉に納得するはずがなかった。バーノンおじさんは、お前が滅茶苦茶にしたくせにと言いたげな顔をし、ペチュニアおばさんは口の中で舌をゴニョゴニョして悪態をつきたそうにしたが、やっぱり何も言えなかった。ウィーズリーおじさんはそんな2人に気付いていないのか、楽しそうにリビングを見ている。マグルオタクのおじさんは、マグルに関するものなら何でも大好きなのだ。

「みんな気電・・で動くのでしょうな?」

 家電を見て回りたそうにうずうずした様子でウィーズリーおじさんが言った。

「ああ、やっぱり。プラグがある。私はプラグを集めていましてね。それに電池も。電池のコレクションは相当なものでして。妻などは私がどうかしてると思ってるらしいのですがね。でもこればっかりは――つい先日もハナから使い古しの電池を貰ったばかりなんですよ。家にある家電を見せてくれて――ハナは知ってるでしょうな? ハリーのお姉さんの」

 どうやらウィーズリーおじさんはハナの家に行ったことがあるらしい。ハナがハリーの姉になるはずだったということもその時に聞いたのだろうか? それとも、ロンから聞いたのだろうか? ハリーは、ハナの家に行ったウィーズリーおじさんがちょっとだけ羨ましくなった。本当なら自分だってダーズリー家ではなく、ハナの家で4人で過ごしていたかもしれないのに……。

 すると、上階からゴツンゴツンとトランクを動かしている音が聞こだかと思うと、リビングにダドリーが飛び込んできた。一度リビングから飛び出していったダドリーがどこに隠れていたのか分からないが、フレッドとジョージが廊下を彷徨うろついているものだから怯えて戻ってきたのだろうと察しがついた。もしかしたら、もう既に双子に揶揄からかわれたあとかもしれない。

 リビングに入ってきたダドリーはウィーズリーおじさんを恐々と見つめながら壁伝いにそろそろ歩き、両親の陰に隠れようとしたが、残念ながらバーノンおじさんでさえ、ダドリーの図体を覆い隠すことは出来なかった。ハリーとロンは目を見交わすと急いで互いに顔を背け、吹き出すのを我慢した。

「ああ、この子が君のいとこか。そうだね、ハリー?」

 ウィーズリーおじさんはなんとか会話を成り立たせとうとして言った。

「そう。ダドリーです」

 ハリーはなんとか笑いを堪えながら答えた。両親の陰に隠れているつもりのダドリーはハグリッドの悪夢をまだ忘れていないようで、お尻をしっかり押さえたままだ。そんなダドリーの行動は流石にウィーズリーおじさんの目にも奇妙に移ったが、なんとおじさんは心からダドリーを心配したようだった。あんまりにも怯えているものだから、気の毒に思ったらしい。おじさんは「夏休みは楽しいかね?」とダドリーに優しく声をかけたが、ダドリーは怯えたように悲鳴を上げ、ますます巨大な尻に当てた手で尻を締めつけただけだった。

 まもなく、リビングにフレッドとジョージが戻ってきた。2人がかりでハリーの学校用の大きなトランクを重そうに引きずり、その上には不機嫌そうなヘドウィグの入った籠も載っている。フレッドとジョージはリビングに戻ってくるなり、サッと見渡してダドリーの姿を見つけると、ニヤッと悪戯っぽく笑った。

 フレッドとジョージが戻ってくると、いよいよ隠れ穴へ向かうことになった。ウィーズリーおじさんが杖を取り出し――ダーズリー一家がひと塊になって壁に張りついた――暖炉に火をおこすと、小さな巾着をポケットから取り出して中に入っていた粉をひとつまみ暖炉に投げ入れた。ダーズリー家には煙突飛行粉フルーパウダーがないので、予め持ってきていたのだ。

「さあ、フレッド、行きなさい。お前とふくろうだ」

 煙突飛行粉フルーパウダーが入れられると暖炉の炎がエメラルド色に変わり、一層高く燃え上がった。ウィーズリーおじさんがまずはフレッドに声をかけると、フレッドがヘドウィグの鳥籠を持って暖炉の方に進み出たが、その時、フレッドのポケットから菓子袋が飛び出してきた。床に落ちた菓子袋の中からお菓子がそこら中に飛び散り、フレッドは慌てて菓子を拾い集めた。色鮮やかな包み紙に包まれた大きなヌガーのようだった。

 拾い集めた菓子を無造作にポケットに突っ込むと、フレッドはダーズリー一家に愛想よく手を振って暖炉に真っ直ぐ進んだ。それから火の中に入ると「隠れ穴!」と唱え、消えていった。

 フレッドの次はジョージだった。ジョージはハリーのトランクも持っていくことになり、ハリーはジョージがトランクを暖炉に運び入れるのを手伝った。ハリーがトランクを縦にして暖炉の中に押し込むとジョージがそれを抱え込んで、「隠れ穴!」と唱え消え、次のロンもダーズリー一家に明るく別れの言葉を述べると「隠れ穴!」と唱えて消えていった。

「さあ、ハリー。君の番だ」

 ウィーズリーおじさんは姿くらましで帰るので、残りはとうとうハリーだけとなった。ハリーは、おじさんの言葉に頷いてから暖炉の方へ歩いていくと、暖炉の前で振り返ってダーズリー一家を見た。これからやってくるであろう素晴らしい日々を前に、挨拶してもやってもいいかな、という気分だった。

「それじゃ……さよなら」

 ダーズリー一家はハリーにただの一言も返事を返さなかった。しかし、ハリーにとってはいつものことだ。ハリーは気にも留めずに火の中に入ろうとして、そして、ウィーズリーおじさんに引き留められた。ウィーズリーおじさんはなんだか怒ったようにダーズリー一家を見ている。

「ハリーがさよならと言ったんですよ。聞こえなかったんですか?」
「いいんです」

 すぐさまハリーは言った。

「本当にそんなことどうでもいいんです」

 本当の本気で返事なんかなくてもどうでもいいとハリーは思っていた。ダーズリー一家がハリーに「さよなら」と言わないことくらいいつものことだし、これから隠れ穴に行けるんだから、更にそんなことどうでもよかった。だけど、ウィーズリーおじさんはハリーに対するダーズリー一家の態度が許せなかったようだった。ハリーの肩をしっかり掴んで離さない。

「来年の夏まで甥御さんに会えないんですよ。もちろん、さよならと言うのでしょうね?」

 暖炉を吹き飛ばして家の中に入ってきた男に説教されているという事実にバーノンおじさんの顔がひどく歪んだ。けれども、杖を持っている相手を前に反論することが出来なかったのか、かなり悔しそうにしながら「さよならだ」と言って、ハリーはようやくエメラルド色の炎の中に入った。あとは「隠れ穴」と言うだけだ――。

 しかし、ハリーが暖炉の中に片足を入れた途端新たな問題が発生した。何やらゲエゲエ吐いている声が聞こえて振り返ってみると、ダドリーが口から30センチはあろうかという紫色のヌメヌメしたものが飛び出していたのだ。ハリーは一瞬何が何だか分からなかったが、どうやらそれはダドリーの舌のようだった。鮮やかなヌガーの包み紙が1枚、ダドリーの足元に落ちている。

「ご心配なく。私がちゃんとしますから!」

 慌ててウィーズリーおじさんがそう言ってダドリーに近付こうとしたが、ダーズリー夫妻は大騒ぎだった。ペチュニアおばさんは悲鳴を上げてダドリーに覆い被さって息子を守ろうとし、バーノンおじさんは大声で喚いて両腕を振り回した。

「本当に、大丈夫ですから!」

 ウィーズリーおじさんが声を張り上げた。

「簡単な処理ですよ――ヌガーなんです――息子のフレッドが――しょうのないやんちゃ者で――しかし、単純な肥らせ術です――まあ、私はそうじゃないかと……どうかお願いです。元に戻せますから――」

 しかしこれではいお願いしますとなるダーズリー一家ではない。夫妻はますますパニックになって暴れ回り、バーノンおじさんは手の届く範囲にある置物という置物をウィーズリーおじさんに投げつけ、ペチュニアおばさんはダドリーの舌を引っ張ってちぎり取ろうとした。

「まったく!」

 ウィーズリーおじさんが怒って杖を振り回した。置物が、破壊された暖炉に当たって粉々に砕け散った。

「私は助けようとしているのに!」

 ハリーはこんなに面白いものを見逃したくはなかったが、ウィーズリーおじさんが「ハリー、行きなさい! いいから早く!」と叫ぶし、バーノンおじさんが投げつける置物の1つが耳元を掠めたので、結局ここはウィーズリーおじさんに任せるしかないだろうと火の中に入り、唱えた。

「隠れ穴!」

 ハリーは急旋回した。暴れるバーノンおじさんと悲鳴をあげるペチュニアおばさん、巨大なニシキヘビのように舌がのたくっているダドリーがチラリと最後に見え、そして、視界からダーズリー家のリビングが消え去った。