Make or break - 008

1. 小さな大草原の家

――Harry――



 翌日――約束の日である24日の正午までには、ハリーの持ち物はすべてトランクの中に詰め込まれた。学用品やダドリーのお下がりの服を始め、父親から譲り受けた透明マント、シリウスに貰ったファイアボルト、去年フレッドとジョージから貰った忍びの地図にハナがくれたミニ・ニンバス2000とそのチャームなど、とにかく全部だ。ベッド下の緩んだ床板の下に隠してある巾着袋も忘れずにトランクに入れ、呪文集や羽根ペンを忘れてないかも念入りに調べた。

 プリベット通り4番地は朝早くから極度の緊張感に包まれていた。魔法使いの一行がダーズリー家にやってくるとあって一家は全員緊張していたし、秘密が近所に漏れやしないかと神経質になり、いつになくイライラしていた。ハリーは隣近所がダーズリー家をどう思おうがちっとも気にならなかったが、ウィーズリー家の人達がダーズリー一家がイメージする「最悪の魔法使い」そのものの姿で現れやしないかと心配になった。もし、そんなことになったらダーズリー一家が失礼な態度を取ることは間違いないからだ。ハリーは自分だけならまだしも、ウィーズリー家の人達に嫌な思いはさせたくなかった。

 バーノンおじさんは、普段重要な商談や接待の時などに着る上等なスーツを着込んでいた。ただ、今回ばかりは最上級の敬意や歓迎の意を示すために着ているわけではないことは明らかだった。おじさんはただ威風堂々、威嚇的に見えるようにしたいだけだと、ハリーには分かっていた。

 威嚇的に見せたがっている父親とは裏腹に、息子のダドリーは小さくなっていた。ダイエットの成果が現れたというわけではなく、恐怖のせいで、だ。なんたってダドリーが前回魔法使いに出会ったのは、尻に豚の尻尾が生えた時なのだから無理もない。ハグリッドがなかなか入学許可証を受け取らないハリーを迎えにやってきた時、バーノンおじさんがダンブルドアを侮辱する発言をしたものだから、怒ったハグリッドがダドリーを豚に変えようとして失敗し、尻尾だけ生やしてしまったのだ。因みにダドリーの尻尾は、ロンドンの私立病院で高い金を払って既に取って貰っている。

 ハリーは、時間ギリギリまで部屋に籠って忘れ物がないかを念入りに確認し、ダーズリー家での残り僅かな時間を過ごした。神経質なったペチュニアおばさんが数秒ごとにレースカーテンの隙間から外を覗くことにうんざりしたからだ。それでも約束の時間の15分前になるとトランクを持って階段下りリビングに入ったが、誰も彼もが神経を尖らせているのに耐えられず、結局また廊下に出て階段に腰掛けた。

 ハリーは、ウィーズリー一家がどんな方法でハリーを迎えに来るのか分かっていなかった。魔法族には、暖炉から暖炉へと移動出来る煙突飛行ネットワークというものがあるが、ダーズリー家の暖炉は魔法省に登録されていないから使えないだろう。ならば、車だろうかとも思うけれど、ウィーズリーおじさんの愛車はホグワーツにある禁じられた森で野生化してしまった。以前、魔法省が車を出してくれたことがあったので、魔法省から車を借りるのだろうか?

 やがて、5時になり、5時が過ぎた。リビングから出てきたバーノンおじさんが玄関扉を開けて、プリベット通りを端から端まで眺めた。ハリーを迎えに来ると言っていたウィーズリー一家は未だ現れる気配はない。

「連中は遅れとる!」

 ハリーに向かってバーノンおじさんが怒鳴った。

「分かってる。多分――えーっと――道が混んでるとか、そんなんじゃないかな」

 しかし、待てど暮らせどウィーズリー一家は現れない。5時を10分過ぎ、15分過ぎ、やがて30分を過ぎると、とうとうハリーも不安になり始めた。ウィーズリー一家は本当に迎えに来てくれるのだろうか? 階段に座って玄関扉を見つめたまま、ハリーはバーノンおじさんとペチュニアおばさんがリビングでブツブツ言い合っているのを聞いた。

「失礼ったらありゃしない」
「わしらに他の約束があったらどうしてくれるんだ」
「遅れてくれば夕食に招待されると思ってるんじゃないかしら」
「そりゃ、絶対にそうはならんぞ。連中はあいつめを連れてすぐ帰る。長居は無用。もちろんヤツらが来ればの話だが。日を間違えとるんじゃないか」

 バーノンおじさんがイライラとそう言いながら行ったり来たりしている足音がハリーの耳に届いた。ロンはどうしたんだろう? 途中で何かトラブルがあったんだろうか。おじさんはリビングを歩き回り、まだ愚痴をこぼしている。

「まったく、あの連中ときたら時間厳守など念頭にありゃせん。さもなきゃ、安物の車を運転していて、ぶっ壊れ――ああああああああーーーーっ!」

 物凄い叫び声が聞こえて、ハリーは飛び上がった。リビングの扉の向こう側で、ダーズリー一家がパニックになって走り回っている音が聞こえ、まもなく、ダドリーが恐怖で引き攣った顔をして廊下に飛び出してきた。ハリーはどうしたのかと訊ねたが、ダーズリーは口も利けない様子で尻をガードしたままキッチンに駆け込んでいった。

 何やら起こったらしい――ハリーは急いでリビングに入った。リビングでは、なんとかその場に留まっているバーノンおじさんとペチュニアおばさんが壁に張りついて暖炉の方を恐々見つめていた。見れば、板を打ちつけて塞いである暖炉の中からバンバン叩いたり、ガリガリ擦ったりする大きな音が聞こえている。石炭を積み上げた形をした電気ストーブが置いてあるので、暖炉は塞いであるのだが――まさか。ハリーは慌てて暖炉に駆け寄った。中から声が聞こえている。

「イタッ! ダメだ、フレッド――戻って、戻って。何か手違いがあった――ジョージに、ダメだって言いなさい――痛い! ジョージ、ダメだ。場所がない。早く戻って、ロンに言いなさい。それからハナに事情を話して来てもらわないと――」
「ハナをこんな狭っ苦しいところに呼ぶだって?」

 とんでもないとばかりにジョージが言った。

「それに、ハリーには聞こえてるかもしれないよ――ハリーが、ここから出してくれるかもしれない――ハリー? 聞こえるかい? ハリー?」

 次の瞬間、また電気ストーブの後ろから板をドンドンと拳で叩く大きな音がして、ハリーはようやく状況を理解した。どうやらダーズリー一家の暖炉が塞がれていることを知らずに煙突飛行ネットワークを繋いでしまったらしい。元々マグルの家でも、ハナの家のように既に煙突飛行ネットワークに繋がっていて普通に使用出来る暖炉もあるので、まさか塞がれているなんて思わなかったのだろう。

「これは何だ?」

 バーノンおじさんがバンバン叩かれている暖炉に怒り狂ったような顔をして訊ねた。

「何事なんだ?」
「みんなが――煙突飛行粉フルーパウダーでここに来ようとしたんだ。みんな、暖炉の火を使って移動出来るんだ――でも、この暖炉は塞がれているから――ちょっと待って――」

 思わぬハプニングに笑いそうになるのを堪えながらそう答えると、ハリーは未だバンバン鳴り響いている板越しに声をかけた。

「ウィーズリーおじさん、聞こえますか?」

 途端、バンバン叩く音が止まり、誰かが「シーッ」と言った。どうやら聞こえたらしい。ハリーは続けた。

「ウィーズリーおじさん。ハリーです……この暖炉は塞がれているんです。ここからは出られません」
「バカな!」

 ウィーズリーおじさんが声を上げた。

「暖炉を塞ぐとは、まったくどういうつもりだ?」
「電気の暖炉なんです」
「ほう?」

 電気と聞いた途端、ウィーズリーおじさんは一転して声を弾ませた。ウィーズリーおじさんはマグルオタクなのだ。

気電・・、そう言ったかね? プラグを使うやつ? ハナの家でいろいろ見たが、気電・・の暖炉はなかった……そりゃ、また是非見ないと……どうすりゃ……アイタッ! ロンか!」
「僕達、何でここで止まってるの?」

 どうやらロンがやってきたらしい。板の向こう側にロンの声が加わった。

「何かまずいことになった?」
「いや、大丈夫さ、ロン」

 皮肉たっぷりにフレッドが答えた。

「ここは、まさに俺達の目指したドンヅマリさ」
「ああ、まったく人生最高の経験だよ」

 今度はジョージが言った。その声は何だか壁に押しつけられているかのように潰れている。そんな言い合いをしている息子達を宥めるように、どうしたらいいか考えているところだとウィーズリーおじさんは話し、やがて、意を決したように続けた。

「うむ……これしかない……ハリー、下がっていなさい」

 おそらく強行突破するつもりなのだろう。ハリーは言われたとおり暖炉から離れソファーのところまで下がったが、何やら嫌な予感を察知したバーノンおじさんが逆に前に出てきた。

「ちょっと待った! 一体全体、何をやらかそうと――」

 しかし、もう既に手遅れだった。バーンと破裂音がしたかと思うと暖炉の板張りが破裂し、電気ストーブが部屋を横切って吹き飛んだ。ペチュニアおばさんがその勢いでコーヒーテーブルにぶつかって倒れそうになり、バーノンおじさんがなんとかそれを支えた。いつもはシミ1つないリビングは、あっという間に埃やレンガの欠片や木片で埋まり、そして、同じく埃だらけになったウィーズリーおじさん、フレッド、ジョージ、ロンの4人が暖炉から吐き出されたのだった。