Make or break - 007

1. 小さな大草原の家

――Harry――



 封筒には、一分の隙もなく切手が貼り込んであった。真ん中にごく僅かな空間が残されていて、そこに細々とした字で宛名が書き込まれている。おそらく切手をどれだけ貼ればいいのか分からなかったので、貼れるだけ貼ったのだろう。ただ、これはいくらなんでも貼り過ぎだ。ハリーは思わず吹き出しそうになるのをやっと堪えた。

「切手は不足していなかったね」

 ハリーは、こんなミスは誰でもしてしまうような至極普通のミスだ、というような調子を取り繕ったが、バーノンおじさんの目はそれを見逃すまいとするかのように一瞬光った。とにかくまともではないこのウィーズリーおばさんからの封筒が気に入らないといった雰囲気だ。

「郵便配達は勘付いたぞ。手紙がどこから来たのか、やけに知りたがっていたぞ、ヤツは。だから玄関のチャイムを鳴らしたのだ。“奇妙だ”と思ったらしい」

 それはおじさんの考えすぎではないだろうか、とハリーは思った。だって、郵便配達員がおかしそうに笑っている声をハリーは聞いている。たとえ奇妙だと思ったとしても、ちょっとしたジョークでこんなことをしたのだろうと思ったに違いない。それに、魔法使いの存在を知っている他のマグルならば、これが本当に「誰でもしてしまうような至極普通のミスだ」と笑い話にでもしただろう。

 けれども、たとえジョークであったとしてもそれが許せないのがバーノンおじさんだった。まともなこと以外大嫌いで、当然魔法なんて存在も毛嫌いしているような人だ。この奇妙奇天烈な切手だらけの封筒をジョークや至極普通のミスとして笑い飛ばすような心の広さは、当たり前だが持ち合わせていなかった。そもそも、おじさんを始めとするダーズリー一家の面々はウィーズリー一家のような連中と関係があると誰かに勘付かれることを1番恐れている。だからこそ、こんなにピリピリしているのだ。

 そんなまともをこよなく愛するダーズリー一家のことをハリーは心底バカバカしいと思っていたが、今だけは感情を表に出してはならないと必死に我慢した。なんたって、クィディッチ・ワールドカップだ。ハリーの分もチケットが手に入るかもしれないのに、これに行かない手はない。ここで何かバカなことを言わなければ、その人生最高の楽しみが手に入るかもしれないのだ。

 ハリーはバーノンおじさんが何か言うまで、口を閉じておくことにした。しかし、郵便配達員が勘付いたと文句を言ったきり、おじさんはハリーを睨みつけたまま何も言おうとはしない。ハリーはそれでもしばらく黙ったままだったが、とうとう我慢出来なくなって、自ら沈黙を破った。

「それじゃ――僕、ワールドカップに行ってもいいですか?」

 もしこんなに早い段階からウィーズリー家で過ごせたのなら、ハリーの夏休みはこの上なく素晴らしいものになるに違いない。ダドリーの食事制限に付き合わなくて済むし――そもそも付き合っていないが――それに、ダーズリー一家とまた次の夏まで顔を合わせなくて済む。ハリーは期待に胸膨らませたが、バーノンおじさんは何か葛藤しているかのようにでっかい赤ら顔を震わせた。

 バーノンおじさんが何を考えているのか、ハリーには手に取るように分かった。おじさんは、この13年間、ハリーを幸福にすることを躍起になって阻止してきた。だというのに、ハリーを行かせてしまえば、自分が食事制限に付き合わされ続ける中ハリーが楽しい夏休みを過ごしてしまうのは間違いない。けれども一方で、ハリーが家にいることはバーノンおじさんにとって最もおぞましいことだった。ウィーズリー家で過ごすことを許せば、その悍ましい存在を早々と厄介払いすることが出来る――。

「この女は誰だ?」

 未だ答えが出せずにいるのか、再度ウィーズリーおばさんの手紙に視線を落としながらバーノンおじさんが訊ねた。名前のところを穢らわしいものを見るような目で見ている。

「おじさんはこの人に会ったことがあるよ」

 ハリーはなんとか平常心を保ちながら答えた。

「僕の友達のロンのお母さんで、ホグ――学校から学期末に汽車で帰ってきた時、迎えに出てた人」

 うっかり「ホグワーツ特急」と言いそうになって、ハリーは慌てて言い直した。まともではないことが大嫌いなダーズリー家で、ホグワーツの名前を出そうものなら、バーノンの怒りを買うのは必至だ。何せダーズリー家では誰もその名前を口にしたことはないのだ。

「ずんぐりした女か? 赤毛の子どもがウジャウジャの?」

 バーノンおじさんがひどく不愉快そうに顔を歪めて言って、ハリーは眉をひそめた。自分の息子や自分自身の体型を棚に上げてよくもまあ人のことを「ずんぐり」だなんて表現出来たものだ。ダドリーなんて今や縦より横幅の方が大きくなって遂に入る制服もなくなり、通知表に痩せるよう書かれたばかりだというのに。もう忘れてしまったのだろうか。

 しかし、ここでそれを指摘してクィディッチ・ワールドカップ行きを逃すわけにはいかない。ハリーが言い返さずにいると、バーノンおじさんがなおも手紙を眺め回しながらまた訊ねた。

「クィディッチ――このくだらんものは何だ?」
「スポーツです」

 ハリーはまたイラッとするのに堪えながら答えた。

「競技は、箒に――」
「もういい、もういい!」

 そんなまともじゃないスポーツのことなんて聞きたくないとばかりにバーノンおじさんが声を張り上げると、ハリーは言葉を切った。おじさんはまともじゃないスポーツの話から逃げるようにまた手紙を眺め回し始めたかと思うと、しばらくして「普通の方法で私どもにお送りいただくのがよろしいかと」と声を出さずに口だけ動かした。

「どういう意味だ、この“普通の方法”っていうのは?」
「僕達にとって普通の方法。つまり、ふくろう便のこと。それが魔法使いの普通の方法だよ」

 ハリーが答えると、バーノンおじさんは「魔法使い」の言葉の部分だけ拡大してご近所中に聞こえてしまったとでもいうように窓の外を見て、誰も盗み聞きしていないことを確かめた。それから、今や真っ赤から紫色になった顔をハリーに向けて凄んだ。

「何度言ったら分かるんだ? この屋根の下で“不自然なこと”を口にするな、恩知らずめが。わしとペチュニアのお陰で、そんな風に服を着ていられるものを――」
「ダドリーが着古したあとにだけどね」

 こんなに冷遇しておいて何が恩知らずだ。ハリーはカチンときて冷たく言い放った。そもそもダドリーのお下がりであるコットンシャツは、大き過ぎて丈は膝下まであったし、袖なんて5つ折りにしなければ手が使えないというのに。ハナやシリウスがこのことを知ったなら、なんて言うだろう。ハリーは頭の片隅で考えた。とりあえず、ハナは間違いなくバーノンおじさんの横っ面にパンチをお見舞いするに違いない。なぜなら、ダーズリー一家の話を聞いている時、ハナはいつも「ダーズリー一家にパンチをお見舞いしたい」というような顔をするからだ。

「わしに向かってその口の利きようはなんだ!」

 ハリーの言い方が気に食わなかったらしい――バーノンおじさんが怒り狂って叫んだ。しかし、ハリーが大人しくしているのをいいことに、ハリーの周りの人達や大好きなクィディッチを貶し、ハリーを怒らせたのは他でもない、バーノンおじさん自身だ。折角大人しくして「普通の方法」でクィディッチ・ワールドカップに行く許可を貰おうと思っていたのにそっちがそんな態度なら、ハリーにだって考えがある。

「じゃ、僕、ワールドカップを見に行けないんだ」

 ハリーは出来る限り落ち込んで見えるように肩を落とした。

「もう行ってもいいですか? ハナとシリウスに手紙を書かなくちゃ。ほら――僕の姉さんと後見人」

 それは、ハリーが持ち得る中で現在最も強力な脅し文句だった。見れば、バーノンおじさんの顔からみるみるうちに青くなりつつあるのが分かった。

「お前――お前はヤツらに手紙を書いているのか?」
「ウン――まあね」

 ハリーはさりげない口調で言った。バーノンおじさんの元々小さい瞳が、恐怖でもっと縮んだのをハリーは見逃さなかった。

「様子を知らせるようにって言われてるんだ。僕が元気でやってるか心配なんだって。でも、夏休みに入ってから手紙を出していなかったから、そろそろ僕からの便りがないと何か悪いことが起こったんじゃないかってここまで来ちゃうかもしれないし」

 ハリーはここで言葉を切り、バーノンおじさんの反応を見た。ダーズリー家までハナやシリウス達が来るなんて、おじさんからしてみれば絶対にあってはならないことだろう。だって、みんなが来るということは、ハナが殺人者と狼人間を連れ立ってやってくるということだということをおじさん自身、よく分かっているからだ。だったら、おじさんがハリーに言うことは最早1つしかなかった。手紙を書くな、クィディッチ・ワールドカップに行くなと言えば、たちまち招かれざる客が玄関先にやってくるのだから(「ハーイ、ミスター・バーノン・ダーズリー。お約束どおり、ご挨拶に参りました」)。

「まあ、よかろう」

 バーノンおじさんが搾り出すように言った。ハリーはにんまりしないよう、なるべく無表情でいるよう努めた。

「その忌々しい……そのバカバカしい……そのワールドカップとやらに行ってよい。手紙を書いてこの連中――このウィーズリーとかに、迎えに来るように言え。いいか。わしはお前をどこへやら分からんところへ連れていく暇はない。それから、夏休みはあとずっとそこで過ごしてよろしい。それから、お前の――お前の姉と後見人に……そやつらに言うんだな……お前が行くことになったと、言うんだぞ」
「オーケーだよ」

 ハリーはにこやかに返事をすると、今にも飛び上がって歓声を上げたいのを我慢しながら廊下に向かって歩き出した。こんなに嬉しいことはなかった。1ヶ月以上もウィーズリー家にいられる。しかも、クィディッチ・ワールドカップにも行けるのだ。扉を開き、廊下に出ると、いよいよ顔が綻ぶのが我慢出来なくなって、ハリーは扉のすぐ向こう側にいたダドリーにニッコリ微笑んだ。

「素晴らしい朝食だったね? 僕、満腹さ。君は?」

 ダドリーは、てっきりハリーが叱られて出てくると思って扉の向こうで盗み聞きしていたのにハリーがニッコリしているものだから、ショックを受けたように立ち尽くしていた。ハリーはそんなダドリーの顔を見て笑いながら、階段を1度に3段も飛ばして駆け上がり、自分の部屋に飛び込んだ。

 部屋に入ると、籠の中でヘドウィグが不機嫌そうに嘴をカチカチ鳴らしていた。ハリーは一体何が気に入らないのだろうかと思ったが、その原因はすぐに分かった。原因そのものが、ハリーの側頭部に激突してきたからだ。

「アイタッ!」

 ハリーは頭を揉みながら何がぶつかってきたのか探し、そして、すぐにそれを見つけた。手のひらサイズの小さな灰色のふかふかしたテニスボールのような豆ふくろうが、興奮して部屋の中をヒュンヒュン飛び回っている。どうやら手紙を運ぶ仕事が達成出来たことが嬉しくてたまらない様子だ。ハリーはいつの間にか豆ふくろうが落としていた手紙を拾い上げて封筒に書かれた宛名を見た。これは、ロンの字だ――ハリーはすぐに封筒を破り、中から手紙を取り出した。



 ハリー――パパがチケットを融通してもらえることになったぞ――来月だ。ママがマグルに手紙を書いて、君がうちに泊まれるよう頼んだよ。もう手紙が届いているかもしれない。マグルの郵便ってどのくらい速いか知らないけど。どっちにしろ、Pigにこの手紙を持たせるよ。



 Pig――豚?
 ハリーは天井のランプの周りをブンブン飛び回っている豆ふくろうを見上げた。もしや、豚というのがこのふくろうの名前なのだろうか。しかし、こんなに豚らしくないふくろうはまたといない。えんどう豆を指すPeaと読み間違えたのだろうか。ハリーはもう一度手紙を読み直したが、綴りはやっぱり「Pea」ではなく「Pig」だった。ロンはこの小さな豆ふくろうに豚という意味の「ピッグ」と名付けたらしい。



 マグルがなんと言おうと、僕達君を迎えに行くよ。ワールドカップを見逃す手はないからな。ただ、パパとママは一応マグルの許可をお願いするフリをした方がいいと思ったんだ。なんたってワールドカップのずっと前から君を誘うわけだし、これは大事な計画・・・・・でもあるからな。連中がイエスと言ったら、そう書いてピッグをすぐ送り返してくれ。日曜の午後5時に迎えに行くよ。連中がノーと言ってもピッグをすぐ送り返してくれ。やっぱり日曜の午後5時に迎えに行くから。

 ハーマイオニーが来るのはまだ先だ。ワールドカップの前々日くらいになると思う。一先ず君を先に救出ってわけだ。パーシーは就職した――魔法省の国際魔法協力部だ。家にいる間、外国のことは一切口にするなよ。さもないと、うんざりするほど聞かされるからな。

 じゃあな。 ロン



 ハリーが手紙を読んでいる間、豆ふくろうはずっと飛び渡り、ピーピー狂ったように鳴いていた。ハリーは「落ち着けよ!」と言いながら豆ふくろうを見上げ、呼びかけた。

「ここへおいで。返事を出すのに君が必要なんだから!」

 豆ふくろうはとうとう大人しくなってヘドウィグの籠の上に舞い降りた。ヘドウィグは、それ以上近付くのは許さないとばかりに冷たい目で籠の上にいる豆ふくろうを睨んでいる。落ち着きのない豆ふくろうが気に入らないらしい。それをチラリと見遣ると、ハリーは羽根ペンと新しい羊皮紙を1枚掴み、急いで返事を書いた。



 ロン。すべてオーケーだ。マグルは僕が行ってもいいって言った。明日の午後5時に会おう。いとこのダイエットに付き合わなくて済む日が来るのが待ち遠しいよ(とうとう学校で着る制服がなくなって食事制限してるんだ)。

 ハリー



 ハリーはメモ書きを小さく折り畳むと、豆ふくろうの脚に括り付けた。豆ふくろうは新たな任務に興奮して飛び上がるのでかなり時間がかかったが、それでもなんとかきっちり括り付けられると、豆ふくろうはすぐさま任務遂行のために窓から飛び出し、まもなく、見えなくなった。