Make or break - 003

1. 小さな大草原の家



 ダンブルドア先生との話は、時間ギリギリまで行われた。話はそれこそヴォルデモートのことから、クィディッチ・ワールドカップなどの時事ネタまで多岐に渡り、今朝話したばかりのリーマスとシリウスが私を鍛えるという話も出た。ダンブルドア先生は、リーマスとシリウスが私を鍛える件について概ね賛成で「いい練習場所を探しておこう」と頷いた。ダンブルドア先生は校長先生という立場にもかかわらず、考えが柔軟で守るべきルールとそうではないルールとの線引きをするのがいつも上手かった。

 11時20分前になると、シリウスとダンブルドア先生が魔法省へ出掛ける時間だった。滞在先がバレないよう一旦別の場所に向かい、それから魔法省の近くに姿現しして来客用入口まで歩いていき、魔法省へと入るのだそうだ。聞いたところによると、魔法省の来客用入口は電話ボックスになっていて、私の家の物置小屋のように決まった手順を踏むと魔法省のアトリウムに辿り着ける仕組みとなっているらしい。

 魔法省はマグルの政府中枢が集中して立地しているホワイトホールの真下にある地下10階からなる巨大な施設だった。地下1階に魔法大臣室、地下2階にウィーズリーおじさんが局長を務めるマグル製品不正取締局や闇払い局などがある魔法法執行部、地下3階に魔法事故惨劇部、地下4階にディゴリーおじさんが務める魔法生物規制管理部――と様々な部署のフロアが続き、地下8階がメイン・エントランスであるアトリウムである。シリウスの聴取が行われているのは地下10階で、そこはウィゼンガモット法廷などが集まる所謂魔法界の裁判所だった。

 忙しい身であるにもかかわらず、ダンブルドア先生はシリウスの聴取に毎回付き添ってくれた。それはダンブルドア先生がシリウスの身元引受人のような立場だというのもあるが、どこか魔法省の動きを信用していないからではないか、と私は密かに考えている。魔法界では、三権分立などなく政治が司法にかなり介入しているので、魔法大臣のひと言でシリウスを再び不当に拘束することも可能だからだ。1ヶ月前のファッジ大臣の様子からはそんなことはないと信じたいけれど、ないとも言い切れないのが現実だった。だって、ダンブルドア先生が嫌がったのにホグワーツに無理矢理吸魂鬼ディメンターを配備したのもファッジ大臣なのだから。

 シリウスとダンブルドア先生が出掛けると、私とリーマスは小さな大草原の家に残り、思い思いに過ごすことにした。1回の聴取はそう長くはかからないので、昼食はシリウスが帰ってきてから3人で食べるつもりだ。そうして、レポートの続きでもしようかと本と羊皮紙の前に座って30分――11時になった途端、小さな大草原の家の壁にかけられた来訪者探知機が高らかに来訪者の名を告げた。

「シリウス・ブラック! 本物! 安全!」
「アルバス・ダンブルドア! 本物! 安全!」

 私とリーマスはギョッとして顔を見合わせた。時刻はまだ11時になったばかりで、聴取は始まったばかりのはずだ。一体何があったのだろうかと考えていると、小さな大草原の家の外にシリウスとダンブルドア先生が姿現しした。遠目から見てもシリウスはかなり怒っている。

「やられた! ファッジの――野郎!」

 とんでもなく下品なスラングを履き捨てながらシリウスが戸口を開けて入ってきた。そのあとから入ってくるダンブルドア先生もなんだか深刻そうだ。嫌な予感がする――私もリーマスも急いで立ち上がると2人の元に駆け寄った。

「シリウス、何があったの? 聴取はどうしたの?」
「聴取は既に終わっていた!」

 シリウスが乱暴に椅子に座りながら吠えた。

「ファッジめ、今日の聴取の時間を1時間早めていた」
「どういうこと? だって、シリウスとダンブルドア先生がいないと聴取にならないじゃない」
「そうだ――しかし、事実今日の聴取は1時間早められていた。私にもダンブルドアにも事前の連絡はなしで、だ! 向こうは連絡したの一点張りだったが、そんな連絡は受けていない!」
「もしかして、ファッジは君が聴取をすっぽかしたことにしたかったのか?」

 リーマスが眉間に皺を寄せて訊ねた。

「すっぽかしたのだから、これ以上続けられないと聴取を中断するために」
「まさにそれだ……ファッジは私の聴取をこれ以上進めたくなかった。だから、こんな手段に出た」
「でも、どうしてそもそも聴取を進めたくなかったの? ファッジ大臣は、1ヶ月前にはそんな感じじゃなかったわ。確かにすぐに判決を出そうとはしなかったけど……理由はちゃんとあったし、こんな、無理矢理……」

 リーマスは何か察しているようだったが、私は訳が分からず混乱したままそう言った。こんな一方的で、あからさまな手段で聴取を打ち切るなんてこと、許されるのだろうか。だって、ペティグリューの死が嘘だったとファッジ大臣自ら認めてからまだ1ヶ月ちょっとしか経っていない。その間シリウスはずっと協力的だったし、冤罪の可能性が高いと日刊予言者新聞にも出ている。それなのに一方的に聴取を打ち切るなんて、一体何があったと言うのだろうか。

「コーネリウスはひどく臆病になっておる」

 私が戸惑っていると、ダンブルドア先生が難しい顔をして言った。今朝の新聞に載っていた魔法省の態度が硬化しているという話だろうか。いや、あれは少なくとも真っ当な内容だった。証拠が足りないうちに判断するのは危険だとして慎重になっているという記事だし、そこから聴取の中断に至るなんて話が飛びすぎている。なら、ファッジ大臣は何を恐れてこんなことをしたのだろう。いくら考えても理解が追いつかなくて、私は眉根を寄せた。

「判断に慎重になるのは無理もないことです。だけど、どうしてそれが中断することに結びつくんでしょうか?」
「ペティグリュー生存の発表がコーネリウスの名誉を回復するまでに至らなかったからじゃ。むしろ予言者新聞がシリウスとペティグリューについて、センセーショナルに書き連ねたことでシリウスに同情的な意見が多く集まった一方で、魔法省にはクレームが多く集まった。コーネリウスはこのところ、わしが彼を大臣職から引きずり下ろすためにわざとこの状況を作り出したのではないかと疑い始めておった」
「でも、ダンブルドア先生はそんなこと考えていません!」
「しかし、わしは確かにコーネリウスに“君はイギリス中の国民を騙したペティグリューの狡猾さを暴いた賢明なる大臣として知れ渡ることじゃろう”と言ったのじゃよ、ハナ」
「まさか、そうならなかったから……?」

 私は起こった出来事が信じられず、開いた口が塞がらなかった。確かにファッジ大臣は、先月の出来事の時から周りの批判をかなり気にしていた。それはこれ以上の不祥事によって大臣職を追われたくないという意思の現れだったのだ。だからこそ、ファッジ大臣は自分の名誉が回復しなかったことを焦り、それがダンブルドア先生の思惑なのではと疑った……ダンブルドア先生の言葉を信じて行動したのにクレームが止まらなかったからだ。ファッジ大臣は、この批判をどうにか終わらせようと画策した――。

「予言者新聞がヒッポグリフや吸魂鬼ディメンターが子どもにまで接吻キスしたことを書き連ねたことによって、魔法省にはとんでもない数のクレームのふくろう便が届いた。ただクレームを書き連ねている手紙だけではない。吼えメールや呪いを仕込んだ手紙まで届いたのじゃ。聞くところによると、魔法大臣室では連日、開封が間に合わなかった吼えメールが爆発して大声で喚き散らし、昨夜遂に手紙に仕込まれていた呪いをコーネリウスが受けてしまったようじゃ。コーネリウスはわしに騙された、と考えたことじゃろう」
「そこで、今回の事態が起こった。魔法省はどんなお粗末な理由であれ、こちらが原因で聴取を中断せざるを得なかったことにしたかったんだ」

 シリウスがイライラした様子で足を揺すり、リーマスがその肩を宥めるように叩いた。1ヶ月前のあの日、確かに「地道な努力は豊かな財産」となった。シリウスが本当は無罪だったのではないかと報道され、11年の監獄での生活と1年の逃亡生活に終止符を打った。ハリーと暮らすことこそ叶わなかったし、外を自由に出歩くことも出来なかったけれど、ここでこうして普通の暮らしが出来るまでにはなった。近い将来、シリウスは本当の意味で自由になると私は本気で信じていた。

 けれど、蓋を開けてみたらどうだ。ペティグリューを捕まえ損ねたことで魔法省はシリウスの判決に少しずつ後ろ向きになり、予言者新聞に書き連ねられたスキャンダルによって、ファッジ大臣はとうとう心を閉ざした。あの日、予言者新聞の記事を見たときには、ペティグリューを逃したこと以外に「失望や落胆などの不運な出来事」があるとは思いもしなかった。

「冤罪は分かりきったことじゃが、コーネリウスは批判されるのも怖かったし、シリウスに無罪を言い渡すのも怖かった。とにかく何かを判断することを恐れたのじゃ。これで判断を間違えば、今以上の悪評が立ち、大臣職を追われることになりかねないからじゃ。けれども、聴取を長引かせれば長引かせるほど、それに対するクレームも募るだろうと危惧した」
「だから、私が聴取をすっぽかしたことにしたんだ。そうすれば、少なくとも自分のせいで中断したのではないと印象付けられるし、あわよくば、批判の矛先を私に変えられるのではないかと考えたのだろう。あいつがなんて言ったか分かるか? “滞在先を教えないのはやましいことがあるからじゃないのか。次に問題を起こせばペティグリューが捕まるまで、アズカバンに戻ってもらう必要がある”と言ったんだ!」
「そんな……そんなこと、許されるはずがないわ! スネイプ先生だって証言してくださったのに! そんな……」

 本当にこんな一方的で強引なやり方が許されるのだろうか。私は、ペティグリューが生きていることを証明出来ればなんとかなると思い込んでいた。けれども実際はそうではなかった。生きていることが証明出来たとしても、真実薬を飲んでない以上、語られた真相がすべて正しいかは分からない。そして、コーネリウス・ファッジは私が考えていた以上に臆病で権力欲の強い人だった。だからこそ、ダンブルドア先生の言動に疑心暗鬼になり、判断を間違って大臣職を追われることを恐れ、こんな理不尽な行動に出るのだ。

「ハナ、信用するべき人を見誤らぬよう気をつけるのじゃ。魔法省にはかつて死喰い人デス・イーターだった者が多くいることを忘れてはならん。よいな」
「はい……はい、ダンブルドア先生」
「それから、リーマス、シリウス――諦めたわけではないが、こうなってはいざという時、魔法省の協力を得られるのはかなり難しいじゃろう。復活の予言があるからには、出来る限り早くハナを闇祓いオーラーと同じレベルまで引き上げるのじゃ。彼女がいついかなる時でも戦えるようにせねばならん」
「分かりました。その時にはセドリック・ディゴリーを呼んでも?」

 リーマスがきびきびと訊ねた。

「彼は、真っ直ぐで誠実で優しく、非常に危険だ。しかも、ヴォルデモートはセドリックのことを知っています。利用される前に対策を取らないと」
「フム――よかろう。本人に聞いてみるがよい。それからハナ、アーサーとモリーが信用に足る人物であることは既に分かっておろうな?」
「はい、もちろんです。ダンブルドア先生」
「必ず2人のことを頼るのじゃ。君の力になってくれるじゃろう。例の件は予定どおり進めてもよい」

 ダンブルドア先生はそれだけ伝えると、足早に小さな大草原の家を出て、池のそばで姿くらましした。魔法省が犯した裏切りは、奇しくも、私達にこれから続く長い戦いの始まりを告げていた。