Make or break - 002

1. 小さな大草原の家



 翌朝、私は5時に目覚めた。
 バルカム通りに面したところにある私の寝室は大きな腰窓が2つもあるけれど、日が昇り始めたばかりだからか、カーテンの隙間から差し込む陽光はまだ薄っすらとしている。私は大きく伸びをしてベッドから抜け出すと、階段を下りて洗面所で顔を洗い、歯を磨いて、それからまた寝室に戻った。

 私の自宅の2階には、トイレが1つと寝室が3つあった。階段を上がってすぐのところにトイレがあり、左に曲がるとシリウス、リーマス、私の寝室と続く。それぞれの寝室にはベッドとライティング・デスク、それにクローゼットが設けられていて、私の寝室のクローゼットは他の2部屋より、少し広めだった。寝室の端にリビングにある暖炉の円筒を通すスペースがあり、冬は1番暖かい。

 寝室に戻ると動きやすい服に着替えて髪を結び、シリウスとリーマスを起こさないように気をつけながらまた寝室を出て1階に下りた。キッチンでコップ1杯の水を飲むと、勝手口から裏庭に出て、物置小屋の扉をノッカーで4度ノックした。鍵を差し込み、左右に1度ずつ回すとサインプレートがカチャッとスライドしたのを確認してから扉を開けて中に入った。

 小さな大草原は、今日も晴れだった。この天井にかかっている気象変更呪文は、実際に風を吹かせたり、雨や雪を降らせたりすることも可能で、実際のメアリルボーンの天気が反映されている。ずっと晴れのままにしておくと、この小さな大草原にある草木が育たないのでわざとそうしているのだ。とはいえ、雨続きだとそれを止められたり、逆に晴れが続くと雨を降らせたりも出来るのでとても便利な魔法である。

 扉の前で軽い準備運動をすると私は、早速小道に沿ってランニングを始めた。森へと続く小道は、森の手前で左右に分かれ、右に曲がると森の中へ、左に曲がると広い草原の外周をぐるりと回るランキングコースになっている。こんな素晴らしい場所を活かさない手はないと、シリウスとリーマスに頼んでランニングコースを整備して貰ったのだ。ホグワーツに戻るとすぐに冬がやってきて、なかなかランニングは出来ないけれど、この夏は天気が悪くない限り、ここで朝の日課をこなす予定だ。因みにシリウスは私が毎朝運動していると知ると信じられない、と言いたげな顔をしていた。

 森に向かって走り、池の周りをぐるりと回ってから左に曲がると、バックビークがひょっこり顔を出して私は一旦足を止めてお辞儀をした。バックビークは時々こうやって顔を出してきて、私のあとを追って一緒に走ってくれたりした。一緒に遊んでいる感覚なのかもしれない。今日もどうやら走ってくれるようで、脚を折ってお辞儀を返す仕草をすると、バックビークは一頻ひとしきりランニングに付き合ってくれた。ランキングのあとはストレッチをしたりヨガをしたりするのだけれど、その時もバックビークは池の水を飲んだりして近くにいてくれた。

 運動に付き合ってくれたお礼にバックビークに餌を少しだけあげると、私はようやく自宅へと戻った。時刻はもう6時を優に過ぎている。このころにはリーマスが起き出してきて、リビングで日刊予言者新聞を読んでいる。予言者新聞は去年から私が定期購読しているもので、今年の夏からは自宅のポストに入れてもらうようにしている。料金は1ヶ月分を前払いだ。個別に支払うのは臨時で夕刊が出る時だけだ。

「おはよう、リーマス。何か気になる記事はあった?」
「おはよう、ハナ。いや、いつもどおりだ。“捕まらぬペティグリュー、判決決まらぬブラック”」
「“魔法省はこの1年の失態で態度を硬化させている。ペティグリューの生存が確認されて以降、シリウス・ブラックが魔法省の取り調べに対し協力的であることから拘束こそしていないが、未だ正式な無罪判決は出ていない。ペティグリューを捕らえられていない中でブラックの判決を下すことは時期尚早だとする者が一定数いるためである”――やっぱり、ペティグリューを逃してしまったことが痛いわね。スネイプ先生の証言はあるけど、裏取りは必要だし、1人の証言をすべて鵜呑みにしてシリウスの判決を出すことは危険だと考えるのは妥当ではあるわ。腹立たしいけど」
「とはいえ、今のシリウスの状況は随分いいとは思うがね。みんな同情的だし、魔法省の職員達のシリウスに対する印象もそう悪いものではない。中には懐疑的な魔法使いもいるにはいるがね。魔法省に滞在先を報告しないのはおかしいと怪しんだりね」
「滞在先を教えたら妙な人達が何か企んでやってくるのが目に見えてるわ。元死喰い人デス・イーターだって、平然と生活してるんだし」
「そう。ダンブルドアもまさにそれを心配している。動物もどきアニメーガスであることを君達に報告させていないのも、そのせいだ。ピーターを逃してしまった以上、その事実は遅かれ早かれ向こうにも知られてしまうだろうが、ダンブルドアはいざという時に使える手段を出来るだけ残しておきたいと考えているんだろう」
「いろいろ簡単にはいかないわね。とりあえず、ぺティグリューが生きていて、シリウスは無罪かもしれない・・・・・・――それが世に広まっただけよしとするべきね」

 予言者新聞の記事についてリーマスと軽く話をすると、私はシャワー浴びに浴室に向かった。浴室や洗面所兼脱衣所には、リーマスが解錠呪文を無効化する呪文をかけてくれていて、一度鍵をかけるとどんな解錠呪文も効かないようになっている。男2人、女1人の生活なので、「こういうことは最初のうちにきちんとするべきだ」とリーマスが対策してくれたのだ。この解錠呪文を無効化する呪文は私の寝室にもかけられている。念には念を、だ。着替えている時に開けられては敵わない。

 シャワーを終え、普段着に着替えてリビングに戻ると大体6時半を過ぎていて、私とリーマスは朝食前のお茶を飲みながら予言者新聞について話したり、今日の朝食をどうするかを話したりする。それが終わり、7時になるとティーカップを片付けて朝食の準備に取りかかる。朝食はリーマスがトーストやサラダ、卵を準備してくれて、私がスープ担当だ。

 まだリーマスと2人だけのころ、朝食はリーマスの担当だった。リーマスが私の朝のルーティンが終わる時間に合わせて支度をしてくれ、シャワーを浴びてダイニングに戻ってくるともう朝食の時間だった。けれども、この夏休みに入ってから、もう少しシリウスの栄養バランスを考えようと私が毎日スープを作るようになったのだ。スープといってもそんなに凝ったものは作らない。その日の気分で好きな具材を入れて、味付けはほとんどコンソメの素にお任せだ。コンソメの素さえあれば、シンプルなコンソメスープもトマトスープもクリームスープもあっという間だ。

 朝食の支度を始めて少しすると、ようやく寝惚け眼のシリウスが起きてくる。寝癖で髪が少しボサッとしているけれど、シリウスの髪は1ヶ月前より大分短くなってさっぱりとしている。リーマスに整えて貰ったらしい。シリウスが顔を洗ってダイニングテーブルの定位置に座ると、出来立ての朝食がダイニングテーブルに並び、私とリーマスも席に着いた。朝食のはじまりは大体7時半だ。

「今日の聴取は何時からだったかしら?」

 トーストにバターを塗りながら私は訊ねた。朝食は大体いつも同じメニューでワンプレートに盛られてあり、卵とスープだけが日によって異なる。今朝はスクランブルエッグとコンソメスープだ。

「11時からだ」

 シリウスがトーストを齧りながら答えた。シリウスはトーストを軽めに焼いて、そのまま何も塗らずに食べるのが好きだった。

「9時半ごろにダンブルドアがここに来る――例の話・・・だ」
「9時半ね、分かったわ。シリウスの聴取も早く終わればいいのだけれど。今朝、魔法省が態度を硬化しているって予言者新聞に記事が出てたわ」
「元々、判決は聴取だけでは出せない。少なくとも魔法法律評議会を開く必要があるんだ」

 トーストにジャムをたっぷり塗りながらリーマスが言った。リーマスは大体いつもジャムをたっぷりと塗る。

「この魔法法律評議会を開くかどうか、迷っているんだろう。証言の裏取りも上手くいってないし、失態続きだったからね。それに、魔法省は今、ビッグイベントを2つも控えていてかなり慌ただしくなっているはずだ」
「ビッグイベントって、1つはクィディッチ・ワールドカップよね。他にも何かあるの?」
「ああ、ホグワーツでね。君も9月1日なれば分かるよ」
「ホグワーツで?」

 リーマスの言葉に私は眉根を寄せた。先月の占い学の試験の時、トレローニー先生がヴォルデモートの復活を予言したのをハリーが聞いたばかりなのだ。そんな中ホグワーツでイベントが開かれるなんて、裏で何かとんでもないことが起こりそうな予感しかなかった。

 そうでなくとも私はこれから先のことは本当に何も分からない。最初の方こそ、ペティグリューの生存の記事が出て喜んでいたけれど、夏に入れば否応なしにヴォルデモートの動きについて考えなければならなかった。だからこそ、シリウスの言う例の話・・・もダンブルドア先生と綿密にやり取りをして進めているのだ。とはいえ、ヴォルデモートの復活とホグワーツで開催されるイベントがイコールで結びつくかと問われると疑問が残るが、心配なことには変わりなかった。

「ホグワーツでイベントなんて、心配だわ。ほら、話したでしょ? ハリーが聞いたっていう、トレローニー先生の予言……」
「ヴォルデモートの復活か……」

 シリウスが苦々しげにそう言いながらスープを口に運んだ。

「その復活がどうなされるか、ダンブルドアですら予想がついていない……。ただ、イベントを利用して復活するというのは現実的ではないな。何かの企みに利用するというのなら、分かるが。たとえば――」
「たとえば?」
「復活するために君の体が必要だからイベントに乗じて捕えようとする、とか。ヴォルデモートにとって、君は強力な器だ。未だ君を諦めていない可能性は十分にある」
「しかも、ピーターが既にヴォルデモートを見つけていれば、もう君の秘密を洗いざらい話してしまっているだろうからね。ヴォルデモートは君が未来を知っていることや過去を行き来していたこと知って、ますます君に興味を示すだろう」

 リーマスが真剣な表情で言った。

「未来を知っているというのは興味深いはずだ。たとえ自らはその情報を必要とせずとも、ダンブルドアが未来の情報を得続けられないようにするために、君をどうにかしようとするかとしれない。私もシリウスもそれを心配している……今1番危険なのは君だ」
「でも、私、これから先のことはもう本当に分からないわ」
「ピーターはそれを知らないんだ、ハナ。我々は、もう既にあいつがヴォルデモートと行動を共にして、復活を目論んでいると考えて行動する必要があるだろう。とはいえ吹聴して回るのは危険だから水面下でひっそりとね――ハナ、ずっと考えていたんだが、私とシリウスで君を鍛え上げたらどうかと思うんだがね」
「鍛える?」

 私は目をパチクリとさせた。

「確かにそれが出来たら嬉しいわ。でも、一体どうやって? 私は休暇中、魔法は使えないし……ホグワーツに帰ってからやるにしてもリーマスは辞めたばかりだし、シリウスは判決まで出歩かないよう言われているし……ポリジュース薬をずっと飲み続けるわけにはいかないでしょう?」
「まあ、心配はいらない」

 シリウスが軽い口調で言った。

「我々は、そういうことの抜け穴を見つけるのが大の得意なんだ」

 鍛えてくれるのはとても嬉しいけれど、なんだか心配である。私は不安になりながら、シリウスを見た。だってシリウスはマグルの中では未だに殺人犯のままなのだ。当然、外を出歩けば混乱を招くので外には出られないし、魔法使いだけの場所でも出歩くことは禁止されていた。ダンブルドア先生の口添えや予言者新聞の報道のおかげで判決保留の中途半端な立場でも、拘束などは免れたものの、聴取の時以外は家から出てはいけないと魔法省に交換条件を持ち出されたためだ。シリウスはその性格上、そんな交換条件など気にしないだろうが、私はほどほどにして欲しいというのが本音だった。いや、「ほどほど」と考えるあたり、私も大分不真面目なのかもしれないけれど。

 朝食を終えると、私達は揃って物置小屋に行き、本を読んだり、レポートをしたり、クサカゲロウを煎じて過ごしたりした。9時にはシリウスがバックビークに早めの朝食を与えに森へ向かい、私とリーマスは一足先に自宅へと戻った。リーマスとシリウスが、小さな大草原の家の方にも新たに来訪者探知機を設置してくれたけれど、私はすぐに玄関に行くまでに時間がかかるので予めリビングで待つことにしたのだ。姿現しの試験さえ合格出来れば、小さな大草原の家から玄関までの距離なんて、あってないようなものなんだけれど。生憎、私が姿現しのテストを受けられるのはもう数年は先だった。

「アルバス・ダンブルドア! 本物! 安全!」

 ダンブルドア先生は午前9時半ピッタリに我が家にやってきた。シリウスが暇で仕方ないからと改良したリビングの来訪者探知機が高らかに来訪者の名を告げると、以前は鳩が飛び出してきていたところにダンブルドア先生の顔が表示され、その上に「アルバス・ダンブルドア」と名前が表示された。ダンブルドア先生の顔の下には「危険」「安全」「本物」「偽物」の4つの文字と針が2本あり、今は2本の針が「安全」と「本物」を指し示している。私は急いで玄関に向かい、玄関扉を開けた。玄関ポーチにはダンブルドア先生がにこやかな顔で立っていた。

「おはようございます、ダンブルドア先生。どうぞ、お上がりください」
「おはよう、ハナ。シリウスとリーマスは揃っているかね?」
「はい。今、リビングの方に。すぐにお茶を淹れますね」
「それもよいが、裏庭に面白いものが出来たとか。わしはそれがどうにも気になってのう」
「では、そちらでお茶をしましょう」

 私はクスクス笑って答えた。どうやら、ダンブルドア先生は「例の話」のことももちろんだが、裏庭に出来た物置小屋が見たくて聴取が始まる1時間半も前に我が家にやってきたらしい。

「バックビークも元気ですよ。ご案内しますね」

 ダンブルドア先生を一旦リビングに通すと、そこで待っていたシリウスとリーマスに物置小屋の方で話をすることになったと伝えてから、私達は4人で勝手口から裏庭に出た。ダンブルドア先生は興味津々といった様子で物置小屋の外観を眺め、それから扉を開けると、まずは掃除道具などが雑多に詰め込まれた中の様子を確かめた。物置小屋は本当にただの物置小屋だったが、ダンブルドア先生はそれを眺めるのもどこか楽しげで、私達はダンブルドア先生の気が済むまで待った。

「小屋の中に入るには専用の鍵が必要で、手順があるんです。鍵は私とシリウスとリーマスしか持っていません」

 ダンブルドア先生の物置小屋の観察が終わると、私はそう話しながらいつもの手順で鍵を開けて見せた。途端にふくろうのドアノッカーの真下にあるサインプレートが「小さな大草原」に代わり、再び扉を開けるとそこはもう雑多な物置小屋ではなかった。

「素晴らしい出来じゃ」

 ダンブルドア先生は小さな大草原をとても気に入ったようだった。扉を潜って中に入り、小道を歩き家まで向かいながらニコニコと辺りを見渡しては、広さや気象変更呪文、家を建てるために使った呪文についてなど、興味津々といった様子でシリウスとリーマスに訊ねている。ダンブルドア先生は家に辿り着いてからも辺りを見渡しては楽しげにしていたけれど、中央のテーブルに大鍋が置かれているのを見つけると、それを覗き込みながら訊ねた。

「スネイプ先生からの課題かね?」
「はい。スネイプ先生からお聞きに?」
「ウム――君が脱狼薬を覚えたがっているとな」

 3つの大鍋を順番に覗き込み、それから書きかけのレポートに視線を移してダンブルドア先生は言った。

「わしがクリスマスに送った本も役に立っておるようじゃな。レポートも非常によく書けておる。この分なら、君の熱意は必ず伝わることじゃろう」

 ダンブルドア先生が私の魔法薬学の課題を見ている間にリーマスが紅茶を人数分用意してくれて、私達はそれぞれ思い思いの場所に腰掛けた。この小さな大草原の家には椅子が多く置かれていて、そのデザインも様々だ。その中からダンブルドア先生は木製のウィンザーチェア――厚い座板に脚と細長い背棒、背板を直接接合した形状が特徴の椅子――を、リーマスはお気に入りの肘掛け椅子を、私とシリウスはスツールを選んで座った。

 全員が座ると、それぞれの目の前に紅茶が注がれたカップとお茶菓子のロックケーキ――固くない普通の食感――が出されると、ダンブルドア先生が大喜びでそれ一口齧って紅茶を飲んだ。

「さて、本題に入るとしようかの」

 コトリとカップを置くとダンブルドア先生が口を開いた。

「例の件じゃが、アーサーは快く承諾してくれた」
「本当ですか? よかった」
「シリウスに関する事情も既に話して理解を示しておるし、喜んでこちらに出向くと言っておる。秘密も必ず守るとな。それからもう1つの件じゃが――それもアーサーが協力してくれることじゃろう。予言がある以上、油断は出来んからの」
「今朝、そのことについて話したばかりでした」

 リーマスが真剣な表情で言った。

「ヴォルデモートに動きはありますか?」
「いや、まだ情報はない。しかし、既に動き出しておろう――わしとしても、今期は闇祓いオーラーにホグワーツに来てもらえるように対策を打ったところじゃ」
闇祓いオーラー?」
「元、じゃがの。古い知り合いじゃ。1年という期限付きじゃが、了承してくれた。ハナ、イベントのことは聞いておるかね?」
「はい。今期、ホグワーツで何か行うと……何かは聞いていませんが……」
「フム、子ども達には極秘での。とはいえ、君が子どもの定義に当てはまるかは分からんが……。しかし、聞いたとおり、ホグワーツで大きなイベントが行われるの事実じゃ。このイベントが成功すれば、国内外に広く協力者を得るチャンスとなるじゃろうが、危険が伴うのもまた事実じゃ。ハナ、くれぐれも身の回りには気をつけるように。用心に越したことはない」

 どうやらリーマスやシリウスだけでなく、ダンブルドア先生もヴォルデモートが本格的に私を狙ってくるのではないかと心配しているようだった。トレローニー先生が予言の中で私のことを「強力な入れ物」と言ったことで、ヴォルデモートが私のことをどうするつもりだったのかがようやくはっきりと分かり、余計に警戒しているのだろうと思う。ヴォルデモートに利用されればどうなるか、私は考えたくもなかった。

「はい、ダンブルドア先生」

 私は不安を覚えながらもしっかりと頷いたのだった。