Blank Days - 009

進路変更

――Sirius――



 ロンドン、ウェストミスター市、メアリルボーン、バルカム通り27番地にあるハナの家は純粋なマグルの家だ。ベイカー・ストリート駅から少し歩いたところにあり、当然ながら魔法の「ま」の字もない。玄関扉には鍵がかけられるが、マグルならともかく、成人済みの魔法族にはそんなもの意味はなさない。マグルの行う施錠はどんなものでも一番簡単な「アロホモラ」という解錠呪文で開いてしまうからだ。

 しかし、あくまでそれが出来るのは成人済みの魔法族のみであった。「未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令」のC項では、17歳未満の未成年者が魔法学校外で魔法を使うことを禁止している。未成年の魔法族には全員、未成年の魔法族の周囲での魔法行為を検知する呪文がかけられており、魔法を使うと痕跡が残るようになっていて、魔法省に嗅ぎ付けられるのだ。その未成年者が残す痕跡のことを俗に「臭い」と言う。

 その厄介な「臭い」のお陰で僕達――少なくとも僕とリーマス――はたとえ本人から「いつでもうちを利用していい」と許可が下りていても、未成年の間はハナの家に行くことは出来ないだろうと思っていた。行くとしても僕達の誰か1人が成人してからだろうとどこかで思っていたのである。しかし、1人だけそうじゃない奴がいた。ジェームズだ。

 既に分かりきっていたことだったが、ジェームズはのんびりと成人になるのを待つような奴ではなかった。それに悲運に巻き込まれた友達を放っておけるような奴でもなかった。ジェームズは、僕達の目の前からハナが消えてからも、僕達の中の誰よりもハナのことを心配して「いつハナが現れてもいいように準備をしてやったらどうか」と考えたのだ。しかも僕とリーマスにその話をしてくれた時、なんと玄関扉の鍵問題もクリアしていたから驚きだ。ジェームズは僕にも内緒でマグル出身の生徒にマグル式の解錠方法を教えてもらっていたのである。

 そんな訳で僕達は3人でこっそりと計画を立て、夏休みのある日、ジェームズの家に集まりハナの家へと向かった。ジェームズの両親が寝静まったころを見計らい、煙突飛行を使ってまずは漏れ鍋へ移動、そこから箒でバルカム通りへと向かう計画だ。途中寒過ぎて死ぬかと思ったこと以外、計画は順調で、家を抜け出して1時間も経たないうちに僕達はハナの家に辿り着くことが出来た。

「真っ暗だな」

 マグル式の解錠方法で玄関扉を開けると当然ながらそこは真っ暗だった。ジェームズを先頭にして一歩足を踏み入れると、僅かに埃が舞って、ハナが消えてしまってから誰も足を踏み入れていないことが嫌でも分かった。家主のいない家はどこか物寂しくて、ジェームズが「いつハナが現れてもいいように準備をしてやったらどうか」と言っていた意味を今更ながらに実感出来たような気がした。

 僕達は手探りで廊下を進み、暗がりの中を唯一案内されたことのあるリビングへと進んだ。リビングは玄関を入ってすぐのところにあり、扉を開けて中に入るなりジェームズが「確かハナがこの辺りを触ったら明かりがついた」と言い出して壁を手当たり次第触っていたら、突然カチッと音がして天井からぶら下がっている照明に明かりが灯った。

「あの日のままだね」

 明かりのついたリビングを見渡してリーマスが寂しそうに言った。1年前のリビングはあの日俺達が遊びに来て帰った直後まま時が止まっているかのようだった。リビングのテーブルには、埃を被ったグラスが2つと紅茶のカップが2つそのままになっていて、キッチンの方に足を向けるとピザの空き箱が未だに捨てられずに置かれたままになっていた。

「ハナは漏れ鍋まで僕達を送ってすぐにあの日に飛ばされたみたいだね」

 ジェームズがピザの空き箱を手に取り、隅に置かれていたゴミ箱に捨てながら言った。ゴミ箱を覗いて見ると丁寧にゴミ袋がセットされていて、その中に僕達が食べたお菓子の袋や飲み物の容れ物が捨ててあった。僕は少し考えたあと、そのゴミ袋をゴミ箱から抜き取ると魔法の鞄に突っ込んだ。するとリーマスがどこからか新しいゴミ袋を見つけてきて、ゴミ箱には新しい袋がセットされた。

「でも、違う世界から呼ばれたって言うのに、こっちの世界にもハナの家があるって妙だよな」
「改めて考えてみれば、そうだよね。どういう原理なんだろう。ジェームズ、どう思う?」
「うーん、例のあの人が家ごと召喚したとか」
「それって可能なのか? ダンブルドアはそこまで話してなかっただろ。まあ、家があるのはラッキーではあるけど」
「ま、とりあえずラッキーってことで」

 僕達は誰が何をいうわけでもなく、リビングやダイニング、それにキッチンを片付けて回った。グラスと紅茶のカップをどうしようか迷って、一旦持ち帰ることにした。綺麗にしてクリスマス休暇か、来年の夏、もう一度持ってこようと話し合ったのだ。

 まだ埃は残っているものの、15分もするとハナの家のリビングやキッチンにあったゴミはすっかり片付いた。リビングの真ん中に立ち、ハナの家を見渡していると、ここに来た日のことが昨日のように思い出される気がした。ハナは今どこにいるのだろうか。1人になって寂しがっていないだろうか。それとも、未来の僕達と再会を喜び合っているだろうか。

「僕、夏休みが終わったらダンブルドアに会おうと思うんだ」

 突然、ジェームズがそう言って僕とリーマスはジェームズを見た。ジェームズはどこか決意に満ちた目をして、家主のいないリビングを見つめている。

「それからマクゴナガルに話すつもりだ。“夏学期の最初にやった進路相談で闇祓いオーラーになりたいって話したけど、やっぱりやめます”って」

 ジェームズの言葉に僕もリーマスもギョッとして顔を見合わせた。ジェームズが「闇祓いオーラーになって例のあの人と戦う」と言っていたのを何度も聞いたことがあったからだ。それをやめるというのは一体どういうことだろうか。

「僕、ダンブルドアに不死鳥の騎士団に入れてくれって頼む。ダメだって言われたって何度でも頼む」
「不死鳥の騎士団……」
「そう。ダンブルドアが指揮する秘密組織だ。闇祓いオーラーよりずっと現実的だと思わないかい? それで、僕はそこに入って、例のあの人を――ヴォルデモートと戦って倒すんだ。そしたら、ヴォルデモートはハナを召喚出来ないし、ハナはこんなことに巻き込まれなくて済む。僕は、僕の友達をあいつの好きにはさせない」

 ジェームズが確固たる意志を以って例のあの人の名前を口にしたことに、僕とリーマスはドキリとした。それと同時にジェームズがハナという1人の友達にかける情熱にも似た想いを目の当たりにしたような気がした。それは、僕が「初恋」と言って揶揄っていいようなものではなかった。エバンズに対するものとはまた違った想いを、ジェームズはハナに対して抱いているような気がした。

「ハナが巻き込まれなかったら、僕達の過去が変わってしまう……」

 少しの沈黙の後、リーマスが戸惑ったように言った。

「ジェームズ、召喚を阻止するってことは僕達と出会った事実がなかったことになるってことなんだ。僕達、例のあの人を倒した瞬間、ハナのことを忘れちゃうんだ」

 リーマスの声は震えていた。僕は何も言えずにジェームズとリーマスの顔を交互に見た。1人の友達が自分の記憶の中から消えてしまったあとのことを僕は想像すら出来なかった。すると、

「それで、いいじゃないか」

 ジェームズは清々しいほどの笑みで答えた。

「忘れたっていいんだ。僕達がハナの中で“友人の好きな本の中の住人”に戻ったとしても。それで友達が守れるのなら僕は本望さ」
「ジェームズ……」
「でも、万が一ってこともあるからこの家を守る準備は進めるつもりだ。その万が一が来た時は僕がこんな話をしてたことはハナには内緒にしといてくれると嬉しいな。かっこ悪いだろ?」

 そう言って苦笑いするジェームズに僕は黙って歩み寄ると、その肩にがっしりと腕を回した。これから先、どうなっていくのか分からない。もしかしたら僕達の中から本当にハナの記憶がなくなるかもしれないし、そうならないかもしれない。それでも、親友がたった1人の友達の為に戦うというのなら、僕も喜んでその道に進もう。

「新学期になったら一緒にマクゴナガルのところに行こう。進路変更だ」
「3人同時に進路変更申し出たら、驚いて倒れるかもしれないな」

 今度は反対側からリーマスがジェームズの肩に手を回して言った。どうやら考えていることは一緒らしい。僕達が両隣で笑い合うと、今度はジェームズの方が戸惑ったような顔をした。僕達までついてくるとは思っていなかったらしい。

「我らが知己のために――だろ? ジェームズ」

 ニヤッと笑ってそう言うとジェームズも僕達の肩に手を回した。そして、

「我らが知己のために」

 僕達はその言葉を合言葉に、確固たる信念を持って「ヴォルデモート」と戦う決意をしたのだった。