Side Story - 1994年06月

ブナの木の下にて

――Hermione――



 小さいころから私の周りでは不思議なことが度々起こった。小学校で同じクラスだった男の子にお気に入りの本を取られた時、次の日には手元に戻ってきていたし、転んで川に落ちそうになった時、ぎゅっと目を瞑った次の瞬間、どういうわけか私は自分の家のリビングにいた。

 ハーマイオニー・グレンジャーは奇妙な子だ。
 周りの子達が私を気味悪がるのにあまり時間はかからなかった。両親はそんな私にもとても優しくしてくれたけれど、原因が分からなかった当時は、きっとたくさん困らせていたんだと思う。それでも両親は私の前では困ったところなんて一切見せず、いつも通り接してくれた。

 1人でいることが圧倒的に多かった私にいつのころからか、両親は本を買い与えるようになった。図鑑はもちろん、参考書や物語とあらゆるジャンルの本だ。中でも私が1番好きだったのは、女の子が頑張って活躍する物語で、特に『紙ぶくろの王女様』と『アリーテ姫の冒険』は大のお気に入りだった。すべてを失ってもなお立ち上がり奮闘するエリザベス王女と困難が訪れても持ち前の賢さで乗り越えていくアリーテ姫は、私と憧れでもあった。今だから分かるけれど、両親が私にこの2つの物語を与えてくれたのは、周りに奇妙だと言われ続けたとしても、強く生きられるようにとの願いだったのかもしれない。

 そんな私に転機が訪れたのは、11歳の夏だった。
 中等学校への入学のために準備に追われていたある日、奇妙な手紙が届いたと思ったら、家の戸口に三角帽子を被った奇妙な女の人が現れて「ハーマイオニー・グレンジャー、貴方は魔女です」と言い放ったのだ。これには両親はもちろんのこと、私も飛び上がるほど驚いた。驚いたけれど、心の中で喜びに胸躍るのを感じた。だって、その女の人が教師として働く魔女や魔法使いの子ども達が集まる学舎には、私と同じような人達しかいないのだ。その学校で私は、奇妙なハーマイオニー・グレンジャーではなくなるのだ。

 女の人は、ミネルバ・マクゴナガルといった。このブリテン島のどこかに存在するホグワーツ魔法魔術学校の副校長兼変身術の先生で、4つある寮のうちの1つ――グリフィンドールの寮監だという。マクゴナガル先生がいうには、ホグワーツの先生は私のように魔法を使えない両親の元に生まれた魔法使いや魔女達の下を訪れては、魔法界について話をしているのだそうだ。なぜなら、入学許可証を送っただけでは何のことだかさっぱり理解されないからだ。

 両親と話し合い、ホグワーツへの入学を決めた私は、それから9月1日までの日々を今までにないくらい楽しんで過ごした。私の本を取り上げた男の子には絶対に見つけられないお店。レンガがクネクネと動く秘密の入口。魔法だらけの商店街。見たこともない金貨や銀貨や銅貨。私だけの魔法の杖に知らないことだらけの本――私は嬉しくて仕方なくて毎日飽きるまで教科書を読み耽り、こっそりと杖を取り出してみては、危なくない呪文を試してみたりした。鍵をなくした宝箱をアロホモラで開けた時の感動を、私は一生忘れないだろう。

 魔法界のことやホグワーツのことを知りたくて、教科書以外の本だっていろいろと読んだ。ホグワーツにある4つの寮のうち、私はどこに組分けされるのだろう。レイブンクローも良さそうだけど、でも、マクゴナガル先生のグリフィンドールに選ばれたらどんなにいいだろう。マクゴナガル先生のようになれたら、私にだってエリザベス王女のようにドラゴンと戦う勇敢さやアリーテ姫のように困難を乗り越える賢さが得られるかもしれない。

 けれど、楽しみにしていたホグワーツでの日々は、最初はまったく上手くいかなかった。グリフィンドールに組分けされたところまでは良かったのだけれど、私はホグワーツに入学してからいつまで経っても、友達らしい友達がほとんど出来なかったのだ。思えば私は、友達の作り方を知らなかった。どんな風に話したらいいのかも分からなかった。ただ、とても緊張して、しっかりしなくちゃって気を張っていたのを覚えている。けれども、みんな、私が知っていることを教えようとすれば知ったかぶりだと煙たがり、寮のためだとルールを破っているのはいけないことだと指摘すれば嫌な顔して離れた。今思い返せば、私の言い方がとてもキツかったのだと分かるけれど、当時はそんなこと分かるはずもなく、ほとんどの時間をひとりぼっちで過ごした。

 私と仲良くしてくれるのはハナだけだった。
 レイブンクロー生であるハナは、10人に聞けば10人共が完璧だと言うんじゃいかと思えるほどに完璧な女の子だった。太陽の煌めきを集めたような明るいヘーゼルの瞳が印象的なとびきりの美人なのに、嫌味がなくて優しく、勉強が出来て、友達だってたくさんいて、王子様のようなとびきりハンサムな男の子に想いを寄せられている。そんな、エリザベス王女やアリーテ姫みたいな物語に出てくる生粋のお姫様のような人が、ハロウィーンの事件が起こるまでの2ヶ月間、私の唯一の友達だった。

 ただ、ハナは何でもそつなくこなしているように見えて、実はあらゆる努力を惜しまない努力家でもあった。図書室で難しい本に囲まれて勉強したり、出来ない呪文を何度も練習したりして、彼女の完璧さは作り上げられていた。それに何でも持ってそうに見えて、実はほとんどの人が持っている当たり前のものを持っていない人でもあった。私にはいつでもあたたかく迎えてくれる両親がいるけれど、彼女にはいなかったのだ。それでもハナは自分の人生を悲観したりすることは一度もなかった。二言目には「平気よ」と笑うのだ。

 私はハナが自分の友達であるということがなりより誇りだった。優しく賢いハナが大好きだったし、ハナに対してなら素直に弱音を吐けた。ただ、彼女のことを1つ知るたび、私は彼女の孤独を1つ知ることとなった。彼女が努力家で真面目でいつも勉強しているのは、ヴォルデモートに狙われているからだと知った時、私は胸が苦しくなった。ヴォルデモートに狙われているから彼女は勉強を頑張るし、誰かの迷惑にならないよう強くなろうとし、「平気よ」と微笑みながら、どこかで他者と自分を線引きし、自らの幸せを諦めているのだ。けれど、彼女は苦しいとは一言も言わなかった。私だって幸せになりたいと声を上げて喚いたことも一度だってなかった。

 一体誰が、ハナの苦しみを聞いてあげられるのだろう。本当はその役目が私だったらいいなって思ってるけど、きっと私ではダメだろうから、あの王子様みたいな人がそうなればどんなに素敵かと、いつの頃からか私は夢見ていた。ハナが弱音を吐けて素直になれる場所があったら、どんなにいいだろう。だって、あんなにハナのことを優しく見つめる人を私は彼以外に知らない。私はいつも自分の幸せなんて後回しにしてしまう彼女に、幸せになってほしかった。だって、大好きな友達だから。

 けれども、3年生の終わりに、ハナがあの凶悪殺人犯のシリウス・ブラックの味方をした時、私は彼女を心の底から信じることが出来なかった。錯乱の呪文にかけられているかもしれないからだ。けれども本当は、手放しに貴方を信じると言ってしまいたかった。だって、私は1年生の時、何があってもハナを信じるって約束した。でも、でも――私がしっかりしなくちゃ。私がしっかりしないと、みんな危険な目に遭ってしまうかもしれない。仲間を信じ続けることはとても尊く大切なことだけれど、時に危険だ。ロンやハリーがハナを信じるのなら、私がしっかりしなくちゃ。私がしっかりして、見極めなくちゃ――結局私は彼女との約束を守れなかった。

 あの満月の夜が明けてからイギリス魔法界はシリウス・ブラックの無実の報道で溢れている。ペティグリューが生きているということだけは、危険性を鑑みてマグル側にも早々に伝えられたが、シリウスの無罪は魔法省の事情聴取を終え、正式な判決を待ってから伝えられると予言者新聞には書いてあった。魔法省は失態に失態を重ねてしまったので、今回慎重に事を進めているらしい。けれども、それほど遠くない未来、シリウスは正式に無罪の判決が出るだろう。

 私はそのことを嬉しく思うのと同時に、心のどこかで ハナに対して後ろめたい気持ちを持ち続けていた。あの時、真っ先に信じず、疑うようなことを言い続けたのは私だからだ。去年、ロンがハナを疑ったのだと聞いた時は、謝りなさいとすぐに怒ったのに、あれから数日経っても私はそのことをまだ、謝ってすらいない――。

「ハーマイオニー!」

 私がハナと2人きりで話す機会がやってきたのは、ルーピン先生が辞めた3日後のことだった。図書室に行こうと思ったら玄関ホールのところでハナにばったり出会したのだ。

「ハナ、お元気?」

 私は少しだけ緊張しながら声をかけた。ハナはそうとはつゆ知らず、にこやかに微笑んで答えた。

「ええ、とっても。貴方は図書室に行くの?」
「そうなの。だけど、えーっと、気が変わったわ。ハナ、少し時間はある?」

 寮の違うハナと2人きりになれるタイミングはそうあるわけではない。私は謝るなら今日しかないと、ハナを誘って校庭へと出た。湖のほとりまで歩いていくと、10月にもハナと2人で話をしたブナの木の根元に並んで腰掛けた。外はジリジリと暑かったけれど、木陰に入ると夏の暑さが少し和らいだ。

「私、ここでジェームズと会ったの」

 2人で並んで腰掛けてしばらくして、私がなんて話を切り出そうかと迷っていると、ハナが不意にそう口を開いた。

「ここで私が眠っていたものだから、風邪を引くよって声をかけてくれたの。私、思わず“ハリー・ポッター?”って言ってしまったわ。だって、特徴がハリーそのものだったんだもの」

 ころころと思い出し笑いをして、ハナが言った。ハナは1年生の時に私がひとりぼっちでご飯を食べている時や10月に私が元気がなかった時、度々私を外に連れ出しては決まってこのブナの木の下にやってきていたけれど、それはここが思い出の場所だったからなのだ。ここで私が弱音を吐くのを聞きながら、ハナは一体何を思っていたのだろう。もう2度と会えない友達に想いを馳せていたのだろうか。

「ハナ、貴方のことを信じきれずにごめんなさい」

 ハナの気持ちを思うと胸が苦しくて仕方なくて、気付けば私はハナに頭を下げていた。途端、ハナが驚いたようにこちらを見るのが、その空気感で分かった。

「私、貴方と約束したのにちっとも信じなかった……」
「ハーマイオニー、謝らないで」

 慌てたように言って、ハナが私の手を握った。

「貴方はとても賢いから、他の人が見えないことや考えないことまで考えてしまって、いつも人一倍苦しむのね」

 それは貴方の方でしょ、という私の言葉は声にならずに消えていった。ハナの言葉がどこまでも優しく、まるで慈雨じうのように私の心に降り注いでいく。

「貴方はいつでも、ハリーとロンの理性であろうとする。直感的に動こうとする2人のブレーキ役になろうと、自分がしっかりしなくちゃと気を張り続けようする。けれど、だからこそ、反発を受けやすくて損をしがちだわ」
「…………」
「みんな子どもだから貴方の素晴らしさがすぐには分からないのね」

 ハナは悪戯に笑って微笑んだ。私はそんなハナの顔が見られなかった。私の手を包み込むハナの手の上にポタリと雫が1つ、落ちた。

「貴方はあれで良かったのよ。ああいう状況に置かれた時、物事を俯瞰ふかんで見ることが出来るのは貴方の強みだわ。ただ、いくら賢くても貴方はまだ14歳だもの。気丈でいられるはずがないわ……ハーマイオニー、私とシリウスのせいで貴方をたくさん苦しませてしまったわ」
「いいえ――いいえ――」
「ごめんなさい、ハーマイオニー」

 ロンと喧嘩をしてしまって苦しかった日々とハナに対する罪悪感が綯い交ぜになって、気がつけば私はハナに抱き締められて幼子のようにわんわん泣きじゃくっていた。ハナの方こそ、入院するくらい思い悩んでくれたのだから気にしないでって言わなくちゃ。クルックシャンクスがとても賢く自分の役割を果たしたことを誇りに思ってるって言わなくちゃ。でも、口から出るのは謝罪と言い訳の言葉ばかりだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「ハーマイオニー、何も悪いことをしていないわ。謝らないで」
「私、本当は貴方を信じるって言いたかったのに! 私、ロンがそう言った時、本当はとっても羨ましかった。私だって、そう言いたかったのに!」

 私はそれから散々泣き喚き、同じ言い訳ばかりを繰り返していた。ハナはその1つ1つに耳を傾けて、「大丈夫よ。ちゃんと分かってるわ。気にしないで」と私が泣き止むまで慰めてくれた。それから、どれくらいの間泣いていただろうか――次第に涙が収まってくると、ハナが申し訳なさそうにしながら言った。

「ハーマイオニー、貴方が逆転時計タイムターナーを返そうとしてるんじゃないかって私心配しているの。ハリーとロンにそのことを打ち明けてしまったから、手放すんじゃないかって」

 どうして分かったのだろうか。私は目をパチクリとさせてハナを見た。確かに私は逆転時計タイムターナーを返してしまおうと思っていた。けれど、そのことをまだ誰にも話したことはなかった。

「どうして分かったの? ハリーとロンはちっとも気付いてないのに」
「だって、時間を変えることは恐ろしいことだわ。それに、貴方が逆転時計タイムターナーを持ち続けていたら、これから先何かあった時、ハリーとロンがそれを頼ろうとする可能性はゼロとは言い切れないわ。今回は上手くいったけど、次はとんでもないことを引き起こすかもしれない。だったら、授業が大変だと言って返してしまった方がいい――貴方ならそう考えるかと思ったの」
「ええ……ええ、そうよ。でも授業が大変なのは本当なの。私、あれ、気が狂いそうだった。ただ、セドリックは違うわ。だから、貴方がカメラのことを誤魔化したのは正しかったのよ。セドリックも持っていると知られない方がいいわ」
「やっぱり気付いてたのね?」
「もちろん。じゃないとすべての授業を受けられないし、私にアドバイスも出来ないもの――このことは誰にも言わないから安心して」

 ハナとセドリックが図書室の奥の席に私を呼んでくれた時、私はなるべくセドリックがいる時には近寄らないようにしようと思っていたけれど、それでも時々セドリックと顔を合わせて話をすることがあった。セドリックは授業をたくさん抱えてほとんどノイローゼになりかけていた私に度々アドバイスをくれて、私はその時、もしかしたら彼も同じかもしれない、と察したのだ。でないと、私に的確なアドバイスなんて出来るわけがない。

「彼にとっては、貴方とあの席で勉強している時間がとても救いだったのね、きっと。だから、私にもあの席を提案してくれたんだわ」

 あの図書室の奥の席で、ハナを見つめるセドリックの甘く優しい視線を思い出しながら私は言った。私は1年で根を上げたのに彼が3年間も逆転時計タイムターナーを使い続けられるのはきっと、ハナとの密やかな時間があるからに違いなかった。特に彼は人気者だから、静かに勉強出来る時間は貴重だっただろう。そこに想い人がいれば尚更頑張れたはずだ。

「そうだ」

 そこまで考えたところで私は顔を上げた。気になることをまだ聞けていなかったことを思い出したのだ。一体なんだろうというような顔をしているハナにグイッと迫ると私は言った。

「今年こそコクハクはされたんでしょうね!?」

 これこそ、私にとって重大な質問だった。いや、私だけでなくホグワーツ中の生徒が、学校一ハンサムなセドリック・ディゴリーの恋の行方を気にしているに違いない。しかし、そうとは知らないハナは、少し困った顔をして答えた。

「いいえ……」
「いいえ? 本当に何もなかったの!? まったく、何も!?」

 今年こそ2人が恋人同士になるんじゃないかと期待していた私は裏切られたような気分になりながら訊ねた。すると、ハナが途端に目を泳がせ始め、しどろもどろになりながら口を開いた。

「でも、あの――あー……」

 ハナの顔が真っ赤になっている。どうやら進展がなかったわけではないらしい。私は鏡を見ていないのに、自分の口許がニヤニヤし出すのが分かった。

「何か進展があったのね」

 私はハナの顔を覗き込みながら言った。

「キスでもしたの? そうなのね?」
「あの、あの、口じゃないわ……」
「でもされたのね! う、わぁ! 素敵だわ! セドリックったら、とうとうやったのね! 彼って、よく3年も耐えたと思わない? ねえ、どこにされたの? やっぱり場所は例の場所?」

 私の質問攻めに、ハナはどこもかしこも真っ赤になって、とうとう両手で顔を覆ってしまった。私はそれを見て、「王子様」が気持ちを伝えなかったにもかかわらず、キスしてしまった理由が分かった気がした。だって、私から見てもハナはとびきり可愛いんだもの。「王子様」から見るハナはもっと可愛かったに違いない。それこそ、する予定のなかったキスを思わずしてしまうくらいには。だって、セドリックの性格上、キスするなら、気持ちを伝えてからと考えているだろうからだ。彼はそれくらいハナに対して真摯だし、真剣だ。なのに、ハナが可愛かったのだ。

 もしかすると、そのキスには、もっと自分を意識して欲しいという願いもあるのかもしれない。そして、もしその推測が正しいのなら、「王子様」の願いは叶っているだろう。だって、彼のキスが嫌じゃなかったと、見ていれば分かる。彼女は決して自分の気持ちを口にはしないけれど、彼のキスが嫌なら、こんなに可愛い顔をして真っ赤になるはずがないのだ。それに、ハナは気付いているだろうか。セドリックのことを揶揄からかわれても、もう以前のように「セドリックは友達です!」と否定しなくなったことに。

「来学年が楽しみだわ」

 ああ、私の大好きな友達と彼女に真摯に想いを寄せる「王子様」が幸せでありますように。私は心の底からそう願った。